「鎌倉殿の13人」と三谷史観 (original) (raw)

最初に告白するが、私は三谷脚本の作品に対して相性がよくない。「古畑」は仕事に多忙だった時期も重なり、時代劇を除いて他の作品はほとんど観ていない。

映画も「清洲会議」は観たが、大泉洋の秀吉役には感心したものの、ストーリーとしては入り込めなかった。大河ドラマも「新選組!」は特に佐藤浩市演じる芹沢鴨を乗り越えようとする近藤勇には感銘を受けたが、「真田丸」は父昌幸(草刈正雄)の人物造型に違和感が最後まで拭えなかったもの。

そこで今回の「鎌倉殿の13人」。元々頼朝の愛妻であった八重が生き延びて、北条義時の妻になるのビックリ(但しこのような説もあるらしい)。まるで喜劇舞台のように、予想外の所から人物が登場させ、動作に現代風のテイストを加え、「いつも通りに」セリフは絡ませず俳優間で投げっぱなしで「大河」のテイストは感じられない。佐藤B作佐藤二朗、そして見かけは「そのまんま」と思わせる北条政子演じる小池栄子やその妹の宮澤エマなど、現代劇が透けて見える配役陣と演出も多くあり、どうも入り込めない放送回が続いていた。

そして日本史上でも最大の「悲劇のヒーロー」と言える源義経にも、三谷流の解釈を加えた。

文芸に才能がある同母兄、義円への嫉妬か、頼朝側から遠ざけるために義円をそそのかして「死神」叔父の源行家に赴かせる、今までに無い「黒い」義経。対して平家滅亡が達成すると「憑きもの」が落ちたかのように、困った時に芋を与えてくれた地元の者に恩返しをしたり、平宗盛に親子の対面をさせたりと、情に厚いところも見せている。

そして最後の平泉のシーン。ドラマ映えする静御前をサラリと流し、その正妻である妻の里を奥州まで連れて行かせて、頼朝と義経の確執を深めたとされる暗殺団の「伏線」を回収させたのは見事。また本来は「弁慶の立ち往生」という名場面があるにも関わらずそのシーンは見せず、BGMを効果的に流して、子供返りをして喧嘩を楽しむような表情を見せているのが印象的だった。

そんな中でも一番の解釈は義経梶原景時との関係。「史実」では武士道に反することを恐れない斬新な義経と、守旧派梶原景時が戦術面で悉く対立して仲違いすることで、その後の義経の悲劇が生れるとされている。

そこを三谷流の解釈では、梶原景時は、義経の戦術を理解できる唯一の人物として、時にその戦術を行なうために自分を嫌われ役を演じさせていること。そして義経梶原景時の意を理解し、自分を理解できる唯一の友として扱っている。

最後に義経は、北条義時に託した「鎌倉攻略」の戦法を見た梶原景時に、この戦術で攻められたら、鎌倉の敗北は必至と言わしている。この船を使った戦法は、遙か時代は下って戊辰戦争の時、東征する官軍に対して、幕府海軍が駿河湾で退路を断ち、箱根を背に孤立した軍隊を殲滅させるという、小栗上野介忠順が将軍慶喜に建策した戦術が透けて見える(さすがに「小栗」カブリは偶然だろう)。

箱根の峻険は鎌倉を阻む三浦半島と重なり、官軍の総司令官大村益次郎がこの戦術を知って、「この作戦が採用されていたなら、私の首はなかっただろう」と言わしめているのも瓜二つ。実際には鎌倉は遠浅で海から攻められない利点があったことと、北上川から船で鎌倉まで押し寄せるには当時海路がなく、海が荒れる犬吠埼付近で大半が航路を阻まれ、机上の空論と思われるが。

佐藤浩市演じる、大軍を率いる上総広常が頼朝に参陣するのに遅れて、本来ならば喜ぶべきところを頼朝は「遅い」と叱りつけるエピソード。本来は頼朝が持つ将の器を見せつけたとする逸話を「だってあいつ、怖いんだもの」と軽く言わせたセンス。史実を踏襲しながらも、その解釈を大胆に加えて、予定調和を求める「歴史好き」を裏切る「喜劇」を作り続ける脚本。

司馬遼太郎は、「光の当て方で歴史も違った面が見える」と語っているが、「三谷史観」は史実を利用して大胆な解釈を重ね、映像界において新たな「歴史」を作り出しているように見える。

近藤勇真田幸村は「白い」まま生涯を終わらせたが、今回の主役、北条義時は「白」から徐々に「黒」に移るさまを描いている。それは源頼朝に近づく過程であり、乗り越えていく過程でもある。

・・・・なんだかんだ言って、結局最近は見入ってしまいます。

蛇足

最近三谷幸喜大泉洋をよく使っている。演技力はもちろんのことだが、私はどうしても「番宣時の相方」として指名しているように感じてしまう・・・・

*画像は2枚ともNHK「鎌倉殿の13人」ホームページから。