高橋惠子×小島聖×益岡徹×近藤芳正が語る新国立劇場「デカローグ 1~4」集合住宅に暮らす人それぞれの人生を肯定する - ステージナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)
「デカローグ」は、旧約聖書の十戒をモチーフに、ポーランド・ワルシャワのとある集合住宅を舞台にした、クシシュトフ・キェシロフスキによる10編の連作集だ。もともとテレビシリーズとして1987年から1988年にかけて撮影された「デカローグ」は、1989年にベネチア国際映画祭で上映され、高い評価を得た。その後、世界中で公開され、スタンリー・キューブリックらからも圧倒的な支持を得た。
「デカローグ」をいつか舞台で上演したいと考えていた小川絵梨子はこのたび、上村聡史と共に4カ月にわたって本作を立ち上げる。まずは4月から5月にかけて、「デカローグ」第1話から第4話までを上演。第1話「ある運命に関する物語」と第3話「あるクリスマス・イヴに関する物語」を小川、第2話「ある選択に関する物語」と第4話「ある父と娘に関する物語」を上村が担当する。ステージナタリーではプログラムAより、第1話に登場する高橋惠子、第3話に出演する小島聖、プログラムBより第2話の益岡徹、第4話の近藤芳正による座談会を実施。それぞれの作品に対する思いや稽古の様子を語ってもらった。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆
演出家や作品に惹かれて…出演への思い
──2023年3月に行われた「新国立劇場 2023 / 2024シーズンラインアップ説明会」で「デカローグ」の上演が発表され(参照:新国立劇場、来シーズンにシェイクスピアの“問題劇”2作「歴史劇シリーズとは違った魅力を」)、本作が「十戒」をモチーフにした作品であること、4カ月にわたって上演が続くこと、芸術監督の小川絵梨子さんと上村聡史さんが演出に名を連ねていることなど、さまざまな点で注目を集めました。皆さんはそれぞれ、どんなところに興味を持って本作への出演を決めましたか?
高橋惠子 最初にお引き受けしようと思ったのは、小川絵梨子さんの演出ということが一番大きかったです。小川さんとは「マクガワン・トリロジー」「キネマの天地」と2本ご一緒して、演出方法が独特で、とても勉強になったのと、とても楽しい現場だったんです。ということもあり、「デカローグ」にもぜひ出演したいなと。また作品についても、お話をいただいた時点ではまだ原作映画を観ていなかったんですけれど、お話を聞いて興味が湧きました。
益岡徹 僕もやっぱり、上村さんの演出であるということが、お引き受けする最初のポイントでした。今回で4・5作目になるんですけど、上村さんの演出は指し示すことがクリアなんです。また上村さんと最初にやった芝居「ブラッケン・ムーア」でご一緒した前田亜季さんも今回ご出演されますし、作品の内容にも惹かれましたね。ポーランド映画って、僕が若い頃には若干背伸びをして観るものというイメージがあって、エンタメ映画も好きだったけど、少し難しい映画を観るのもすごく好きだったんです(笑)。映画版の「デカローグ」には、それと似た印象を受けました。
左から益岡徹、高橋惠子、小島聖、近藤芳正。
小島聖 私は小川さんとは今回が初めてなんですが、すごく昔に小川さんのワークショップに参加したことがあり、そのとき「デカローグ」の台本をテキストとして使いました。一部抜粋したものでしたがすごく気になって、そのときのテキストをずっと取ってあったんです。だからなんとなく自分の中で「デカローグ」に対するイメージがあった、ということもあり、今回ぜひやりたいなと思いました。
近藤芳正 僕も上村さんとは「正しいオトナたち」という作品で一度ご一緒したのですが、すごく自由にやらせてくださる方だったので、上村さんの演出だったら、と思いました。また“ある秘密を抱えた娘と父とのやり取り”というコンセプトに惹かれたということも大きかったですね。
稽古が始まって、見えてきたこと
──原作映画をご覧になっている方も、あえてご覧になっていらっしゃらない方もいると思いますが、皆さんが映画や台本から感じた印象と、実際の稽古が始まってからの印象に違いはありますか?
高橋 私が出演する「デカローグ1」には、学校で出される牛乳が腐っているという話が出てくるんですけれど、このエピソードは実は、チェルノブイリの原発事故に関係した話なんだ、と小川さんから伺って、改めてポーランドが置かれている状況や歴史的背景が垣間見えるなと思って。そういった意識もどこかでちゃんと身体に落とし込んでおかないといけないなと、稽古が始まってから実感しています。
──先日お稽古を見学させていただきましたが、パヴェウ役を演じる子役の石井舜さんと高橋さんのやり取りが微笑ましくも作品の芯を捉えていて、ハッとさせられる瞬間が度々ありました。
高橋 パヴェウ役の舜くんをはじめ、子役の皆さんは本当に小川さんの演出をしっかりと体現してくれるので、利発な子たちだなと思いながら見ています。それに子供って本当に素直で正直だから、こちらが投げたボールによって反応が変わるし、子供だからこそ出せる味やエネルギーがあるんですよね。その変化ぶりが面白いなと思いながら共演しています。
益岡 「十戒」をモチーフにした作品なので、もっと宗教的なお話をイメージしていたんですけど、原作映画にはそれほど宗教色は感じず、稽古が始まってからも、上村さんの言葉を借りて言えば「これは人間が“生きていく”ことを描いた作品なんだな」と。日々はこうやって積み重なっていく、ということが描かれている作品だと感じました。また映画は1988年の作品で、いわゆる資本主義陣営と社会主義陣営の摩擦が背景にある時代ですが、ウクライナやガザの状況に重なる部分も多く、現代の話としても響くところがあるし、世界は未来に向かって良くなっているのかと思っていたけど、逆に悪くなっているのかもしれないなとか、人間はどうしようもない生き物なんだけれどなんとかこじつけて生きているんだなとか……いろいろなことを教えてくれている作品だなと、今毎日稽古しながら痛感しています。
小島 出演が決まってから原作映画を観て、自分が出演する「デカローグ3」は、とてもざっくり言うと、大人っぽい映画だなという印象を受けました。ただ実際に稽古で演じてみると、もっとあたふたした感じになっているような気がするので、今の課題としては、“常に感情が動いているけれど、それは言葉には乗せず、相手の言葉を受けて思いが腹の中に蓄積していく1時間になったら良いな”と。まだまだ難しいですが。
左から益岡徹、高橋惠子、小島聖、近藤芳正。
──「デカローグ3」は、映画だと“移動”が一つ重要な要素になっていますが、舞台ではそれがどのように表現されるのか気になります。
小島 確かに映画では、移動する時間やスピード感が、登場人物たちの心情に当てはまっているところがありました。演劇になったときには、役者が信じ、観客に委ねそれを蓄積させていくしかないので、2人が話していない時間にお互いに何を感じているのか、自分の感情を腹には蓄積させているけれどどう手放して情報を与え、受け取っていくか。面白い反面、とても難しいなと思います。
近藤 僕は自分が出演するプログラムB以外はあえて映像を観ないようにしているので、「デカローグ」全体像はわからないんですけど、観た人の話によれば、僕が出演する「デカローグ4」は少し救いがある芝居だそうです。親子をめぐる物語で、夏子さんとほぼ二人芝居なんですけど、その中で20年一緒に暮らしてきた2人の匂いが出るといいなと思いながら試行錯誤しています。稽古が進むごとに夏子さんがどんどん可愛くなってきているので、そのニュアンスが出るといいなと。あと、翻訳劇ってセリフが多いものが多いですが、今回は意外と少なくて、小島さんもおっしゃったように、“間”が多いんですよね。その間、何を考えているのかなということを考えながら稽古しているところです。
立ち上がってくる登場人物像
──それぞれのお役に対するイメージもお伺いしたいです。近藤さんは娘アンカと仲良しの父・ミハウについて、どんな印象をお持ちですか?
近藤 当初、自分としてはちょっと思いを強く出しすぎる父という感覚を持っていたのですが、実際に稽古で演じてみたら、そうではないほうが良いなと思い始めて、感情を見せない方向にしようとしているところです。上村さんも「ミハウは父親としてアンカを20年育ててきた、という思いがあるわけだから、自分自身を律するような気持ちがあってほしい」とおっしゃっていたので、今はミハウを“耐えて我慢している人、怒ったこともないような優しいお父さん”というイメージで捉えています。
──小島さん演じるエヴァは、クリスマスイブの晩、家族と共に過ごしている元恋人ヤヌシュのもとを現れ、行方不明になった現在の恋人を探してほしいと頼みます。
小島 エヴァは、生きることと死ぬことが近くにあるような、ギリギリの感じがする女性だなと思っています。単純に人の体温とか、優しさが足りなくて、でもその思いを相手にうまく伝えられない人、というか。ヤヌシュと別れてからの3年、エヴァはどうやって過ごしてきたのか、なぜこのクリスマスイブの夜にヤヌシュのところに現れたのか……そういった台本に書かれていない部分を自分の中で膨らませていくことが大事だなと思っているところです。
「デカローグ」の制作発表会見の様子。(撮影:阿部章仁)
──益岡さんは、同じアパートに暮らす女性ドロタに、重い病に臥せっている夫の寿命を教えてくれと迫られる、医長を演じます。
益岡 「デカローグ2」には「ある選択に関する物語」と名付けられていますが、主体的に選択をするのは女性で、僕が演じる老いた医師が、その選択に関わらざるを得なくなる、という物語です。医長の年齢は、僕よりも上のイメージだと上村さんがおっしゃっていたのでおそらく七十代の後半ぐらい、となると戦争経験者だと思いますが、第二次世界大戦下でユダヤ人は迫害を受けたけれども、実はポーランド人も収容所に送られたりしていていたそうなんですね。なので僕が演じる医長のセリフにも「ある男が来て、今日中にイギリスに行けと言われた」というようなセリフや、家族はみんな遺体も見つからないような状況で亡くなったという話があるんですが、そうやって彼の“これまで”が断片的にわかってくると、だから彼は誰とも関わらない、閉じた人生を送ることにしたのかなと感じるようになり、そんな彩りのない世界を生きてきた彼のもとにドロタが登場することによって、医長自身もどうしたら良いのかわからなくなっていくんじゃないかなと今は感じています。
──高橋さんは、言語学者であるクシシュトフの姉イレナで、クシシュトフが“大抵のことは計算で答えが導き出せる”と考える人間であるのに対して、人生には計算で導き出せないこともあると考えて、甥のパヴェウに人生や神についての考え方を伝える重要な人物です。
高橋 クシシュトフも魂や目に見えないものを、まったく否定しているわけではないんだけれども、信じようとしないのに対して、私が演じるイレナは、そろそろ多感な時期を迎え、“生きるとはどういうことか”を疑問に思い始めたパヴェウに、父親の視点とは違う何か……人と人との温もりとか、愛とか、そういったものを伝えたいと思っている人なんじゃないかと思っていて。パヴェウに「目に見えないのに神様はいるの?」と聞かれて、イレナは「ある」と答えるんです。でもそれは、教会やそこに書かれた絵や偶像にあるわけではなくて、自分たち1人ひとりの中にあるんだよ、と伝えるのですが……難しい場面です。