【連載】ちろうのAKB体験記 第20回 ■ひまわり組はじまる|ちろう (original) (raw)

■ひまわり組はじまる

ひまわり組は初めての告知から物議を醸した。まず「ひまわり組」という言葉が初めて公開されたのが戸賀崎氏のブログで、2007年5月24日のエントリなのである。

「皆様にお知らせです!ずっとこの発表を待っていたかとは思いますが・・。ついにみなさんお待ちかねの〈ひまわり組〉の初日が決定致しました!」

http://ameblo.jp/akihabara48/entry-10034539922.html

これには一瞬、「いつの間にそんな発表があったっけ??」と混乱させられた。強いて言うなら発表されて以来放置されている「ばら組」「ゆり組」の話である。しかし「ひまわり組」とは!?

これは運営側の立場でありながら、何も伝えるべき情報を伝えられない(そもそも決まっていないことが多すぎた)状況に耐え切れなくなった戸賀崎氏の渾身のギャグだったと後に本人が語っている。つまりはこのエントリに対する反応は「待ってねえよ!ってかひまわり組って何だよ!」というものが正解だったのだ。そして徐々に情報が明らかにされ、チームA・チームKから混合のチームを作りダブルキャスト制であることが知らされた。

2007年7月から、ついにひまわり組公演が始まった。期間限定とは言え、既存のチームA、チームKを無くしてひとまとめにするひまわり組は賛否両論があった。しかし劇場外での仕事が徐々に増えてきていたので、ひとつのポジションを2人のメンバーが付くことによって穴を開けずに済むというひまわり組のシステムは理にかなっていたように思う。そしてそのメンバー分けは、選抜上位のメンバーから順に振り分けられた。それは明確に1軍、2軍と言ってもいいようなチーム分けであり、「表メン」「裏メン」などとも呼ばれた。そしてこの頃にはチケットの販売方法が完全メール抽選へと移行された。

基本は表メンが、そのメンバーにほかの仕事が入っていれば裏メンが出る。ということで出演メンバーは日替わりで、同じメンバー構成で公演が行われるということは少なくなったが、唯一決まっていることは、同じポジションのメンバー同士が共演することはできなくなるということだ。そして小林香菜は当時同じチームKで「チユウ隊」という謎の絆で結ばれていた河西智美と同じポジションを務めることとなり、それはつまり河西智美と共演することができなくなることを意味していた。そしてまた、小林香菜は「裏メン」だった。その事実にぼくは悲観するわけでも喜ぶわけでもなく、淡々と受け入れていたように思う。それは運営の方針でどうしようもないということでもあるし、現場のヲタとしては推しメンが「表メン」であれ「裏メン」であれ楽しみ方はあると思ったからだ。

ぼくはこの時も小林香菜しかあまり興味がなく、ひまわり組の公演に入るのも「小林香菜がいるかどうか」だけを判断基準にしていた。そして他の出演メンバーに関してはその日の公演の幕が上がるまで把握していないような有様だった(前田敦子と篠田麻里子はお気に入りだったのでその2人がいるかどうかくらいはさすがに気にしていたが、笑)。

この頃には徐々にメディアにAKB48のメンバーが出始め、新規客が増え始めていた。それを実感したのはやはり表メン公演と裏メン公演の客層の違いである。人気メンバーが出る公演が盛り上がるのかといえば、実は全く逆の現象が起こったのである!前田敦子、大島優子、小嶋陽菜、篠田麻里子などのメンバーが出ている公演ほど静かになってしまった。それらのメンバーを目当てで来る客は新規客が多く、劇場での盛り上がり方がよく分からず静かになってしまうのだ。逆に、いわゆる干されメンばかりの公演はここぞとばかりに現場ヲタが盛り上がった。その時に、人気メンバーばかりの割には客席が静かな表メン公演を揶揄する意味で「お通夜公演」という言葉が生まれた。

表メンの多い公演は客席に知っている顔が少なく、公演中も静か。裏メンばかりの公演は客席が知り合いだらけで大いに盛り上がる。人気メンバーは全員一緒に収録などの仕事が入ることが多いため、全員が裏メンばかりの公演ということもよくあった。そういう日はもちろん当選倍率が低く、チケット抽選に応募すればたいてい当選した。裏メンに推しメンがいるヲタにとっては良い時代だっただろうと思う。そしてオール裏メンの公演を「俺たちの一軍公演」などといって楽しんでいるヲタもいた。しかしぼくはそういう感覚に与することができなかった。AKBヲタ歴が浅く、コールや振りコピをあまりしない、あるいは単純に顔見知りでないヲタを見下す空気がなんとなくイヤだった。あいつらはAKBを分かっていないとでも言いたげだった。でもすでに今はそういう時代ではない。AKB48はメディアを通して日に日にファンを獲得しているのだ。いつまでもヲタが顔見知りばかりであるはずがない。そしてぼく自身がそういう裏メンばかりの公演を良いものと思わなかった理由はもっと単純である。同じ金額を払ってわざわざ公演を見に来ているのに、あっちゃんや麻里子さん、こじはるがいない公演など見たくない!というのが本音であった。「小林香菜がいる」というだけで公演に入るモチベーションを維持するのは困難になってきていた。

ちょうどこの頃、自分で記録としてmixiに書いていた日記を見返してみるとこんな記述があった。少し恥ずかしいがそのまま引用する。

「メンバーのクオリティの高さに惚れ惚れするわあ
たとえば♪夕陽を見ているかの2番Aメロで上手から出てくる4人がマエアツ、高みな、優子、ともーみ。
なにこれ。
すさまじすぎ。
いつも見てたのなんだったのアレ。 」

「夕陽を見ているか」の2番、Aメロの歌い出しでステージ上手から出てくるメンバーが前田敦子、高橋みなみ、大島優子、河西智美の4人。旧チームA、チームKのそれぞれ2トップである。それを見ると本当に鳥肌が立つほどに魅了された。なんて素晴らしいんだ。この4人のようにメディアによく出ているメンバーほど、どんどんオーラを身にまとっていっているのを感じた。それこそ芸能人を目の前で見ているような気がしたのだ。彼女たちはもう秋葉原にしかファンがいない地下アイドルではない、テレビを通してたくさんのファンを獲得している芸能人だ。AKBが世間から注目されるようになり、ヲタが様変わりする中で、ぼく自身にも変化が訪れていた。もう毎公演自由に入れる時代ではなくなってきているのだ。いつまでも見知ったメンバー、見知ったファン同士で馴れ合うような現場ではなくなってきている。そして何より決定的だったのが、河西智美がいる公演の方に価値を感じていたことだ。それはつまり・・・小林香菜がいない公演であることも意味していた。

ひまわり組は1st公演である「僕の太陽公演」の上演期間中には、「僕の太陽」「夕陽を見ているか」「BINGO!」といったシングル曲を発表していった。いずれも現在でも度々歌われている名曲である。そして2007年12月からは2nd公演「夢を死なせるわけにいかない公演」が始まった。また、ひまわり組に入ってから初めての「研究生」が登場した。4期生の出口陽、倉持明日香、佐藤亜美菜、成瀬理沙といった面々である(実はこの4人が、4期生でもあるということで勝手に「チーム4」と名乗っていた。その後9期・10期生を元に結成されるチーム4と奇しくも同じ名前である)。世に楽曲を発表し歌番組等への露出が増えるとともに、AKBの中でもどんどん変化が起きていたのである。

シングルが発売されるたびに握手会は開催され、もちろん毎回小林香菜の握手列に並ぶのだが、それは必ずしも楽しいものとはならないことが多かった。ヲタ仲間との交流に重きを置いていたり、惰性で通っているという側面もあった。ヲタ活というのはそういう側面が大きいことも分かっている。しかし本当にこのままでいいのだろうか。元々はAKBの劇場公演を見たり、推しメンと交流したり成長を見守ったりということが楽しいから現場に来ているのであって、ヲタ仲間と慣れ合うためにやっているのではない。推しメンとの交流が「楽しい」と思えないのであれば本末転倒ではないのか。ヲタのあいだでは「やめるやめる詐欺」というのがあった。「もうヲタ卒するよ」と宣言する人ほどいつまで経っても現場から卒業しないということを揶揄してそう言った。惰性でまた現場に来てしまったり、今までお金と時間をかけてきたからこそそれらを無駄にしたくないなどの事情で、なかなか現場を離れられないのだ。逆に本当にヲタ卒してぱったりと現場に来なくなる人は、何の告知もなしにいなくなってしまうものだった。しかし「もうヲタ卒しようかな」と宣言したくなる人の気持ちが、ぼくにもだんだん分かるようになってきていた。

(次回に続きます)