古本夜話1536 萩原朔太郎『詩の原理』と磯田光一『萩原朔太郎』 (original) (raw)

前回引いた第一書房のPR誌『伴侶』はモルナアル『お互に愛したら』にふれた後、次のように続いていく。「詩集としては『詩の原理』(萩原朔太郎著)の普及版は古い形容ですが、飛ぶやうに売れました。某師範学校の教科書に採用されたり、随分出ました」。

(『お互に愛したら』)

この『詩の原理』普及版は入手していて、奥付を見ると、昭和三年十二月初版千七百部発行、四年六月普及版発行とあり、所持する一冊は昭和五年五月第十版で、確かに「飛ぶやうに売れ」たことがうかがわれる。

第一書房と萩原朔太郎の関係は本探索で既述しておいたように、『詩の原理』に先行する昭和三年の『萩原朔太郎詩集』の刊行によって始まっている。その「萩原朔太郎詩集新刊に際して」という広告文が『第一書房長谷川巳之吉』に掲載されているので、それを抽出する。

(『萩原朔太郎詩集』) 第一書房長谷川巳之吉

惟へば長き歳月、われは幾多の迂余曲折を辿りて今漸く『萩原朔太郎詩集』の刊行に及ぶ。何ぞその歩みの遅々として迂遠なりしことよ。されどそは、芳醇無比なる美酒をその応はしき革嚢に盛らんが為の切なる念慮に他ならざりしなり。
幸ひなるかな。時機つひに至り、這般の遅疑は茲に金色燐爛たる本詩集となりて現はれぬ。これ年来の宿志にして我が詩集の装幀美はつひに確立せられたり。

残念ながらこの詩集の実物を見る機会を得ていないけれど、「総革金泥装三方金」で六円という高定価であるから、長谷川にしても、第一書房にとっても会心の「装幀美」を達成した一冊だったのであろう。そしてさらに昭和四年から十二年にかけてアフォリズム系『虚妄の正義』『絶望の逃走』、『恋愛名歌集』、『郷愁の詩人与謝蕪村』、詩集『氷島』、『詩人の使命』などを刊行していくのだが、これも『萩原朔太郎詩集』の刊行に端を発しているはずだ。

虚妄の正義 (昭和四年) ]

しかしどうしてもわからないのは、『詩の原理』が「某師範学校の教科書に採用されたり」して、「飛ぶやうに売れました」という長谷川の証言である。それは回想ではなく、リアルタイムでのものなので、勘違いや間違いではないだろう。磯田光一は『萩原朔太郎』(講談社、昭和六十二年)において、『詩の原理』に至る朔太郎の詩論は「大正デモクラシーと民衆詩派の台頭から詩の自律性をどう守るかという潜在的なモティーフを持っていた」し、全盛のプロレタリア文学に抗するものだと述べている。

荻原朔太郎

それは朔太郎が「序」で指摘している、民衆は文壇を見捨て、「詩的精神のある彼等の文学――即ち大衆文学」に走り、一方で「あの小児病的情熱の無産派文学」が台頭し、「あらゆるすべての事情が、今や失はれた詩を回復し、文学の葬られた霊魂を呼び起さうとしてゐる」。そうした大正から昭和初期にかけての文学状況に出版も呼応しているはずだ。だがここで留意すべきはこの『詩の原理』という文学概論的な理論書にあって、朔太郎は芸術の基盤を民衆に求めながらも、自らは民衆に阿る民衆主義者ではなく、秩序に反抗する自由な詩人として「逆に彼等を罵倒し、軽蔑するところの民衆主義者だ」と規定していることである。

そしてさらに『詩の原理』は原理論と詩壇や文壇への意識が絡み合い、奇妙な二重性を有し、「島国日本か?世界日本か?」というテーゼに至るので、壮大な徒労に近い印象を与えたとし、磯田は次のように結論づけていう。

詩壇の代弁者として理論を築きあげ、文壇に対抗しながら日本の詩の前途を論じたこの壮大な著作は、朔太郎の自負にもかかわらず、詩壇からも文壇からも、冷たくあしらわれただけであった。本文中の理論はともかく、奇矯な結論だけは、詩壇の人びとにはなんとも受けとりようもなかった。

ところが磯田はこのように書きながらも、「『詩の原理』は詩壇から抹殺されたにもかかわらず、一般読者からは歓迎され、やがて普及版が出るほど好評だった」と何の論証もなく記している。磯田の『萩原朔太郎』には第一書房や長谷川巳之吉のことはまったくといっていいほど言及されていないので、先に挙げた長谷川の証言をふまえてのものだとは思われない。おそらく普及版とその奥付の重版を見ての記述ではないだろうか。

ただこれは磯田の事情だが、彼は『萩原朔太郎』を連載中に、最終回を残して急逝してしまったこともあり、当然のことながら、完結後の加筆修正は施されていない。もし連載も終了し、単行本化に当たっての大幅な加筆がなされ、資料としての書影も示され、参考文献も付されれば、このような記述も修正されていたかもしれない。これはあえてふれなかったけれど、磯田は『詩の原理』の書下ろしと出版の背景に、馬込文士村に住む朔太郎と妻の稲子の家庭問題を見ている。そして磯田は当時誰も気づかなかったが、『詩の原理』が詩的比喩をもって書かれた『愛の原理』」の一面を持つとも指摘しているのだから。

なお馬込文士村に関しては拙稿「坪田譲治と馬込文士村」(『古本探究Ⅱ』所収)、「広津和郎と『改造』」(『古雑誌探究』所収)、『近代出版史探索』168などを参照されたい。

古本探究 2 古雑誌探究 近代出版史探索

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