電影少女で純文学を見たのでオタクになれなかった説 (original) (raw)
1992年に中学入学する者にとって、入学前まではジャンプは必修だったじゃないですか。そして「てんで性悪キューピッド」と「**電影少女**」で性の目覚めを迎えるわけじゃないですか。
ついでにいうと電影少女は「でんえいしょうじょ」であって「ビデオガール」とは呼ばないじゃないですか。
桂正和と言えばあの完成されきった造形美、特にお尻のパンチラの美がまず思い浮かびますが実際はストーリーテラーというか、普通に純文学やってたわけですよね。
ガキだから分かってないけど、何となく
「絵はかわいいしエロいけど、何か全体的に暗いよな。無駄に真面目な話運びだよな。まあエロいからいいか」
って見逃してましたけど、電影少女って暗いじゃないですか。
無駄にシリアスだし。
話の展開なんて読んでないんですけどね。
今週はエロいシーンあるか?って目でしか見てないから。
でも無意識下でその人間の葛藤やら業とかせせこましいいじらしさとか優柔不断などうしたこうしたを読んでしまったのですよね。それこそそこらの純文学作品ばりに色んな要素が電影少女には今思うと詰まってたと思います。
という事で、とにかくエロければそれでいいって作品と、エロさの前にきちんとした舞台設定とストーリーがある「作品」の区別がついてしまうようになった。
そうするとやはりとにかくエロいだけのものって浅く見えるというか、むき出しすぎて萎えるというか。
ビックリマンチョコを一つひとつ良いのが出ないかなと買っていくスタイルじゃなくて、もう開封後に取り出されたシールだけを差し出される感じ。
やっぱり無駄な手間というか背景というか、色々おぜん立てがあってのエロが是であって、という目になってしまっていたのだと思うのですよね。
そういうわけでむき出しのエロの大売り出しって世界に対しては**「そんないきなり知らないキャラのあられもない姿をいきなり見せられても...**」と引いてしまったと。
大人になればむしろそういう手っ取り早いのが良いわけですが、思春期だとちょっと複雑だったのかなとも思う訳でして。
ちなみ電影少女で一番思い出深いシーンは、あいのライバル的な黒髪ロングの敵にハマった少年が二人で密室に軟禁状態でスカートをたくし上げさせて好き放題するシーンなのですが、あれなかなかの性的トラウマを全国の少年に植え付けたと思う次第です。
またてんで性悪キューピッドで金持ちにとっつかまったまりあがメスで服を切られて半裸になるシーンは冨樫先生の絵のかわいさも伴って伝説的な回だったと思われます。