🎍47〕─3・J─平安時代のよりひどい女の陰湿いじめ、汚物まきetcが横行。~No.149 (original) (raw)

・ ・ ・
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
2024年9月30日 YAHOO!JAPANニュース ピンズバNEWS「吉高由里子も涙目に…大河『光る君へ』よりひどい平安時代の陰湿いじめ 無視、いやみ、汚物まきetcが横行
紫式部こと「まひろ」を演じる吉高由里子 ※画像はNHK大河ドラマ「光る君へ」の公式インスタグラム『@nhk_hikarukimie』より
いよいよクライマックスを迎えているNHK大河ドラマ『光る君へ』。
紫式部こと、まひろ(吉高由里子)は宮仕えを開始し、中宮・彰子(見上愛)の指南役を務めながら、『源氏物語』の執筆に明け暮れる。
■【画像】『光る君へ』中宮・彰子役、見上愛の出産直後の微笑が「聖母すぎる!」■
そこで印象的なのが、同じく中宮に仕える他の女房たちからの嫉妬や陰口、嫌がらせだ。
9月1日に放送された第33回(『式部誕生』)では、まひろが女房として後宮(こうきゅう)入りしたものの、慣れぬ生活のため寝坊してしまう。すると、他の女房に「誰ぞの足でもお揉みになっていたのではないの」と皮肉られて、嘲笑の的になるのだ。
「足を揉むというのは、女房が貴人男性の寝所に侍り(はべり)、男女の関係になることを意味しています」
と言うのは、歴史研究家の跡部蛮(あとべばん)氏。こう続ける。
紫式部が仕えた中宮・彰子には40余人の女性が奉仕していて、その中には家柄の高い“上臈(じょうろう)”と呼ばれる女房達が多くいました。彼女らからしたら、家柄がさほど高くないのに、文学的素養や才能を買われて後宮入りした紫式部は、恰好のいじめの対象だったのでしょう」
女性ばかりの職場に嫉妬はつきもの。実際に紫式部は、『紫式部日記』にこんな体験談を記している。
あるとき、彼女が馬の中将の君という女房と一緒に牛車へ乗り込むと、露骨に「わろき人と乗りたり」(嫌な人と一緒に乗っちゃったわ)」という態度を示されたという。
「牛車には2人ずつ乗り、ある程度までは序列で乗る順番が決まっていましたが、紫式部が乗車したのはその後。つまり、彼女が序列を無視したわけではないんです。ところが、その女房は“私を誰だと思ってるの? 『源氏物語』が宮中で話題になっているからって調子に乗るんじゃないわよ!”という心持ちだったんでしょう」(前出の跡部氏)
■『源氏物語』に描かれた「汚物いじめ」
このほかにも紫式部は他の女房から、陰口を叩かれている。その代表格が左衛門の内侍(ないし)という女房だ。
一条天皇紫式部の博識に感心し、「この人(紫式部)はあの難しい日本紀(『日本書紀』)を読んでいるようだ」と言ったのを聞くと、嫌みたっぷりに「紫式部はとっても学がおありなんですって」と宮中の公卿(くぎょう)らに言い触らし、「日本紀の御局(おつぼね)」というアダ名をつけた。
このように後宮でのいじめは、いわば日常茶飯事。紫式部もこんな強烈ないじめシーンを『源氏物語』に書き記している。
光源氏の母・桐壷の更衣(こうい、妃の一人)はミカドから寵愛(ちょうあい)され、他の后(きさき)たちから嫉妬を買っていた。
桐壺の更衣天皇の御座所へ召される際は、他の后たちの局(部屋)の前を通らないとなりません。そこで彼女らは、桐壺の更衣の通り道に汚物などを撒き散らします。桐壺の更衣に仕える女房たちの衣装の裾が、汚れるにまかせる状況だったと書いているんです」(跡部氏)
宮仕え中、いじめ被害をうけていた紫式部だが、その一方で、いじめに加担したとみられる事件も起きている。
「“五節の舞”というイベントに、一度、女房を引退した左京の君が、のこのこ参加しているのを見て、“知らん顔はできないわ”と反応。女房同士で相談し合い、匿名で嫌みたっぷりな贈り物をするんです」(前同)
その贈り物のひとつが、「櫛(くし)」だ。
「贈られた櫛は両端が合うほどに反り返っていましたが、平安時代、“反った櫛”は女性の盛りを過ぎたことを意味するものでした。式部も状況から見て、この“事件”に加担していたとみていいでしょう」(前出の跡部氏)
現代なら、「オバサンは引っ込んでください」と遠回しに伝えるようなものか。
平安時代の“女の園”恐るべし――。
ピンズバNEWS編集部
・ ・ ・