京都のヴォーリズ建築③【左京区編】 (original) (raw)
こんにちは、のら印です。
京都に現存するヴォーリズ建築を、エリア別、年代順に整理しています。
3回目の今回は、左京区を見ていきます。
【京都大学YMCA会館】
1913(大正2)年竣工の煉瓦造・木造の2階建。
煉瓦造の外壁は、モルタル仕上げされています。
創設当初は寄宿舎として建てられ、現在は地塩寮として運営されています。
1913(大正2)年は、ヴォーリズが本格的に建築の活動を始めて5年目。
初期の作品で、現存する大学YMCA会館としては最古のものになります。
各所に見られる逆三角形の印は、YMCA(キリスト教青年会)のロゴマーク。
外部に露出させた木材の部分は、赤く煉瓦色で塗装され、全体の印象を引きしめているように感じます。
完全な左右対称の構造が美しい。
側面から見ると、煙突があります。
中には暖炉があるのでしょう。
皆が集う安らぎの場所として、ヴォーリズ建築に暖炉と煙突は欠かせないようです。
【京都府立医科大学YMCA橘井寮】
京都大学YMCA会館と同じ敷地内にあり、同じ年に建てられている京都府立医科大学YMCA橘井寮です。
木が生い茂って見えにくいですが、京都大学YMCA会館とよく似たデザインです。
YMCAの逆三角形マークがあるのも同じです。
玄関の格子にも、逆三角形はデザイン化されていました。
【日本基督教青年会同盟学生部関西駐在主事宅】
京都大学YMCA会館と同じ敷地内に、同じ年に建てられた建築は、もう1棟あります。
日本基督教青年会同盟学生部関西駐在主事宅です。
同じ煙突が立っています。
西側の鞠小路通から見ました。
右が京都府立医科大学YMCA橘井寮、左が日本基督教青年会同盟学生部関西駐在主事宅です。
この奥に京都大学YMCA会館もあり、初期のヴォーリズ建築が3つ並んでいます。
【白亜荘】
左京区の吉田二本松町にある白亜荘です。
京都大学南構内のすぐ東側になります。
1918(大正7)年竣工の木造2階建。
外観は、ほぼ左右対称の建築です。
ヴォーリズ建築であることは長く知られていませんでしたが、最近明らかになったようです。
もともとは、当時近くにあった吉田教会の学生寄宿舎だったとのことですが、現在は個人所有のアパートになっています。
タイル張りのエントランス。
内部には、木がふんだんに使用されています。
丸い電燈が並ぶ木の廊下。
落ち着いた大正期の姿が、そのまま残されています。
【駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)】
左京区北白川伊織町にある駒井家住宅です。
1927(昭和2)年に建てられた、木造2階建。
外観は、当時アメリカで流行していたアメリカン・スパニッシュ様式。
ヴォーリズが建築家として円熟期にさしかかった頃の、代表的な住宅建築です。
駒井卓博士は、「日本のダーウィン」ともよばれた遺伝学の権威。
静江夫人は熱心なクリスチャンで、ヴォーリズの妻である一柳満喜子とは神戸女学院時代の友人だったそうです。
スパニッシュ様式らしい装飾が施されたエントランス。
これはサンルームの外観。
大きなアーチ窓が3つ連なり、外光を存分に取り込めるようになっています。
内部に入ると、柔らかい曲線を描く階段手すり。
シンプルですが優美です。
居間の照明。
クリスタルのドアノブ。
この紫色のドアノブは、パブリックな空間を示しています。
プライベートな空間には透明のドアノブがつけられ、さりげなく細かい配慮がなされています。
2階の寝室。
窓からは、東山が良く見えます。
そして何よりも、壁一面に作りつけられたタンス収納。
無駄のない、実用的な設計ですね。
ちなみに、ドアや窓枠がペイントされているのは、戦後の一時期にこの住宅を接収した進駐軍将校の趣味のようです。
玄関脇にも、靴磨きセット用の引き出しが、壁に作り付けられていました。
いろいろな配慮が細かく、そして優しい。
駒井博士の書斎の壁面には、礼拝用のスペースもあります。
上部にアールがつけられた付属屋横からは、丸い穴越しに相手の顔を見て対応ができる、おしゃれな勝手口が見えました。
この時期のヴォーリズには、やってみたい数々のアイデアが湧き出ていたのかも知れません。
そしてアイデアを活用して実現したかったのは、たぶん奇抜な建築でも豪華な建築でもなく、建築を通して住む人が幸せになることだったのではないでしょうか。
【工繊会館(旧舟岡邸離れ)】
左京区の松ヶ崎にある旧舟岡邸離れです。
1929(昭和4)年の竣工。
京都大学医学部・舟岡省吾博士の父親の隠居住宅として建てられましたが、現在主屋は残されておらず、離れだけが京都工芸繊維大学の会館として使用されています。
裏側です。
急勾配の屋根に、ドーマー窓。
煙突もしっかり立っていました。
【錦林教会】
1929(昭和4)年に建てられています。
改修によって、外観、とくに写真左手の正面の意匠が変わってしまっているようですが、内部の礼拝堂には当初の姿がよく保存されているようです。
ということで、3回にわたって京都のヴォーリズ建築を見てきました。
振り返ってみると、ヴォーリズは、やはり不思議な力をもった建築家でした。
アマチュア建築家でありながら、どうしてこれほど多くの名建築を残すことができたのでしょうか。
ヴォーリズは、優れた建築家というよりは、建築という術を用いた良き伝道者であったのかも知れませんね。