細野さんに聞きたい、あの曲、この曲(前編) (original) (raw)
細野ゼミ 補講4コマ目[バックナンバー]
細野さんに聞きたい、あの曲この曲(前編)
安部勇磨、「最後の楽園」「蝶々-San」「恋は桃色」「ハニー・ムーン」について聞く
2024年12月26日 20:00 43
細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、細野の音楽観をより深く学ぶべく今年から“補講”を開講している。
ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。ひさびさの講義となる今回、細野の活動55周年に際して音楽ナタリー編集部が設けたテーマは「細野さんに聞きたい、あの曲のこと、この曲のこと」。ゼミ生の2人が細野がこれまで関わってきた楽曲の中からいくつか作品を挙げ、それぞれの視点から細野本人に質問してもらった。
取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
目次
- 「最後の楽園」はどうやって生まれた?
- 細野が「これはやったぞ!」と思った曲は
- 細野晴臣、究極の時代
- ゼミ生、未発表のデモを聴ける回を熱望
- プロフィール
- 連載バックナンバー
- 画像・動画ギャラリー(全8件)
「最後の楽園」はどうやって生まれた?
──今回からは補講として、ゼミ生のお二人が細野さんに聞きたいことを直接質問していく企画をスタートします。1、2回目は安部さんが担当ということで、よろしくお願いします。
安部勇磨 はい。今回聞きたいのは……具体的にいくつか曲を用意してきたんですけど、「最後の楽園」「蝶々-San」「恋は桃色」「ハニー・ムーン」などについて、それぞれどう作られたのかなって。
細野晴臣 全部忘れたな(笑)。
ハマ・オカモト もう何も出てこない(笑)。
──「最後の楽園」は、細野さん、山下達郎さん、鈴木茂さんなどが参加した“アイランドミュージック”がテーマのコンピレーションアルバム「Pacific」に収録されていますね。
細野晴臣「最後の楽園」
細野 かなり古いよね。当時のことはだいたい覚えているけど、どうやって作ったかは全然覚えてないなあ。
ハマ あのプロジェクト自体が、そもそも特殊ですよね。
安部 依頼が来たんですか? 「こういうアルバムを作ろう」「“南の島”をテーマにやろう」って。
細野 来たんだろうね(笑)。「Pacific」はインスト縛りだったよね。完全にマーティン・デニーのカバーに聞こえちゃう。あれって何年?
──1978年です。
細野 78年か。リンダ・キャリエールをやっていた頃だ。自分の中では「トロピカル・ダンディー」の流れが続いていたんだ。
安部 「最後の楽園」は、大好きでよく聴いているんですけど、使っていたシンセとかって覚えていますか? 最初の“ひよひよひよひよ……”っていう音、シンセなのか、鳥の声を録音したのか、何なんだろうって気になっているんです。
細野 昨日のことなら答えられるけど、78年だから……(笑)。でも録音はしていないと思う。だいたいシンセでやるのが趣味だったんで。あの頃、鳥の音とか声とかを作っていたのはたぶんKORGのアナログシンセだね。MIDIは付いていないと思う。単音のフレーズはARPのシンセじゃなかったかな。メロディは誰が弾いたんだろう。自分かな、坂本(龍一)くんかな。そういうことは覚えていないんだよな。
ハマ 「最後の楽園」って、タイトルもいいですね。あれが天然の生き物の声だったらいわゆるトロピカルで生っぽい音楽ですけど、シンセで作っているとしたら、ちょっとディストピアな意味合いも生じてくるというか。
安部 78年っていうと、細野さんは何歳ですか?
細野 31歳かな。
安部 はあ、31か……僕は34歳になっちゃいました……恥ずかしい(笑)。
ハマ 恥ずかしかないだろ、別に。
細野 じゃあ歳上だ(笑)。
安部 当時細野さんには、レコード会社から「こういうテーマで作って」というオファーがたくさんあったんですか?
細野 そんなにいっぱいはないけど、例えばソニーから「The Three Degreesのシングルを作ってくれ」とかね。そのときはちょっと興奮したな(※この依頼で作られた「Midnight Train」は、作詞が松本隆、作曲が細野、編曲が矢野誠、演奏がティン・パン・アレー)。The Three Degreesは、僕だけじゃなく筒美京平さんが担当したプロジェクトもあって、そっちは大ヒットしてね。こっちはしょぼんとして(笑)。
ハマ 今となってはどっちもすごいっていう話ですけど。
細野が「これはやったぞ!」と思った曲は
安部 細野さん、曲ができて自分で「これはやったぞ!」と思うことは?
細野 ソロではときどきあるね。最初にそう思ったのは「泰安洋行」の「Roochoo Gumbo」で、「すげえ!」と思ったよ、自分で。初めて自分のイメージが定着した気がしたっていうか。周りの人は「怖い音楽だ」って言っていたけど(笑)。
細野晴臣「Roochoo Gumbo」
安部 僕、初めて聴いた細野さんの作品が「泰安洋行」の「蝶々-San」でした。本人を前に失礼ですけど、ジャケットを見て「この怪しいおじさんはなんだ?」って思いながら聴いたんです。
細野 まだ20代だったよ(笑)。
ハマ そうだよ、おじさんじゃないんだよ、全然(笑)。でもわかるよ。俺らが10代のときはそう見えるよね。
安部 それで「蝶々-San」を聴いたら、「どうやってこの曲を作った?」って本当にわからなくて。そこを改めて伺いたいんです。
細野 それ以前からニューオーリンズのリズム&ブルースが大好きで、しょっちゅう聴いていたんだ。ピアノも真似して弾いていたりしてね。それと同時にマーティン・デニーも聴いていたでしょ。さらにその直前に、久保田麻琴くんが沖縄からハガキをくれたわけ。「観光バスに乗ったら『ハイサイおじさん』って曲がかかっててすごいんだよ」って。久保田くんが帰ってきたときに聴かせてもらったら、本当にすごかった。「なんだこれ?」って。その影響も強いよね。あの時代、東京ではもうモダンな音が流行っていたけれど、同じ時代なのにマルフクレコード(※沖縄のレコードレーベル)の録音がすごいオールディーズなんだよね。“いなたい”っていうか、若い頃にチャック・ベリーのオリジナルを聴いたときと同じような印象を受けた。そういう音に憧れていたけれど、あの当時では出せないよ。技術的に、わざと古くすることはできない。“古い”と言っても、僕にとっては新しく聞こえていたんだけどね。いずれにしてもその気持ちがずっとあって、それはいまだに原動力になってる。「蝶々-San」は、そういったものをごった煮にしたんだ。ごった煮ってのは、ガンボミュージックに影響されてる。曲のタイトルは、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」から。オペラのほうはあまり聴いたことはなかったけど、「蝶々さん」って名前が面白いなって。
安部 「♪just-aチョットマテ moment please」の歌詞、ちょっとすごすぎる。
細野晴臣「蝶々-San」
細野 日本語なんだけど、ときどき英語が混じる。ハワイに移住した2世みたいなものだね。“ハリー細野”っていうのは、“フランキー堺”とかと同じようなイメージでやっていた。胡散臭い音楽だし、僕は胡散臭い人間なんで(笑)。
ハマ へー! “ハリー細野”って、そういう由来だったんですね! 僕、下の名前が郁未(いくみ)なんですけど、OKAMOTO’Sに入るとき“オカモトいくみ”って何かハマりが悪いなって思って、ザ・ゴールデン・カップスが好きだから、ルイズルイス加部さんやエディ藩さんみたいなものをイメージして今の名前にしたんですよ。
細野 同じような感じだね。でもそっちは胡散臭さがない(笑)。
安部 「蝶々-San」で「ヴェーイ」って言ってるのは誰なんですか?
細野 この間ちょうど僕のラジオに来てくれたんだけど、山下達郎くんだよ。
ハマ あれ達郎さんなんですか!?
安部 そういうのって、どういう流れで参加することになるんですか? たまたま居合わせて、「歌ってよ」みたいな?
細野 ちゃんと頼んだよ。とはいえ、周りにはそんなに仲間がいないんだよ。当時コーラスを頼むときは、山下達郎、吉田美奈子、矢野顕子、大貫妙子とか。
ハマ 達郎さんがコーラス要員……あなたが藤原さくらちゃんを呼んでるのと近い感じだけど。
安部 確かにね……ありがたい。でも、やっぱり緊張感があるんじゃないですか? そんなメンバーだと。
細野 全然緊張しない。仲間だし。知らない人が来たら緊張するから呼ばないよ。絶対に緊張したくない。