わたしの産んだ、3人めのこどもは、のゆり、という。 (original) (raw)

のゆが出かけている間におむつパッドが届き、使ってくれるか半信半疑…と思いつつ、パンツに取り付けた(去年おねしょ用のパッドをパンツにつけて寝かせたら泣いて嫌がったので無理かもしれないと、小分けのものを試しに買った)ので、帰宅した夜のゆに、「これ、学校用のパンツね。お姉さんようの小さいおむつみたいなやつ。これなら漏れないから…でも、トイレには行ってね!」と話すと、うんうん、といい反応。翌朝起きてトイレに行っていつも通り布のパンツをはくも、学校に行く前にトイレに行ったのでそこで「学校用のパンツはいといて」というと、驚いたことに自分でトイレの後に履き替えた。違和感があるからいや、いつもと違うからいや、という感覚は絶対あるはずなのに、「学校用」という理屈が勝ったようにみえる。これが認知の発達というものか!軽い感動を覚える。その日はそのままいくつかパッドを持たせるも、着替えて帰宅した。連絡帳によると、パンツも濡れてしまっていたので着替えます、とのこと。濡れたパッドはビニール袋に入れられていた。やっぱり漏れちゃうのかなあと思うものの、まだ初日だから、と自分を奮い立たせさる。2日目の今日も、順調にパッドつきパンツで出かけて行ったのゆ。驚いたことに、着替えずに帰宅した。パンツも変わってないし、持ち帰りのゴミもない。まさかもう、パッドをつけて生活しつつトイレで排泄するということができたのかな?それとも先生ごゴミを学校で処分してくれたのだろうか?まだ真相はわからないのに、なんだかちょっと涙が出た。もしこのままいけるなら、当分このままでいい。もしうまくいかないという時もパッドのおかげで授業を止めることなく、本人もみんなの前でおもらしをすることもなく、次のトイレで対処することができるなら、それでいい。心なしか下校後、いつも以上に快活な気がするのゆ。習い事の後、ちょこちょこと公園をネズミのように走り回り、友達の名を呼んでいた。こんなことがあるかしら。まだまだ山あり谷ありだぞ、と自分にいいきかせつつも、これでもっとのびのび学校を楽しめるようになると、信じることにする。学校が、のゆにとって無意識に緊張するような環境ではなく、完全に自分のテリトリーになったら、パッドのことなんて忘れてしまうくらい変わるかもしれない。どのくらいかかるかわからないけど、その日は必ず来るから、もう焦らないでニコニコしていよう!と、今は思っています。

のゆの一泊宿泊はうまくいき、翌日迎えに行って一度帰宅して、3日目はみんなが泊っている高尾に送っていった。別に2泊すればできるのではないかな、と思ったし、帰ってからも元気だったので「ぜったい2泊できたよね」とわたしは何度も家族に言ったけど、まあ、先生にも慣れが必要ってこと、と思うことにしている。3日目は9時半からプログラムが始まるというので、9時5分に高尾駅のでバスに乗る計画。学校に行くより少し早いくらいの出発で事足りるので、意外と大したことはなかった。その日は、わたしは絶対高尾山に行こうと決めていた。思いついたのはのゆが宿泊にでかけ、わたしがちゃき(大崎清夏)からもらったチケットでKAAT(神奈川芸術劇場)に行った日の、朝だけど。のゆの見送りに行けるとも知らず(わたしが泣いた一件)、最近よくするように、森のような公園を歩いていてふと、こどもが帰ってくるまでに戻れる登山をするのもいいかもなあ、と思ったのだった。もともとは全く興味がなく、自然学校の人たちとおしゃべりするのが楽しいからたまに登山企画をやる程度だったのに、人はわからないものだ。数日森のような公園を歩いただけで、こんなことを考えるとは!そして、ああそうか、今度高尾に送るんじゃない、じゃあ高尾山にひとりで行ってみようかなと、思いついたのだった。

高尾に行く日も前のも、朝から雨だった。前日に「高尾山 雨」で検索すると、1号路は道幅も広く傘をさしても余裕だという雨の高尾山レポートが出てきた。曇った景色は雲海のようで美しい。雨の森は好きなので迷わず、雨天決行とした。ポンチョじゃなくて傘でOKというのも散歩じみてて、ますますよい。山好きのちゃきにも、はじーにもラインしたら、ちゃきは一緒に行きたいくらいだし、今度ぜひ行こう、と言ってくれ、はじーはきっと寒いから防寒着をそろえるようにと教えてくれた。そうでもなかったら絶対出さなかったヒートテックのインナーにロンT、山用のアウター、リュックの中に念のためフリースとポンチョを入れた。傘は、景色がよく見えるようにビニール傘にした。家の近くはかなり降っていて肌寒く、のゆは長靴にパタゴニアのジャケットを着せたので、まるでアウトドアに出かける親子みたいな格好になった。

高尾までの電車はそこそこ人がいたけど、国分寺あたりで急に空いたのでのゆは車両の端の3人掛けの椅子に座って外を見ていた。頬づえをついたりして、なんかアンニュイな感じ。だんだん緑が多くなってくる。高尾駅につくと、改札の外におしゃれな喫茶店があった。ちいさなロータリーには黒塗りのタクシーが1台とまっている。昨日もこどもを送った同級生のママは、雨だと駅までこどもを送ってきた人たちが帰っていく車で高尾駅からの道がすごく混んで大変で、タクシーで行ったと言っていたけど、その朝はがらんとしていた。予定通りのバスに乗り、15分には現地に着く。支援員さんが「あ、のゆりん!」と声をかけてくれたり、上級生がすぐに近くに来てあれこれ話しかけてくれたりする。担任は「すみませんね、いろいろお手数かけて。2泊目にわりと、体調崩す子が多いものですから」とわたしを見ると、言った。のゆはほかの子より手がかかるからということろだろうと思うけど、たしかに疲れてはいたはずなので、1泊の体験ができたのは、よかったかも。今日も送ってきていたもう一人のママと、帰りの27分のバスに飛び乗る。わたしが、「せっかく来たから高尾山に行く」と話すとその人も、「なかなか来ることがないので昨日は駅の反対側に行ってみた」と言った。Keioストアとかあって、町でした、と。向こうが住宅地なんだねえ、と話して、子どもたちの話や、幼稚園の時の話、今度学芸会だけどうちはたぶん何もしない、と言う話をしたら彼女も「うちもですよ!」と言い、ひとしきり幼稚園の時の劇の話などして、「そこにいるだけでがんばってるよね」とわたしは心を込めて、言った。

駅で彼女と別れ、一駅乗り換えて高尾山口へ行く。なんとかケーブルカーを使わずに上りたいと思ったが、2時半に子どもたちが学校に帰ることを考えると時間が案外ぎりぎりだったので、まずケーブルカーに乗ることにする。帰りは歩きたいと思い、片道切符。乗り場には最初、3人の年配の女性グループしかいなくて、にぎやかにおしゃべりしていた。わたしはがらんとした前方のガラス前を陣取って外を見ていたら、、あとから人がどんどんきて、箱はすぐに、いっぱいになった。雨と霧の中をケーブルカーは進んでいき、とてもきれい。歩いて上ると50分だというところをケーブルカーは数分で到着してしまう。ケーブルカーを降りて展望台から霧の立ち込める森を眺め、薬王院に歩き出した。雨の中の深い緑や、お寺の朱色や、さまざまな木々は、とても美しかった。雨の日はわざわざ窓を開けたくなるくらい好きな雨の音も、もちろん、ずっと聞けた。何を考えることもなく、ただ歩いた。ところどころにある、「鼻」「耳」という石灯籠(というのだろうか?)をみつけたら、石の球を触り、のゆの鼻がききますように、耳がよく聞こえますように、といちいち祈った(「目」はあっただろうか?見落としたかもしれない)。どこで立ち止まって写真を撮ったりしても、ひとに追い越されることもない程度のぽつぽつとした人出だった。薬王院も雨で空いていて風情があるが、ここで長居しなかったのは時間的には正解だった。おみくじも素通りする。そのままあっけなく頂上に着くと、人はまばらで、ほとんどの店が閉まっていた。少し端の方に一つだけやっている店があったので、早めのお昼として、とろろそばを食べる。お店の人たちは若い子たちで「ここで働いてるとまじでばかばかしくなるわ」みたいなことをそこまで深刻そうでもなくふざけてでもなく話している女の子の声がして「あと3時間」と言っていた。あと3時間のシフトなのかな。1号路は車が通るというけど仕事の往復はどうやってくるのだろう。どこに住んでいるのかな。まったく、わからない。そばもとろろもおいしかった。生でのっているウズラの卵の黄身が、食べている間に行方不明になり、終盤でまたひょろんと表面に浮かび上がってきたのがおもしろかった。もう見失わないように割らずにそのままれんげですくって食べたら、濃厚な味がする。こんなふうにウズラの卵の黄身の味を感じたことって、あまりない。時間があまりないので、食べ終えてトイレに行って降りようと思ったら、ビジターセンターについ立ち寄ってしまい、てぬぐいに惹かれてお土産コーナーに行く。「鹿の角」というきれいなピンバッチがあった。これはあおいに買わずにはいられないなあ、と思い、結局、のゆにちょうちょ、あおに鹿の角、じぶんには「ムササビの食痕」と言う穴の開いた葉っぱのピンバッジを買った。一つ700円くらい。かりんには、なにかお菓子を買って行こう、と思う。広報誌をもらって、意気揚々と、1号路を下山した。下りを調子よく歩いたもので、途中で膝に負担がかかっていることに気づく。気づくけどどうしようもなくて、小股で歩いてみたら、よい感じだったので、そこからはずっと、ちょこちょこと小股で進んだ。「ひとり高尾山」みたいなパンフレットをネットで見たとき、自由に行動できるのが一人登山の魅力、と書いてあったけど、それは本当にそうで、写真を撮るのに立ち止まるのにもいちいち断らなくてもいいし、断らずに写真を撮って小走りに合流する必要もない。トイレに行きたいときに行けばいいし、食べたいときに食べればいい。ただ、わたしはとてつもない方向音痴なので、いまのところ高尾山くらいだな、と思う、安心して歩けるのは。下っているとき「意」という灯篭をみつけ、おおこれは大切だ、とのゆの意思と認知の健やかさを、よくよく祈る。驚いたことに、歩いて降りる1号路にもまた、「身」という灯篭があった。ケーブルカーやリフトで降りたら知らなかった。のゆ、あお、かりん、みんなが、健康で、元気な体ですごせますようにと祈った。ついでに、自分も。最近は運動しようとしてどっか痛くなるとかそんなことばかりしていて、(1,2年前はめっちゃハードなバイクエクササイズを突然始めても何も問題なかったのに!)突然、中年ですよ!という顔をし始めた体をもてあましているので。じっさい、下りの山道で足が痛かったし、先が思いやられる。と思っていたらとつぜんふわっと足が軽くなり、何かと思ったら道が平らになり、どうやらほぼ下山してしまったようなのだった。

少し物足りない気もちをもちつつ、ケーブルカーの前の広場のお土産屋さんをのぞいて、むらさきいろのかわいらしい顔のモモンガのクッキーを、かりんに買った。かりんはクッキーがとても好きなのだ。そう言い始めたのは、ここ1年くらいのことだけど。それから、あおの幼稚園時代に高尾山に来た時に教えてもらった焼き栗の、中の袋を買う。リュックに入らないのでお土産のビニールを下げてプラプラ歩くことになった。結局お団子を食べられなかったので、帰り道でふかしてある高尾山饅頭を一つ、店先の椅子で食べた。暖かいほうじ茶をいただき、胃袋まであつい液体が通っていく。

大きな公園のウォーキングから派生した高尾山はとても愉しかった。でもやっぱり1号路でいいから歩いてのぼってみたいし、できたらつり橋のある4号路も行きたいし、もっと慣れたら(こどもたちは遠足でとっくに行ってるけど)6号路もいきたい。来週にでも行きたい、すぐ行きたい。とはいえ帰りの時間がいつもタイトになるのでしばらくは、スケジュール帳と相談だなあ、と、帰る電車ではもう、次のことを考えていた。いつかこどもたちと…とはあまり思わないけど。危険のないところで一人でぶらぶらするのがいまのわたしにはちょうど良いようだ。

でも、「意」も「身」も祈ってきたからね。のゆはきっと大丈夫。

きょうはのゆがいなくて、あおはわたしの布団で寝てもいいと許可を得て(いつもはのゆがいるので狭くて、みんなではなかなか寝られない)先に寝に行って、風邪気味だというかりんまで早く寝たので10時前にはわたしもゆっくりお風呂に入り、最近Wordで書き始めた日記を書き終えた。それでもまだ体力があるので、最近のことを少し書いておこうと思う。お伴はそろそろなくなりそうな熊の模様の箱のSleeping Time Teaと、ギリシャからわたしのブログを楽しみに読むねと言ってくれたまりちゃんが送ってくれたギリシャ料理の鮮やかな色彩の記憶。

先週一週間わたしは、のゆの学校でのおもらし問題に悩まされていた。2学期に入って順調だったのに、2週間ほどたつととつぜん、おもらしするようになった。1学期の最後も週に1~3回そういうことはあり、2学期になくなったのかと期待したので正直、がっかりしてしまう。長い夏休み、家では時々声をかける、加えて、出かける前、療育先についたとき、帰る前、遊んでいて、何か新しく始めるとき、お風呂の前、と、区切り区切りにトイレに行かせて、外で失敗することはほとんどなかった。長く声をかけないと、遊んでいるうちにもらしてしまうことがあったので、自分で尿意を感じてトイレに行き、全て済ませるという段階ではないものの、促してトイレに行けば問題ない、というのがわたしの認識だった。なのに、学校ではトイレに素直に行かなかったり、行ったのにそのあとでもらしたりするという。わたしは、一度学校に出向いて、中休みにはトイレに行くよ、と直接その場で話したい、と先生に伝えた。行くべき時を理解したら、わかってくれる。何でも理解している子だ、と思ったからこその判断だった。

写真を使ったスケジュール表を作り、月曜日の中休みに学校に行った。わたしが行って表を見せて話すとのゆはすんなりトイレに行った。これで次は昼休みかな。授業をしばらく見学して、わたしはコーラスの練習に行った。ところが、その日は結局給食の前に出てしまって、また着替えて帰ってきた。

スケジュール表のために教室の写真を撮ったので追加して作り直した表をもって、火曜の朝、また学校へ行った。スクールバスに乗せず、自転車でのゆを連れていくと、のゆは自転車を降りるなりうれしそうに、介助員の先生たちのところへ走っていった。学校も先生たちも、大好きなことはまちがいなかった。介助員さんや先生たちと話をして、新しいスケジュール表と、「トイレに行きます」と書いた意思表示の写真カードも渡してきた。そしてまたこっそり、授業を見学した。

月曜は算数、火曜は国語。授業をのぞいていてわたしは、のゆの頑張り具合にびっくりすることになった。1学期よりあきらかに授業に参加している。一人づつ前に出るような活動は前はできなかったのに、前に出て先生とキャッチボールをして(のゆはかごでボールを受け止めていたけど、それも自分でかごでやると選んだ)数を数えて足し算を(介助員さんと)したり、まわりにたくさん散らばったボールをマジックハンドで拾って数えたりしている。そのあとプリントが配られると、席に着くや否や前のめりに、書き始める。ものすごく、一生懸命だった。火曜、朝の会の様子も見ていると、ときどき真顔のままじーっと友達のほうをみていることがあった。先生が声をかけても耳に入らないように反応しない。と思ったらふざけてにやっとしたりするのでいつからかは聞こえているのだろうけど、わたしには、刺激でいっぱいの学校生活で、小さな水差しいっぱいに水が入って水面がゆらいでいるような、そんなようすに見えた。

国語では1年生が小さな輪になって(そこにもちゃんと参加していた)カタカナかるたをしていた。カタカナはまだ知らないはずなので、こういう時は見ているのかなと切ない気もちになっていたら、途中でひらがなかるたも入れてくれて、たまたま女子は1人なので「おんなのこ問題」といって、のゆにやらせてくれていた。はい!と声を出すことはできないけど、意気揚々と札をとっている。それはそれは、うれしそうに。ちゃんと活躍させてもらっているんだ、と切なさのあとなだけに涙ぐみそうになった。国語もプリントの時間になると、前のめりに字をなぞっていた。時々支援員さんが何か指さして話して、一緒に直している。すごいなあ、がんばっているんだなあ。いま、のゆは学校で一瞬も本当の意味でぼおっとすることなんかできないくらい、大忙しなんだなあと知る。トイレに行きたいという気持ちを感じ取ったり、そろそろトイレに行こうと言われて毎回従ってでかけるなんてできないくらい、教室の中には、彼女の気を引くものがたくさんたくさん、あるんだなあと。なのでなんだか、ごめん、とおもう。わたしはトイレだけのことを考えていたけれど、生活すべてを見て見たならば、トイレに行けない理由はトイレのスキルではないのだった。だから、なんだかこの頑張り方は違うのかもしれないと、わたしは思い始めた。

実は担任からは、トイレの失敗が多いのでおむつの併用を提案されて、わたしは内心反発をしていた。せっかくここまでできているのに、学校でおむつをしてもどってしまったらどうしよう。賢いからこそ、おむつが楽だ~ってなったらどうしよう。おおきくなってもそのままだったらどうしようと。それならいっそ、と、月曜日、担任に「先生は、どうしたら学校でトイレに行けるようになると思いますか」と尋ねてみたけど、先生の返事は「いつかはできると思いますけど…発達的にまだはやいのかも」というもので、発達的に足りていないという根拠は、わたしから見ると根拠とは言えないいつくかのこと(出席の返事をできない、活動に積極的に参加して選ぶことができない、など)だった。失敗することを過度に恐れるので人前で目立つことをしたがらないのだと、何度も伝えているのだけど、先生にはそういう態度は、「やりたがらない」「できない」と映るようだとは、薄々、感じていたことだった。「学校でおむつを使うことで、家でもできなくなったり、トイレが後退しないかと親としてはおもってしまうのですが」と尋ねてみて、「それはあるかもしれませんが…」と先生が答えたとき、この人の第一の関心は、この子がどうやったらトイレに行けるか、そして学校生活をより豊かにできるかではなく、学級運営なんだな、と感じた気がした。彼は学級運営のプロ(ながらくこの支援級を主任として支えてきた重鎮である)ではあるけど、療育の先生のような、支援のプロではないんだと。だから余計に、どうしたらいいか、悩ましかった。先生の言うことを聞いていればのゆにとってベストとは限らない。でも、このままトイトレを主張し続けるのも本人にとって、何か違う気もする。そんな気持ちで、療育サークルのMさんに相談のメールを出した。

結論から言うと、もう、一回学校ではトイレのプレッシャーや、もらしていやなおもいをすることから解放するために、パッドを使わせてあげて!と言う返事だった。もうね、今は学校でいっぱいいっぱい、トイレどころじゃないんだよ、と。ご自身のお子さんも、海外から帰国したときそうだったと。だからこそ、パッドをつけてあげて、本人の自尊心を保ちつつ、学業に専念させてあげて、そのうち、もうわたし大丈夫よって、自分で言ってくれるから!という。そのアドバイスは、わたしが授業を見て感じたのゆの様子にぴったり合致していたので、わたしは素直に、肩の荷を下ろすように、そうしよう、とうなずいた。数日後、療育先の所長のY先生に廊下で出会った際、相談したらほとんど同じことを言った。のゆが赤ちゃんの時からわたしとのゆを知っている人で、わたしの子育てに常にやる気と希望を与え続けてきた人だ。彼女は、「おむつでいいよ!」とわりきった。絶対、もらしたときのいやな経験はわかっているから。いちどゆるめてあげて。それでできなくなるなんて、絶対にないから!と。MさんとY先生が本当に同じことを言ってくれたことにわたしは自信を得て、方向転換をしようと心を決めた。

結局それからのゆりはおもらしし続けた。今まで以上に。完全に裏目に出ている。わたしが出て行ったことで、介助員さんも、一層一生懸命トイレ誘導をしてくれているのかもしれないと思うし、それは何らかの圧になって、のゆは余計にトイレに行きたくなくなったのかもしれない。先生がいう理由と一致はしてないけど、宿泊が終わったらおむつかパッドを使わせると金曜の連絡帳に書いておいた。学級運営のためではなく、のゆのために。急にお話が上手になり、言葉や勉強の理解がぐんぐんすすんでいるのゆ。今までよりパズルができるようになったり、学校に行く前に一人で50音のひらがななぞりをやったりするのゆ。彼女が今伸ばしているのは、そういうところなんだろう。アンバランスなところもあるけど、しかたない。成長は螺旋階段。どこかは止まっているようにみえながらも、ゆるやかに上昇しているのだ。だから、今はいいよ。思い切り学校の刺激をうけとめて、伸ばしたいところを伸ばして、いまは気が回らないことは、後回しにしよう。

初めてのこと、は脳に良いという。きっと宿泊で、また一回り研ぎ澄まされた成長したのゆに、会えるはず。

のゆが、学校の宿泊行事に出かけた。通常級の子たちは四年生くらいからしか宿泊はないのに、支援級は一年から六年まで合同で出かけると入学前から知ってはいた。こどもの宿泊はわたしの貴重な貴重な自由時間なので、ラッキー、くらいに思っていたが、どうやら支援級の宿泊行事は、六年生で通常級と一緒にでかける修学旅行にむけての着実な訓練である…ということが、説明会の先生たちの言葉の端々からわたしが感じ取ったことだ。

前の週から入念な荷物チェックがあり、適さないものは返却され、入れ直した。向こうでは温泉タオルのようなもので体をあらい、絞って体の水を拭き取ってから脱衣所に行く練習をしますと言われびっくりして、家でも毎日ガーゼで練習した。荷物は全て中の見えるジップロックに分けてつめ、中身と名前をマジックで書く。使うものが上にくるように本人と一緒に大きなリュックに荷造りをする。毎朝毎晩検温をする。そんなこんなを経て、今朝は、小さなリュックに水筒、しおり、健康カードなどを入れて、のゆはいつも通り、スクールバスで出かけたのだった。

私は最近気に入っている散歩というかウォーキングのコースへそのまま歩きに行き、戻ってきた頃、もう学校を出たのかどうか気になり、GPSを入れておけばよかったなと後悔する。向こうで荷物から出してなくしても、と思い、入れなかったのだ。ちいさなのゆが大きなリュックを運んで観光バスに乗り込むのかと思うと、かわいいかわいいという思いがするが、同時になぜかいつもかわいいというよりちいさいのゆ、という言葉が浮かんでしまう。中学の時フランス語の例文で「私の恋人は可愛くて優しい」という例文があり、たしか Mon chéri est mignon et gentil という例文だったのだけど、なぜかいつも、ミニョン は小さい、という気がしてしまうのだ。ミニという英語のイメージかもしれないけど、かわいいと小さいは分かち難く結びついてあることは周知のことで、それがとくにのゆりのばあい、わたしにとって渾然一体となっているようだ。

とにかくわたしのミニョンなのゆりは、バスに乗って行ってしまった。学校の出発式に親が見送りをしに行って良いとは聞いておらず、思ってもいず家にいたら、上級生のお母さんが動画を送ってくれてそのことに気づいて泣いた(泣いてないけど、泣いた、と書きたいくらいの気持ち)。なんてこと。知らせてほしかった。動画の中でのゆは、大きなリュックをうしろ、小さなリュックを前に背負って、介助の先生と同級生の男の子に挟まれて、歩いていた。ピンクのリュックと同じ色のスニーカーで、細ーいみつあみで。わたしがそこにいなかったことを不思議に思っているのだろうか。わたしがいたら手を振って通り過ぎただろうか。考えれば考えるほど、知らなかった、ということが恨めしい。こうして本当にのゆは行ってしまったらしく、わたしは今日一日は、早い時間に帰宅する小学一年生を気にすることなく夕方まで過ごせるのだけど、なんだか調子が狂って、コーラスの練習時間を間違えて行ってしまった。かわいいかわいい、かわいいのゆ。ちいさいのゆ。山の中にいるピンクのリュックとピンクの靴の姿が目に浮かび、ずっとかわいいかわいいと、思っている。

運動会遠足おむつ問題、後日。遠足はおむつをはかせます。運動会はわたしがトイレに連れて行くし着替えもサポートしますがいかがですかと連絡帳にかくと、予想を上回る熱量で、おむつのお願いが返ってきた。曰く、学校で今の所のゆからトイレに行くという発信は全くない。先生が声をかけているが拒否することも多い。そして運動会は出る競技がとにかく多い。そんなにしょっちゅう声かけして連れて行けないかもしれない。支援級の他の子たちも、トイレの心配があり手が足りない。当日は通常級に混ざって演技をする。演技中に漏れてしまうこともあるかもしれず、そうなると周りの子もびっくりするし、本人も嫌なのではないか云々…

最後の部分は半ば詭弁であるともおもうわたし。もしこれがインクルージョンの視点を優先する教育現場なら、ある子どもが漏らそうが逃げ出そうが、見ていた子にはそんな子がいたという記憶になるだけのことで、そのことに負の意味づけが起きるかどうかは大人のサポート次第だとおもうけど、インクルージョンが最優先されている現場でなければ、そんなサポートは他の諸々の業務より優先してできることではなく、想定外の業務になるだろう。これがのゆが通う学校の現状だと言うしかないが、担任の先生の様子からは、そこに物申して理解を求めて行くとか、何かを変えていくとかできる気がせず、これでいいのかなあと思っていたところ、今日はグループレッスンを取っている療育先(U先生の校舎とは別の校舎の同じ療育先)で、皆が絶大な信頼を寄せる先生と立ち話で話して目からうろこ。もうどのみちおむつで行かせるしかないけど、そんなに気にせず割り切って、行かせようと思うようになったという出来事があった。これがものの5分の会話。すごい先生は、やはりすごいのである。

それは、わたしが詭弁だなとおもった下りについての話で、確かにのゆちゃんも、その場でおもらししてしまったとか、恥ずかしいとか嫌だとかいう思いはすごくわかるんじゃないかしら、という先生に、「もうむしろ、嫌な思いして治して欲しいって思うんですけど」とわたしが訴えたときの先生の返答で、「それがそうはいかないのよ〜!なにしろ忘れてしまうんだよね」と言うのだった。というか、因果関係がどこまでわかるか、ということも、なかなか測れないという。それはわたしには想定外のことで、そ、そういうことがあったか…と、いう感じであった。もちろんずっとわからないわけではない。この話をする時いつも念頭にあったのは、療育サークルのMさんのむすめ、ダウン症のある小学生のマリちゃんが、体育の着替えの時に遅い着替えをクラスメートに笑われてプリプリ怒って帰ってきた、という話だ。だけどその日から彼女の着替えは早くなった。今まだどれだけ親が言っても変わらなかったのに!と、Mさんは、笑いながら言っていたのだ。だから、わたしは、人の目にはそういう効果があるんだとおもっていた。いやな思いをしてもそれで行動を変えてくれるのではないかと期待もしていた。幼稚園でいくらおもらしをしても平気でいるのは、幼稚園は小さい子が多くておもらしも日常茶飯事で、笑われることもないからではないか、とおもっていた。でも、よく考えたら例の着替えのエピソードは、その子が4年生くらいの話であった。

嫌な思いをしたらそこから学ぶだろう、繰り返さないだろうというのは健常児子育ての、とすらいえない、おそらく、大人の思い込みなのだ。そのことにまったく思い至らなかったわたしは、そう気づいたとたんになにもかもが、違って見えた。人に笑われて嫌な思いをした。恥ずかしい思いをした。その原因が自分の行為であると理解できなければ、それはただ傷ついたということだけで終わってしまう。そういうことにはとても敏感な子たちである。なんなら学校が嫌になるとか、こどもの集団(通常級レベルの集団)が怖くなるとか、そんな影響が出たら元も子もない、のゆちゃんかなり警戒心強い方だからありえるかもしれないよね?と、そう言われたら、ほんとだなあ、そこから学びとることができないなら、むだな傷つきは避けた方がいい…と、わたしもあっさり、思ったのだった。一、二回おむつにしたところでトイレトレーニングが後退することはないよ、という先生の言葉に背中を押され、その日だけ(トイレに行く時間がないかもしれないから)と言い聞かせておむつを履かせて、楽しい1日にしようと決意した。わたしの前に怒ってくれたU先生も、5分でわたしの思い込みを払拭してくれたT先生も、わたしと一緒にのゆを育ててくれる、おばあちゃんずとも言えるひとたちだ。そしてわたしが知らずに抱えているいろいろな思い込みを、障害児教育のスペシャリストたちは、しばしばやすやすと引きはがしてくれる。それがあまりにエキサイティングなので、わたしは療育についての学びがいつでもとても愉しいのだとおもう。

きょうはのゆが5時間授業で下校が遅かったので、スクールバスの降り場でわたしが待ち構え、そのまま療育に行った。木曜日はU先生の個別療育で、年長の時から少しづつ、文字や数字や数の概念などを教えてもらっている。文字への興味は小さいときに一瞬出た後に消えたかに見え、療育先の先生が自信満々で薦める教材やメソッドを使ってもあまり入っていく様子がなかったけど、U先生の授業は初回からのゆはとてもノリノリで、大好きなのでなるべく休むことのないように優先して通っている。

母子分離なのでわたしは下の階の休憩スペースでつかの間の一人の時間、そこにある『3月のライオン』をあるだけ読んでしまったところだ。そろそろ終わる時間だと思い上に上がると廊下のトイレの前にU先生が立っていた。「あ、トイレ?」としぐさで聞くと、「そうなの」と言った先生はどことなくアンニュイな様子でこちらに来て(もともとそういう表情の先生ではあるのだが)、「今日、ランドセルあけて色々見せてくれたからちょっと連絡帳見ちゃったんだけど…おむつにしてほしいみたいなこと書いてあって…。」という。「わたしもうなんかいやになっちゃって、トイレの練習してたの。」と、言うのだった。その時の先生の瞳はなんだかうるんだようにゆらいでいて、ああ、この「いやになっちゃって」はすごく傷ついたときに女の人がつかうやつだ、と、身に覚えありまくりで、そのゆらぎに、おむつのこと以上にわたしは、気を取られてしまう。

とはいえ毎日おもらししまくってるわけでもないのにおむつにしろと言われたらそれは困る、そのままトイレトレーニング完成の道が潰えてしまうと慌てて連絡帳を見たら、わたしが遠足の日は親は予定を開けておかなくて大丈夫か、と聞いたことへの、「お母さんが待機する必要はありません。着替えだけが心配なので相談させてください」と言うお返事の、その続きなのだった、曰く、遠足や運動会など行事の時だけは手が足りないのでおむつにしてもらうことは可能だろうか、どう思いますかという内容だった。ホッとして、先生に、「行事の時ってことですね。遠足にわたしが予定あけておかなくていいか、問い合わせしたときに着替えのことだけ困ると言っていたから」と説明したら、「ああ、行事の時か…」と少しだけ納得したものの、先生は、「なんかねえ、人手が足りないとか書いてあって。こんな書き方するかしらと思って~」と、まだまだ、気持ちが揺れた様子でいる。「授業中にトイレに行きたいって言っていいんだよ、行きたくなったら、ハイって手を挙げて言うんだよってよく説明したんですよ。そしたらハイ、って言って、今行ったの。」と。勉強をきりあげてトイレの申告の練習をしたくらい、先生は、衝撃を受けたのだ。「トイレくらいできるのに。自分でなかなか言えないだけよ」と、そう言葉にはしないけど、先生は思っている。そして、この子たちのゆっくりな変化を待ってくれない学校の先生に、怒っている。

わたしのほうは、一瞬頭をよぎったおむつで毎日登校という悪夢は免れたことでかなりホッとしてしまったけど、それでも、U先生のゆらいだ瞳は、先生がのゆりが受ける扱い方で自身が削られるように痛んだり、怒ったりするのだということを伝えていて、帰り道にもなんだかそのゆらぎがわたしのなかで、反響してやまなかった。

とりあえずは遠足は承諾しようかと思うが、運動会はわたしがなるべく近くにいてトイレのサポートをしますと言い張ってみようかなと思っている。失敗したら着替えさせるし、タイミングを見てなんとかトイレに連れていくこともする。そうしたらおそらく、何も困ったことは起きないような気がする。U先生がわたしの前に傷つき怒ってくれたのだから。わたしは、のゆにできることを、するのだ。

のゆの迷子事件(というべきなのか、さっぱりわからない。本人は迷子だと思っていないし、こちらからしたらもはや失踪レベルの事件である)はその後もう一度起きた。土曜日、療育の帰りに駅の近くのスーパーで買い物をしていて、歩きたいというのでベビーカーは荷物置き場にして、のゆは自分で歩いていた。スーパーは棚があって見通しが悪いしことのほか歩き回る(走り回る)ので放ちたくはないのだけど、もうすぐ小学生だし(それは3月のことだった)ずっとベビーカーに乗せていられるわけでもないので、ぼちぼちという気持ちもあった。知り合いから「もつ鍋のもと」というものをいただき、初めて家でやってみるつもりだった。肉売り場にもつがなく、冷凍庫に冷凍もつを見つけてあれこれみていたら、すぐそばの棚の間で声がしていたはずが、振り返るともう、のゆがいなかった。近くの棚の間をぜんぶみたけどいなかった。スーパーの端まで行ったけどいなかった。ちょうど巡回していたお巡りさんがいたので事情を話して館内アナウンスをしてもらう。そこは一階建ててわりと店員の多いお店なので、アナウンスした時点で見つからなかった時にはこれはやばい、と血の気が引く。ここは駅側と反対側に加えてさらに左右に小さな出入り口がある。トイレも一か所あるので確認したけどいなかった。わたしは駅前の交番に連れていかれて、もうひとりの若いお巡りさんに同じ事情を話した。家に戻っていくかもしれないから家に家族がいるなら電話してといわれて電話したけど、そこまで歩いて行けるとも思えない。お母さんは交番にいてと言われたがそんなわけにはいかない、どんな隙間に入り込んでいるかわからないし、のゆの発想はお巡りさんよりはわたしのほうがわかるだろうし、探さずにはいられない。とはいえもうおそらくスーパーにはいない。本当に絶望的な気持ちで、10分くらいは経っただろうか。「お母さん、110番してください」と言われる。110番することで近くの警察に情報が共有されて捜索してもらえるのだそうだ。お巡りさんから要請するのではないところが不思議だけど何かそのほうが早いシステムなのだろう。若いお巡りさんとしてはわたしに交番にいてほしかったようだがわたしが頼むのでもう一度スーパーの男子トイレを見てくれて、わたしは110番しながらまた店内を探して歩いた。お巡りさんはあとからついてきた。震える声で110番の人と通話しながら、駅と反対側の出口を出た。出口の先は2つのちょっとしたスロープで、目の前は大きな立体駐輪場、何本かに分かれた道路と小道がある。店から出て家のほうに向かう道を見通そうとしたとき、まるで待ち合わせしていたみたいにのゆが、わきの小道から走ってきた。その時の光景は一生忘れない。わたしがさんざんお巡りさんに伝えていた「赤の上着」は着ていなくて、紺色のワンピース一枚で、マラソンでもするように腕を振ったいい姿勢で、勢いよく走ってきたのゆは、さすがに少し顔を引きつらせていたように見えた。とっさに抱き留めて、すぐに着衣を確認する。特に変わった様子はない。「いました!!」となったので、110番の人は電話を切りますね、と確認してくれて、電話が切れた。すぐに交番やスーパーに連絡して、一応、どこのひとも「よかった、よかった」となり(それしか言うことはない、ほんとうに)、一件落着ということになったのだった(交番的には)。

とはいえわたしとしては謎しかない。上着はどこ?というとわからないというし、どこにいたのかも謎すぎる。今までこんなことはなかった、公園の時はおそらくあおを探しに行ったという動機もあった。きょうはなぜ、どこに行ったのか、なにもかも、初めてのことだった。未精算だった買い物の清算をして、どこに行っていたの、と落ち着いて聞くと、まさかと思っていた、出たことのない小さな出口から外に出たと、案内をする。出たところには小さな店と、数台自転車が止まる場所と、左手に、古い外階段のマンションがあった。ここをのぼった、というのゆ。なるほど、のゆは階段が大好きだ。なんとも魅力的な建物だった。あとをついていくと上のほうに踊り場のような屋上のようなものがあり、そこで階段は終わっていた。植木鉢がいくつか放置されていた。建物は静かで人の気配はない。ここまできたの?というと、うん、という。誰かに会った?というと、ううん、という。それは幸いだったと思う。そうして、下まで降りると町のほうに小道をたどり、商店街になっているバス通りに出て、スーパーと平行にすすみ、最後にわたしと会った出口があるほうの小道を戻ってきたのではないかと思う道案内だった。でも、どこにも上着は落ちていなかった。別の道にも足を延ばしたけど見つからないので、もう一度交番に寄って改めてお礼を言い、上着の紛失届を出して帰った。もう二度と、ぜったいに、のゆから目を離すまいと思いながら。無事だったことにひたすら感謝しながら。

上着は後日警察署から電話があり、もう少し商店街を進んだあたりのマッサージ店の前にあったと届け出があったとのことだった。わたしがおもったより、たくさん商店街を突き進んだのかもしれない。だとしたらどうしてあの出口のところに戻ってこれたのか、ひきかえす、という発想がどこで起きたのか。不思議だけれど。これが、のゆ失踪第二弾だった。

さらに後日、行き慣れた口腔リハビリで摂食指導を終えた後、わたしと先生が話しているとのゆが先に部屋を出て行った。受付前のプレイスペースにいるか、受付には人がいるから外にはいかないだろうとのんきにしていたら、見事にいなくなっていた。わたしが行くと間の悪いことに受付の人は中で何か話し込んでおり、見ている人がいなかったのでこれはまずい、と、わたしは目の前の駅へ走り、駅員さんに、小さい子だけで改札を通るようなことはなかったかと聞いた。気づいてはいないけどずっと見てるとは限らないといわれる。そうですよね、と言いつつ、可能性は低いかと思い、外へでる。なんと、線路沿いの遊歩道を猛ダッシュで遠ざかっていくのゆが見えた。のゆ!と呼ぶと、満面の笑顔で振り返る。走る楽しさだけにあふれている顔だった。何の悪気も、ないのだった。スーパーを出て階段を見たら階段を上りたい!でいっぱいになったように、今はその走りやすい遊歩道を全力で走りたくて走っているのだった。

こうしたことがあるたびに何回も話したしきつく言いもしたし、迷子ということばは少しわかったような気がしたけど、何かにとらわれたらそれでいっぱいになってしまうという認知のあり様だけは、そうそう変わりそうもない。今までどこへいっても、その場からいなくなるとか脱走するというようなことはないと思っていたし、就学相談でもそう伝えてきたのに3月になってこれだから、学校でこの騒ぎが繰り返されたらきっと地域の公立では手に負えないと言われるかもと、目の前が真っ暗になる。一方で、幼稚園からいなくなったことはないし、わたしと出かけているときだけの冒険心である気もし、学校学校と言っているのゆは、学校というフレームに思いきりはまって楽しむのではないかというのがわたしの予想だったので、それを信じたい気持ちと、わたしの予想はあくまでも今までののゆの姿に基づいたものだという冷静な突っ込みで、こればかりは、考えてもわからないのだった。「わたし、がっこういく。ひとりでいく」が口癖だったこの一年ののゆ。「ひとりでいくから。ママ、こないで。」と毎日いうのゆ。幼稚園に行く道も、少し離れて一人で歩きたがるようになったのゆ。ひとりでできる、の気持ちが、何かの衝動と組み合わさると、失踪事件になるんだなあと、自立心の成長と危険の増大にただただ、無事を祈るしかないのだった。結局、かりんの時から使っているGPSをのゆの分も買った。エアタグも買ってみたけどとりあえずGPSをつけていれば事足りるので、休日出かけるときは服にそれをつけられるように、おっとが百均で、動物の形のポーチやら安全ピンやら買ってきたのを、服に着けている。少し重いが仕方ない。初日にポーチを開けて部屋のなかでぽい、とされて探し回って絶望的な気分になったけど、それ以降は一応、だましだまし、つけている。本人にGPSうめこみたいよね、というのはダウン症児を育てるママ友みんな言うことだ。あおはほんとにGPS必須だが、あおはまだ、迷子になればそのことを自覚するから、泣いていたり、助けを求めたりもできる。のゆは、おそらくなかなか自覚しないので本当に困る。嬉しそうにひとりで走っている幼児を、「迷子だ!」ととらえて保護するのは通行人にもむずかしい。そんなわけで、まだまだ気を抜けないのである。GPSを持っているのに、GPSはリュックについてて、本人はリュックを置いてどこかにいきました、では余計に後悔すると思うので、めんどくさくても服につけなおしている。そして今は5月。学校というものを全力であじわっているのゆは、おそらく学校からいなくなることはなさそうなので、GPSはランドセルについていて、スクールバスが学校を出たことを知らせてくれる。もう二度と、いなくならないで。ほんとうに、それしかない。生きていることは奇跡なのだった。一歩間違えば…を、無自覚に、姉よりも、まさかの兄よりも、多くくぐりぬけている、のゆである。