未来へと受け継がれるポップウイルス (original) (raw)
渋谷系を掘り下げる Vol.14(最終回)[バックナンバー]
小泉今日子が語る“渋谷系の目利き”川勝正幸
未来へと受け継がれるポップウイルス
2020年12月17日 19:00 78
1990年代に日本の音楽シーンで起きた“渋谷系”ムーブメントを複数の記事で多角的に掘り下げてきた本連載。最終回となる今回は、エディター / ライターの川勝正幸を取り上げる。ピチカート・ファイヴ、フリッパーズ・ギター、スチャダラパー、ORIGINAL LOVE など、川勝は独自の審美眼で多くの渋谷系アーティストを雑誌やラジオを通じて、いち早く紹介してきた。2012年に不慮の事故で逝去した川勝ではあるが、星野源を筆頭に多くのアーティストやクリエイターが彼からの影響を公言しており、川勝正幸の遺伝子“ポップウイルス”は今も連綿と受け継がれている。
今回登場してもらった小泉今日子も川勝のポップウイルスを受け継ぐアーティストの1人だ。90年代前後にかけて、川勝は小泉のラジオ番組に構成作家として携わる一方、雑誌連載やツアーパンフレットの編集を担当するなど多くのクリエイションを手がけている。本稿では川勝が立ち上げた事務所「川勝プロダクション」の一員であるエディター / ライターの辛島いづみを聞き手に迎え、小泉に川勝との交流や彼が遺した功績について語ってもらった。
取材・文 / 辛島いづみ(川勝プロダクション) ヘッダ写真撮影 / 長濱治 (c)NEIGHBORHOOD 物撮影 / 永田章浩(提供:川勝プロダクション)
川勝さんだったらどうしたかな
「もうバッタバタ。今日も“高津”に行ってたんです。高津装飾美術。舞台で使うステージ用の椅子とか小道具を借りに。イメージするラグマットがなかなか見つからなくて。あれでもないこれでもないって探してたら、私が以前、もう使わないからって寄付したラグマットが出てきたのね。『これたぶん小泉さんのものだと思うんですけど』『そう、それ』って(笑)」
インタビューをしたのは2020年9月下旬。彼女は、翌10月に行うイベント「asatte FORCE」の準備に追われていた。それは、本多劇場で16日間にもわたって開催した日替わりイベントで、「西城秀樹を語りあう夕べ」があったり、殿山泰司のエッセイを朗読する舞台があったり、旧友である高木完やスチャダラパー、川辺ヒロシらと共に演劇の殿堂を“クラブ化”する日があったりと、なんともパワフルな企画だった。
「もともとは『ピエタ』というお芝居をやろうとしていたんです。石田ひかりさんと峯村リエさんと私がメインキャストだったけれど、コロナでできなくなってしまった。でも、押さえていた劇場をそのまま手放すのはもったいない。せっかくだったら何かやろうって」
近頃のコイズミさんは忙しい。大手芸能事務所を辞め、自身の会社「明後日」を立ち上げてからは、演劇や映画を企画したり、それまでの歌手 / 女優としての小泉今日子だけではなく、プロデューサーとしての活躍がめざましい。何より、心底楽しんでそれを発信している様子がうかがえる。
「こうやっていろいろ動いていると、川勝さんを思い出してならないんです。川勝さんだったらどうしたかな、どう思うかな、どんなキャッチフレーズを考えるかなって絶対思っちゃう。例えば、今年8月に無観客ライブをやったとき、レコード会社の人はカッコいいタイトルを考えてくれるんだけど、『いやいやいや、もっとユーモアがあったほうがいいんじゃない?』って、『唄うコイズミさん』はどうでしょう?って私が提案したんです。こういうことも川勝さんから学んだ気がする。簡単に意図が伝わるけれど、カッコつけてないフレーズ。若い世代は、私の歌手時代を知らない人が多いから、実は歌うんですよっていうような意味も含めてね」
確かに。川勝さんならそういうタイトルを付けただろう。
川勝正幸。自らを「ポップウイルスに感染した“ポップ中毒者”」と呼んだエディター / ライター。80年代から雑誌で活躍、深夜テレビやラジオに構成作家として参加することもしばしば。90年代にはクラブカルチャーや渋谷系など自らが体感したポップカルチャーの現場を、コラムなどで積極的に発信することで、ブームの盛り上げ役となった。中でもスチャダラパーは川勝がフックアップし世に出したと言っても過言ではない。学生時代の思い出としてラップコンテストに出ただけの彼らをメディアで初めて紹介したのも川勝だったし、渋谷系のアンセムと呼ばれた「今夜はブギー・バック」(1994年発表)のジャケとミュージックビデオをディレクションしたのも川勝だった。ついでに言うなら、SAKEROCKのメンバーとして活動していた星野源の才能にいち早く目を向けたのも川勝だ。星野は川勝からの影響を公言しており、のちに国民的ポップスターとなった彼の5thアルバムに付けられた「POP VIRUS」というタイトルがそれを表している。そして、「なんてったってアイドル」だった小泉今日子。彼女が大人へのステップを踏み出した80年代末、彼女のブレーンの1人だったのも川勝だ。彼は国民的アイドルと最先端のポップカルチャーをつなぐ役割を果たした。
“パンパース・コイズミ”
「TOKYO FMの番組『KOIZUMI IN MOTION』(1989~91年放送)の構成を川勝さんがやってくれたのが大きかった。そこで、高木完ちゃん、藤原ヒロシくん、いとうせいこうさん、スチャダラくんたち、そういった人たちを川勝さんが紹介してくれて仲よくなって。そうすると、みんなが新しい音楽の話やカルチャーの話を教えてくれて、それに私もどんどん感化されていって。当時、“パンパース・コイズミ”っていうキャッチフレーズを考えてくれたの、川勝さんが。私がどんどん吸収するっていう意味でね(笑)」
スーパーアイドル・キョンキョンにそんなキャッチフレーズを付けるとは。ちなみに同時期、川勝は雑誌「宝島」で小泉の連載企画「K-iD」を編集。イギリスのカルチャー誌「i-D」にオマージュを捧げたものだが、それにちなんだコンサートのパンフレットも作っている。アートディレクションは安齋肇。内容に凝りすぎたため、コンサート初日に間に合わなかったという伝説も。
「間に合わなかった事件、覚えてる(笑)。厚木が初日だった気がするんだなあ。あのときのグッズは、渡辺俊美くん(TOKYO No.1 SOUL SET)が担当してくれたんです。俊美くんは当時、セルロイドっていうお店をラフォーレ原宿でやっていて。でも、俊美くんが発注したグッズはアジアの国からちゃんと届いたのに一番売れなきゃいけないパンフが届かない!って(笑)」
川勝曰く、後に「i-D」の創始者テリー・ジョーンズは「K-iD」を見てたいそう喜んでくれた、とのこと。そしてそれは「裏小泉」(1992年刊)というビジュアル本に発展している。