実在の図書館司書に材をとり、本を愛する者たちの闘いを描く長編小説――『リスボンのブック・スパイ』(アラン・フラド著/髙山祥子訳)訳者あとがき全文公開!|Web東京創元社マガジン (original) (raw)

装画:安藤巨樹/装幀:中村聡

『リスボンのブック・スパイ』訳者あとがき

髙山祥子

本書のタイトルに〝ブック・スパイ〟とあるが、ブック・スパイとはなんだろう。本のスパイと聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか?
わたしたちにとって本は身近な存在で、娯楽や慰めとなり、生活に必要な情報を提供してくれるものでもある。だが貴重な情報源であるがゆえに、場合によってはとても危険な存在にもなりうる。
ヒトラー率いるナチス・ドイツは全体主義体制の一党独裁政治をおこない、ユダヤ人を迫害し、反ドイツ的な文化を排斥はいせきした。その象徴的な事例の一つに〝焚書ふんしょ〟がある。一九三三年五月、火によって書物を浄化するとして、ドイツ国内の多くの大学都市で反ドイツ的とされる書物が焼かれた。
いっぽうアメリカでは一九四一年に、貴重な情報源である本を戦略的に利用するべく、外国刊行物取得のための部局間委員会(IDC)が設立された。敵国の情報を収集するために新聞や本を取得する使命を課して、まさに〝本のスパイ〟として図書館司書を外国へ派遣しようというのだ。

本書の主人公マリアは、ニューヨーク公共図書館に勤める司書。図書館内のマイクロフィルム部で、新聞記事などをマイクロフィルムにおさめて保管する仕事をしている。過去の出来事を人々の記憶に残す職務に意義を感じながらも、もっと自国のために働きたいと強く希望していた。そんなおりにIDCの設立を知り、マリアはこれこそ自分のための職務だと確信する。性別や学歴の壁に阻まれながらも、無謀ともいえる作戦を遂行してその一員となり、欧州へ派遣されることになった。
派遣先であるポルトガルのリスボンは、ナチスによる迫害を逃れようとする避難者たちであふれていた。そこでマリアは、ティアゴ・ソアレスという男性と出会う。書店を経営しながら、ひそかに避難者たちの渡航を手助けしている男性だ。IDC職員としての活動、そしてティアゴとの親交をとおして、マリアは厳しい現実に直面し、やがて図書館司書の枠を超えた危険な職務へと身を投じるのだが――

この『リスボンのブック・スパイ』はまぎれもないフィクション作品だが、物語の背景にはさまざまな史実がある。ナチス・ドイツの独裁政治はもちろん、リスボンから多くの避難者が自由を求めてアメリカを目指したこと、アメリカから外国へ図書館司書がIDCの職員として派遣されて諜報活動に関わったことなども、実際にあった出来事だった。
著者のアラン・フラドはアメリカのオハイオ州とポルトガルを拠点として執筆活動をしている作家で、二〇一九年にThe Long Flight Homeで作家デビューした。以来、Churchill’s Secret MessengerA Light Beyond the Trenchesと次々に作品を発表、二〇二三年に刊行された本書『リスボンのブック・スパイ』は彼の長編四作目にあたる。いずれの作品も第一次世界大戦および第二次世界大戦で実際にあった出来事や実在の人物を題材にしたもので、歴史作家として確かな地位を確立している。
本書で描かれるのは、第二次世界大戦中の激動の欧米社会で果敢に生きる図書館司書マリアの冒険とロマンスだ。マリアは強い愛国心と正義感を胸に、愛する国、そして愛するひとのために迷うことなく命がけの行動に出る。
フラドは本書執筆のために調査をしていて、第二次世界大戦中の図書館司書たちの活動に魅了されたという。本書でのマリアの大胆な行動には目をみはるばかりだが、そのキャラクターは、アデル・キブルという実在の女性が基になっているそうだ。キブルはIDC職員としてストックホルムに配置され、知的で勇敢で、必要とあらば規則を破ることを厭いとわずに大きな成果を上げたとのこと。事実は小説よりも奇なりというが、マリアのような人物がほんとうにいたと思うと、物語がいっそう胸に迫ってくるように思う。
そのほか、リスボンからアメリカを目指したユダヤ人避難者たち、リスボンで繰り広げられたスパイ戦など、本書には多くの史実が盛りこまれていて、それについては巻末の〝著者のノート〟に詳しい。
ティアゴの祖父母がブドウ園を営んでいたのはフランスのボルドー地方、両親のブドウ園があるのはポルトガルのポルト地方で、いずれも美味しいワインが生まれる土地だ。またその二つを結ぶ中継地であるサンセバスティアンは、スペインの中でも独自の文化を保持するバスク地方の代表的な街で、スペイン巡礼の北の道の入り口でもある。豊かで美しいけれど険しい山岳地帯もある過酷な道を経て、さらにその先へ、どれほどの避難者が自由を求めて逃げたのか。そしてヨーロッパ大陸の西端に位置する〝白い街〟リスボンで、マリアはもちろん、おそらく実際にいたにちがいないティアゴやローザのような人々が、どんなドラマを繰り広げたのか。
フラドはなるべく多くの歴史的事実や実在の人物を、物語の中に織おりこむように努力したと言っている。マリアがマイクロフィルムによって過去の文献を保存したのと同じように、過去の出来事や人物を人々の記憶に留めておきたいという思いがあるからだろう。
本書のあともフラドの執筆活動は順調なようで、今年七月には次作Fleeing Franceが刊行された。今後も、積極的な執筆を続けるフラドの活躍に期待したい。

最後になるが、本書の訳出には多くの方々の協力をいただいた。力を貸していただいた皆さま、そして東京創元社の皆さまに、この場を借りてお礼を申し上げたい。
ありがとうございました。

二〇二四年八月

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■髙山祥子(たかやま・しょうこ)
1960年東京都生まれ。成城大学文芸学部卒業。訳書にサラ・グラン『探偵は壊れた街で』、ジェームズ・バロン『世界一高価な切手の物語』、ケイト・ウィンクラー・ドーソン『アメリカのシャーロック・ホームズ』、レスリー・M・M・ブルーム『ヒロシマを暴いた男』、ジャネット・スケスリン・チャールズ『あの図書館の彼女たち』などがある。


この記事は2024年9月刊の『リスボンのブック・スパイ』訳者あとがきを全文転載したものです(編集部)