劇作家、演出家、俳優、ダンサー、プロデューサーたちが語る | そのとき、何を思い、何をしましたか? 第1回 (original) (raw)

「そのとき、何を思い、何をしましたか?」第1回の寄稿者。

そのとき、何を思い、何をしましたか? 第1回[バックナンバー]

劇作家、演出家、俳優、ダンサー、プロデューサーたちが語る

──長い眠りについた劇場、そして舞台人たちの思い

2020年4月21日 19:00 89

2020年2月上旬。ステージナタリーで初めて、「新型コロナウイルスの影響による公演中止」のニュースを出した。そこからほぼ連日、多いときは日に十数公演の中止や延期のニュースを、編集部は書き続けている。

そして4月7日。政府の緊急事態宣言の発令を受け、劇場が“休止要請対象”になって以降は、舞台はまるで長い眠りに入ったかのように、ぱったりと息を潜めてしまった。毎日あれほど舞台をにぎわせていたクリエイターや俳優、そして劇場を支えるスタッフたちは、今、どのような思いを持ち、どのような日々を送っているのか。そして、劇場に詰めかけていた観客たちは?

この記事では、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、さまざまな決断をすることになった、全国の舞台人たちの声を数回にわたって紹介。“自粛”要請の中、公演続行か中止かで苦悩した人たち、緊急事態宣言により初日目前で中止を余儀なくされた人たち、稽古さえできずにいる人たち、この状況下で新たな表現の形を模索する人たちなど、それぞれ異なる事情を抱えた舞台人たちに、「そのとき、何を思い、何をしましたか?」と問いかけ、思いを語ってもらった。

第1弾では、劇作家、演出家、俳優らがアンケート形式で寄せたコメントを紹介。さらに、新型コロナウイルスの感染拡大状況が舞台界にどんな影響を与えたのかを考える。

舞台へ熱い思いを寄せる彼らと、また劇場で再会できる日を、楽しみにして待とう。

構成 / 大滝知里、興野汐里、熊井玲 文 / 大滝知里(P3)

【舞台人たちが思いをつづる】

17名の舞台人たちが抱いた、それぞれの思いとは。

上田誠(劇作家・演出家 / ヨーロッパ企画)

稽古残り1週間のところで全公演中止になりました。東京初日が4月9日の予定だったんですが、周りの状況から、うちもそうなるかも、という思いはありました。とはいえ稽古場ではそんなこと忘れて稽古するのですが。

中止の報を受けたあとは、いつか復活公演をやりたい思いから、その布石となるようなものを残しましょう、とプロデューサーチームと話し合いました。同時にキャストたちの間でも、なんとなく今までなかったグループラインが立ち上がりました。重ねてきたことが急に断たれるのが、みんな違和感あったのかなと思います。

そして、途中経過報告コンテンツサイト「こんてにゅうや」が、初日が開くはずだった夜に立ち上がりました。連日、動画や読み物をアップしていき、作っていたグッズも販売し、東京千秋楽をやるはずだった日に、リモート生配信をキャストみんなでしました。ゲームの劇だったので、パスワードをうまく保存できたことを願っています。

江本純子(劇作家・演出家・俳優 / 毛皮族・財団、江本純子)

2月下旬、今上演する内容としてこれでいいのか?と違和感が拭えず、「旅」をモチーフにした構成台本を一旦放棄。
3月上旬、小豆島にて滞在創作。出した結論は「演劇のこと、考えない」。
3月中旬より、会場の半野外のガレージで、俳優たちと共にキャンプ生活を始めた。
「演劇やってます」ではなくて。「わたしたちはここにいる」で。
今の世界状況の影響をもろに受けたうえで行っているわたしたちなりの行動を、その姿を、日ごとに提示していくのはどうだろう。半年にわたる創作の変遷を共有した俳優たちを信じて、即興で世間と対峙するための、作品。台本、ない。いいね。上演ではない。いいね。
3月下旬、東京都から週末の外出自粛要請が出されたとき、わたしたちは訪れた観客と共にガレージにいた。ロックダウン宣言があったら? 観客は1人も来ないとわかったうえで、わたしたちはその後も3月31日まではガレージにいたはず。離脱する俳優はいたかもしれないけど。
これが4月だったら? そこにいることはせず、家にいたはず。

わたしを信じて | 江本純子 JUNKO EMOTO

小川絵梨子(演出家 / 新国立劇場 演劇芸術監督)

おぼんろ

ちょうど稽古開始が3月半ば。運に身を任せて準備を始めるか、早めに中止を決断するか。直前の中止は観客も仲間も深く傷つけると思っていました。コロナの危険度について僕らは一番最悪な説を信じ込んだうえで選択をすることにしました。考えあぐねた結果、観客を劇場に呼ぶことはやめ、新たな演劇を生み出すことにしました。突き詰めると僕の演劇の定義は「同じ時間に、同じ物語の中でみんなで過ごすこと」です。

新たな手法創りに半月ばかり奔走した4月頭頃、どうやらカンパニーのみんなを稽古場や劇場に集めることすらやめるべきだと思いました。けれどもう中止の選択はありません。物語の中で待ち合わせる、観客と交わしたその約束を違えることは絶対にしまいと方法を探りました。結果、僕らも誰も会わずに上演を行うスタイルにたどり着きました。この非常事態に僕らは、物語が不滅であることを信じるという物語を紡ぐ機会を与えられたのだと思っています。

obonro_pr おぼんろ - YouTube

國武逸郎(ミュージカル・ユニットWAO)

劇場封鎖で俳優・スタッフが仕事場を失っています。またお客様も観劇の機会を奪われています。「演劇を作りたい」「楽しみたい」という思いは募るばかりなのに、それが叶う唯一の空間が閉ざされ、満たされずに、ネット上で叫びやため息となってあふれています。

「この2つの思いを、ここで結びつけよう」。そう思い立ち「eミュージカル」の企画を立ち上げました。ネットでの楽曲製作は過去に経験済み、俳優の方々もSNS上で独自の配信を行っており、アイデアを実行できる土壌があったことが味方しました。

外出できない苦しさは、人と直接顔を合わせる機会が減った現代に生きる私たちが、日頃から感じている寂しさ、息苦しさに似ています。だから、劇場ではなくあえてネット上という「私たちの居場所」で作品を上演することにも、大きな意味が出てくるのです。eミュージカルは演劇の代替ではなく演劇そのものだと信じて、開かれている唯一の「劇場」で上演を始めています。

eミュージカル「Hear my song」「無人島deサバイバル」 (@e_m_Hearmysong) | Twitter

桑原裕子(俳優・脚本家・演出家 / KAKUTA)

5月に上演を予定していたKAKUTAの若手公演・カクタラボ「明後日の方へ」は延期になりました。4月の稽古場が閉鎖されたことから話し合いが始まり、「西山さん(作・演出の西山聡氏)の芝居は笑いが重要だけど、今は純粋に楽しんでもらえる環境を提供できない」ということが延期の決め手となりました。しかし、完本したばかりの脚本を読まずに終わるのが嫌で、予定していた顔合わせと本読みをZoomを用いてリモートでやることに。それが思いのほか面白く、劇団員と私の過去作を読み合わせして遊んでいました。そのことをSNSに書いたところ、ぜひ見たいというお客さんの声がいくつも寄せられ、戯曲公開の代わりに読み合わせ風景をアップすることにしました。今はその様子をYouTubeでライブ配信などもしています。生とは比べものにならないけれど、こんな形でも演劇に触れているとやはり、少し元気になるのです。

KAKUTA | News & Topics

小山ゆうな(演出家・翻訳家)

明治座「チェーザレ 破壊の創造者」演出のお話を頂いたのは3年前だった。
オリジナルミュージカルだ。惣領さんの原作を読み解くところから始まり、荻田さんの台本・島さんの音楽、キャスト・スタッフ決め等準備は長時間にわたった。
稽古が始まると、中川晃教さんはじめ豪華なキャストが集結、皆が意見を戦わせながら作品は育った。
衣装付き通し稽古が終わり
面白い作品になりそう!という手応えをしっかり残し
いよいよ作品が急成長していくというまさにそのときに
稽古は中断された。
数日後、苦渋の選択として明治座さんは公演中止を発表。「改めて本公演を」という延期の意味を含めた中止だが、
会って挨拶することも叶わずチームは解散した。
演劇は千秋楽と共に解散することが魅力の一つだが、初日も迎えていない作品が解散した。
衝撃だ。この体験をした舞台人たちの傷は深いのではないだろうか。
何年も費やされた明治座制作チームの無念の思いは計り知れない。
演劇界だけではない。
涙を飲んでいる人々がたくさんいる。まさに今、命がけで働いてくださっている方々もいらっしゃる。感謝し、祈り、劇場が再び開かれる日のために準備は進めつつ舞台芸術の未来について皆で知恵を出し合い考えていきたい。

小山ゆうな yuna koyama 2020/4「チェーザレ」明治座 (@unarou) | Twitter

白井晃(演出家 / KAAT神奈川芸術劇場 芸術監督)

自身の演出作品が3連続中止になり、そのたびに身を切られるような苦しさを覚えた。3月の段階では上演は続行するべきだと主催者に主張し続けてきた。新型コロナが恐ろしいのは、病状だけでなく、人を不安にさせる感染力の強さだと感じる。普段劇場に来ない人たちが劇場は危険だと言い出し、表現する側も不安を感じ及び腰になっていく。この時点で継続は難しいと感じ始めた。4月の緊急事態宣言ですべてがアウト。そのときの心境は茫然自失、終わったと。表現者にとって、表現の場を失うことのつらさを、俳優、スタッフと共有する。今は何とか奮起して、この状況でできることをやろうと考えている。いろいろな発信手段があるし、これから劇場や演劇の考え方が変化していくのかもしれないとも思う。ただ、それは次世代に任せ、私はやはり表現者と観客が居合わせることにこだわりたいから、劇場に人が集まり再開できるまでしっかり準備して待ちたいと思っている、今は。(2020年4月15日)

谷賢一(作家・演出家・翻訳家 / DULL-COLORED POP)

私の劇団DULL-COLORED POPでは、5月に予定されていた1カ月連続の演劇イベントを丸ごと中止する運びになった。中止の決め手となったのは、感染拡大への恐怖でも、観客の安全への配慮でもなく、世論の過激化、その恐ろしさである。まだ緊急事態宣言が出る前の3月末でさえ、イベント主催者や外を出歩く者は「いくらたたいても良い」ような風潮があった。同調圧力が高く、周囲に同じ振る舞いを強要するこの風潮は、日本の良さでもあり、恐ろしさでもある。善意が暴走し、圧力として人にのしかかる。こんな中で公演の宣伝や告知などできるわけがない、恐ろしい、と思って公演中止を決めた。

それから半月が経ち「圧力」はさらに増している。そしてコロナの封じ込めに関して言えば、政府はその人々が発する「圧力」に頼りっきりで、適切な補償をいまだに言い出さない。演劇だけを特別扱いせよとは言わないが、自ら進んで自粛に協力した者に対して適切な補償を施すのは当然のことではないだろうか。