久喜市の教育委員会が手がける子ども「集中度」管理の憲法違反と、こども家庭庁が手がけるEBPMへの不安(補遺あり)|山本一郎(やまもといちろう) (original) (raw)

俺たちの米山隆一さんが関係している教育機器メーカー「バイタルDX社」が派手にやらかして騒動になっているというので見物に行ってきました。

久喜市の教育委員会がやらかしていそうなこと

確かにこれ、効果検証やりますではなく、いきなり実用段階のようで普通に違憲ですし、手法的にも全然駄目ですね。これ、研究倫理綱領通らないでしょ。本当に埼玉県久喜市が実装しちゃったのであれば、取り返しのつかないことになりそうで面白そうです。

教育データ関連で言うなら、まず「そのバンドで測定できる程度のアウトプットで本当に子どもの集中度が本当に判定できるんですか」っていうエビデンスの問題から始まり、そもそも子どもの心の天気図も含めて子どもの内面に関わることを本人の意図に寄らず個人を特定できる形で収拾して判断に用いることは手法として不適切なのは麹町中学校内申書事件(最判昭63.7.15)でも違憲に近いと言えます。

米山隆一さんがTwitterで「統計量だから大丈夫なのだ」と書いてましたが、これ記事の通りなら「集中しない生徒」を機器で脈拍により割り出し折れ線グラフでバイネームで管理する話ですので、これはよくある教育データ仮名処理論争と同様に統計量じゃありません。「おまえのデータ」であり、「その『おまえのデータ』により集中力を切らしたとアルゴリズムに『判断された』おまえ」の話です。ヤバいですね。個別に測定してリアルタイムで教師にフィードバックする限り悉皆個別データでしょうし、これを元に教師がこの子は集中していないと判断(決定)する以上は教育データ的にも子どもの内面に関する教育データ処理ですから駄目です。情報法的にはどこ踏んでも地雷しかありません。

記事で割とはっきり書いてあったので、こりゃ全然駄目だなと思うのは「脈拍は嘘をつかない」という嘘のほうで、こんなの教育効果と集中力に関する実証なんてできているはずがないじゃないですか…。

そもそも数学(算数)で課題に取り組む人が、問題の解法が分かった瞬間にドーパミンが放出され脈拍も血圧も上昇し、これが繰り返し行われ、また持続することで能力向上に資することは知られています。いま現在、数学・国語能力と行動遺伝学面での解析が進んできているわけですけれども、たぶん、こういう子どもが数学の授業で「わかった!」と思って脈拍上昇させると「この子、集中力が切れてるな」と判断される恐れもあるのでしょう。人間が獣と異なるのは、大脳皮質大脳基底核から知的興奮でドーパミンが出る点です。学習意欲はドーパミンの問題でもあるのですが、基本的に分かったら血圧も脈拍も上がります。

少なくとも、うそ発見器的なポリグラフをベースに教育の現場にネタを持ち込んでは駄目です。

おそらく本件でエビデンスレベルが低いだろうと思われる理由は、ドパミン以外にも、おそらく誰しも経験するであろう「授業中に、過去自分がやらかした失敗体験を思い出して脈拍が上がる」ような生理現象も集中力判定を下げる要因になり、集中力レベルをポリグラフ的に判定するのはハードル高いだろという点です。情報法的にも、脳機能の教育データ的にもろくでもないのですぐやめたほうがいいんじゃないですかね、ナイストライ! よく頑張った! 感動した! という風に思います。

こども家庭庁が派手にやらかしそうなこと

さて、こちらは新しく発足したこども家庭庁のEBPM研究会ですが、こっちはこっちで焦げ臭い話が出てきていて教育データ界隈がざわざわしています。

担当大臣が小倉將信さんで、集まっているメンバーを見るとみんなピンときますね。いちいち言いませんが。

確かに子どもの自殺対策や未就学児の子どものケアをどうワンストップでやっていくかは大事で、そのためにアウトカムを導き出すためのデータアセットを構築しないとね、というのはまあそうなんだろうなと思います。

ただ、この手の話は特に子どもの自殺対策のように低頻度で発生するものはリスク群をスコアリングしましょうという話で終わるのがせいぜいで、しかも中でもハイリスク群は大概において親の離婚や失業など経済状況の悪化のように家庭の中にトリガーがある話になりますから「こども家庭庁は子どもの自殺を防ぐために家庭の事情に踏み込む判断をどこまでやるんですか」って話になってしまいます。

有体に言えば、子どもの自殺は頻出ではないのでダイレクトな因果推論が割と困難なほうで、地震予測よりは当たるかな? というレベルなんじゃないかと思います。

何か言っているようで実は何も意味するものは無い論点図。つか、政策形成にいまからエビデンスどう用いるか議論しようって話なの? いままで何してたの?

発表された資料をしげしげと見ていたら、先行しているアメリカでの教育データ活用でエビデンスギャップのネタが書いてあって、それはまあそうなんだろうなあと思います。ただ、これはアメリカはそもそも貧困州の教育現場が崩壊した結果(地域の公的教育費は固定資産税から出るので貧困州は子どもの数に比べて圧倒的に教育費用の捻出が困難)、オバマ政権以降RTTT 政策からESSA 法で地域教育からチャータースクール制度が併用され、予算確保のためにも教育データによりチャータースクールの教育効果を示さなければならないという日本と真逆の動きになっているのが一点。

また、これはもう各州の教育データ利用状況をヒヤリングすれば分かりますが、子どもの教育データ利用においては喫緊の課題としてオピオイドなど危険な違法薬物の濫用で死んだり、ドラッグ以外にも拳銃や近親者・ベビーシッターによるレイプなどから行政が積極的に子どもの保護に乗り出していって守らなければならない事情が割と無視されているのが気になるのが一点あります。

もちろんエビデンスレベルがしっかりあるデータをこども家庭庁が収集して子どもの自殺や虐待を防いだり、未就学児の保育から学童まで地域ぐるみの健全育成を目指す取り組みをするというのは価値があることなので、モデル作って検証してようというのはまあまあ分かります。

ただ、これらは大概において虐待が増えがちな地域的特性(低所得の人たちが多く住む公営住宅や被差別のような古い因習が残る地域)や、親の特徴(離婚や病気、失業など子どもの虐待に繋がったりメンタル失調を起こしやすいパターン)が炙り出されるだけの結論になるだろうと思います。そういう地域や家庭の内面以外の、頻出パターンが炙り出せるのならエビデンスとして最高級のものになるだろうし、戸籍や所得のようなデータ以外で集められる行政データから具体的なエビデンスが導き出せるようであればぜひ頑張ってやっていって欲しいです。

で、素朴な疑問なのですが、そういうハイリスク家庭だぞとスコアリングされたご家庭には、EBPMで来ましたと市役所職員が訪問したりするんですか。

こども家庭庁が「こんな資料を参考にEBPMのベースプランを策定するよ」っていう資料群を発表しているのですが、これがまたビーンボール感のあるモノが含まれております。例えば、もう新規更新しないデータ群に、引きこもり関連調査があります。

https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/life/h30/pdf/s3.pdf

本当にEBPMをやるんだぞとなれば、ここで出ている個票を統計量にしたうえで「どういうセグメントの家庭で育った子どもが引きこもりになりやすいか」をモデル化して導き出し、スコアリングして、ハイリスク家庭については市職員などに教育を施したうえで家庭訪問をするなどして引きこもりにならんよう行政的手当てをするでやんすという話になります。

(補遺 12:51 ご指摘がありましたが、行政が「ひきこもり」を対処するべき悪とし、問題解決のためにデータを使うというのはまあ確かに割とハードル高い感じはしますが、ただ子どもが引きこもっていていいはずもないので、そこは議論として切り分けたいと思います)

でもこれ、いわゆる教育経済学的観点で統計量をいくらこね繰り返しても、行動遺伝学的にすでに引きこもりになりやすい子どものOCEANモデルはある程度検証済みなので、いまこども家庭庁でモデル作ろうぜといっても車輪の再発明か、特定の構成員のやった感を国の税金で実現してあげるだけの効果しかないだろという部分に問題があると感じます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/40/1/40_96/_pdf

悪く言うと無駄だし、意味を見出すならば政策的な着地の道筋をつけるという感じの話になりますでしょうか。

ただ、そういう無駄なことになりそうな研究会なのに、議事は匿名で非公開になるんですってよ。

https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/ec2d19c7-787c-429f-83f3-4484e3588005/44901415/20230621_councils_ebpm-society_JsmoUyP5_05.pdf

教育データ界隈最大のざわつきはここ。効果検証に影響を及ぼしかねないって、そんな堅牢性の低いモデル構築でEBPM政策を回すつもりなの? これ、特定のタイミングでみんなで丸太もって城門にドーンってやれっていう前振りなんですかね?

EBPMというか、一定の科学的根拠を持って政策立案しようぜというのは大変に賛成なのですが、どうせ仲間内で適当な議論やって報告書ぶん投げて終わりになるのではないかという邪推も働いてしまう世界ですので、最低限、議論はオープンにやって欲しいなあとは思います。良ければ褒めたいし、悪ければ酷評したいので。

画像は『科学的にもっともらしい因果推論を言いながら、やってることは占い師と大して変わらない竹中平蔵の弟子筋』です。

米山隆一さんのツイートに対する指摘

(補遺 12:35)

米山隆一さんが、割と鋭角のネタをぶっ込んできていて、これは議論になるやつなので見解を置いておきます。

いや、モニタリングに同意してデバイスをつけているのに、内心の自由も何もないでしょう。それに脈拍数なんて、「内心」と言えるものかどうかも分からないというか、正直「顔色」の自動認識と大差ない程度のものですよ。この手の生体モニタリングを過大評価しすぎです。左様なら。 https://t.co/5emqG6uPGO

— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) June 22, 2023

いくつか論点があるのですが、一個一個解説するとクソ長くなるので簡潔に書きます。

子どもの本人同意能力

教育データでは永遠の課題となる子どもの本人同意は本当に同意なのか、学校がそれをやるぞと言われたときに拒否できる立場にない子どもと、未成年で社会的な経験が備わっておらず同意する能力を合理的に認められない子どもという論点は一考されて然るべきです。

「顔色」の自動認識も内面把握の利用目的ならアウト

基本中の基本だと思うのですが、顔認証の技術そのものは中立でも、それを街頭において犯罪者顔を判定するのも顔色を見て自動認識させる目的がその個人の内面に関するものであるならば不適切な利用目的であってアウトです。これは百歩譲って本人同意があるのだとしても、その本人同意の結果、どのような判定を下されるか、決定されるかにはコミットできませんので駄目です。

リアルタイムで個別の悉皆データである時点でアウト

一万歩譲って本人同意があり利用目的もパスするものだとしても、デバイスをつけてリアルタイムでモニタリングする時点で統計量による解析ではなく個別の悉皆データですので駄目です。完全に「おまえのデータ」であり、「その『おまえのデータ』により集中力を切らしたとアルゴリズムに『判断された』おまえ」の話ですから、アルゴリズムによる決定で起きる差別そのものというか、教科書的な事例と言えます。

エビデンスがはっきりしないのでアウト

一億歩譲って本人同意があり利用目的をパスし学級運営上リアルタイムでデータを取ることが容認できるものだとしても、心拍数で集中力を把握するポリグラフ検査のアプローチは「集中力を測定する」ようであるというだけで、それが直接子どもの学習権を亢進する判断に資するというエビデンスはほぼ皆無なのでアウトです。実用可能か試験するとかなら分かりますが、そもそも学習効果はドーパミンの放出と密接な関係があり、ドーパミンは血圧も脈拍も有意に引き上げるので「安静だから集中している」は(現段階では)単純にニセ科学の領域です。はっきり言って実用に足るエビデンスは何もないです。

より上位構造に「内面の自由に抵触するからアウト」というのも控えているので、まあどの角度で見ても不適切ですねとしか言いようがない案件じゃないのかと思いました。

そんじゃーね。

草原に完全に足元がめり込んでいる完全な占い師が出力された。ありがとう生成AI