27年ぶりのYUKIライブ (original) (raw)
2024/8/11。
僕は埼玉の戸田市文化会館で行われた”YUKI concert tour “SUPER SLITS” 2024”に参加した。
前にYUKIの歌声を聴いたのは1997/05/27の代々木第一体育館。
実に27年の歳月が経ってしまった。
なぜそんなに間が空いたのか。
なぜ、それでも参加しようと思ったのか。
長い年月を経て彼女の歌声が僕の胸にどう響いたのか。
率直に書いてみたいと思う。
***
きっかけは今年の4月。
僕は自分自身に対して、痛烈に飽きていることに気づいてしまった。
40を越えてひと通りの仕事をこなせるようになったし、新しく何かを身につけるより、周りに何かを分け与える場面が増えた。年長者と言うだけで尊重されるから、それなりに気分もいい。
が、僕にはそれがマンネリだった。「年長者として下手なことはできない」と無難な物言いが増えたし、立ち振る舞いにもそれが表れていたと思う。3月、部署の送別&歓迎会で撮られた写真にうつる僕は、存在感のないおっさんそのものだった。
気づけば、髪型なんて何年も変えていない。美容院は地元の馴染みの店に通っていて、20年以上も変えていないから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。僕よりさらに年上の美容師(男性)とは毎回同じような会話になり、最後はなぜか甲本ヒロトを礼賛する流れで終わる。
きっと彼も僕と同様、中年特有のマンネリ地獄にハマっているのだろう。新しいスキルを習得していないので、僕がどんな注文をしても最終的には同じ髪型にしてしまう。美容師、その息子、そして僕。帰りのお見送り時には3人が同じ髪型で、いよいよ恥ずかしさが極まってきた。
そこで僕はまず、美容院を変えることにした。
今までとガラッと違う仕上がりになるように、都会の店に変え、年下の女性(たぶんひとまわり以上)を担当に指名して
「とにかく面白い髪型にしてほしい」
と頼んだ。彼女ははちゃめちゃなツイストパーマ&派手めなメガネをしていたので、これは期待できる!とふんだのだ。
常識的な範囲で。できるだけ僕に似合うやつで。悪い癖でいろいろと保険をかけながら、最後にはたぶんしないとは知りつつ、「ドレッドやコーンロウはやめてくれ」と言い添えた。
(そういうのは専門の店があるからもともとウチの店じゃできないと言われた)
結果はこんな感じ。
ゆるいパーマをかけただけといえばそうなるが、変化を恐れる中年サラリーマンにとってはかなりの決断だ。バンドを始めた10代の頃はどんな髪型にも迷わずできたし、今だってクリエイティブ職だから別にやってもよかったのに。僕はいつからこんなに保守的になったのか。まるで欧米の少年に転生したような気分で、ふわふわと頭蓋をまとう鳥の巣のような軽さに戸惑うことになった。
似合う?似合わない?と何度も妻に聞いて困らせる。僕以上に変化を嫌う妻からの「うーん、似合わないってことはないよ」という曖昧な答えが、ふわふわ頭をいっそうぐしゃぐしゃに惑わせた。
が、結果としてこの美容院開拓が、見た目以上に僕の心を生まれ変わらせることになる。
きっかけは、パーマをかけて2か月後に再訪した際の女性美容師(Wさん)との会話の中。
僕は音楽好きだという彼女に、胸の奥に引っかかっていた想いを吐露した。新しい人に出会えば会話の中身も変わる。それに、自分の(頭髪の)再出発を任せた親近感もあったのかもしれない。自分でも不思議なくらい自然と、胸の奥のタブーを放つことができたのだ。
「実は、長くライブにいけていないアーティストがいるんです」
言うまでもなく、それこそがYUKIのこと。理由をきっちり言語化するのはとても難しく、伝わるはずがないと思ったので、”好き過ぎて行ける気がしない”とだけ伝えた。
人によってはピンとこないだろうし、重すぎて引いてしまうかもしれない。血液濃い目のO型人は「さっさと行け!」と叫びたくなるだろう。
でも、Wさんは目を丸くしてハサミを止めた。
「私も……まったく一緒なんです」
なんと推しの対象こそ違えど、彼女も僕と同じ苦悩を抱えていたのだ。聞けばライブ映像はおろか、グッズを買うことすらできないという。そもそも推しに様をつけて呼んでいるし、語るときは下僕のようにへりくだった口調になる。
それからというもの、しばらく相互人生相談みたいな時間が続いた。
われわれはなぜ推しを堂々と推すことができないのか?という命題は大きなシンパシーを生み、とんでもない勢いで言葉のラリーが交わされていく。恐れ多い?理解が足りない?まだその時期じゃない?あらゆる角度で分析してもピッタリとした答えは出ない。どころか、
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「もし駅の待合室で見かけたら声をかけますか?」
「かけられるわけないじゃないですか!」
「ですよね、悪印象を与えたら…」
「そう。マイナスの存在になるくらいなら認知なんてなくていいんです」
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と、推しトークにありがちな妄想ばかりが盛り上がり、実体だ認知だと宗教論のように尖り散らす。議論はかけすぎたパーマみたいに行き場なくうねっていった。
でも、僕にとってはそんな話をできること自体がとても新鮮だった。なんせ、何十年もひた隠しにしてきた本音だからだ。もちろん、YUKIを好きだとバレることが恥ずかしいからではない。ファンとして自分が不十分だと思って生きてきたせいだ。
高校を卒業してからというもの堕落した生活を送り、新卒の仕事になじめず、ついには長期ニートにまでなってしまった。そんな時もYUKIの楽曲には年間363日くらい触れていて、むしろ夜中にランニングしながら聞くその歌声が光明でもあったのだけれど、とても堂々と好きだとは名乗れなくなっていた。新譜を買う金はなく、数か月後にブックオフで中古を漁る。そんなの、あるべきファンの姿ではない。たぶん。
彼女は尊すぎて、僕は堕ちすぎた。好きのカタチは自分でも直視できないほど自閉的なものになってしまったのだ。
社会復帰をしたあとも、ムダに遠慮がちな気持ちは残った。YUKIの活動を追いたくて公式Webをブックマークしているというのに、引け目を感じて年に数度しかアクセスできない。ファンクラブにも入れない。ましてやライブなんて、あまりにもハードルが高すぎる。
せいぜい中野あたりのサブカルショップで昔のツアーグッズを買って、家のカギにくっつけるくらい。実はよく知らない象や羊やユニコーンのオブジェを握りしめて、ファンの端くれとしての矜持を保っていた。
心のどこかで”いつか少しは降りてくれるだろう”とも期待していた。活動ペースが落ちて、昔の曲を歌って、気長なファンのためだけにディナーショーをやったりして。僕が行けばわかりやすく喜んでくれるくらい、輝きを抑えた存在になってくれるかもと。
でも、YUKIはずっと高い場所にいた。太陽のように変わらぬ速度で僕の周りをまわり続け、輝き続けた。それは僕にとって消えない眩しさであり、贅沢すぎる生きる糧だった。好きな曲『ハローグッバイ』の中にある「さびないわ」のフレーズは、残酷なほど強くて頼もしい。
そんなんだから、つい最近になってもできたのはせいぜいこれ↓を書くくらい。
よくいえば無欲に、悪くいえばたたずんだまま、ひっそりと強がりを綴ることしかできなかったのだった。
と、美容師Wさんの推しに対する気持ちはここまで歪ではないと思うけれど、僕はかけがえのない仲間を得た気分だった。なにせ悩み自体を誰にも打ち明けてこなかったのだから、手助けを得られる訳もない。
Wさんとの会話を経て自分を変えたいという気持ちは一層強まり、この”推し問答”の解決がその核を突くスイッチだと確信した。
そして、この日にひとつの結論が出る。
僕が先陣を切って、YUKIのライブに行く。
自分を変えたくて飛び込んだ店で、僕は勢いまかせの一大決心を口走っていた。
Wさんを見て反省したというわけでは決してないけれど、やっぱりもったいなく感じてしまったのだ。縁起でもないが、アーティストだって人間だから何があるか分からない。自分が中学生の頃、身体に電撃を走らせたその歌声が30年経った今もまだ現役、どころか進化し続けているだなんて、そんな幸運なことはないじゃないか!
「刺激をもらう」とか「恩返ししたい」とか何かを受け渡すような話ではなくて、いくなら”ただ今”。そんな感じだった。
僕の決意に、Wさんはハサミを持ってない方の手もぎゅっと握って
「ぜひ踏み出して、そして、私に結果を教えてください!」
と力強く励ましてくれた。
「YUKIちゃんは絶対に、ネムヒコさんのために歌ってくれます」
同志はやっぱり言うことが違うな。そう思った。
美容院から帰ると、チケジャムで2024年ツアー初日のチケットを買った。別に初日にこだわりがあるわけではなく、とにかく”今日から一番近い日”に目標を定めたかっただけだ。
ネット時代のチケット相場がわからなくて、どんな席かも知らないのにボッタクリみたいな金額をはたいた。落ち着いて待っていれば、直前のキャンセルが続いて適正価格に近づく…そんなことを知ったのはだいぶ冷静になってから。でも、そんな情弱ムーブも罪滅ぼしのように気持ちよく感じてしまう自分がいた。
ライブまで約2カ月。
僕はそれまでの期間、できる限り毎日走ることに決めた。なんだか気持ちがソワソワと落ち着かなくて、身体をまとうぜい肉を少しでも取り去りたいと思ったからだ。もともと標準体重だから、痩せたいとか鍛えたいとかはない。ただ、軽やかになりたかった。だから単に走るのではなく、もも上げを入れたりして、できるだけ宙に浮く動きを取り入れた。悪いけど、2024年の7月は山手通りを走る40代の中で一番跳ねた自信がある。
会社に行けばすぐに同僚が気づくほどほほ肉が削れ、妻からはRIZAPに起用されたと疑われた。見ばえは激変ストイックな生活。でも、そこに義務感はかけらもなかった。自分を少しでも良い状態にするというシンプルな気持ちで、YUKIの新しいアルバム『SLITS』を聴きながら走り続ける。街から湿気が消えて熱に変わるころ、僕の心のソワソワには緊張が加わり、ワクワクと音を変えていった。
何日も前からライブ当日着るTシャツにアイロンをかけて、10000日くらい遅れでファンクラブにも加入。釈放されるように、生まれ変わるために一度死ぬように、自分なりの身支度を済ませていく。
あと、なんだかよく分からないけど海にも行った。僕にとってYUKIの歌の奥底には海があり、軽く洗礼をすますべきと思ったのだろう。鎌倉の海で2時間ほど流木に寝そべり、大雨に打たれて逃げ帰る。びしょびしょでえらい目にあったのだけれど、そんな時間さえ新しいアルバムの曲『雨宿り』を聞いて神妙に過ごした。
そんなに周到に準備したというのに、ライブの日は驚くべき体感スピードで迫ってきた。だって、ほぼ確実にYUKIの姿を拝めるなんて。予告された寝起きドッキリ、約束されすぎたハレルヤじゃないか。
妻にライブ参戦の事実を打ち明けたのはつい前日だったが、彼女はなんら驚くことなく
「オペラグラスは買った?」
と冷静にアドバイスをくれた。
!!!!!
発想になかった!その時の僕の慌てようったらない。
ということで結局、ライブ当日はオペラグラスを買ってから会場に向かうことになってしまった。あんなに時間があったのに、なんという準備不足。昼食は手軽なハムチーズサンドにして(そもそも食欲はない)、ビックカメラで世界一素早く利きオペラグラスを済ませてから、お盆で人もまばらな埼京線に駆け込んだ。
この期に及んで、覚悟が決まっていない。まだ『こぼれてしまうよ』のPVもかわいすぎて見られないし、Youtubeで突然行われたスタジオライブも薄目でちょっと見た程度。リアルで直面して身体が持つのか不安になった。
ああ、ついに聖地へ来てしまった。
これから見に行くのは聖飢魔IIじゃないのに、何だかミサに行くような敬虔な気持ちだ。
聖地、と呼んだものの人生で一度も降りたこともない埼玉県・戸田駅はむせ返る夏の匂い。背の高い建物が少なく、がらんとした印象の土地だった。改札をくぐると、東の方向へカラフルな服装の人たちが行列を作って歩いていく。それは、僕が長年(YUKIがソロになってからは一度も)目にしたことがない同志たちの姿だった。自分が好きをひた隠しにしていた存在を、みんなも好きだなんて妙な心地だ。
実はひとりでライブに行くということ自体にも緊張していたのだけれど、周りの姿を見ていたらすぐにほぐれた。当たり前だけれどみんな世代も近いし、何より楽しそうだったからだ。同じ物事を好きというのは尊いことだと気づかされた。これが超久々でなかったら、会場に行くまでに誰かに話しかけようかと思ったくらいだ。
なにしろ慣れていないので、イベントの規模感が分からない。外から見た戸田市文化会館はやたらと大きく気圧されたが、中に入ってみると公民館らしいたたずまいで気持ちが落ち着く。自分はファンじゃない。そんな資格はない。意固地になっていたはずが、いつの間にかグッズを買い漁って記念撮影をしていた。
ただ、そんな浮かれた気持ちは席に着いた瞬間に打ち砕かれた。
ステージが近い。想像の10倍くらい近い。僕の席は2階だったのでさぞ豆つぶYUKI(かわいい)だろうとたかをくくっていたのに、実際は肉眼でも演者の表情が分かりそうなくらいだった。この距離感でオペラグラスを使うなんて、もはや盗撮犯じゃないのか。ここぞという時以外は使いすぎないよう、ストラップを首にはかけず、カバンにしまっておくことにした。
今ここにしかないものを、できるだけ五感で感じよう。
残り10分。
後ろの席の女性2人組からセットリストの予想が聞こえる。
「パラサイトが最初?」「ううん、それは飛ばし過ぎよ」
5分。
会場のドアが締め切られ、みんなの目がステージに釘付けになる。
1分。
僕の中で覚悟が決まり、その時を受け入れる準備が整う。
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全体照明が消え、代わりに現れたスポットの逆光にシルエットが浮かぶ。
周りのざわつきが叫びになり、天に昇る。
いるのか。
いてしまうのか。
いてほしい。
逆光が床におちるようにかき消え、シルエットが実体になる。
いる。
新しいアルバムの一曲目『Now Here』が鳴り響き、僕は空間に身をあずけた。
マナーが分からないので詳しいレポートはやめておく。
ただただ、とんでもない時間。まさに小さなリアルファンタジーだった。
その歌声は期待通りに変わらないYUKIで、期待通りに進化したYUKIだった。影ばかりを選んで彼女のアーティスト活動を追い続けたからこそ、どうしてもこんな不思議な感想になってしまう。
ライブがあまりに良すぎて、「今まで行ってなかったのがもったいない!」となるのを密かに恐れてもいたが、それは杞憂に終わった。僕は取り逃したコインに一喜一憂する年齢ではないし、過去を知らないくらいで魅力を失うようなやわなステージでもなかった。
すごく前向きに、また行ってみたいと思えた。まだまだ違う曲が聞きたいし、今度はもう少し近くの席で、もう少し自信のあるファンとして参加してみたい。ボッタクリ価格でも激安に感じてるのに、これを正規の価格で参加できたとしたら…もはやボランティアとしか思えないくらいのありがたさだ。
最新アルバムのタイトル『SLITS』は、ジャケ絵の通りスカートなどの”切れ目”を想起させるが、転じて”傷跡”という意味もあるという。昔の曲、少し前の曲、最新の曲とめまぐるしく切り替わるあいだに、僕の頭には自分の過去が浮かんでいた。もしかしたら、生まれ変わるくらいの気持ちで来たせいで走馬灯が見えたのかも。それくらい、人生を重ねながら音を感じた。
一言でいうのは難しいけれど、Wさんに結果を聞かれたら「ゆるされた」ような気分だと伝えたい。居てもいいよ、一緒に歌っていいよと。だってイベントが苦手なはずの僕が、ライブ終盤には嬉々としてコールアンドレスポンスに応えていたのだ。
傷があっても僕は僕であり、時間はCDみたいに回り続ける。レーベルの傷跡は傷跡のまま、愛しい傷跡と思えばいい。チラチラと過去からフラッシュバックする後悔みたいなものが、きっと今の音を特別にしてくれるのだろう。
その日、家に帰ると僕はまた外へ走りに出かけた。プレイリストの名前は”戸田市文化会館”で、今日聴いた曲を並べたものだ。
…サラッと書いたが、実はだいぶ苦労した。僕はこれまでiphoneにYUKIの曲を200曲くらい詰め込んで、感じるままに聞いてきたから、歌詞と曲名が一致しないものも多かった。歌詞は覚えているので分からないものは検索して、ひとつひとつ確かめるようにリストに追加する作業の繰り返し。まるで思い出に名前をつけるみたいだ。
ひとまずは1ヵ月半くらい、次にWさんに会うまで走り続けてみようと思う。
足取りが天にも昇るように軽い。胸には真新しい勇気がたぎっている。
いまなら、欧米のお菓子みたいな髪色にだってできそうだ。
最後に掴んだテープを。
女神扱いしてきたあの人が生きているからこそ、こうしてメッセージが書けるんだなと分かりました。
こちらこそ、パン!と爆発するようなありがとうをこれからも伝えたいです。
~おわり~