🐉22」─5・C─モンゴル出身者が見た中国流商談の卑劣な手口、儒教国家としての認識は改める必要がある。~No.88 (original) (raw)

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2024年10月16日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「モンゴル出身者が見た中国流商談の卑劣な手口 儒教国家としての認識は改める必要がある
「中国人には失望した」と嘆く日本人は、もともと誤った認識があった場合もある(写真:Stargazer84/PIXTA
経済安全保障推進法が成立した背景の1つに、技術漏洩・流失がある。スパイ天国とさえ称される日本は、いかにして産業の富を譲り渡したのか。モンゴルで生まれて中国に学び、日本に帰化した著者が「中国ビジネスの本質」を喝破する。
※本稿は、楊海英氏著『中国を見破る』を一部抜粋・編集したものです。
■「満洲国は本当によかった」
北京第二外国語学院(以下、第二外大)を卒業してすぐに助手になった私は、学生たちに日本語を教えるかたわら、学生の企業実習に同行することがあった。学生がインターンシップで日本企業の通訳を務める。私にとっては、ビジネスの現場で中国人の本質を見る機会になった。
青海省のガラス工場へ出かけたのは1987年の冬だった。省都の西寧市郊外のモンゴル人の草原に中国の核実験場があり、隣にビール瓶の工場を建設する計画が進んでいた。
日本の大手ガラスメーカーが援助し、第二外大の学生たちが通訳を務める。私たちは3カ月ほど滞在した。
中国側には、漢人の通訳が2人いた。彼らは旧満洲国にいたことがあり、「満洲国は本当によかった」と話す気さくな人たちだった。彼らに言わせると、中国のガラス工場は満洲国に比べて100年遅れていた。当時の中国はビール瓶もまともに製造できなかったのだ。
工場には、ガラスを溶かす窯を設置するため、上質のレンガが大量に必要だった。しかし当時の中国には、高温に耐えられるレンガを製造する技術はなく、日本企業に援助を求めた。この交渉は学生には難しいので、私が通訳を務めることになった。
■「わが国を侵略したじゃないか!」
商談には日本側の社長、中国の工場長のほかに、共産党の書記も同席していた。中国側は大量のレンガを無償で援助してほしいと要望し、日本の社長は他社から購入することになると難色を示した。中国の工場長は企業人だから社長の言い分を理解したようだが、共産党の書記がいきなり声を荒げて次のように言った。
「あなたたちは戦時中にわが国を侵略したじゃないか!」
日本の社長はびっくりして、「すみません」と謝った。「反省してないのか!」とまくしたてる書記の勢いに、日本の社長はついに泣き出してしまった。
私は通訳しながらだんだん腹が立ってきた。ビジネスの話に、戦時中の話を持ち出すのは卑劣だと思ったからだ。涙を流すほど人のいい日本の社長が気の毒でならなかった。
結局、日本の社長は折れて本社に連絡し、大量のレンガを大至急、船で送るように手配した。早期の工場建設が共産党からの至上課題だった。
レンガは2週間ほどで天津港に着き、さらに1週間かけてチベット高原の一部である青海省に列車で運ばれてきた。
ところが翌日、中国側が「レンガが割れている」とクレームを入れた。「そんなはずはない」とみんなで見にいくと、前日は何ごともなかったレンガが割れていた。
彼らは損害賠償を含めてもっと大量のレンガを送るように要望した。日本の社長が拒めば、また戦時中の話を持ち出すに決まっている。私が日本の社長に「レンガを壊したのは彼らでしょう」と話すと、彼は「原因を追及したところで、どうしようもない」とあきらめていた。
中国側は工場建設を急ぐ一方で、日本企業から大量のレンガをせしめようと考えたのだろう。やっていることが矛盾だらけだった。結局、日本から再び大量のレンガが運び込まれた。
ガラスを溶かす窯を設置すると、日本の技術者は「窯が馴染むまで数日かかる」と説明したが、レンガが届けば翌日にはガラスができると考えていた中国側は「早くしろ」と急き立てた。技術の話や理屈が通じる気配はない。大学を出たばかりの私から見ても、中国側はことあるごとに無理難題をふっかけていた。
■観光のあいだに技術資料を盗み出す
中国側が日本企業の技術を盗もうとしたこともある。私が日曜日に宿泊先で休んでいると、数人の警官に囲まれた。自分たちは青海省の国家安全部の者だと名乗り、次のように語りだした。
「日本人が技術を提供しないから、われわれは彼らから奪うことにした。そこで、君に協力してほしいことがある。次の休日に彼らを青海湖へ案内してくれ。泊まりがけで観光しているうちに、われわれは彼らの金庫から技術資料を盗み出して写しを取る」
次の休日、日本企業の社員と私たちは美しい青海湖へ出かけ、彼らの計画は実行された。モンゴル人とチベット人が遊牧する青海湖へ向かうとき、日本のS部長が大きなリュックを背負っているので「こんな大荷物、どうしたんですか?」と尋ねると、大切な資料はみんな持ってきたと話していた。
中国側が盗み出せたのは、あまり重要でない技術資料だけだった。私は悪事の片棒を担ぐことにならなくてよかったと安堵した。
ガラス工場での経験は、日本と中国の関係について深く考える機会を与えてくれた。中国人の対日意識の問題とともに、日本人の対中意識にも問題があると気づかされたのだ。
私は1989年春に来日すると、中国を訪れた日本人から「非常に嫌な思いを味わった」という話をたびたび聞かされた。おそらくガラスメーカーの社長と似たような経験があるのだろう。
しかし「中国人には失望した」と嘆く日本人は、もともと誤った認識があった場合もある(中国を過大評価し、中国人に畏敬の念を抱いていたという意味で、である)。
■『論語』を現代中国と結びつけてはいけない
中国人の理不尽な振る舞いに「それでも儒教国家の人間ですか。あなたの言動は孔子様の教えに反している」と怒ったところで、「孔子って誰だ」と返されるほうが多いだろう。
孔子も、中国にまずいない理想の人物像を語ったにすぎない。中国が君子ばかりなら誰も苦労しない。孔子も自分が生きていた時代の現実に失望し、将来の理想像を追い求めた。孔子の『論語』の教えに触れて、日頃の言動を省みたり、自分も君子になろうと考えたりするのは、世界中を見渡しても、日本人ぐらいではないか。同時に日本人が勘違いしているのは、孔子の時代はよかった、という見方である。
もちろん、『論語』や『大学』や『中庸』といった中国古典に示される、よき道徳観を否定する必要はない。ただそれは望ましい理想を語ったものとして、自らを高める指標にするだけならよいかもしれない。
しかしその理想を、現代の中国という国家と結びつけてはいけないということを私は言いたいのである(いや、日本に帰化した一日本人として、言わないわけにはいかない! )。
論語』のなかでも日本人がよく知る「温故知新」。これなどは今の習近平政権にはまったく当てはまらない。ましてや「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」は「何をかいわんや」である。
「仁」「恕」は論語のキーワードであり、その語義はキリスト教の博愛精神にも通じるすばらしい徳であることはいうまでもないが、それが習近平政権にあるのかどうか。『大学』も「修身、斉家、治国、平天下」を説くものだが、どうだろうか。逆に日本の方々に聞いてみたいものである。
楊 海英 :静岡大学教授
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