こまつ座「雨」TV初放送に山西惇・倉科カナがコメント「紛れもない名作だと改めて実感」(コメントあり) (original) (raw)

山西惇倉科カナらが出演したこまつ座 第139回公演「雨」が、3月27日15:00から衛星劇場でテレビ初放送される。

井上ひさし作「雨」は、1976年に初演された作品。今回放送されるのは昨年9・10月に上演されたバージョンだ。演出を栗山民也が務め、出演者には山西、倉科のほか、久保酎吉石田圭祐木村靖司土屋佑壱櫻井章喜前田亜季、チョウヨンホ、野坂弘薄平広樹花王おさむらが名を連ねている。

江戸のしがない金物拾い・徳は、平畠藩の紅花問屋の当主・喜左衛門が自分と瓜二つで、しかも失踪中という話を聞かされる。そこで徳は東北に旅して喜左衛門になりすまし、喜左衛門の美しい妻・おたかと衣食住を手に入れた。徳は持ち前の起用さを発揮して、夜も寝ずに平畠言葉の習得に励み、殺人すら犯して本物の喜左衛門になりおおせようとするが……。

放送に際し、山西と倉科からのコメントが到着。山西は「今回、初めて、主人公『拾い屋の徳』を演じて、数ある井上ひさしさんの名作戯曲の中でも、最高傑作とも言える、紛れもない名作だと、改めて実感しました」と述べ、「舞台をご覧になれなかった方は勿論、ご覧になった方も今一度、映像を通して、徳の生き様に触れていただければ、こんなに嬉しい事はありません」とメッセージを送る。

倉科は「今回の放送で楽しみにしているのは第一幕・第一場のみんなで歌うシーンです。徳が真横に見える袖の位置でおたかや徳の愛人である玉虫が歌っていて感慨深いものがあります。また、雨はこの世の恵みであり、時には牙を剥く災害。祈りのような、念仏のような歌をおたかは歌っています。ご観劇中、そのことが頭の片隅にあると、また違った見え方で面白いと思います」と語った。山西、倉科のコメント全文は下記の通りだ。

山西惇 コメント

「雨」という作品は、精緻なクライムサスペンスであり、濃厚なラブストーリーでもあり、自らのアイデンティティを見失ってしまった男の悲喜劇でもあります。

今回、初めて、主人公「拾い屋の徳」を演じて、数ある井上ひさしさんの名作戯曲の中でも、最高傑作とも言える、紛れもない名作だと、改めて実感しました。

「拾い屋の徳」は、ほぼ出突っ張り、引っ込んでは着替えて出るの繰り返し、最後には遂に一人二役?というような、大変な役ではありますが、井上さんの流麗な台詞、栗山さんの無駄のない演出、共演の皆さんの的確なお芝居、最高のスタッフさんに支えられ、無我夢中に作品の中で生きる事が出来ました。

舞台をご覧になれなかった方は勿論、ご覧になった方も今一度、映像を通して、徳の生き様に触れていただければ、こんなに嬉しい事はありません。

是非ご覧ください。

倉科カナ コメント

初めて臨んだ井上ひさしさんの戯曲はどの言葉もキラリと光っていて、力があるのはもちろんですが、言葉それぞれが形を持っており、また、どれだけ稽古や本番を重ねても新たな気付きがあるのが印象的でした。

栗山民也さんの演出も一貫して“言葉の粒”を大切にされ、改めて、いろんなことに鈍くなっていた自分に警告音を鳴らしてくれる感じがしました。

私が演じたおたかは井上さんのユーモアが光り、全てを知っているようなミステリアスさや、どこからが本音でどこまでが嘘かといった境界線の曖昧さが魅力的な役。藩を守るために腹の据わったところはもちろん、夫である喜左衛門に対する愛と、いっぽうで徳と接することで育まれていく今までにない愛への戸惑いなど、微かな感情や儚さを、毎公演大切にしていきました。

今回の放送で楽しみにしているのは第一幕・第一場のみんなで歌うシーンです。徳が真横に見える袖の位置でおたかや徳の愛人である玉虫が歌っていて感慨深いものがあります。また、雨はこの世の恵みであり、時には牙を剥く災害。祈りのような、念仏のような歌をおたかは歌っています。ご観劇中、そのことが頭の片隅にあると、また違った見え方で面白いと思います。