16 ガラスの巨塔 今井 彰 (2010) (original) (raw)
【あらすじ】
世界最大の公共放送局「全日本テレビ協会」。その地域限定の放送にしか関われないフランチャイズ要員として採用された西悟は、ドキュメンタリーの制作を夢見るも、ローカル局で下働きに明け暮れていた。ようやく10年後東京本部に異動となったが、そこは「ディレクターの墓場」と呼ばれる三流部署。しかし1991年の湾岸戦争において捕虜となったアメリカ軍パイロットの老いた両親に取材し、西によってまとめられた特集番組が予期せぬほどの大きな反響と称賛を巻き起こした。
9年後の2000年、44歳になった西は、無名の日本人たちを番組の主役に据える『チャレンジX』のチーフ・プロデューサーとなる。強力な裏番組に囲まれて厳しいスタートだったが徐々に浸透していき、そして人気は爆発的なものに変化し、視聴率は20%に到達する。当時「天皇」と呼ばれた全日本テレビ協会の会長・藤堂からも絶大な信頼を受けていた。ところが藤堂は「ずさんな管理体制」を糾弾する動きを受けて辞任。後ろ盾を失った西には周囲から逆風が吹き付けてくる。
【感想】
NHKのプロデューサーとして制作した作品で数々の栄誉を受賞、「プロジェクトX」のプロデューサーとして名を馳せたが、その後万引事件で報道され、翌2009年、失意のうちにNHKを退職した今井彰。作者はNHKで経験した出来事を、敢えて「小説」として描いた。
「虚飾のメディア」では民放放送局の内幕を描いたが、本作品は公共放送。所々に視聴料に基づいて経営するために金銭観念がルーズになる場面と、視聴料に立脚するために様々な制約がある事情が描かれている。民放の女子アナがフリーになってNHKで仕事をした時、NHKは民放よりも視聴率を気にするのに驚いたとコメントしていたのを思い出す。視聴率により好不況の波に余り影響を受けずに収入が入る反面、視聴料を徴収するための努力も必要だと痛感する。
*こちらは民放を舞台として、TVの裏側を描きました。
本作品の主人公の西悟は作者自身の投影でもあるが、番組作りへの情熱は誰にも負けない反面、無能者に対しては容赦がなく、性格的にも問題がある点を自ら(?)忌憚なく描いている。そしてその性格が「宮廷」とも言える公共放送の「全日本テレビ協会」では異端児でありはみ出し者となった存在になる過程を綴ることになる。そしてもう1人、異端児だった天皇・藤堂が血みどろの「宮廷政治」で権力を奪取して、同じ匂いのする西に対して後ろ盾になっていくが、その藤堂が先に世間の逆風に浴びて失意の内に失脚していく様子が象徴的。そして「同じ匂いのする」西も周囲のやっかみと嫉妬などから窮地に陥り、また公共放送叩きに風潮に乗る雑誌の「飛ばし記事」の標的となる。
最終的には心身ともにボロボロになり、会社を退職することになる。象徴的なのは、作品の流れの中でやや唐突と思われる、女性初の役員となった前園湯子が放つこの言葉。「女がこの会社で役員になるの大変だと思うでしょ。でもそうでもないのよ。男のほうが大変よ。女は恋愛だと相手にやきもちやくでしょ。でもね、組織における男の嫉妬はその何千倍も凄まじいの。西さんは注意しなけりゃね。」
この言葉は作品全体を、そして「全日本テレビ協会」を覆っている。公共放送局という「宮廷」を渡り歩くには、実力だけではダメで、権謀術数にも秀でていないといけない。それは木曽義仲や源義経が京で朝廷の術中に嵌まり絶頂から一気に「高転びに落ちた」よう。
それでも、確かに番組作りの「才能」は秀でているが、視聴料を受けて運営するシステムの公共放送では、社会人、そして組織人として最低限のモラルは必要と思う。本作品の主人公を見て、私は個人の能力で相場に立ち向かい、連戦連勝を続けたが、証券会社の近代化について行けず、最終的に活躍の場を失った人物の物語、**清水一行の「小説兜町」**を思い出した。
*組織の中では収まりきれなかった、もう一人の物語です。