引用された俺が顔を真っ赤にして反論してみるw (original) (raw)

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ちーっす。冷血漢の夏目です!
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090518/1242702430
なんか有村くんとこで引用されたのでちょっと言及しておきますよー

これについては、「普通」の探りあいなんだと思う。多数決と言ってもいい。
長く遠まわしな言い方になってしまうけれど、ちょっと書かせていただきますね。
まず、僕らの社会ってのは、認識や感覚の共有部分、皮肉っぽい言い方をすると共同幻想のなかに成り立っています。
「これは美味い」って感じるものは人ぞれぞれ違いますが、10人中7人が美味いと言ったものは美味いもので、100人中1人しか美味いって言わなかったものは美味いものではないとされてしまいます。
これを持ち出すと僕の引用がまたゆがめられてしまうようでアレですが、誤解を恐れずに言うと、先の痴漢の件は、ある料理を多くの男性が「まぁ不味いけど食べられる料理だ」と評したのに対し、多くの女性が「食えたもんじゃないよ!」と答えたこと、ある種のコードの断絶によって引き起こされた齟齬であるという見方ができるかと思います。
で、なんでこんなことを言ったかというと、共有できない痛み(味)について、そばにいない人間が理解できるのかということを言いたかったわけですよ。
僕は、ネットごしのコミュニケーションについて、「それがウソかもしれない」などと言うつもりはないです。触れ得る程近くにいないことで「程度がわからない」と言っているのです。それは、顔は合わすけれどそれほど親しくない人も同じね。
かといって、少数派である傷ついた方に、「説明が足りない」というつもりもないです。
機構的に無理だということが言いたいのです。
その辺一緒にされると心外ですよ有村くん! 無関心や不寛容の心ではないです。ってことがあの引用の前後とかに書いてあるんだから文脈から切り離しちゃイヤッw
「赤の他人や身元も知れない人物に対して労わりや共感を行使するのは無駄」なんて思ってたら、ついったーで「誕生日おめでとうございます!」なんて言わないし、こんな記事も書かないっすよ。ままここで言ってるのが極論にしてもさ。
までも、会ってなかったらこの記事すら書かなかったかもしれんね。
俺ってそんなに冷たいヤツに見られてたのかー。自分ではぬるいヤツだと思ってたよw

「弱者を労わろう」という気持ちは、社会通念として善とされています。
身も蓋もない言い方をすると、共済の精神ってのは「明日はわが身」ですね。
元ネタが有村くんだからといって、ここで偽部落の問題とかを引っ張ってきたりするつもりはないのですが、逆に有村くんがライターだからこそ言及したいのが、言葉狩りの問題。
あれは、弱者への配慮が行き過ぎたことによって、日本語が痩せていく現象だと僕は考えております。
僕もいろんな職場にいたので、渡る橋を極力安全にしなければならないことがあることはわかります。しかし、行き過ぎた配慮は、言いがかりを認めてしまうことにもなるわけで、先の偽部落的な人が何らかの利益を得るのだとしたら、それは当然不公平だし、言葉を狩られた我々は迷惑だし、実際は言葉なんて何を言うかだけじゃなくてどの文脈で言うかなんだから、言葉が失われることで救われるような人も少ないでしょう。穿った言い方をすれば、狩られた言葉によって救えたかもしれない人が救われなくなったかもしれません。
逆をよく言われるので敢えて言っておきますね。
まぁ、不当に扱われた少数の歴史とかそういう話はここでは割愛して、マイノリティの主張が、どこまでが「我侭」で、どこまでが「正当な主張」なのかという話。そのジャッジって、通念というか、カッキリ決まったものではないと思います。
それでも主張しなければならないという理由や使命感とかがあればそりゃもう仕方がないですが、もし例えば今後一切アニメと関わらないと人生の舵を切ることで防げる何かだったり、誰も頼んでないのに見たホラー映画によるトラウマとかだったりするならば、それは社会を変えないで自分自身や自分の周囲の状況を変えてくれんかと思うわけですよ。

以前、有村くんとついったーでやりとりしているときに、ここの感覚の違いが顕著に現れました。
有村くんは、刃物を振り回したときにそれでも肯定してくれることを承認と捉え、僕は刃物を振り回したときに力いっぱいぶん殴ってくれることを承認だと捉えてます。
どっちが正しいということではないのですが、解説してしまうと、有村くんはそのときの自己存在、そんな自分でもそこに居ていいということの肯定こそが救いであるという考え。僕の方は、殴る相手と刃物を振り回す自分の人間関係におけるルールとして、殴ることで「俺たちはまだ同じ関係性のルールの中におり、こっちに戻って来い」という意味での救い。なんだろう、有村くんのが仏教的? 許容の精神というか。僕のはキリスト教とかでいうところの「聖霊」とか、まぁとにかく「善い」方向に自分を持っていってくれるとか、自分を見失ったときの戻る場所的な関係性を言っている。
このときは例が例なので、個人的には僕の思考を譲るつもりはなかったわけですが、彼自信の過去とか状況とかを考えると、そう考えるのもしゃあないかなということはある。
ここで何が言いたかったかというと、優しさのかたちは一通りじゃないぞってことと、優しさからの行動でも、必ずしも優しいと受け取られないぞということかな。
自分が例え嫌われても、それが相手のためになるならばというのは、まーある種の自己犠牲的美学をはらんでいたとしても、僕個人の嗜好としては好きですね。
それと個人的な意見だけど、無条件承認は成長や変化を前提としていないところがよくなくて、僕なんかは「おまえの成長込みで信じることにする」というぶん殴りの方がよく感じてしまうのね。
で、有村くんの方を弁護しておくと、僕のような発想は、単に現状恵まれていて逼迫していないから抱けることであって、日々何でもないことにでも心が疲弊してしまったり、自分が境界線を跨いでしまわない自信がない不安を抱いているのだとすれば、まず求めるものが心の平穏でも、誰も責めることはできないはず、というもの。

まー、マッチョだオフ充だカボチャだ言われても構わないですが、年間3万人も自殺するようなこの世の中ですよ。「保護してくれるから弱者のままでいいや」って人は、何かあったときに死んじゃうんじゃないかと思うのです。
だからもし無条件承認が誰かの温室になるならばやめた方がいいと僕は思う。例えがものすごく悪いですが、「ニートの子どもをかわいそうかわいそう言って働く能力を奪い先立っちゃう両親」みたいな真似はしなさんなということです。
毎回ぶん殴っていても話を聞かなくなるだけなので、結局承認とぶん殴るのを両方やらねばならないんですよ。アメと鞭みたいなもんでしょうか。人はパンのみにて生きるにあらずです(それは違う)
そのバランスって、近しい人じゃないと難しいんだと僕は思ってます。あれだ、折角おもちゃを我慢させようとしてたのに買っちゃうばあちゃんですよ。(うほっ、これはいい例え)
例えば僕と有村くんって多分リアルでは二回くらいしか会ってないし、僕の言葉がどんだけ届くのかなと正直思いますよ。そりゃこのテキストが読み物として何か届くかもしれないけど。それは感情じゃなくて理屈でですよね。逆に僕だって有村くんをネットストーキングしてるわけでもないから、日々どんなことを考えているのかわからんし。このタイミングに口説いたらイッパツできるとか、そういうことはわからないわけです。わかっても口説かないけどね!
そんなわけで、優しさは使っても減らないけど、飴を与えすぎても鞭を与えすぎても人は死ぬ。

ある意味減る。
「夏目さんって誰にでも優しいですね」
「その言葉、私以外にも言ったことあるでしょ」
はい、減ってます(ToT)
いいですか、言葉は有限です。
なんでしょうね、みなさん大好きな「処女信仰」と同じです。
俺だけスペシャルとかに意味があります。
誰にでも優しいとか褒め言葉じゃないですからね非モテ男性諸君!!
肉を食らえ! 草を吐き出せ!!
という半分冗談はさておき、僕が与えている共感とか労わりって、すげー気まぐれだと思うんですね。
僕は「それでもいいんだよ! 現象が全てなんだよ!」ってほど大人ではないので、感謝されるともやもやします。もやもやするので、感謝された分返すくらいの何か言葉を+onするようにしますが。
変に優しくして、好きでもなんでもない女性からいきなり告られて戸惑ってごめんなさいしちゃって、よく考えたらちょっとつきあってから考えればよかったんじゃね? とか、そういう事態もあり得ます。世の中わかりません。
あと、誤解ないように言っておくと、初回だけが「プライスレス」なんじゃなくて、その日そのとき、そこで出会えたこと、わかりあえることが「プライスレス」なんですよ。初鰹が美味いとは限らないのですとかもうなんでこの記事だけで俺はこんなに自分を消費しなくちゃならないの? バカなの? 死ぬの?

鬱患者がネットコミュニケーションよくないっていうのは、「誰も相手にしてくれない」とか「鬱発言うざい」とかが一般人が迷惑するということじゃなくてですね、当人がよくないものを拾ってしまう可能性が高いということが問題なんじゃないかと。有害サイトのフィルタリングじゃないけど、もしそういうことができたら、実はよい環境になるんじゃないかと思います。ああ、一人でWeb見ないようにすればいいんじゃないですかね。自分が怒ったり悲しんだりする前に、別の誰かが横でそれをすると、当人はあんまりダメージうけなかったりとかあるじゃないですか。おお、俺いいこと言った。