西尾幹二氏への手紙、人は結局見かけによる (original) (raw)

2008年に雑誌に載り、2012年に出版された西尾幹二氏の「皇太子さまへの御忠言」は、男児に恵まれず体調不良を抱えた雅子妃殿下(当時)と愛子さまを守る皇太子さまを辛辣に批判する内容で、出版された当時は、西尾幹二への怒りや悔しい気持ちがありました。当時の皇太子殿下が天皇陛下になり、一家揃って、息女の敬宮愛子内親王も敬愛されるこんにち、彼はどう思っているのでしょうか。

彼が生きているうちに、どうせ届きはしないし、答えもないと思うが、彼への手紙というか、本の感想を書きたいと思います。

昭和の頃から、浩宮徳仁親王(今上陛下)が若いが誠実で立派な方だと伝え聞き、週刊誌の写真でも賢そうで凛々しく見えました。1993年、才色兼備のほまれ高い小和田雅子氏と結婚、2001年、敬宮愛子内親王が誕生しました。

が、秋篠宮さまに男児が誕生してからの2008年以降、西尾幹二はじめ保守の論客が、「皇太子さまへの御忠言」(西尾幹二)、「皇太子さま、ご退位なさいませ」(山折哲雄)など廃太子論がオピニオン雑誌に踊った。

山折哲雄の論調は、体調不良で公務できない皇太子妃殿下を守る当時の皇太子(現天皇)を「近代」人であるとし、天皇にふさわしくないということでした。家族を守るのは、古代人だろうが誰でもが行う普遍的なことだし、家族への愛ゆえすべきことをしなかったわけではない。

また、こんにちでは、雅子さまの体調不良の影には、雅子さまを排除したい流れがあったと考えられております。

それらの雑誌を本屋で見た私は愕然とし、西尾幹二らに対する怒りを感じ、皇太子さま一家へのマスコミのバッシングがあることを悲しいと思いました。

皇太子さま一家は会ったことはありませんが、テレビでたまに映るお姿は、普通に優しく誠実そうでたいへん好感があったからです。秋篠宮さまについては、若い時のネックレスをつけた写真で、自由人に見えました。

男児が生まれた秋篠宮さまは、マスコミにたいへん、持ち上げられ、「皇位秋篠宮さまに譲れ」という論調でした。

2016年、渡邉みどり氏の「プリンセスの育て方、美智子さまから眞子さま佳子さまへ」という本では、秋篠宮さまのお嬢様を賛美し、敬宮内親王は全く無視するものでした。(秋篠宮さまの御長女は現在一般人であり、次女の方は撮影時の年齢が分からず、未成年かも知れないので、念の為、表紙の写真からぼかしております)

「妻の人格を否定する動きがある」と当時の皇太子発言は誰に向けてか、判りませんが、少なくとも、皇太子さまの人格も否定されたように見えました。

しかし、2017年、秋篠宮さまの長女のお嬢様が婚約し、相手の青年のお母様の金銭トラブルがマスコミに取り上げられました。

さらに、令和元年(2019)、皇太子殿下が即位して天皇陛下となり、海外の方々と親しく会話する場面が話題となり、また、成年を迎える敬宮愛子殿下はコロナ禍で苦しむ国民を慮り、高価なティアラを辞退、令和4年(2022)の成年のインタビューの印象も良く、さらに、愛子さまは、長引く不況に苦しむ国民を考えて、大学院進学も海外留学も止めて就職、さらなる愛子天皇待望論が沸き起こりました。

しかし、秋篠宮さま御一家は、ご長男が受賞した作文が盗作だと物議を醸しましたが、その受賞実績で高校進学。何十億もかけて予算が膨らむ大邸宅や、長女の夫の留学のあらましなど、この数年、取りざたされていました。

西尾幹二の「皇太子さまへの御忠言」は、同級生からいじめを受け、数日学校を休んだ愛子さまが復学した際に付き添った雅子さまを批判し、お二人に何らかの問題があるとしか思えない、また、皇太子さまは単なるマイホームパパと論じ、悠仁さまをお茶の水女子大学附属小に進学された秋篠宮さまをたいへん賢明とほめたたえる内容です。

私は、天皇とは、日本人の総本家的な存在であり、天皇を抜きにして語れないのが日本の歴史であると思っております。今の時代は、天皇とはお飾りでも権利者でもなく、国民から敬愛されることで国民が結びつく、そういうものだと思います。

西尾幹二は、2019年4月号のWILLで、秋篠宮さまの長女の婚約について、「遠くからしか見ていませんでしたが、秋篠宮家の眞子様は聡明で、お姫様として最高の人だと思っていました。だからこそ、今回の事件で衝撃を受けた。」と書きましたが、私は驚きませんでした。

なぜなら、昭和の頃、礼宮さま(現秋篠宮さま)のお写真は、サングラスやネックレス、ラフな身なり、スナックでの談笑の写真でした。当時は良家の子女は、シンプルでオーソドックスな身なりをするものでした。また、長女のお嬢様と現夫の男性は2016年、電車のドアの前で親密に立つ姿がすでに写真に撮られておりました。

西尾幹二は、「天皇は国民共同体の中心」と書いており、私も、天皇は歴史の中心だったとは思いますが、いくら歴史観を並べても、昭和の頃からみた礼宮さまのネックレスやサングラス、またお嬢様のお写真から見受けられるものは、語る歴史観と比べられない軽さでした。ですが、結局、ファッションは個人の自由。

庶民であっても、「自分は家の後継ぎだから離れた地域の人と結婚できない」「親が公務員だから、素行の悪い人とのお付き合いはできない」という縛りは、漠然と有って、少なくとも私個人にはありました。自由恋愛と言っても、枠のなかで自由なのです。

普通はその枠のなかで結婚し、たぶん、皇族の方もそうでしょう。身分が高ければ、もっと枠は厳しいかもしれません。

その枠から外れた人と結婚したら、枠はそもそも無かったか。有ってもそれを超える愛と幸せがあるのでしょう。有ると思えば有るし、無いと思えば無いのが枠です。そして、誰と結婚しようが自由と法律は定めます。

西尾幹二に言いたいのは、親が子供を思う自然な愛や、雅子さまの学歴、ハイヒールなどのファッションセンス、どれもこれもまっとうに勉強し努力して得た成果について貶したか、悪いことをしていない善良な人間や、小学生時代の未成年の内親王を、なぜ、悪しざまに罵ったか、今はどう思うか、あなたは今まで何を見てきたのか、死ぬ前に語るべきで、それこそが、知的誠実なんだ、ということです。まあ、「歴史が私を裏切った」とか抽象的なことを言いそうですね。

私は、天皇崇拝ではないし、会ったこともないが、映像や音声で服装や表情、姿勢の良さや、笑顔が自然で目も笑っているところや、スポーツをやったり楽器を弾いてる姿から見て、天皇皇后は普通に優しく真面目で誠実、そして身なりも若い時からきちんとしていて、賢く知性的、性格に癖はないと思う。

それと、声です。優しく明瞭な声で分かりやすく話す声です。理屈は人を騙すけど、声やしぐさは、意外と人を騙せないものです。でも、インテリは、けっこう理屈にだまされる。

結局、人は見た目通りなのです。いくら、歴史観を語ろうが、見た通りが、すべてなのです。それなのに、西尾幹二は、いったい、何を見てきたのでしょうか。

西尾幹二は哲学者だそうで、皇太子さま(現天皇)が天皇にふさわしくないと、あったかどうかも判らない歴史を引用して、グダグダ語りますが、礼宮さま(現秋篠宮さま)が、浩宮さまのように見た目も話すことも行動も素晴らしく誠実、真面目だったら、こんなにグダグダ書かなくても、人は、納得するのです。あんな文章、50年以上見てきて報道もされたビジュアルの前には何の意味もありません。

私は個人的には、究極は、天皇制がなくても人間は昨日と変わらず生きると思います。が、あれば、その生き方や振る舞いは規範になるし、「令和の時代はこういう文化」という指針にもなる。ましてや、真摯に誠実に生きる人が今の天皇なので、できれば、失うのはもったいない。

私は、普通に優しい善良な人間を悪しざまに罵ることを学問とは思わない。これで、私の平成のわだかまりが終わりました。