特許の価値は明細書の量ではなく、技術思想の質で決まる (original) (raw)
特許明細書は、どの程度記載するのが良いか。
単純に実施形態や変形例を充実させた方が良いという意見は、間違っているのだ。
特許の広さは、特許請求の範囲で決まる。
特許請求の範囲が狭ければ、実施形態や変形例を仮に1000事例説明しても全く意味がなく、単に社会に発明自慢を無料で公開するに等しい。
日本の特許審査は、将来の特許権者に絶大な独占を付与できないように、厳しい実体審査がある。特許庁をして、特許権者だけに市場を広く独占させると世の中、まずいことになることを熟知しているわけだ。さすが経済産業省。
日本の審査や審判でも、広い特許請求の範囲は好まない。ラッキーなことに広い特許請求の範囲が成立しても、インターネットの時代、無効理由の種がいくらでも転がっている。
日本の特許は、少しでも公知例を含んでいると、訂正して省かない限り無効になる。意匠は、直ちに無効にならず、その公知の部分以外の部分で意匠の要部を認定するので、その対比が面白い。
弊所では特許侵害警告を受けた相談者が後を絶たない。そのなかで相手方特許公報を取り寄せると、膨大な量を誇る特許も散見される。一応、全部読むが。
でも特許請求の範囲を検討すると、かなり狭い範囲で特許が成立している。拒絶理由通知を貰って補正で減縮して特許が成立している案件だ。
そのような特許の範囲は狭いので、実施形態で特許から外れた部分は無料で社会に公開した先行特許文献を構成する。今後、同じ出願人が類似の発明を特許出願しても、しっかり拒絶されてしまう。
日本の特許審査で、引用発明という客観的な文献が存在しており、それとの相違が認められなければ、広い特許は成立しない。引用発明は、日本の特許公開公報だけでなく、諸外国の公報も含まれる。弊所で最近顕著なのは、中国実用新案が引用発明として利用される事例が多いこと。
重要なのは、技術思想の本質を見極めること。特許のクリアランスになっていること。この2つが前提となり、妥当で広い範囲の特許請求の範囲を作り、それを見合った実施形態や変形例を記載する。
やはり特許の価値は技術思想の質で決まるのだ。
技術思想が先行特許と同じ又は類似していれば、明細書の実施形態や変形例を増やしたところで枝葉の特許にしかならない。
私は特許侵害警告の相談を受ける度に、そのような残念な特許公報を読まされている。
そして特許権者が特許侵害訴訟を提起してきても、こちらは否認又は無効理由を示して、いとも簡単に勝訴する。私は侵害警告を受けた側の代理人であるが、これまでの戦歴では無敗を誇る。
明細書の実施形態や変形例が多くなると、特許の質とは関係なく、特許出願時の弁理士報酬が一律に高くなるから、やはり間違った考え方といえる。