煮物 (original) (raw)
たぶん日本の月って朝に沈んでそこから日中は寝てると思うんだけど、それが出来るなら私もそうしたい
太陽みたいな人間って憧れるけどふつうに疲れそうだな、月みたいな人もほかの星みたいな人もそう
朝日を見ると朝練思い出して具合悪いな、やっぱり朝起きるなら暗いうちに働き始めるか寝てたほうがいい、とにかくカーテンは閉めておいたほうがいい
自分も自分の居る場所もどんどん悪くなっている気がする 悲しいより悔しい
ツイッターはギリ悪意を自覚した悲しい人間がなんとか生きようとしてる場所だが、インスタは己の悪意に無自覚な輩が生きる希望を失っていく場所なんだなと思う
美味いもん、口に入れた瞬間に美味い。
接客辞めてから本当に喋り足りないし、人の話し声聞く機会もマジで無くて、現代社会に生きる人としての“““悦び”””が足りねえ〜〜〜! と実感する。
おかげで独り言が増えている。
あと最近は文字を読むのつらいので本当に音声に助けられている。ミュージカル系を散々見たらやっぱりラジオに手を出す……。
ここを最後に更新したのがちょうど10か月前みたいで、あ、意外と最近じゃん、と思いながら過去の記事を読み、根暗すぎて草。
それにしても私の文章は変な作り方だなと思う、このへんももっと勉強したい。
過去の記事にも書いてあったが、ここに置いておく文章はあまり読んでもらうという様な意識では書かないつもりで、どちらかというと自分の頭の整理とか、納得できることを大切にしていこうと思っているから変わりは無いと思うが、作品にするときとかのために、もっと周りの人間のまなざしを意識したものづくりをしていきたい。
ユーネクストにある分の踊る大捜査線の映画(6本)観たんだけど全部良くて……タイミングを見計らってドラマも見たい。
あと踊る大捜査線をおすすめしてくれたのは父なんだけど、改めて「父とは男の趣味が合うな~」と感じた。
すっかり外がいやになり、映画館も遠のいてしまったのだが、近所のツタヤとユーネクストとDMMTVが私のヲタク生活を支えてくれている。
いつもありがとう。
来年はMONSTAXが完全体でカムバックするそうです。
大きな喜び、無限の愛。MONSTAX,FOREVER。
以前も申し上げたが、アイドルとは、アーティストとは、この世に存在しない「永遠」を信じさせてくれる存在だ。
生き物は生まれれば死ぬ、生き物でなくても、やがて朽ちる。
出逢えば別れがあり、夜はやがて朝になる。
しかし、私たちが出会い共に過ごした時間は、色褪せようと、あなたが誰であろうと、変わらないのだ、永遠に実存を疑わなくてよいのだ、と思わせてくれる。
私が有名人や芸能人や、もっと広げて舞台に立つ人に感じる「アイドル性」とはこのことで、「ともに過ごした時間や空間を永遠にさせてくれるかどうか」なのかもしれない。(※身勝手な要求なので、私の眼差しと思考の結果に留めておきたい。)
本日は以上、
みんなでエックスを憎もう。
タイトルがただの宣言で草
15年前くらいからの年賀状を整理してるんだけど、当時のこともそのひとの顔も思い出せないけどなんかみんな私の絵を好きと書かれていて、私自身に対する自己肯定判断基準って人のせいにしたく無いがこれが原因では……?と感じました
自我が芽生えたのが10年くらい前なので、その前のことは勉強したこと以外は覚えがほとんど無いんだけど、昔から「私が作る作品のことはみんなが好きと言ってくれる」と疑わない価値観が変わらない。
しかし自我が芽生えて以来、反転して「私自身には他人にとっては何の魅力も無い」という自信が確固たるものになっている。(これは私が私の世界で私のことを魅力的であるという感覚と理解があることとはまた別)
だから「他人にとって」→私の描く絵や作る作品が魅力的に思われること→ありがたい、とても嬉しい、私もそう思う
「他人にとって」→私自信が魅力的である→そんなわけないだろうがバカが(完)(そんなことはない)(そればかりではない)
という……まったくまとまってなくて無理………
私自身が魅力的であることは当然のことであるべきなんだが、全くそうではない思考回路をしているな……という理解を得た。自分自身のことを褒められること自体に喜びを感じてなかったのかもしれない。どっちが先かはわからない。
今はもう正直他人、居てくれてありがたいの気持ちのみで生活している(私の有り難く生きている社会は他人によって成り立っているので)が、人生の半分くらいで割とそういう進化がありましたね……という自覚のある日でした
(世界人権デー)
これは先ほど作ったプレイリスト
PCが不調になって以来、体が調子を狂わせている。
PCのせいなのか、この世のせいなのかは判らない。
ただずーっと腸のあたりの具合が悪い。ただし毎日快便である。初手うんこの話やめなさい……
最高気温が氷点下3度だったのだが、普通に生足を出した学生服の人を見かけて生命力…!と思った
昨今、脚を出した・脚の形がわかる服装の人を見ると、何故か生命力を感じる。ついている筋肉、関節の硬さ、力強い足取り。かっこいい。戦国時代に大将が、兜を着けずに戦場に立っているのと同じだ。(違います。)EnergeticでConfidenceだ。
私はまだ若者と呼ばれる世代だと思うが、そのひとくくりの中の、同世代として誇らしい気持ちになる。
服を纏うことは誰のためでもない。着ている人のための布だ。だから、ありがとう、とは言うのも変だが、素敵なファッションを纏う人を見かけるとパワーを貰う。おしゃれをしている地球上の生命、みんな、ありがとう。
自分の目の前のミッション・タスクに対して「自分より忙しそうにしてる人もみんなこれやってるのか……それに比べて私は…」みたいなの自傷行為だから辞めた方がいいな
自分で決めていいと思うけど、怠惰と自分の無能・経験不足の線引きってどうしたら良いんだろうか……
みんなやってるんだからお前も逃げるなよ、みたいな言葉を見ると普通にお前を♡して私も↑ぬ!(検閲済み)と思う