古本夜話1545 戦前と戦後の南北社 (original) (raw)
前回、大岡信の「保田与重郎ノート」(『超現実と抒情』所収)にふれ、審美社の『神保光太郎全詩集』に言及したこともあり、当時南北社から『保田与重郎著作集』が刊行されていたことを思い出したので、それにまつわる事情も書いておこう。
昭和四十年代前半には橋川文三『日本浪曼派批判序説』(未来社、昭和三十五年初版)を発端としてであろうが、日本浪曼派と保田与重郎への注視が高まっていたようで、他ならぬ審美社から三号までしか出なかったけれど、『日本浪曼派研究』というリトルマガジンまでが創刊されていたのである。それをあらためて繰ってみると、南北社の広告も掲載され、『保田与重郎著作集』は出ていないけれど、「南北社現代評論選書」として、桶谷秀昭『土着と情況』、秋山駿『内部の人間』、外国文学研究者たちの季刊評論誌『批評』も刊行していたとわかる。
この南北社は『日本出版百年史年表』によれば、昭和三十年四月のところに「南北社創業(大竹延、1926.7.28~)文芸書その他出版、[昭和34.4.13株式会社に改組]」とある。また『全集叢書総覧新訂版』を見ると、南北社の『保田与重郎著作集』は全七巻別巻一で完結したようになっているが、私の記憶では数冊しか刊行されず、その刊行中に南北社は倒産したらしく、古本屋で特価本として出回っていたのである。そのために桶谷の『土着と情況』や秋山の『内部の人間』を読んだのは、それぞれ後の冬樹社、晶文社版によってだった。
この他にも南北社について言及すべきことは多々あるけれど、実はここで取り上げたいのは大正時代の南北社であり、戦後の南北社と大竹にしても、それを源流としているのではないかと思われるからだ。
その大正時代の南北社の書籍を拾っていて、それは『近代出版史探索Ⅵ』1140の吉田東伍『地理的日本歴史』で、裸本だが、菊判上製四七五ページの堂々たる一冊である。大正三年十月初版、十二月三版とあり、発行者は牛込区通寺町の株式会社南北社、その代表者は高橋都素武となっている。ただ入手しているのはこの一冊だけで、高橋の名前をここでしか見ていない。しかしこの南北社は多くの書籍を刊行していて、それは二十四冊の書影入り各一ページ広告にも明らかなので、それをリストアップしてみる。
1 | 茅原華山 | 『第三帝国論』 |
---|---|---|
2 | エレン・ケイ、本間久雄訳 | 『婦人と道徳』 |
3 | ニーチェ、安倍能成訳 | 『この人を見よ』 |
4 | メーテルリンク、大谷繞石訳 | 『知恵と運命』 |
5 | メラジコフスキー、桂井当之助訳 | 『人間としてのトルストイ』 |
6 | 片上伸 | 『生の要求と文学』 |
7 | 北昤吉 | 『時間と自由意志/哲学入門』 |
8 | 松本雲舟、原正男共訳 | 『ルソーの真髄』 |
9 | メーテルリンク、島村抱月訳 | 『モンナ・ワ゛ンナ』 |
10 | ワイルド、中村吉蔵訳 | 『サロメ』 |
11 | モウパッサン、前田晁訳 | 『誘惑』 |
12 | 徳田秋声 | 『別れたる妻に送る手紙』 |
13 | 加藤介春 | 『獄中哀歌』 |
14 | 永井柳太郎 | 『残飯』 |
15 | 本間国雄 | 『東京の印象』 |
16 | 松崎雙葉 | 『文部省要項準拠 礼儀作法精義』 |
17 | 尾島半次郎 | 『経験に基ける系統的書翰文教授法』 |
18 | 橋本弘 | 『和英対照英語の手紙』 |
19 | 早稲田大学十二学士 | 『早稲田生活』 |
20 | 全国各帝大大学士 | 『赤門生活』 |
21 | 江川薫 | 『南洋を目的に』 |
22 | 赤堀峰吉、中井治平 | 『家庭食物論』 |
23 | 田口鼎太郎 | 『明治皇后』 |
24 | 平岡敬一 | 『自由自在広告法』 |
(『別れたる妻に送る手紙』)(『赤門生活』)
これらの大半に書影が付され、またすべてに丁寧な長い内容紹介、「忽三版」といった重版状況も告知されていることからすれば、これは立派な「南北社出版目録」といってもかまわないだろう。
そこで念のために、『日本近代文学大事典』を繰ってみると、立項はないけれど、索引のところに高橋の名前だけはみつかり、その第五巻「新聞・雑誌」において、大正時代の南北社発行の総合雑誌『日本一』の編集主幹兼発行人と記されていた。そこで『日本一』は大正四年から七年にかけて発行された「大正期における日本自由主義の昂揚を背景に『雑誌界の新聞』たらんとした大衆向けの総合雑誌」として定義されている。
だが先に挙げた南北社に収録された「南北社出版目録」は『日本一』創刊以前に刊行されているので、南北社と高橋は先にこれらの書籍出版を試み、それなりの手応えを得たことによって、雑誌創刊にまで挑んでいったことになろう。しかしその後の南北社の消息はつかめていないし、戦後の南北社との関係もたどれていない。
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