一人旅おやじがゆく (original) (raw)

旅吉です。

梅雨明けしたかと思っていたが、やはりまだだったみたい。消えていた梅雨前線が復活して、明日からまた雨みたいだ。ただ来週半ばには明けると個人的には見ている。

「思い出大好き」の旅吉は時折、自分のブログを再読する。何しろ書き始めてすでに5年以上がたっている。量だけはある。相変わらずアクセス数は限定的で、あまり読まれていないようだが。文才とブログ運営の才がないことを抵抗なく受け入れられる境地に、やっとたどり着けた気がする今日この頃だ。

読み返してみるとブログの題材が年単位で動いているのがよくわかる。もちろん旅が最大のテーマだが、旅のモチベーションとなる興味の対象が移り変わっている。俳句だったり、キャンピングカーだったり、古代史だったり、登山だったり。子供のころから趣味が多かったけど、その点だけはいまも変わらず。

俳句は10年ほど前に始めた。ただ、半年ほど前に句会に参加しなくなったのを契機に、すっかり句作が途絶えてしまった。筋肉と一緒で、怠らずに鍛え続けないと俳句の「筋力」はすぐに落ちると聞く。理想は、一句でもいいから毎日作ることなのだ。これができそうでできない。

少しでも敷居を低くするために、3年ほど前に書き連ねていた自由律俳句を復活させ、日々の思いを詠んでいきたい。

天気図の前線消えドヤ顔の青空

泣きわめく孫まさに素戔嗚(スサノオ

芝刈りの青き香りや梅雨晴れ間

自由律俳句を作り始めた3年前の記事。このころはですます調だ。

noaema1963.hatenablog.com

旅吉です。

今年の梅雨は早々にあけそうだ。間違いない。気象台も本当は梅雨明け宣言したいけども、あとで大雨でも降って「しまった。あせらなければよかった」となるのが嫌で慎重になっているだけだろう。だれも責めたりしないから早々に宣言してほしい。

ただね、性格の悪いワイドショーの司会者とかいるからね。梅雨明けに大雨が降ったりしたら、気象予報士を相手に「なんなのよ。梅雨は明けたんじゃなかったの」と詰め寄りそう。基本、気象予報士は真面目で穏やかな性格の人が多いから、予報が外れたりするとすごく気にするもんなぁ。

さて、数日前から熊本も見事な夏空が広がっている。気温もぐんぐん上昇している。関東の酷暑には負けているようだが。

で、好天の真夏日に山歩きしたらどんな感じなのだろう、と阿蘇外輪山の一角にそびえる鞍岳(1117メートル)に登った。暑さでくらくらになるのでは、と予想して。ちなみにこの日の熊本市内の最高気温は32度。

しかし快適だった。標高1000メートルをこえる登山は真夏日であろうと、特に問題なしだと判明。その数日前に熊本市内の森林公園である立田山を歩いた時は、ミストサウナの中を歩いているようでぐったりとなったが(前日まで大雨だった)、標高が上がって湿度が低めだと、やはり違うね。

途中、ロープをつたって登る急峻な岩場が続いたりしたが、それも楽しい。「やがては北アルプスだ」と機嫌が良くなる。いつになるか予想もつかないが、せめて60代前半のうちにはチャレンジしたいもんだ。

頂上からの景色は抜群だ。東側に阿蘇五岳と外輪、くじゅう連山、祖母山系、南に九州脊梁、西側には熊本市内と金峰山、雲仙、天草の島々。北側には福岡と佐賀の山々も。要するに鹿児島以外、すべての県が見渡せるわけだ。

f:id:noaema1963:20250619234813j:image
f:id:noaema1963:20250619234817j:image
f:id:noaema1963:20250619234821j:image
f:id:noaema1963:20250619234809j:image

この山に登るのは4度目だが、これほど展望が優れた山は珍しい。登山道は山頂近くに至るまで、ちょっと明るさに欠けるけど。あまり有名ではないが、ぜひともお薦めの山。そういえば吉田類NHKの「日本百低山」で登ってたな。

ただ帰宅したら、これまでの登山とはけた違いに日焼けしてたことに気づく。日焼け止めも塗りたくり、帽子をかぶっていたにも関わらず。妻から「よその国の人みたい」と笑われた。

旅吉です。

朝からマクドナルドに行った。ファストフードはシニアにとって大事な拠点だ。安いし、気を遣わずにゆっくりと過ごせる。

というか、何の抵抗もなく自分のことを「シニア」というくくりに入れているのに驚いてしまう。退職直後は「シニアと呼ばれるにはまだ早いだろ。せめて初老だろ」と意気込む気持ちもあったけど、いつの間にかそうしたこだわりはなくなってしまった。いいんじゃないか、それで。62歳、確かに微妙な年齢だ。

午前中のマクドナルドで目立つのは、保険か何かよく分からんが、懸命に勧誘している人。相手は若者だったり高齢者だったり。

今日もいました。割と近くのテーブルで、50代くらいの押しが強そうな男が、80歳くらいの女性を相手にしている。間違いない、勧誘だ。

なぜだか女性は自分の人生を陶酔気味に語っている。「それからですタイ、私の地獄が始まったのは」。熊本のばあちゃんたちはこうした苦労話を滔々と語りたがる。

ネクタイなしスーツ姿の男は時折、ドスの効いた声で合の手を入れる。笑い声がでかくて、なんだか悪徳業者っぽく見えてしまう。「ばあさん、だまされるなよ。あまり感心できない話を持ちかけられているように見えるよ」と言いたくなる。

話が核心に入ると、男はひそひそと声を抑える。怪しい…。少なくとも馬鹿正直な男ではないな。しかし悲しいかな男の声がよく聞こえず、旅吉には話の中身がつかめないまま、やがて興味が尽きた。

ちょっと離れたテーブルでは、60代くらいの男が若い男に何か声高に話している。途切れることなく延々と。若い男が話すことはほぼない。ただ若い男の表情からすると、割と前向きな話の内容みたい。

それにしても60代男の声がとにかくでかい。ただ店のBGMにまぎれて何を話しているのか全く分からない。もしBGMがなかったら、この男の話をマクドナルドの客全員で聞くことになっただろう。「この店のBGMってやたらでかいな」。以前から感じていた疑問が、きょう解決した気がした。

昼近くになると、主婦や外回りの営業マンたちが増えだすので退散する。

午前中のマクドナルドは、なんだかドラマチックだ。

旅吉です。

5年以上前から「これはぜひとも読まないと」と思いながらも、そのボリュームゆえにスルーし続けていた本がある。「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)。近所の本屋に行ったら文庫本になっていたので、さっそく購入した。でも上巻だけね。途中で挫折したら無駄に終わるから。

f:id:noaema1963:20250608184430j:image

実はまだ上巻の3分の2くらいまでしか読んでいないけど、この本はすごい。

20万年前のアフリカに出現したホモ・サピエンスが今に至るまで、どう進化してきたのか、歴史学、人類学、生物学、哲学などいろんな方面からアプローチしている。博覧強記の域を超えている。なので、すごく分かりやすい。これまで分かりにくかった人類の歴史も明確に照らし出す。まるで旅吉の疑問を解くように、だ。「なぜこの著者は、俺の疑問点を分かってくれているのだろう」とまで思ってしまう。

例えば、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの関係。両方とも人類ではあるが、「種」は違うと著者はいう。

ちなみに種が違うというのは、交配ができるか否かということらしい。そして生まれた子が繁殖能力を持っていれば同じ種。初めて知った。驚きだった。例を挙げば馬とロバは交配が可能らしいが、間に生まれるラバに繁殖能力はないので、馬とロバは違う種として進化の道筋にあるのだそうだ。

ホモ・サピエンスのDNAにはネアンデルタール人のものがわずかに混在していることは、急速に進むDNA解析で分かっている。これは種の分岐がまだあまり進んでいない状態の時になされた交配の影響だと著者はいう。

人類として唯一生き残った種がホモ・サピエンスだ。生き残りを決定づけたのが、7万年前に脳内で起こった「認知革命」だと論じている。

それまでの人類は言葉を持っていたが、目の前で現実に起きていることしか伝達しあえなかった。「ライオンが近づいてるぞ!」とか。

ところが認知革命によりホモ・サピエンスは「虚構」を語り合うことができるよう進化した。例えば「このまま進むとライオンの群れにぶつかる可能性があるので、あす二手に分かれてその地点を迂回するか」みたいな感覚。または「我々の部族は山の神に守られながら西の方からこの地に来た。山の神は常に自分たちを遠くから見守っていてくれる」とか。

立体的に世界をイメージすることができた、ということだろうか。そうなると現実しか語れないネアンデルタール人と、部族内での意思統一や感覚の共有ができるホモ・サピエンスとの力の差は明確になってきた。戦いの末、やがてネアンデルタール人は絶滅へと追いこまれたのだろう、と著者は推測する。

ホモ・サピエンスはその後、認知能力に磨きをかけていく。世界各地の部族に神話が登場し、集団における意識の共有が進む。やがてさらに広がりを見せ、国家、国民、宗教、民主主義、資本主義、株式会社など、盤石で優れた虚構を構築していく。これらは自然現象がつくる現実ではなく、人の脳内で構成されているものだ。

旅吉の勝手な解釈でしかないが、これらは虚構に端を発した巨大な「約束事」と言っていいのでは。「〇〇と取り決めていた方が、世の中うまくいく。いろんなトラブルも発生しにくくなる。みんな裕福になれる」と思想家が発案し、周囲を説得し、社会の約束事としていったのだろう。

世界はこうした魅力的な虚構の積み重ねではなかろうか、と旅吉は最近思う。でもその積み重ねのためにホモ・サピエンスは気が遠くなるほどの時間と労力をかけてきている。国家同士で譲るところは譲り、いろんな無理をしながら(「忍び難きを忍び」という玉音放送を思い出す)、無数にあった約束事をグローバルなレベルにまで収れんさせてきた。

なのでトランプ大統領の暴力的なまでの揺さぶりに不安を感じてしまう。「これまで少しずつ構築した『グローバル物語』に対する敬意を忘れてはいないか」と言いたくなる。

先日あるテレビ番組で、トランプはキリスト教福音派の教えを政策に持ち込み、一部の国民の人気を得ていると解説していた。トランプも虚構を基本としているのは少しだけ新鮮さを感じたが、アメリカにしては虚構のスケールが小さ過ぎないか。

ところで「サピエンス全史」は農業革命、科学革命と進んでいく。たぶん最後まで読むとは思うが、もしかした挫折もありうる。熊本地方はきょう梅雨に入ったので登山もあまりできなくなる。こんな時こそ、こんな本だろう。

旅吉です。

今年は梅雨入りが早いのかなと思っていたら、梅雨前線が沖縄の南側にまで南下し、初夏の晴れ間が「最後のチャンス」とばかり顔をのぞかせている。

というわけで、以前から気になっていた九重連山大船山(1786m)に登った。

登山アプリなどを見ても、かなりきつそう。理由の一つが登山口の長者原から頂上までの距離が長いこと。下山後の計測によると往復で15キロ。累積標高は1060メートルだった。北アルプス登山をしている人たちからすると笑われそうだが、九州の日帰り登山では結構ハードな行程だ。

前日夜に長者原入り。車中泊した翌朝7時、5年ぶりくらいに買いなおした登山靴のひもをぐぐっと締め、雨ガ池越で坊ガツルを通り、大船山を目指す。

f:id:noaema1963:20250528130706j:image
f:id:noaema1963:20250528130710j:image
f:id:noaema1963:20250528130715j:image
f:id:noaema1963:20250528130718j:image

平日にも関わらず登山客多し。坊ガツルにはかなりの数のテントが張られていた。九州じゃなくて信州っぽい。九重は別格の雰囲気がある。阿蘇は「ドライブを楽しむ場所」だけど、九重は「登山する場所」という感じがする。聖地っぽい。森があり、高層湿地があり、火山があり…。メリハリがあり魅力的だ。

なぜ大船山なのか。

高校時代のこと。九重登山に向かう数学の先生とバスでばったり出くわしたことがあった。その先生は生徒たちからバカにされがちな人だった。進学校で教鞭をとるには、何かが足りない先生だった。「寄る辺なさ」が常にまとわりついていたように思う。

進学校の生徒は辛らつだ。出来のいい生徒の質問に戸惑ったりしている教師には、「なにやってるんだ」と言わんばかりの冷たい態度を見せる。その先生は毎回、そんな目に遭っていた。

九重方面に向かうそのバスの中で先生にあいさつすると、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔を見せ、登山に向かうと教えてくれた。大船山に向かうという。「わしは大船山にしか登らん」と先生。その理由を聞いたりはしなかったが、「日頃のうっ憤を晴らせる何かがあるのだろう」と勝手に解釈した。

漠然とした将来への不安を抱えていた当時の旅吉は、「自分もあんな感じの大人になるのかもしれない」とその先生を見るたびにつらい気持ちになったものだ。

先生の名前さえ憶えていないが、ご存命であればもう九十過ぎだろうか。

旅吉にとって大船山はそんな意味を持つ山なのだ。

で、登った感想。きつかった。一夜明けた今日も体のあちこちが痛んでいる。下ろしたばかりの登山靴を履いたのも影響したかも。全行程8時間半。いつもの登山の2回分だ。

坊ガツルから大船山頂上への道も狭くて傾斜がきつく、直径20センチほどの石がごろごろしていてとにかく歩きにくい。「大船山しか登らん」という言葉がちらつく。自分を痛めつけるのが好きな人だったのかな、などと思う。

でも頂上からの景色は素晴らしかった。十二分なまでの達成感あり。九重の山々、阿蘇、祖母、由布岳などが見渡せる。残念ながら5月27日現在、ミヤマキリシマはまだだった。隣の平治山はけっこうきれいだったみたい。

f:id:noaema1963:20250528130831j:image
f:id:noaema1963:20250528130835j:image
f:id:noaema1963:20250528130839j:image

旅吉です。

タイトルに記したことが疑問でならない。それって旅吉だけなのだろうか。

呆れるばかりの前時代的な政策を打ち出し続けるトランプに、全世界が振り回されているのに、なぜだか「民主主義のお手本」であるアメリカで大きな反対運動が起きていないのが不思議でならない。

「反トランプ デモ」と検索しても、あまり多くの過去記事が引っかからない。通常、あれだけの混乱を巻き起こしているのだから、相当数の良識派が団結してデモ活動を展開するのが普通なのではないのだろうか。

旅吉の勝手なイメージでは、米国民の7割くらいは強権を振りかざすトランプの政策に拒否反応を示しそうな気がするが、これって買いかぶり過ぎだったのかな。

産業革命以降、世界各国は大きな戦争を経験しながら戦争の愚かさを反省し、経済を発展させ、人権の意識を高め、欧州では国境線は有名無実化して自由な往来がごく当たり前となり、国連をはじめとする国際機関の存在を尊重して、グローバル化を進めてきた。そうした進化のバックボーンが民主主義であると個人的に思っていたし、その取りまとめ役はアメリカだと何の疑問もなく信じ込んでいた。

もちろんいまだ不完全なものも多いのも事実だ。温暖化をはじめとする環境問題は解決することなく、悪化している。梅雨が近づくと旅吉が住む九州では「豪雨で今年はどれだけの命が奪われれるのか」とうつうつとなる。加速度的に進むグローバル化はもちろん全能でない。

それでもトランプ就任前までの世界の動きは「多少の疑問はあれど、大筋間違っていない」「何人かの独裁者はいるが、やがて駆逐されるだろう」「国際世界は進化を続けている。間違いを是正する自浄能力を秘めている」と感じていた。もちろんその背景には民主主義の「キャプテン」であるアメリカの存在を意識していた。

しかし、たった一人の男のせいで100年以上かけて築いた世界の秩序が大きく揺らいでいる。たった一人の男のせいなのだ。予想不可能という言葉で飾られるその男の思い付きに、国際社会は滑稽なほど揺さぶられている。

関税問題について日本が最初に米国と協議を始めたが、最初に折り合ったのは英国だった。その時のニュースの言葉は「英国が一番乗り」だった。「一番乗り」って「いい意味」ではないのか。それとも茶化したのか。どちらにしてもトランプに揺さぶられているのは確かだ。なんだか失笑してしまうニュースだった。

イーロン・マスクだけではなく米国の他の若手経営者もトランプに追随しているのが、ものすごく失望させられる。地球の未来を描いていく人々だと期待していただけに。

国際社会というのはこれほど脆弱なものだったのかと思わざるを得ない。進化など実は全くしていなかったのだ。たった一人の意識の低いポピュリストに群がるばかりで、なんの是正もできないでいる。先行きが見えず、不安が高まるばかりだ。

数日前、トランプ政権は、ハーバード大学留学生認定の取り消しに及んだ。キャンパス内での暴力や反ユダヤ主義の助長がその理由らしいが、ここまでくると米国が暗黒時代に突入したと解釈したくなる。一年前とは全く別の国だ。裁判所がこの命令を一時差し止める決定を下したらしいが、トランプが素直に従うか疑問である。

「罰があたる」という言葉がある。旅吉が住む熊本では「罰かぶる」という。トランプ本人からすると正しいことをやっているのかもしれないが、やり方が尋常ではない。秩序を粉々に打ち砕き、国際社会を混乱に陥れた罪はあまりに大きい。もう罰かぶって十分だと思う。

アメリカの有識者たちが一致団結してトランプおろしに動いてくれることを心から望んでいる。

旅吉です。

天気が良ければ山に登る。妻はあきれているが、今がベストの時季なのだ。暑くも寒くもなく、登山道は乾燥して歩きやすい。標高によって様子がガラッと変わりあきない。ぶんぶん飛び回る虫も少ない。

二つの祖母山に登った。古祖母山(1633m)と祖母山(1756m)。山頂(いずれも宮崎と大分の県境)はわずか2キロほどしか離れておらず、縦走する人たちも多いが、まだまだ経験の浅いおやじなので、高千穂の道の駅で車中泊をして、二日とも日帰り登山。

思った以上の感動でした。狙い通り今がベストなのだ。帰ってきてYouTubeを見たら、今の季節の動画がたくさんアップされていた。

古祖母山はアケボノツツジが見事だった。なんの予備知識もなく登山口から歩き出し(草花に関して恐ろしく鈍感)稜線に出たところ、ふだん町中で見かけるツツジよりずっと透明感のあるアケボノツツジが迎えてくれた。この地点で標高約1200メートル。天気も最高だったので感動がより大きい。

f:id:noaema1963:20250501162145j:image
f:id:noaema1963:20250501162149j:image

下の写真はミツバツツジ(だと思う)。

f:id:noaema1963:20250501165125j:image

新緑もすがすがしい。祖母山系は自然林の保護がしっかりしており、ミズナラやブナ、ツガ、アカマツなどの巨木が続く。
f:id:noaema1963:20250501162141j:image

標高1400メートルより上はまだ新緑もツツジも時季を迎えておらず、冬枯れの様相だ。

f:id:noaema1963:20250501162400j:image

稜線からはずっと祖母山が見えていた(祖母山系はU字型に稜線が続いている)。新緑が上へ上へと進んでいるがよく分かる。この付近の山々は標高による植生の変化が明確で、学術的にも貴重らしい。

右側奥には九重連山。写真にはないが、由布岳鶴見岳まで見えた。春とはいえ、標高が高いと霞もかからず遠くまで見通せて最高の気分だ。

f:id:noaema1963:20250501162307j:image

そして下の写真が、その前日登った祖母山の頂上から撮ったもの。中央部分が古祖母山。上の祖母山の写真は、下の写真にある古祖母山の頂上付近から撮影している。祖母山系は「山塊のでかさ」が際立つ。写真ではなかなか伝わらないけど。うねうねと続く稜線もなかなかの迫力だった。
f:id:noaema1963:20250501162302j:image

この日の祖母山はとにかく登山客多し。駐車場には、遠く関東や北陸のナンバーも目立った。GWだからね。この時とばかり遠征してきたのだろう。ちなみに天気は上々。
f:id:noaema1963:20250501162318j:image

祖母山の頂上近くでは、バイケソウの濃い緑が目を引く。近くでシカに遭遇。口笛を吹くと遠巻きにこちらをじっと観察している。黒々とした目が我が家のトイプードルに似ており、胸がキューンとなる。残念ながらカモシカには会えなかった。

ちなみにこの日は、北谷登山口から千間平を経由するルートを往復。せっかくなので風穴ルートー頂上ー千間平ルートで周回すべきだった。ちょっとレベルが上がってしまうけどね。次回はぜひ。
f:id:noaema1963:20250501162314j:image