菅田将暉 デビューアルバム「PLAY」特集 菅田将暉インタビュー+参加アーティストコメント|音楽活動を通じて手に入れたもの - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)
菅田将暉がデビューアルバム「PLAY」を3月21日にリリースする。
昨年、自身も出演する“au三太郎シリーズ”のサッカー日本代表応援ソング「見たこともない景色」でCDデビューを果たした菅田。デビューアルバム「PLAY」には「見たこともない景色」「呼吸」「さよならエレジー」といったシングル曲に加え、秋田ひろむ(amazarashi)、石崎ひゅーい、柴田隆浩(忘れらんねえよ)、渡辺大知(黒猫チェルシー)などが提供した新曲が収録される。また菅田本人も多くの楽曲で作詞に携わり、「ゆらゆら」では自ら作曲も手がけた。
音楽ナタリーのインタビューでは、アルバム制作の背景から、音楽との出会い、バンドやミュージシャン仲間との交友関係、俳優業とのバランスなど、今の彼がどんな思いを持って音楽活動に臨んでいるのかを語ってもらった。特集の後半には撮り下ろし写真たっぷりのフォトギャラリーや「PLAY」に参加したアーティストからのコメントも掲載する。
取材・文 / 柴那典 撮影 / 草場雄介
関わった全員が能動的に動いてできたアルバム
──アルバムが完成してどんな手応えがありますか?
世に出てからのことはまだわからないですけど、現段階では愛すべき馬鹿なところと、クールなところと、クールに見せたいがゆえのちょっと恥ずかしいところ……そんなものが見え隠れする作品になったなと思います。あとは僕が好きなアーティストたちに参加してもらえたことが本当に幸運だと思うし、感謝しかない。関わった全員が能動的に動いてできたアルバムだと思いますね。でも極論を言えば、菅田将暉はアルバムを出さなくてもいいんですよ。
──それはどういうことでしょう?
今までの僕の活動の流れからして、音楽活動は必要ないのかなって。だけど明確な意味がなくても、アルバム制作を通してこんなに素敵な出会いがあったし、自分自身がこれだけ高揚できた。自分の気持ちって、100%人に伝えるのは難しかったり、そもそも伝えるものでもなかったりするじゃないですか。そういうものを参加アーティストたちと共有できたことは自分にとって貴重な経験でした。
鮮烈だった「茜色の夕日」との出会い
──アルバムを聴いてまず感じたのは、ある種のポップスターのように取り繕って作ったものではないということなんです。むしろ菅田さん自身をさらけ出したものになっているなと。こういうものを作ろうという考えはどこから生まれたんでしょうか。
僕は「伝わるか伝わらないか」で自分の好きなものを測っているところがあって。音楽に関しては自分から楽曲に思いを馳せようとしなくても、勝手にシーンが思い出されてしまうようなものを好きになるんですよね。「この曲を聴くと思い出すんだよな」とか「これ、俺の曲やん」って思うような曲が好きで。そういうものを作れる人になりたいというのとはまた違うんですけど、自分がやるにあたってはちゃんとイチから関わりたいという思いがありました。ただ自分をさらけ出そうとしたと言うよりは、どうしたってそうなっちゃった感じですね。音楽的知識や技巧がないからこそ、まっすぐにやっていくしかなかったんです。レコーディングでもクリックを聴かず、何も気にせずやったものがよかったりするじゃないですか。これは俳優業にも似てるんですけど、その瞬間にしかない、“なんだかわかんないけど美しいもの”を形にしたアルバムにしたかったので。だからちゃんと今じゃなきゃ作れないものにはなったかなと思います。
──好きな音楽の話をされましたが、具体的に自分に影響を与えた曲はあるのでしょうか?
このアルバムに弾き語りで収録したフジファブリックさんの「茜色の夕日」です。この曲を聴くまで、僕は音楽にあまり興味がなかったんですよ。iPhoneに1曲も入ってないし、カラオケも行かないし、どちらかと言うと音楽は好きじゃない、むしろ嫌いだと思ってたんです。
──音楽を好きになれない理由があったんですか?
しょうもない理由なんですけど、小6ぐらいで声変わりして、声が低くなって、今まで普通にカラオケとかで歌っていた高いキーの曲を歌えなくなったからですね。そのタイミングで習っていたピアノを辞めて、音楽をまったく聴かなくなったんです。それからしばらく経って、上京して仕事を始めて、自分の役者人生の中で転機となった映画「共喰い」に出会って。北九州で撮ったんですけど、毎日すごく夕日がきれいな場所だったんです。共演者の方から「茜色の夕日」という曲があることを教えてもらって、その場で初めて聴いたんですけど、なんか自分にとってすごくセンセーショナルなものだったんですよ。「ヤバい。なんだこの曲は!?」って。そのときにはもう志村(正彦 / フジファブリックのボーカリスト)さんは亡くなっていたんですけど、歌詞を調べたり過去のライブ映像を観たりして。歌詞の内容や高円寺の風景を切り取った「茜色の夕日」のジャケットを見て、当時の自分の状況に重なったと言うか、他人事に思えない感じがしたんですよね。その頃の自分のテーマ曲みたいな感じでした。
──鮮烈な出会いだったんですね。
そうですね。それをきっかけに音楽を聴くようになって、役作りでギターを弾いて、少しずつギターも弾けるようになって。当時は家で1人で弾き語ったり、友達と一緒に歌えるように、というくらいの趣味の範疇でしたけど、自分の生活の中に“音楽”というコンテンツが追加された瞬間だったんです。
映画「何者」の撮影で得たもの
──映画「何者」ではバンドマンを演じましたよね。それも今の音楽活動につながっていると思いました。
自分のライブをサポートしてくれる元・カラスは真っ白のメンバーや、楽曲提供していただいた柴田さん、LAMP IN TERRENの(松本)大くんにこの映画を通じて出会いました。あとこのライブシーン撮影のために初めてライブハウスで演奏したんです。普段のお芝居の中だといわゆるその人なりの日常を演じているわけなんで、カメラは見ないし、あまり何かに向けてという表現をしないんですけど、ライブシーンの撮影ではお客さんがいて、その人たちに向けて演奏する。その状況は緊張したんですけど、すごく楽しくて。「何者」の撮影で初めてスタジオに入って、エレキギターをアンプにつないで音を出したり、歪ませたり、好奇心のおもむくままにいろんなことをやりました。
──そこで組んだ劇中バンドOVER MUSICの面々は、その後も菅田さんの音楽活動をサポートしていますよね。相性がよかった感覚があったんでしょうか?
それはありますね。今も一緒にやっているメンバーは一緒に仕事をしただけじゃなく、友達になれた感じがあったんです。みんな僕にいろんなことを教えてくれるし、僕がやりたいくだらないことに付き合ってくれるし。ライブシーンを撮影する前日、OVER MUSICのみんなで僕の家に集まって曲を作ったんですよ。普通にライブをやるだけでもよかったんですけど、エキストラの皆さんがお客さんとしてフロアにいるし、せっかくだから「よろしくお願いします!」という意味を込めた曲を作ろうって。そういうバンドらしい空気の中にいることが初めてだったので面白かったですね。
──「何者」以降、菅田さん自身にいろんなミュージシャンとのつながりができていると思うんですけれども、それはどういう経緯だったんでしょうか。
出会いはやっぱり仕事ですね。ドレスコーズの志磨(遼平)さんとも映画「溺れるナイフ」の撮影でお会いして。もともと毛皮のマリーズが大好きだったんですけど、その出会いをきっかけに普段も遊ぶようになって。ひゅーいくんは、僕がもともとひゅーいくんのファンだったんです。出会ったきっかけは……雑誌の対談だったかな(「音楽と人」2016年7月号)。それ以降、ひゅーいくんと連絡をよく取り合うようになって、今回のアルバムの曲の制作も含め、去年の夏にずっと一緒に遊んでいたら仲良くなりました。