さいたまゴールド・シアターとわたし (original) (raw)

第1回公演「船上のピクニック」より。(撮影:宮川舞子)

さいたまゴールド・シアターとわたし 第2回[バックナンバー]

ゴールド・シアターの一員であるような気持ちで書かせてもらった

岩松了が語る“刺激”

2021年11月10日 15:00 3

故・蜷川幸雄によって2006年に創設されたさいたまゴールド・シアター(以下ゴールド・シアター)が、今年12月に最終公演を迎える。高齢者のプロ劇団として、数々のレジェンドを生み出してきたゴールド・シアター。本連載では、その足跡をゴールド・シアターゆかりのアーティストたちの言葉によってたどる。第2回は、第1・5・7回公演に携わった岩松了が登場。「ゴールド・シアターの一員であるような気持ちで書かせてもらった」、その思いとは?

「船上のピクニック」を書き上げて仲間入りを果たした

さいたまゴールド・シアターの第1回公演「船上のピクニック」の上演は2007年のことです。それを忘れないのは、私がこの戯曲を書き上げた次の日に55歳になったからです。ゴールド・シアターは55歳から、という年齢設定をしてあったので、この戯曲を書き上げて文字通り私はゴールド・シアターの仲間入りを果たした、ということになったわけです。

第5回公演「ルート99」も書くことになり、もう一本書くと蜷川さんと約束していたのですが、蜷川さんに演出してもらうことが叶わず第7回公演「薄い桃色のかたまり」は自ら演出することになりました。いずれもゴールド・シアターの一員であるような気持ちで書かせてもらったのは、すでに私がゴールド・シアター入団の資格を得ていたからですね。

団員の皆さんのエネルギーには敬服し続けることになりました。そこには下手な演劇論をものともしない“わがまま”と“素直”が同居していて、演劇の始まりを目撃しているような気になったものです。そして何より、その人間たちの現実を演劇に変えようとした蜷川さんの演劇観! 私にとって刺激にならなかったわけがないのです。

さいたまゴールド・シアター

2006年に埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督だった蜷川幸雄により立ち上げられた高齢者劇団。創設時の平均年齢は66.7歳。その後、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチら多彩なアーティストとのコラボレーションを行うほか、海外にも活躍の場を広げる。2016年に蜷川が死去した後も精力的に活動を行うが、12月に「水の駅」で活動を終える。