1975~2000年ごろに聴いた曲の思い出を語る (original) (raw)
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子供のころ親の車にずっと置かれていたカセットテープがあった。
それにに入っていた曲が、
A面
1.飛んでイスタンブール/庄野真代
2.迷い道/渡辺真知子
3.かもめが翔んだ日/渡辺真知子
4.わかれうた/中島みゆき
5.パールカラーにゆれて/山口百恵
6.木綿のハンカチーフ/太田裕美
7.勝手にしやがれ/沢田研二
8.プレイバックPart2/山口百恵
9.花しぐれ/高田みづえ
10.陽かげりの街/ペドロ&カプリシャス
11.縁切寺/グレープ
B面
1.愛のメモリー/松崎しげる
2.ビードロ恋細工/高田みづえ
3.なごり雪/イルカ
4.時間よ止まれ/矢沢永吉
5.しあわせ未満/太田裕美
6.横須賀ストーリー/山口百恵
7.風を感じて/浜田省吾
8.ダーリング/沢田研二
9.Mr.サマータイム/サーカス
10.センチメンタル/岩崎宏美
11.20歳のめぐりあい/シグナル
曲順はうろ覚えだがこんな感じだったと思う。
11番目の曲は途中で切れていた。
車の中でいつもこのカセットテープが流れていたので、いつの間にか覚えてしまった。
1975年から1979年ごろの曲で、曲名と歌手がすべて一致したのは高校生か大学生のころだ。
そんな中で小さいころから好きだったのが、太田裕美の『しあわせ未満』。
まじまじと歌詞を見つめると自分の人生に当てはまっているところもあって不思議な縁を感じる。
20才まえ ぼくに逢わなきゃ
君だって 違った人生
白い夏 裸足の君に
声かけて名前きかなきゃ良かったよ
ついている奴 いない奴
男はいつも2通り
はにかみやさん ぼくの心の
あばら屋に住む君が哀しい
しあわせ未満 しあわせ未満
あー君は連いて来るんだね
あどけない君の背中が
部屋代のノックに怯える
水仕事 指にしもやけ
アパートも見つからなけりゃ良かったよ
棘のあるバラ れんげ草
女もそんな2通り
はにかみやさん 家柄のいい
もっと利口な男探せよ
しあわせ未満 しあわせ未満
あーぼくの肩で泣くんだね
陽のあたる人 かげる人
人間なんて2通り
はにかみやさん 面喰いなのに
もてないぼくを何故選んだの
しあわせ未満 しあわせ未満
あー二人 春を探すんだね
1977年1月20日発売
1995年9月からタカラブネという洋菓子屋の工場でアルバイトに行っていた。
それまでは郵便局で16時から20時まで仕分けのアルバイトをしていたのだが、大学4年生で卒業単位も取れて、まるまる一日働けるところを探した結果、タカラブネで9時から17時の勤務で働くことになった。
配属されたのが、材料を決められた分量に分けるラインだった。
ケーキ工場ならラクな仕事だろうと思ったのは大きな間違い。
数十箱の一斗缶に入っている卵黄の計量や、何キロもあるバターを切り分けたり、思っていた以上に体力を使う仕事で、しかも指導役のおばちゃんは相当厳しく、1日で辞めようかと思ったほどだったが、なんとか卒業までの半年勤務を続けることができた。
工場の昼休みが12時半から1時間あり、横になれる休憩室があった。
TVがあり、昼のドロドロしたドラマが流れていた。
その時のドラマの主題歌がこの『NEVER MY LOVE』 でほぼ毎日のように聴いていた。
ドラマの内容はまったく覚えていないが、この曲だけはインプットされた。
タカラブネはそれから8年後の2003年に民事再生法を申請し倒産した。
あのとき新入社員だった人はどうなったんだろう。
雨がやんだ黄昏に
静けさが 訪れる
さよならしか選べなくなる
傷ついた その涙
愛していても
(Can't you see my heart)
暮らしてはいけない
(Don't cry my love)
このさみしさ 許したら
明日までも失くすだろう
きみを抱けない
抱いちゃいけない
想い出もふれちゃいけない
なにも言わずに
なにも訊いたりせずに
悲しみだけを見送るから
忘れようとしてるのに
思いだす夏の風
瞳閉じても君だとわかる
好きだった その香り
優しい声で
(Can't you feel my heart)
名前を呼ぶだけで
(Don't cry my love)
戻れそうな 幸せが
心の中 よぎるけど
きみを抱けない
抱いちゃいけない
微笑みも見せちゃいけない
夢の続きをいまは追わないで
悲しみだけを見送るまで
(NEVER MY LOVE for you・・・ Can't you see my heart・・・)
いつかどこかできっと
誰かが優しさでつつんでくれる
夢の続きはきみにあればいい
涙の後の 微笑みに
1995年10月25日発売
『ホーリー&ブライト』の方が、「ガンダーラ」よりも明るい曲調で個人的にはこっちのほうが好きである。
ドラマ「西遊記Ⅱ」のエンディングテーマで、この曲に合わせて中国の情景が映し出される。
竜のモチーフ、日本とは違う建築様式の瓦屋根の建物、草原の遊牧民、砂漠。
当時は危険な国というイメージは無く、文化を大切にする広大な国というイメージだった。
自分が高校生のころは、中国といえば、日本より30年近く遅れている途上国だと思っていたが、この20年くらいで急成長。
アメリカに対して対等にものを言う国家になるとは驚きである。
遠い昔の話で 新しいこの星が
いま生れてぼくらの胸
清く照らしているよ
それはぼくらの心に
新しい地平線を
サァめざせと教えながら
強く輝いてるよ
闇を照らしているよ
(Shining holy and bright)
けがれない光りが
(Oh so holy and bright)
君だって見えるよ
きらめくその星が
Holy, holy and bright
A star is shining so holy and bright
Holy, holy and bright
Never let it go out of your sight
愛を失くした者にも
輝くよこの星が
いま流れる涙はもう
虹にきらめき出すよ
旅に出かける者にも
この星があるかぎり
もう迷わず君の道を
ひとり歩いてゆける
道を照らしているよ
(Shining holy and bright)
美しい光りが
(Oh so holy and bright)
君だって見えるよ きらめくその星が
Holy, holy and bright
A star is shining so holy and bright
Holy, holy and bright
Never let it go out of your sight
Holy, holy and bright
A star is shining so holy and bright
Holy, holy and bright
Never let it go out of your sight
Holy, holy and bright
A star is shining so holy and bright
Holy, holy and bright
Never let it go out of your sight
1979年10月1日発売
この曲が流行っていたころは小学校4年生で、なんとなくいい曲だなぁというのが最初の印象。
当然ながらそのころは歌詞の意味もわからず、成長するにしたがって、エロい曲であることが分かった。
作詞作曲は桑田佳祐。なるほど。
性に対して現代よりも開放的では無かった時代にずいぶんと攻めた歌詞だ。
ちょうどそのころ、ベビースターカップラーメンの懸賞でラジカセが当選した。
テレビに近づけてカセットテープに録音していたことを思い出す。
不思議な恋は 女の姿をして
今夜あたり おとずれるさ
間柄は遠いけど
おまえとはOK今すぐ
YOKOHAMAじゃ今 乱れた恋が揺れる
俺とお前の まんなかで
触るだけで感じちゃう
お別れのGood night 言えずに
ああ つれないそぶりさえ
よく見りゃ愛しく 思えてく
ただひと言でいいから
感じたままを口にしてよ
愛だけが 俺を迷わせる
恋人も 濡れる街角
港の街に よく似た女がいて
Shyなメロディ 口ずさむよ
通りすぎりゃいいものを
あの頃のRomance忘れず
ああ ときおり雨の降る
馬車道あたりで 待っている
もうこのままでいから
指先で俺をいかせてくれ
愛だけが 俺を迷わせる
恋人も 濡れる街角
女なら くるおしいままに
恋人も 濡れる街角
1982年9月1日発売
薬師丸ひろ子を本格的に聴くようになったのは、高校生の時に友人から「夢十話」のカセットテープを借りてからだった。
その透明感のある歌声に魅せられて、「古今集」「花図鑑」「星紀行」「ベスト・コレクション」「SENTENCE」「Sincerely Yours」「LOVER'S CONCERTO」「Heart's Delivery」「PRIMAVERA」まで集めた。
この『ステキな恋の忘れ方』は、映画「野蛮人のように」の主題歌となっていた。
昭和64年1月7日の午前1時ごろからこの「野蛮人のように」の再放送があり、テレビを見ていた。
映画の内容は忘れてしまったが、砂浜での爆発シーンくらいしか覚えていない。
そして最後にこの曲が流れる。
当時は、その日の放送が終わると同時にテレビに皇居の静止画像が映し出され、
「天皇陛下のご容態」として体温、血圧、脈拍、呼吸数などが発表されていた。
それを見たあと寝たが、翌朝天皇陛下は崩御された。
ということで昭和最後に聴いた曲がこの『ステキな恋の忘れ方』ということで私の中で印象に残っている。
青くたそがれた頃 恋に気がついた夜
街がキラメクまでに 早く 口づけを 遊びのように 終らせて
悪い大人の歌が あまく せつなく響く
恋がはなやかなうち 少し さみしそうに あなたのそばで 踊らせて
あなたに聞いて みたいのは ステキな恋の忘れ方
それとも愛は この胸に 刻まれたの?
遠く流されてゆく 今はささやいて いつものように 眠らせて
風が夜空を走り 星をちりばめてゆく
あなた 見とれてないで 強く抱きしめて 遊びのように 終らせて
あなたに聞いて みたいのは ステキな恋の忘れ方
それとも愛は この胸に 刻まれたの?
遠く流されてゆく 今はなにもかも 忘れるように 眠らせて 眠らせて
1985年11月1日発売
この曲は薬師丸ひろ子のデビュー作の映画「野生の証明」の主題歌である。
町田義人という歌手名ではこの曲しか検索しても出てこないが、「ズー・ニー・ヴー」というバンドでは、いくつかのヒット曲があったようだ。
生まれる前のことなのでよく分からない。
本人が歌っている動画があまり無くて、謎のアーティストというイメージを持っていた。
以前、夜のヒットスタジオに出演されていた動画を見たが、ニット帽に革ジャン、Tシャツ、ジーンズというクールな出で立ちで、とても50年近く昔とは思えないカッコよさがあった。
現在町田義人さんは、オーストラリアで彫刻家として活動されていて、在メルボルン日本領事館のフェイスブックにも登場されていた。
曲調も歌詞もすばらしく名曲に相応しい。
いろいろ人生を経験し、50歳を過ぎて聴くとさらに身に染みる曲だ。
ありがとう ぬくもりを
ありがとう 愛を
かわりに おれの生命を
置いてゆけたなら
男は誰もみな
無口な兵士
笑って死ねる人生
それさえ あればいい
ああ まぶたを開くな
ああ 美しい女よ
無理に向ける この背中を
見られたくはないから
生まれて初めて つらい
こんなにも 別れが
ああ 夢からさめるな
ああ 美しい女よ
頬に落ちた 熱い涙
知られたくはないから
この世を去る時
きっと その名前 呼ぶだろう
1978年8月10日発売
1971年発売なので私が生まれる前の曲。
シモンズの活動期間は1971年から74年と短く、ご存じの方は70代くらいではなかろうか。
私がなぜ知っているかというと、父親の車の中にカセットテープがあって、物心ついた時からずっと聴かされたからである。
家にはシモンズのベスト盤のレコードがあり、そのレコードの最初がこの曲だった。
メロディも歌詞も美しい。そして歌唱力も素晴らしい。
「ひとつぶの涙」「若草の雨」も名曲なのでおすすめしたい。
ちなみに明治チェルシーの唄
「ほらチェルシー、もうひとつチェルシー」
もシモンズが歌っていた。
恋人もいないのに 薔薇の花束抱いて
いそいそ出かけて 行きました
空はいつになく 青く澄んで
思わず泣きたく なるのです
恋人もいないのに 薔薇の花束抱いて
これからいったい どこへ行くの
風はいつになく 意地悪そうに
つらい質問 するのです
薔薇の花束 胸にいっぱい
いそいそ出かける 想い出の海
白い波間に 花びらちぎって
恋に別れを 告げるため
恋人もいないのに 薔薇の花束抱いて
いそいそ出かけて 行きました
海はいつになく 涙いろで
哀しみたたえているのです
ラララ……
1971年8月5日発売