一人旅おやじがゆく (original) (raw)

旅吉です。

キャンピングカーを買ってやがて3年になる。走行距離は約45000キロ。

ちょっと迷っている。傷んでしまう前に売って、車中泊にも使いやすい普通車を購入すべきかどうか。

第一の理由が、キャンピングカーゆえの燃費の悪さ(リッター10キロ弱)。第二がキャンピングカーを普段使いにするにはかなり無理がある、という点。見た目の問題です。ノーマルタイプのハイエースとはいえ、高いルーフにマックスファンまでついているので異様に背が高く、一目見てキャンピングカーとわかる。それに乗ってコンビニに行ったり、図書館に行ったり、買い物に行ったり。なんだか大げさな感じ。

ただ、断熱にすぐれ、マックスファンのおかげで換気は完璧。1~2人の車中泊旅には最適なサイズではある。旅の間は問題ないけど、普段がねぇ。気候がよくなった最近ではちょっとした用事は自転車で済ませている。

敷地に余裕があれば、中古の安い軽ワゴン車でも買って、普段使いにしたいところ。ただいかに道楽者を自認しているとはいえ、そこまでやったら末期的症状になりそうなので、ぐっと思いとどまっている。

人気の旅系ユーチューバーはいいよね。趣味と実益が見事にマッチしてる。おそらく登録者が50万人とかなれば、広告収入でウハウハだろうと想像する。もちろん絶え間ない撮影と編集作業で大変だろうけど。旅で稼いだ金で旅に出る。なんと素晴らしいことか。「生きてる!」って感じなのではないか。

とかなんとか愚図愚図言っていてもどうしようもない。車中泊に最高なこの時期にどこにも行かず(もちろん地元熊本で低山登山やサイクリングを楽しんでいるわけだが…)、毎晩、旅系のYouTubeばかり見て「いいなぁ」とか羨んでいる。

ホントは紅葉の盛りであろう中国地方~中部地方を巡りたいところだ。鹿児島の十島村屋久島と奄美大島の間の小さな島々)にも行ってみたい。でもなんとなく我慢している。理由は定かではない。そして我慢も限界に達する過酷な時期(真夏とか真冬)に修行のような車中泊に出てしまう。なんとなくタイミングが悪い。

来週あたり、短い日程だが、福岡あたりに行ってみようかと。なぜなら大相撲の九州場所をやっているから。チケットは売り切れらしいので、福岡国際センターの前で力士たちが会場に入るのを待ち受けようか。実物の大の里を見てみたい。あの力士は大谷翔平と同じような品格の高さがある。間違いなく横綱になるだろう。

ついでに、キャンピングカーの外部充電設備がちょっと不調なので、佐賀県鳥栖市にある代理店に持っていこうかと思っている。そこでいろいろと情報収集してこよう。

ついでにと言ったらなんだが、ここ最近、地元熊本で撮った写真を紹介したい。

最初は低山登山で登った小岱山(九州百名山の一つ。501m。玉名市荒尾市の境)。知り合いから勧められて登った。駐車場から標高差250mだったが、結構アップダウンがあり、初心者にはちょうどいい山。頂上の筒が岳は中世城の石垣が残っていた。

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次は阿蘇郡高森町の紅葉。休暇村南阿蘇の周辺は広葉樹が多く、南国なりに美しく紅葉していた。根子岳も美しい。

旅吉です。

一年ぶりに金峰山の頂上へ。有明海を一望できる。天気が良かったので、佐賀、長崎、福岡、熊本と沿岸4県が全部見渡せた。

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1枚目が対岸の雲仙岳熊本市からみる雲仙岳が一番きれいだと思う。広がりがあり優雅。

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2枚目は有明海の北側部分。大牟田市佐賀市方面が見える。ちょうど佐賀市から来たと言う若者が声を掛けてきた。他県の人が金峰山に来るとは、びっくり。金峰山は熊本都市圏の人々は親しまれているが、それ以外ではあまり知られていないのだ。
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有明海の南側。天草方面。
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金峰山有明海全体を見渡せるレアな地点だ。ただ古代以来、軍事的に監視の場になったという話は聞かないなぁ。

ところで、大相撲に金峰山と言うカザフスタン出身の力士がいる。親方は元肥後の海。熊本生まれなのだ。

でもこの力士、人気がないんだよね。拍手や声援が極端に少ない。あすから始まる九州場所では、十両に落ちてしまった。陰ながら応援したい。

旅するおやじ旅吉です。

上天草市姫戸町にアコウの巨木を見に行った。車に載せた自転車を天草五橋を渡った合津港でおろし、不知火海の海沿いの道(国道266号線)でペダルをこいだ。

30年近く前、魚釣りに行くため頻繁に通った道だ。最近ではめったに通ることはなかったが、「自転車で走ったら爽快だろうな」と以前から考えていた。

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合津からしばらく進むと、目の前に不知火海がどーんと現れる。堤防では釣り人が10人ほど。自転車を降りてしばらく観察したが、あまり釣れてなさそう。最近の釣りは半分以上がルアーみたいだけど、この堤防(阿村の堤防)は全員餌釣りだった。やはり餌釣りがいい。ウキがスーッと海中に入っていくときのドキドキ感は今でも忘れられない。旅吉もそろそろ釣りを再開したいけど、道具がかなりさび付いている。車が撒き餌で臭くなるのも気になる。

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対岸には数年前、仕事で赴任していた八代の街並みが見える。人工の建造物というのはどんな色をしていても、晴れた日に遠くから見ると白く輝くものなんだな、と気付く。

上天草と八代は海をはさんで十数キロしか離れていない。以前はフェリーが結んでいて、天草から八代の学校に通う高校生も多かった。橋が架かればあっという間に渡れるんだろうけど、なかなか実現しそうにない。
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不知火海のど真ん中に浮かぶのが大築島。石灰岩の島で、昔はもっと大きかったが露天掘りによる掘削が進み、全く違う形の島になってしまった。掘り出された石灰は八代のセメント工場にどんどん運び込まれたが、その工場も今はなくなり、跡地はショッピングセンターになっている。

大築島には昭和30年代半ばまで数百人の島民が住み、小学校などもあった。30年ほど前に海岸線まで石灰は掘りつくされ、今は無人の土砂処理場になっている。「不知火海軍艦島」みたいな存在だ。ただ、建造物などが残っているわけではないので、やがて人々の記憶から消えていくのだろう。
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左手に不知火海を見ながら、どんどん南下。以前釣りに通っていたころより整備が進み、集落を迂回する立派なトンネルも増えていた。
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そして永目地区に到着。アコウの木は記憶にあるよりずいぶんと大きかった。これだけ立派だとジブリっぽい雰囲気になるね。
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まだ余力があったのでさらに自転車で南下。姫戸地区の中心部にある小島公園で折り返した。折り返し点から車を置いた場所まで15キロ。思ったよりたいした距離ではなかった。それでも尻と肩がちょっと痛くなった。
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熊本もようやく最高気温が20度台前半に落ち着きだした。今年は暑さで自転車に乗るのを控えていたが、いよいよベストシーズンだ。

旅するおやじ旅吉です。

あらためて自分のブログを見てみると、ここ最近、旅の話ばかり。長旅したのだから分からないではないが、ちょっと多すぎだろ。

なので今日は退職からの1年半を振り返って、いまどんな思いなのか書いておきたい。

YouTubeを見ていると「定年退職あるいは早期退職したのを機にYouTube始めました」という人が意外なほど多い。旅吉もついつい見てしまう。

その率直な感想。「みなさん語るねぇ。よくそんなに語ることあるなぁ」。

語る内容は、社会人生活の振り返りだったり、そこから得た教訓だったり、それを今後の生活にどう生かすか、みたいな話が多い。「大変な時期もあった」「でも自分を買ってくれた上司が海外事務所に送り出してくれた」「自分は人に恵まれた方だと思う」等々。

映像は顔のアップの固定が目立つ。話の中身から類推するに、大手の会社に勤めていた人が多そう。奥さんも小柄で品がいいケースが目立つ。時々二人で短い旅行に出たりする映像も散見される。

話がそれてしまった。自分の振り返りのはずが人の振り返りになっている。

旅吉としては社会に向けて滔々と語るような話は全くない。教訓を学んだにせよ、それはしょせん、自分にとっての狭い教訓であったり、つかみようのない茫洋としたものであったりする。時代に合わなくなったり、教訓と思っていたものが10年後には「ただの勘違いだったな」ということも多い。残念ながら社会に向け語るべき何もない。

なので自分の心を描くとき、旅吉は耳障りのいい前向きな言葉はなるべく使わないようにしている。できる限り生々しく書きたいのだ。嫌なことは嫌、嬉しいことは嬉しい、と。しばしば自虐的になるのは仕方ないことだ。

また理屈っぽいことを書いてしまった。

心が晴れてない証拠だろう。なんとなく生活に倦んでしまっている今日この頃だ。数か月前までは「自由人、最高」と思っていたが、先月、北海道から帰ってきたあたりから、家の中でぼんやりしていると「何かやることないかなぁ」と思うようになり、自分の中の「第三者」が「結局のところ、これって引きこもりなんじゃないか」とつぶやきだした。

若いころから、忙しさをアピールする輩を軽蔑していた。なので頼まれもしないのに用件を作ることはしないけど、ここに至り、さすがに「暇だ」と思うようになった。

じゃあどうするか。

①仕事を探す。②趣味やボランティアのグループに入る。③資格を取る。

①と③はそうそう簡単にいかないことを、この一年半で知った。「暇だから働きます」という還暦過ぎのおっさんを歓迎する職場は、ほぼないはずだ。シニアで求められるのは有資格者だ。いわば専門性。

数カ月前、熊本県知事が「これから社会で求められるのは特殊な技能。普通高校はいらない」と極論を言って批判を浴びていた。

あまりに雑な発言だが、分からないじゃない。もし旅吉にいま高校生の子供がいたら、半導体を勉強させる。

昔は一つのことだけに詳しくなることが否定されがちで、広い「守備範囲」が求められていた気がする。大学のゼミの先生が「ジェネラリストでありスペシャリストであれ」と話していたが、これは最終目的地であり、まずはスペシャリストであるべきだろう。

企業から歓迎されたいなら、80歳まで働こうと思うなら、専門性は絶対に必要だと思う。

さて、専門性がなく、特筆すべき人脈もない我が身を振り返った場合、「時間があるから働きます」など甘いことを言うべきではないな。肉体労働をやってもすぐに音を上げるのがオチだ。基本、甲斐性無しだし。

何となく考えがまとまらない。考え方が暗くなっている。

これが退職後一年半のオッサンの実像だ。季節の変わり目は、こんなもんかな。

いやいやいやいや、それでも声を大にして言いたい。「自由人、最高❗️」

旅吉です。

新潟については数本前に一度アップしたけど、せっかくなのでまだ紹介してなかったあたりを上げていきたい。

まずは村上市。九州の人間からすると行く機会が極めて少ない場所だと思う。新潟市や隣県の鶴岡や米沢には行っても、新潟の下越地方というと、ホント馴染みがない。なので旅吉は余計に訪ねる気になるのだ。

山形県境に近い村上市は、旧村上藩の城下町で、雅子皇后のご先祖の出身地。武家屋敷がいくつか残り、雅子様の遠戚にあたる藩士の家も保存されている。資料館も充実。ご成婚の際の新聞記事などがたくさん展示されていた。当時はかなり盛り上がったようだ。

あまり賑やかさはないが、しっとりしていい町。武家屋敷にはシャケが干されていた。北国らしい。油絵の先駆者、高橋由一の絵を思い出す。

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村上城址は小高い丘の上に石垣だけが残る、遠くに日本海も見渡せる。麓から急な石段を昇る。趣はあるが、小雨も降り、結構大変だった。でも運動を兼ねたお年寄りの姿が目立った。市民に親しまれているのだろう。
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新潟市に割と近い新発田市。名前が特徴的だ。ここも城下町。外様大名である溝口氏10万石で、珍しいことに一度も他の大名との入れ替えがなく、明治まで続いた。

城跡には国重文に指定された櫓や門が残り、江戸城に似た品格がある。でも驚いたことに、遺構が存在するのは写真に写っているほんの一画だけで、城域の9割ほどが自衛隊の駐屯地になっている。これは珍しい。ガイドの方に聞いてびっくりした。

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以前の記事でも紹介した通り、新発田藩主の下屋敷足軽長屋が一体になった清水園という施設もあるので、合わせて訪ねたらより楽しめる。他にも、大倉財閥の創設者である大倉喜八郎の出身地なので、ゆかりの建造物などもある。新潟市に近い関係からか、町が賑やか。
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この辺りを訪ねたのは9月中旬だったが、旅吉は連日の蒸し暑さにすっかりまいっており、新発田市の郊外にある月岡温泉に一泊した。根性なしと思いながら‥。

翌日は新潟市に。信濃川近くにある高層ビル朱鷺メッセの最上階に昇った。港には北海道へ行く新日本海フェリーが停泊していた。反対側を望むと萬代橋も見えた。

イメージしていたより、ずっと都会できらびやかだった。人口規模がほぼ一緒のわが熊本市のこじんまりとした田舎っぽさを再認識させられた。政令指定都市なのにねぇ。やはり国土の端っこに行くほど国家的な恩恵を受けにくい部分があるのかな。
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旅吉です。

東北南部。9月の10~12日。この数日前から秋雨前線がこのあたりに停滞し、宮城に入ったあたりから蒸し暑くなり、天気がぐずついてきた。車中泊には厳しい気候。天気図を見ると北海道は晴天続きのようで、カラッとした秋空だという。なんだか旅吉が北海道を離れた途端に天気が安定したみたいで、ちょっと苦々しい。

正直なところ、東北南部は「ここに行きたい」という明確な意識がなかった。なのでふらふらと行き当たりばったりに。ルートに迷いが出た3日間だった。

そんな中、たどり着いたのが宮城県大崎市(以前の古川市などが合併していた)西部にある岩出山というエリア。旧学問所「有備館」という標識があったので行ってみた。

伊達家の歴史は詳しくない。今回初めて知ったが、米沢に拠点を置いていた伊達政宗は、豊臣秀吉の命で12年間、この岩出山を本拠とし、江戸開府後に仙台へ移ったらしい。岩出山はその後、伊達家の支藩となった。なので小さいながらも城下町の面影がある。有備館は幕末期、藩主の隠居所内に建てられたという。

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ちなみに有備館という学問所の名が施設の名称として使われているが、現在残っているのは藩主の隠居所であり、江戸時代の前半に建てられたらしい。東日本大震災で大きく被災。残された部材を可能な限り使って最近修復が済んだとか。

日本各地に残っている古い建造物の多くは、こうした改修を繰り返してきている。例えば1600年前後に建てられた熊本城の宇土櫓(国重要文化財)は、昭和の初めに陸軍が大改修をしている(宇土櫓は崩れ落ちんばかりに荒れていた)。文化財保護の意識は当時からあったとは思うが、今と比べれば、相当に緩いものだったのではないかと個人的には推測する。古い部材は惜しげもなく捨て、新しい部材をどんどん持ってきて改修したことは容易に想像できる。

旅吉の推測でしかないが、この宇土櫓で創建当時から使われている部材は、一割にも満たないのではないか。でもまぁ、古い建造物というのはそんなものだと思うし、そのあたりは仕方のないことだろう。

ヨーロッパのような石造りの建造物は、それこそ「1000年前の建物をほとんど改修することなく今も使っている」というのも多いだろうが。

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f:id:noaema1963:20241003164142j:image庭も素晴らしかった。東北南部とはいえ、木々は北国らしい明るさに満ちている。西日本の日本庭園にありがちな薄暗さやじめじめ感があまりない。そのことをガイドしてくれた職員の方に言うと、あまりピンと来てなかったみたい。その土地土地の良さは遠くから来た旅人の方がよく見えるものなのだ。

そのあと山形方面に。鳴子温泉に立ち寄るも、以前入って感動した温泉施設は工事中。なのでさらに山奥にある鬼首温泉へ。横溝正史の小説に出てきそうな名前なので「なんだかおどろおどろしい雰囲気なのだろうな」と以前から気になっていたけど、行ってみると普通の山里の湯だった。宮城から秋田へ抜ける割と大きな道路が通っている影響でトラックの通行も多く、ちょっとがっかり。泉質は九州にも多い、透明な少しトロッとした湯。まぁまぁでした。

泉質の良さが際立ったのが、鳴子温泉をさらに山形方面に向かった中山平温泉。「しんとろの湯」。とろとろ感が半端なし。熊本・山鹿市にある平山温泉も究極のとろとろ温泉だが、いい勝負と言えよう。

温泉ばかり入ってても仕方ないので、先を急ぐ。

とか言いながらやってきたのは山形県銀山温泉。ただ興味があるのは、お湯ではなく家並み。

やはりすごいね。目の前に3~4階建ての木造建築が連なると、まさに圧巻。写真ではなかなか伝わらないが、建物群に包み込まれるような気分となる。観光客はアジア系外国人客が7割くらい。アジア系の人々は「写真映えする場」を求め、欧米系は「スピリチュアルな場」(特に古道)を求めることがこの1年半でよく分かった。旅吉の場合、後者に重点を置こうとしながら、ついつい前者に流れてしまうところあり。

ちなみに立ち寄り湯をやっている旅館は少ないみたい。足湯にだけつかった。
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米沢。伊達政宗が若いころ本拠としていたのは先に書いたけど、どちらかというと上杉氏のイメージが強い町だ。レンタサイクルで1時間ほど町中を散策した。

仕事の関係で15年ほど前、上杉家の当主と一緒になったことがある。ロマンスグレーで背が高く、おまけに東大卒。「これぞ名家」と感動したのを覚えている。まだ元気でいらっしゃるだろうか。品格が高かったなぁ。「私の白髪は吉良の血」と冗談めかして言われていたのも印象的。江戸中期、上杉家と高家である吉良家に婚姻関係が結ばれたのは上杉博物館の家系図にもあった。ほんと、名家ってうらやましい。

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ちなみに上杉博物館が所蔵する「洛中洛外図屏風」(狩野永徳作。織田信長上杉謙信に贈った屏風)はこの日、複製の展示だった。残念。いまHP見たら10月12日から原本の展示するみたい。国宝だからね、期間限定は仕方なし。

旅吉です。

北国を巡る1か月旅の最後でこんな場面に遭遇した。

大阪南港を17時に出港した新門司行きの名門大洋フェリー。レストランの横にあるテレビコーナーには、「ツーリストクラス」と呼ばれるドミトリーの船客たちが、わらわらと集まっていた。個室客以外はこうした場所でテレビを見ることになる。旅吉もそう。

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ちょうど大相撲の秋場所が終盤に入っていた。大の里の優勝がもう目前というあたり。しかしテレビは大相撲中継ではなく、ニュース番組になっていた。

そこにワンカップ片手に現れた胡麻塩頭の60代後半らしき男性。「すいまっせん。相撲にしてよかですか」と周りに声をかけてチャンネルを変えた。九州へ帰る人のようだ。もしかしたらトラックの運転手なのかもしれない。

テレビの真ん前に陣取り、周囲の人に「わしゃ平戸のもんだけん、平戸海が気になってなぁ」とか「豊昇龍は勝った時の顔が好かん」とか「大の里は間違いなく横綱になる」など、考えたことをそのまま口に出している。

最初は「なんだかうるさいおやじだなぁ」と思っていたけど、次第に「この人、ほんとに相撲が好きみたいだ」と好感を持ち始めた。下品さや嫌みがない。情報量がすごい。すぐ横にいた大阪の若い夫婦も意気投合して、各力士たちへの感想を盛んに語り合っている。

このおじさんの解説(?)はかなり的確で、聞いていて大変参考になる。「あ~、いかん癖が出とる。前みつばしっかり取らんば」とか聞くと、旅吉は「そうなんだ」といつも以上に中継に見入ってしまう。大相撲の解説といえば舞の海を思い出すが、このおじさんの昭和チックな生な声もいい。

この人の存在感で、テレビコーナーはいい感じの一体感に包まれていた。NHKドキュメント72時間の取材クルーがいれば、絶対に取り上げたな。

周りの人たちをほんわか包み込む、こんな昭和な場面、久しぶりに遭遇した気がする。子供の頃は、どこに行ってもこんな場面ばかりだったけど。せせこましくなくて、なんだかいい気分になった。旅吉もそんな高齢者になりたいと思ったね。ないものねだりだが。