🪁21〕─2─「中国5000年」のウソ。中国共産党は虚偽で歴史を書き換えている。〜No.66 (original) (raw)

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2024年10月27日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「いつから「中国5000年の歴史」に?モンゴル生まれの帰化日本人が暴く!歴史の書き換え
三国志』や『キングダム』などの作品を通じて日本に浸透する中国の歴史と文化。だが、私たちが自明に考える中国史の裏には、「国家による操作」が潜んでいた…。モンゴルに生まれ、中国で学んだ帰化日本人が「中国5000年」のウソを学術的に明らかにする。※本稿は、楊海英著『中国を見破る』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
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司馬遷の『史記』より『キングダム』
日本には中国の歴史や文化に詳しい人が多いと感じる。中学、高校で中国の歴史や地理、漢文を学び、大学生や社会人になれば中国関連の単行本や新書を読む。書店にいけば単行本、新書、文庫、漫画、雑誌と各コーナーに中国関連の本が並んでいる。
エンタメ作品でも、昔の中国を舞台にした小説、漫画、アニメ、ゲームはたくさんある。たとえば、秦の始皇帝たちを描く『キングダム』は、コミックの新刊がいつもベストセラー入りし、テレビアニメのシリーズが続いている。本場の中国でも人気は高く、司馬遷の『史記』は読んでいなくても、『キングダム』のファンという人たちがいるくらいだ。
三国志』も日本では長らく人気の読み物といえよう。居酒屋で「三国志では趙雲が一番好き」「あいつは曹操タイプだ」と、中国古典の知識が会話に出てくることも珍しくない。そのように、日本人は昔から巨大な隣国を意識し、中国の歴史や文化からたくさんのことを学んできたのは間違いない。
令和に改元されたときにそのことを認識した日本人もいただろう。日本の元号は、西暦645年の「大化」以来、漢籍の言葉をもとに定められてきた。『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五経が出典として多く、「令和」の出典が『万葉集』だと話題になるほど、「元号漢籍の言葉」というのが常識だった。
しかし、である。これほど多大な影響を受けてきたにもかかわらず、日本人の中国理解が本当に正しいものなのかというと、疑問符を付けざるを得ない。言い換えれば、中国の本質を知っているか否かも、疑いたくなる。
● 中国の歴史はせいぜい2500年
「昔は“中国4000年の歴史”と言ってたのに?最近は“中国5000年の歴史”になった。いつの間に1000年も延びたんですかね」
日本人からたまにそんな質問を受けることがある。
日本で「中国4000年の歴史」が広まったのは、1980年代にインスタントラーメンのコマーシャルで「中国4000年の幻の麺」というフレーズが広まったからだと言われる。実はその頃から中国では「わが国の歴史は5000年」と主張しだしたようだ。私が小学生の頃も3000年だと教わったのだが。
だから、中国人が先ほどのコマーシャルを観たら、「1000年も短くされた」と憤慨しただろう。しかし私は「日本人は優しいから、中国人の顔を立てて4000年にしてくれた」と思っている。
欧米はじめ他の国々では「中国の歴史はせいぜい2500年、長くても3000年」とみるのが一般的だからだ。
● 文明の起点はいつか
もちろん、中国には5000年よりもはるか昔から人間が住んでいた。しかし、現在につながる“中国の歴史”と呼ぶわけにはいかない。人間が生活をしていればそれで歴史と認証されるのなら、5000年の歴史を誇る国は世界各地に存在することになる。
大事なのは、現在につながる文明があったかどうかだろう。にもかかわらず、そうした認識を持ち合わせていないかのように、中国は、5000年の歴史を証明することに力を注いできた。なかでも特徴的なものが、国を挙げて取り組んだ「夏商周年表プロジェクト」という研究だ。
中国語では「夏商周断代工程」と書き、21世紀を迎えるにあたってのミレニアム・プロジェクトとして、1996年から2000年にかけて進められた。「夏商周」の3文字でピンときた人もいるだろう。最初の王朝とされる夏王朝、それに続く商(殷)王朝、周王朝について具体的な年代を確定するという取り組みだ。
それまで中国の歴史は、司馬遷の『史記』にある周王朝の「共和元年」(紀元前841年)が、文献によって確認できる最も古い時代とされてきた。共和元年より古い時代は、文献によって確認できないから、夏王朝商王朝は「神話伝説の時代」と呼ばれてきた。
司馬遷にならって、中国の歴史が紀元前841年に始まるとすれば、現在から2865年前になる。「どれだけ長くても3000年の歴史」という通説に根拠を与えるものだ。
● 単に歴史を書き換えたにすぎない
ところが「夏商周年表プロジェクト」では、中国の歴史として夏・商・周の年表を作成した。約200人の学者が参加し、天文学、考古学、文献学などの手法を取り入れて研究を進めた結果、次のような“歴史”を定めた。
夏王朝:紀元前2070年頃~紀元前1600年頃
◆商(殷)王朝:紀元前1600年頃~紀元前1046年頃。そのうち殷墟(いんきょ、河南省安陽市)への遷都は紀元前1300年頃
周王朝:紀元前1046年頃~紀元前256年
周王朝については、各時代の王の在位年も確定している。
この“歴史”は従来の古代中国史と異なり、根拠が乏しいことから、外国の歴史研究者から批判されたし、その“説”を信じる人もいない。日本の中国史研究者たちも、さすがに認められないという立場が多かった。商王朝以前が実際にあったとする根拠に乏しいからだ。
新たな文献の発見や科学的な研究方法の進歩によってこれまでの歴史が見直され、修正されることはある。しかし有力な根拠がない場合は、単に歴史を書き換えたにすぎない。
2000年に終了した「夏商周年表プロジェクト」の内容は、2004年にスタートした「中華文明探源プロジェクト」(中華文明探源工程)に受け継がれ、2018年に最終報告がまとめられた。
この報告では、5800年ほど前に、黄河揚子江(長江)の中・下流域や長城の外、モンゴル高原南部を流れる西遼河流域に文明が出現したことになっている。その文明は500年ほどかけて中国全土に広がり、3800年ほど前に、中原地域に成熟した文明が形成され、現在まで中国文明として発展してきた、というのである。
いわゆる“中国5000年の歴史”も最初は、黄河揚子江で生まれた文明が中国全土に広がった頃を起点とした歴史観ということだ。しかし、いつの間にか、モンゴルの西遼河まで盗まれてしまったのではないか。
楊 海英
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