ogthern-islands’s blog (original) (raw)
地球型生命というより、生命全般という関心を置きたい。
現状、ヒトが表現したり、認識したつもりであったとしても、傍からの視線からの把握のようなことは成り立たせている、という辺りを前提にしてしまえば、それなりに生命イメージっぽいのは、想定しておけそうだ。
ウィルス知見が意外性を帯びるように、その想定自体が、時々の知見の制約以外にも、ヒト観念系ならではの勘違いの類を潜り込ませて、頼りない把握の状態にさせがちだ。
一応、そこらは押さえつつ、先へと急ぐ。
地球型としてある程度整理しやすい多数派と少数派に分類できたりが可能になる程度には、長年月を経て、その‟成果‟についてつい語りたくさせてしまう。
けれども、経路自体が地球型を示すような落ち着き方を誘(いざな)っただけで、この先、地球型っぽく落ち着くのか、それとも・・のように想定なり過程なり可能性を探る方向性として押さえられた方が、よりきっかけの時点を捉える時に相応しい、と素人老人は考えたくなる。
ヒトが幼い世代を見つめて、この先どうなることやらで、期待とともに、多少は心配してみせるのと似ているようで、とんでもないくらい異なる事態と見なしておきたい。
とにかく何モノになるのかさっぱりわからないけれど、記憶の可能性皆無のようにしてそれがある動的だけど静止系と出くわした後に起こる。
起こるのか、起こり続けている半端な状態がたまたま出来立ての地球と遭遇するとかの話になるのか、そこらも生命へと結実するはずの事態にとっては、より厳密に描写できた方が、話はよりわかりやすくできそうだ。
生命のそれぞれを分類できるし、構成についてのでき方順とか色々整理整頓されたりもして、そういう方向性こそ生命の大元(大元)の作動因だとかで、その原因となるDNAとかの構成要素を探ろうとつい、うっかり誘われがちにする、とすれば、の素人老人からの異論に過ぎないのだけど、どうにでもなる過程の中の初発の状態を想定する場合、どこでも、生命系のなんらかが発動して生き延びる中で、環境との対話に応じた形をなすようなことは起こりうる、と見なせた方が、宇宙相手に、地球型生命のみが唯一だ、という説以外の立場を採用するなら・・ということになるわけだけど、よりすんなり腹におさまりそうな仮定のはずだ、と素人老人ゆえキッパリと投げかけてみたくなる。
だから、地球型のうちのなんらかの形態をもたらす因子探索も確かになぞ解明の動機となるだろうが、それは、ある脈絡において、たまたま地表面現象の中にさらされてその繰り返しが都合よく生きながらえさせてきただけ、とシンプルに押さえておいた方が現象を押さえる、という脈絡からは相応しいように(素人老人的には)思える。
素(元・基)性探索と勘違いさせやすいので注意が要る類と一応押さえて探索できた方が、迷い道に入り込まないで済ませられそうに受け取るのが素人老人だ。
とろけ合っている細胞以前は当然ありえておかしくないし、細胞化にしたって、たまたま地球型の場合だったから、というような押さえ方をどこかに置いておける方が、思考をより挑戦的・ないし慎重にたどりやすくしそうだ。
この地表面上の癖が、生命全般との対話の中で、生命の世代交代を取らせたことも含め、相当に似たり寄ったりの癖を付けさせてくれている。
養殖、家畜の利用は、だからそこに環境からの条件付け作用のなんらかを読み取って、ヒトの活動、ヒト自体にいかなる作用として中長期には、結果を表し始めるのか、程度のことは試行錯誤の一つ一つについて考察し尽くしておいてもおかしくない、という辺りも導き出せそうだ。
ここらは、現食物連鎖知見の全体的制約的理解とも相当に重なってくる。
古(いにしえ)の現日本域の列島に移り住んだ肉食系の人々のような食い尽くしはご法度だったと振り返れるだけでも、現代の知見を応用できたことになりそうだ。
日本に移り住んだ先祖はどこそこから来たとかで自慢したがる脈がいたとして、決してほめられるものではない程度は、どこそこ説が本当か、嘘かはともかく、押さえていただきたいところだ。
途中からの大勢としては馬を乗りこなす(だから小柄系が多数派の可能性あり)広く扶余系の人々が、その素質を今日までもたらして、体操のような何でもこなす身体を、サーカス技の凄いのをこなせそうな身体を、制約のおおい現代の列島環境においても披露されている。(馬とか牛とか)動物とご一緒の住宅生活を長年月続けても絶滅することなく今日を迎えている(常在菌課題)。
余談だけど、野球と切り離して、キャッチボールを話題にできるなら、勝敗にこだわれて動機に熱をもたせるスポーツの類とは違って、とにかく相手がとれないようなことをしてキャッチボール自体を中断させてしまうようなことが失敗と意識出来ている状態でそのやりとりを楽しめるアクティビティの類と押さえて、だれが発明したのか、その考え方の継承は?とかこの今の瞬間的思いつきに過ぎないけれど、これを書いてから、ネット上の知見を探りたくなった。
テレビに住んでいるわけではない老人だけど相変わらず、半身まひ状態にも関わらず、テレビ三昧。
日曜日の午前から昼頃にかけてはドキュメンタリー番組がBS系では上手に配分されて放送されている。
幼い子供を激しく揺さぶると、頭に出血しての溜まり場所ができたり、脳に傷がついたり、症状は様々だけど命に関わるようなことも起こってしまうようだ。
だからその行為自体が現代の社会では問題視されていて、SBSという捉え方で、犯罪扱いになることもあるのだそうだ。
SBSは明文化されている公務系が関われる分野だ(福祉課とか警察とか)。
そこで、事故だったかもしれないし虐待ゆえだったかもしれないしの辺りをめぐって、苦労されている家族が現列島にいらっしゃることを報じている。
テキパキ系の仕事ぶりを伺わせるので、一方に子供虐待事件のひどいのがニュースになったりすることを、普通には、訝(いぶか)しがらせるその対処、仕事っぷりと素人老人は見た。
値段を上げてでもとにかく営業成績を良く見せたい、という誘因が働きやすいように、公務系だってチラッと視線を配る諸氏の方が圧倒的と察する。
民間も仕事の管理ノウハウを‟進化‟させてしっかり管理の下に置かれやすいから、同様の事態を分かち合っていそうだ。
すると調査とか実情探索に不必要かもな心配を自らの思惑として生じさせない程度の現代風範囲の中で大局は動き始めている。
テレビドラマの捜査ものでも、形式的には間違っていない捜査が成功することもあれば、勘違いから犯人をとらえ切れない間違いを犯したりが描かれ、はみ出し者の刑事が無駄骨と形式的整合性を試行する捜査部門からは煙たがられたり、貶(おとし)められたりしながら、実情を徐々に探知できるようになり、やがて、犯人にたどりつくような描かれ方をされがちだ。
だから素人老人はテレビの影響大の先入観を溢(あふ)れさせているのだが、要点は、実情をしっかり調べつくせる関係者諸氏との関係性における浸透度合いを上手にこなせるかどうかだ。上手でなくてもかまわないし、そういう軋轢を経て、の方がドラマの方では感動を呼びやすい。
現世の中において、一方に子供とかへの虐待とかいやがらせの無理強いっぽいのが放置されて、被害を生じる一方で、法治のための文章が、拙速(せっそく)かもの事態も生じさせて、この表向きの事象の対立軸で語らせてしまう気配も無きにしも非ずだけど、素人老人的には、理念的公務系と実際の現場を担う公務系における困難が場面と受け止めさせる。仕事っぷりだけど、働きすぎを見せびらかした方がた手までだったとしても良し、ということを言いたいのではなくて、仕事っぷりの方だ。わかりにくいかもしれないけれど、そうことばにしておきたい。
WEの女子サッカーでは大阪チームとベレーザチームとが、若者チームだ。
やっと大卒程度の年代かやっと会社勤め系社会人慣れしかけた年代が主な構成メンバーだ。ベテラン、中堅でもやっと30代、その上だってやっと40代なのだから、スポーツの世界は独特、とも言えそうだ。
大阪チームがベレーザチームのようにボール奪取圧を90分間相手チームへ向けて働かせ続けられるなら、若手チームがベテランらしいゲーム運びをされても、加圧の面で、五分に抗させるようにする。
同時にDF系が組織的にも、臨機応変にも活発状態でいてくれれば、MF・FW連携が得点機会を作って相手チームが防戦という向きをどうしたって避けにくくする。
そこに気持ちの上で、若者チームにとってはちょっとした余裕をもたらしそうだ。
そこらを既にこなすベレーザチームであっても、ボール奪取圧をフルに使いこなす姿となった大阪チーム相手の場合、相当にてこずることになる。
ベテランチーム相手となると更に、90分間気が抜けない事態を、若者らしさが不可抗力要因とさせかねない。
そこを、ある程度、臨機応変、即興的仕掛けを忘れないことにして、組織だって、きっちりの部分を余裕を持ててないなというような場面で、では、と採用して、急場を凌ぐような便利ツールに常用できるようにしておけば、持ち前の技量と、2022年U-20女子ワールドカップのトライアングルパス連携とボール捌きの仲介をこなす山本選手の組み合わせの再現以上がスタジアムのグリーン上に生じる。
つまり、山本選手以外でもトライアングルでのオフト連繋タイプ(シュートへと誘う緩急自在のパス回し=だれかが必ずパスコースを作るために緩急応用で動いているしシグナルを送っている)をこなして、ボールを進めていることが欠かせそうにない事に気づける。そこの山本選手が介在してパスを渡す役もこなせるし、即シュートという場面も期待できる。更に、パス連携の動きを並行的に瞬時観察できる選手が途中割込みでパス連携かシュートのためのパスの受け取り役をこなすことも無理なく可能の動態がそこに生じている。
多少の余分な消耗を誘うから、この系統でしか抜き切れない相手の圧が厳しい場面で有効に使いやすい(技とスピードと圧の三段重ねを想定できるスペイン女子チームを思い浮かべてもらいたい)。
ワンタッチパス連携の発想の中身として、一度、二度であとは他人(ひと)任せで動きをおさめるようでは、機能しないから、三度目、四度目くらいの長丁場も想定して、動き続けて、ボールをシュートできる状態へ誘う意欲と想像力と観察眼が欠かせそうにない。
そしてもたらされたボールを引き受けるタイミング、位置取りの冴えを披露するだれかも欠かせない。自分に今!よこせば得点するから、くらいの意欲的な動きが、パスコース感知アンテナに信号を瞬時送る。
際どいプレーの応酬場面でもあるので、見惚れるよりは、DF的位置の選手たちの動ける準備の仕方が、とてつもなく、万が一に有効になる(恐らくどの選手もが相当に観察アンテナを機能させ‟合って‟いる)。
若者たちのチームということでは、ゲーム展開中色々な圧に翻弄される。
そこを、怪我をしないようなことも含めて、工夫の方で逆に相手の気持ちをそいでしまうくらいのちょっとした手品技をも駆使して、一人、また一人と抜き去るなら、相手チームがベテラン構成であるほど、落胆を誘える。ショートも、ミドルも、ロングも精度を欠くようだと、なかなか、思うようにことを運ばせにくくする。ベテランは頭を使って相手の落ち着いての思考を邪魔しまくる。中堅は、体力に物をいわせて、体当たりほかで、慌てさせる方で仕掛けてくる。そこをかいくぐって、抜き去るパスなりドリブルなりの工夫の積み重ねは有効なボディブローに似る。
パス連携ごとに一点取れれば、二けた得点はいつものことにできるけれど、相手チームが90分間ボール奪取圧を駆使してくるようになると、パス連携の質の改良は体力消耗も伴わせそうだから、二けた得点ということは多少遠のきそうだ。
川柳もどき
局所的な戦争が武器の闇市場を形成しやすいそうだ
派手にニュースになる戦争が終わって、各地に
協力のつもりの武器が闇に流れて・・・
そんなことがばれた場合
素人観点は、協力の下受け取るはずのところの最高責任者
が責任をとることにしておけば
闇市場があっても、一定の歯止めにはできそうに
思えるが、事情通諸氏の話を見聞したい
いつかどこかで好条件で働ける職場が出来て、そこへ人手が殺到して受け入れられたため、他の職場での人手不足が生じて、それら人手不足の職場では賃金をアップさせて人を集めようとすることになったものの、その費用は馬鹿にならず、製品価格を上げることでそこらをカバーするか、となる。たまたまその地域では、それら上昇した価格の製品に依存する生活が基本だったし、代替品が入手しやすくもなかったので、一方に高物価をきたした。
それはローカルな現象に過ぎない、とひょっとしたらやり過ごせそうに受け取らせる。
けれども、それが大局を動かすほどの規模で生じた場合を想像してみてほしい。
その時に、たとえば日銀等中央銀行の金利を上げて物価を下げさせろ、なにしろ、中央銀行は物価の番人なのだから、とかの理由付けで、人々は納得するだろうか?
余程の先入観をあらかじめ仕込んでおかない限り、そこらは、まず無理!とドが付く素人で、本格的な老人であっても、指摘できるように想像する。
USには、小国の予算規模の個人的巨富を生じさせるほどの、実際に有効な支払い能力を溢れさせているのが実情だ。
賃金上昇については、経済の学からして、物価の上下動とは無関係に上昇を生じさせておかしくない。
一方で、効率を上げて、だから、その含みとしては、時に!人手減らしによる、人数当たりの生産性上昇ということが、一人当たりの賃金上昇に貢献してしまうという(ヒトの集団的営みの工夫の積み重ねの歴史を振り返れるなら)見当違いなことも正確に起こさせたりする。
たまたま当面は人手を減らさない効率上昇面のみを受け入れる形であっても将来の状況次第で、その効率面が含ませている余剰について、時が時だけに・・・とかで退職をもとめられるようなことも起こりがちにしてきた。効率改善に向けられるヒトの積極的な働きかけをある意味"裏切って、しょぼくらせる"類の現象を伴わせがちにしてきた。
だから或る日本国とか今時でいう結合の単位において、その全体における整合を出来る限り試行しながらこぼれおちる過程での出来事を掬(すく)い取る工夫も欠かすことなく、つまり経済の学のいう摩擦的事象を諸々の制度的補完によって克服することも欠かさずに、効率化がもたらす他へ人手を回せる余裕という事態をいつでもすみやかに解決していくことも大事な事とその昔からヒトは想念くらいはしてきたことをいつも忘れたくない、と素魚tだけど本格的老人は同じくらい想念してしまう。
ところで、またも、女子サッカーだ。
男子サッカーの現状については、各土地柄でのトップチームの試合を見ていれば(少なくとも列島環境では、世界各地のをネット経由で見る事ができる条件が揃っている)色々気づかせる。
BSテレ東月曜のごく早朝のサッカー応援番組で、たまたま紹介された内容が、素人老人には参考になった。
動機の強度を保つため、欧米系のサッカークラブでは、生き残り作戦を採用している。
クラブチーム傘下の育成年代組織では、必ず数人は落とされて、次の年代へは進めない仕組みが採用されている。
その何段階かを経た選手達がトップチームを構成している、というわけだ。
だからか、今時のスペイン系以外の欧米のトップチームのサッカー選手が得点した時の、不満をために溜め込んで、それを一気に吐き出した感を彷彿(ほうふつ)とさせる喜び表現の瞬間は、ハイライトシーンを含めて、今時のサッカーファンにはお馴染みになっていそうだ。
田舎育ちのリズム感から素人老人には、楽しそうしているとはちっとも受け取れなかったりする。
その点、列島版女子チームは、ありがちなヒト現象のことは一応老人ゆえ踏まえさせてもらうが、そこらはいちいち口にすることもないと察するので、その情景としてのなごやかさ、と試合での相手チームへの厳しい対応(時に思いやりのある対応も欠かさないのだけど)など、ヒト的全体表現を忘れていいない、忘れたことにしていないスポーツ表現と芸術との接点を、今のところ、未だ素人流に指摘させてもらえそうに受け止めていたりする。
溜め込みに溜め込んで、それを一気に吐き出したくさせるノリに追い込む手法は、スポーツを貶(おとし)めかねない、と見る次第。
経済利害と上手に付き合いながらだから、マスメディアの現状のようにスポンサーとの付き合い上の様々を招きこむ事情も素人の想像以上とは空想できるけれど、そこらへの将来的展望からの試行錯誤も今からはじめておかないと、既知の問題群を引きずったままにさせかねないあたりは、業界の上場通諸氏のベテランが関わりうる余地大、と素人老人ゆえ、見てしまう。
すなおに、喜べない、やったね!ってな感じで気楽に喜べないとしたら、なんと残念なことか。
そこらは女子サッカーが未だ保ててそうに日頃の試合を見ていて感じているのが素人老人。
ノリの同調化からむしろ男子サッカーの"喜び方"こそ、と勘違いされているファン諸氏も大勢いらっしゃるとは思うけれど、それこそ、子育てしつつ、子供達が素直に喜怒哀楽を表現できている様をちょっと距離を置いて眺められている自分達を空想したりで、多少は気づきの方を誘ってくれるかも、など余計なお世話の一言(ひとこと)も老人ゆえ、つい口走ってしまう。
川柳もどき
たまたま地元のカラスたちが、寝床の森
がどこかははっきりしないのだけど
かなり遠くの河川敷の草地に出かけて!
そこで餌をついばんで、定時の帰宅時間が
くると
そそくさと一羽、二羽・・・と飛び去っていく
カラスたちはあたかも
夕焼けこやけの歌を覚えている(はずはないけれど)か
のようだ
ついでに申せば
カラスは、地べたを這うヒトの姿を振り返る
普通歩く、だろ!とカラスが異常を察知したのか?
そうではなく、歩く姿を素人が這うと表現してみたかった
だけ
なのか
ごくローカルな領域において相対的な行為として購買力を恣意的に上昇させて、相対的有利な境遇を得る、ということは起こりうる。
そしてそれは追々、無理を引き受けることになる場合もあれば、言葉のたとえとして、‟騙し‟続けられるような場合もありうる(多くがある趨勢に乗せられているような場合、の持続性をたまたま確保されるようなことも起こる)。
国際貿易関係においても、相対的購買力を動かす思惑は、各地の事情に応じて生じさせやすいともいえるし、学術系の発信次第ではメインストリーム自体がそこらを制御する心構えができていることもあれば、逆に働くこともありそうだ。
博打で得た‟支払い能力‟が(ロンダリング過程を経て)実際に通じる現金なりの支払い能力として機能してくれれば、本人諸氏にとっては一方的に好都合そうだ。
世の中的には、一体経済的要素としてどう関与しているのだろう。
とにかく購買力としてはプラス要因だ。生産の雇用とかサービス提供の雇用とかと濃密に関わって生じた購買力とは大分違ってそうだ。
さて諸物価高騰なのだが、専門家諸氏も異論を発信されてきたように、コロナ騒動以前から着実に少しずつ上昇させてきたことは素人の経験も踏まえて、散々指摘させてもらってきた。
ただ、物価と賃金の好循環的上昇イデオロギーを振りまく趨勢を近時生じさせて後(のち)、便乗的物価上昇圧は列島においてはとりわけ激しくなったことも今現在のことなので諸氏においてはかなりの印象と察するのが、素人の老人だ。
更に、物価が上がったのだから、でそのイデオロギー趨勢は、単純に、「じゃ、賃金を上げろ」だね!という感じのメッセイジ性を帯びさせているから、素人老人的には一応、やっかいそうに映る。
その物価、どうして上がるわけ?とはならないで、いきなりの辺り。
営業利害上、値上げは実に昔からシンプルに、上げられるものならすぐにでも類で来ている。動機の方はその昔からたっぷりだった。
そこで、便乗値上げの類は一般からも注視されて、思惑は思惑でとどまらせてきた。
が、どういうわけか、慎重に見えた首相がなんと、そこらの制御を外すことばを乱用し始めた。そして一年か二年もたつと、トンでもないことになってしまっている。
生々しいことだから、今証言はしてくれないかもしれないけれど、近い将来、是非、そこらの裏の囁き勢力の辺りを、元首相氏は率直に明解に証言に晒してもらいたい気がするのも、やはり老人で素人だったりする。
経済規模の問題と物価の上下動でのそこらと関わる幻の辺りを実質とかの言葉を潜り込ませて錯覚に誘うことばの膨大量は、素人老人からすると困ったことのように感じてしまう。
話の向きは相当に移ろわせてしまうことになるけれど、"日本国"を目指したメインストリーム人脈諸氏には、後々の浄土志向・思考人脈にいらっしゃった。
一応「浄土」概念について辞書の説明を引用しておきたい。
三省堂新明解第六版から(p715)(以下引用)
〔仏教で〕仏・菩薩(ボサツ)の居る清浄な国土。〔狭義では、極楽浄土を指す〕
(以上引用)
角川新字源266版から(p574 中段)(以下引用)
煩悩ぼんのう・迷い・罪悪などのないきよらかな世界。如来のいる国。
極楽・極楽浄土
(以上引用)
対比的に、列島の東西を安定的に治めはじめて発音上‟エド‟を築いた。沢山の寺社もあるけれど‟エド‟にはちがいない。エやドの発音が、共通しているかどうかの検証は要る。 純化的に、人々を糾合しようとすれば、無理がどうしたって出てしまうし、そもそも論がついて回る。だからか、というのは近現代の知見の豊富さと浸透の状態を踏まえての発想にすぎないとも思えるが、事態への接近度合いはいつだって同じようなバラエティを生じていたはず、と押さえられるなら、地表面各地での中央集権をめぐる未だに落ち着かせ得ていない試行錯誤の様を考察する場合、それなりにヒントに満ちてそうなのも、列島の特徴のようについ思いたくさせる。
近現代へ向かわせた欧米勢力の戦争圧以前からそれなりに激しく争う中で弱い女子を救えで、縛りを効かせすぎてきた現イスラムの原理発想の脈々へは、列島発想をそのままヒント発信というわけにはいかないけれど、やはり縛り過ぎて、女子たちの可能性を抑えてしまっている辺りは欧米と比べてとかの話ではなく、男たちの自在さとの対比において、戦争モードのことは棚上げした場合、指摘できそうに遠くからは思えるので、列島での経験もそれなりに多用はヒントになるように察する次第。
原点に戻って落ち着いて思考の試行錯誤にさらせるならば、女子が男子をうっかり刺激しかねない辺りは、動物の世界にヒトを置くだけで、ごくごく当たり前の事態と映っておかしくない。ヒトを動物の世界と見なすなとか、その当たり前に思えてしまうこと自体が問題なのだとかのノリもありえないわけではないけれど、今時の知見をより多くの諸氏のおいて踏まえられる条件を押さえておけるなら、素人のただの思いつきとするには無理がありそうに思える。
とにかく性差を持つ動物系のヒトは、交わって子孫を残してきたし、刺激的ちょっとした過程を経る方に激情的に誘うその過程を上手に受け入れてきたし、上手じゃない場合も相当に経て、各人における人生上の軋み体験のようなことも経させてきた。
そこに素人老人発想から戦争モード圧が追い込む過剰な女性の閉じ込め圧を指摘して、現状打開のなんらかの道筋を当面する各土地柄で工夫し合えないかなど、投げかけてみたわけだ。
一方で、商業理解+政治思惑利害が性差の激情要素を応用して、刺激的に使いこなす方でテクノロジーを発達させて、若者たちをより翻弄してきたことも事実だ。
"賢く多量に消費してくれる"若者たちに育てて、経済の営みに貢献してもらうタイプ。
だから世界の浄土志向・思考・嗜好の人々においては、特に女子に関心を向けやすい男子なり女子なりの大人勢力がそこらを制御にかかろうともしてきた。
そこらについては、多くは生き物としてのヒト性から、制御を働かせて、バランスを保たせるものの、少数として出現する受け止め失敗例を困った方で生じさせやすい、と見なせるように素人老人は押さえたい。
少数だから事態を流しておけ、では済まない辺りは、フランスのマルセイユ辺りの麻薬騒動の酷さニュースに毎朝ふれられるだけでも充分と思えるがいかがか。
各地の土地柄に応じた純化発想が、少数であっても無視しえない暴走を生じさせ、それは世界の諜報系調査利害とも重なって、酷い現代的事態を繰り返させている、とSF的には指摘しておけそうだ(映画12モンキーズのシンプルな実相と思惑上の深刻度合いと)。
列島版女子サッカーはどんどん面白くなっている。
局面的には新たな可能性も出てきている。
たとえば、素人の老人は大宮のベントスチームで新たに活躍を始めたなでしこリーグで大学生として試合を積み重ねてきた若手選手たちの連繋(れんけい)プレーとか個人技、競り合いでの積極的関わり方技法など紹介させてもらった。
現状、WEリーグだけではなく、個人技をしっかり身につけている世代が、なでしこリーグでもゲームを堪能する形で技(個人やチームでの)に磨きをかけておられる。
たまたま今は、日テレベレーザチームがダントツに個人技と連携をこなせていると見なす素人老人だけれど、来年になって更にWEの構成チームの編成に変化が出てその中で育成が続くのだから、今の日テレベレーザチームのままならば直ぐに追いつかれる、とベントスチームへの応援の脈絡から指摘したくさせる。
ボール奪取圧がボール確保の後、オフト式‟パス連携とシュートで終わる過程‟を動機にしていることから、選手たちの身のこなしも含めゲーム展開を面白くさせてしまう。
それをより多くのチームにおいてこなせるようにする個人技量が集まってくるわけだ。 だから今年のように2、3日を間に試合をこなさせるようなリーグ試合のスケジュールは採用しないことだ。ゲームを見せることで成り立つ、という辺りをちょっと意識できるなら、過密なスケジュールはこなす選手諸氏であっても思わぬ怪我の要因をずっとひそませ続ける。それではまずい。興行のプロ発想が要る、と素人老人なので勝手なことを言ってしまう。
日テレベレーザチームには、ある種の即興的自在な連携と同時に、確実にシュートを決めていく道筋込の(数えられる程度の量の)戦術のより具体化が欠かせそうにない。技量が揃って、面子もそろって、リーグ期間を持てるのだから、先行してそれをこなしてしまえば、現有利な位置をまたもや保てそうだ。
じっくり我慢の試合をこなす(つまり圧をじわじわ90分間かけ続けられる)ベテランっぽいゲーム展開をこなすチームは浦和チームだけではなく、いくつか出てきて、そこらが現強いチームとなって結果に出ている。
けれども、一方で、たとえばゴール前にびっしり見ばえなど考えずに陣取って、得点はさせない!!!とかの守備固めチームが強いか、と言えば、そこらをサッカー技は簡単に崩してしまうわけで、どうってことないわけだったりする。
運動量と見ばえを兼ね備えるたとえばオフト式のパス連携+シュートの演出は、その中身の色々手法を想起できるだけで、未だ未だ発明、発見の数々を控えさせてそうだ。
そこらへ向けての新世代の準備は万端だし、体がそれをこなしきるようなタイプに育つまでのつなぎは現中堅、ベテラン世代がこなしてくれる。
U-17女子ワールドカップの試合では、日本女子代表チームの中においてすら、試合進行中の状況把握(それゆえの動作判断とか)の必須について、状況への目配りできている度合いが選手によって大きく違ってそうだった辺りはスタッフ諸氏こそがより気づかれてそうだけど、たとえば、メニーナ系の選手が上手だったり失敗だったり(ここらはベテランの上達した選手諸氏だって起こりうることだ)してもしっかり状況把握しようとする向きを失っていない辺りが、ベレーザチームの選手層の複数チーム可能性を指摘させたくする一要因かもなど素人老人には想起させるけれど、そのちょっとした注意を欠くだけで、今時の各国U-17世代女子サッカーチーム連携は、隙をつく形で得点機会にしてしまう。
そこらは、スタッフ諸氏からのちょっとしたヒント発信で若者に刺激となり、糧とするはずなので、早すぎることはないと素人老人は踏まえて、是非、様々なケースバイケースの貴重なノウハウ、身のこなしについて若い世代へ伝えてもらいたい気がする。それは、これからのWEリーグにも必ず響く。
川柳もどき
神経性の電気刺激っぽいのが走る
とはよく言ったもので・・・
ほぼ半身まひの寝たきりを楽しんだかどうかの老人が
なんとか回復して歩き出した・・・ようだ
元気そうで、動けないで、フレイルに陥って・・
のような施設の老人諸氏へは、大変な具体的工夫が
要りそうだ
台風21号は、"台風の目"が意外にもろく形をくずした。
予報の2日早朝版では関東圏17、18時間帯に強めの雨降り(20㎜にほんの少し足りない程度の雨量予測)とあり、雨天決行のサッカーではあっても、かなりの状況が予想された。
実際どうだったか。
前半の終わりころにやや強めの雨が降り続くも、その後小雨が断続的に降る感じで、ただし見ている側としては冷え込んできたのが気になったけれど、試合の展開が両チームの運動量に支えられて大いに盛り上がった。
17、18時間帯の予報も帰宅のファン諸氏においては幸いして大幅に外れてやっと小雨程度でおさまった。
老人は寒がる。と言っておきたいところだけれど、ファン諸氏の中には、半ズボンや裸足(はだし)スタイルの諸氏もおられ、しかも多少の年齢の重ねを見て取れる姿だったりするから、素人老人にとっては、老人は冷たい雨の場合寒がるもので、寒がらない老人諸氏は例外程度に受け止めてもらいたい気がした。
さて悪天候にも関わらず、老若女男諸氏が盛んに応援に加わっている。
この日の試合(ホームの日テレベレーザチームと長野チーム)では、サポーター集団の応援とは別に、自由席の方で、"モモカ"コールを、ほんのちょっと照れつつ、それ以上の馬力で、ゲーム展開、状況に合わせるかのように(つまり歌舞伎とかでの掛け声タイミングに通じているタイプ)木下選手へ向けて送る声援を何度か聞けた。
俄かの女子サッカーファンを‟気取る‟素人老人が驚いただけで、多分、サッカーに馴染んだどなたかたちだったはずだ。
ベレーザチームのサッカーは女子のサッカーファンを唸(うな)らせるだけでなく、その試合を生で見る体験を経るなら、男子たちも魅了される。
だから、男子の"・・・"コールも賑やかになっておかしくない。
中年、老人ファン諸氏は傍から感じる印象だと上品だ。
長野チーム各選手が、激しく動いてボールを奪おうと競る。そこをぐっと若い世代が構成するベレーザチーム各選手が巧みにかわして、或いはボールを奪取して、というシーンにして、5得点している。
長野チームはボール奪取に関わる若者世代の‟(45分×2)ハードワーク‟のほんのちょっとだけ手前くらいの運動量ゆえ1点に得点はとどまってしまった感じだ。
長野チームでも若手選手はGKを休ませませんよ!の動き、圧を繰り返している。
だけど、その圧があったからかどうか、本日のGK野田選手は何度かファインセーブを披露していた。
相変わらず、GKとの駆け引きを楽しみ続けているのが松永選手。シュートシーンだけならWEのページのハイライトでご覧になれる。(得点した氏原選手へは素人流に欲張って、U-20でのゴール前高精度のパスを放ったような精度を忘れないキレのあるプレーを期待)
素人老人はハイライトシーンでも、フルの録画でも味わえないような生の現場ならではの各選手間の連携を何度か堪能させてもらっている。
本日のような天候だと躊躇してしまうかもしれないけれど、女子サッカーは、としつこくなるけれど(老人ゆえ仕方ない)小中高のサッカー好きな男子諸氏にもたっぷり参考になる。現状世界の女子サッカーの一つの達成の生を日テレベレーザチームと他のWEのチームとの試合で見ることができる。ここらは素人老人のパリ五輪、U-20ワールドカップ、終わったばかりのU-17ワールドカップの各試合をざっと見た感じから、指摘できそうに思えている。
今見ておかないと、スポーツ選手は長ければ20年くらいかもしれないけれど、大抵10年間くらいで世代交代してしまって、二度とおなじゲーム展開は見ることができない。一曲3分から5分程度の普段聴く音楽生演奏とかと似ている。
しかも進行形で磨きをかけている最中のベレーザ若者チームなのだから、見ない手はない。
サッカーのプロを目指した選手諸氏の中には(メニーナとかベレーザチームのユース系チーム以外から)この今のベレーザチームに参加してその中でいっしょにゲーム展開に加われる機会を持ってしまうちゃっかりな諸氏もおられる。そして現役の選手生活は、皆大体同じく10年+ちょっとだけだったりするのだから、信じられないくらいの出来事と素人老人などは空想してしまう。
当然、典型的には猛者系選手諸氏だったら同じチームに入るより相手チームとして試合をして、そこで・・・の思惑の方が膨らんでしまうとも素人老人的には空想できるので、人によって色々には違いない。
実際の試合を生で見てもらう機会(たとえば地元のサッカー部の小中学生を学校単位で、試合ごとに分けて招待してしまうくらいのことをして、女子サッカーの質を体験してもらえるだけで、自ずからファン層は分厚くなりそうに、素人老人の楽観からは思えてしまう)を提供できることで、サッカー技の質・量に若者たち独特に感応してしまうだろうし、ゲーム展開へは‟手に汗握る‟で、ファン的反応も生まれ、そのことが‟口伝え‟で浸透しつつより身近に女子サッカーを普段着で見に行く気安さも生じさせるのでは、とか想像したくなる。
特に東京は独特で、高層ビル街の一方で、住宅が所せましとひしめき合う立地の所がほとんど。
つまり、自転車とか公共交通機関の基本料金程度の距離に、膨大なサッカー好きたちが住んでいて、ネット時間も大事だろうけれど、ちょっと体を動かすついでに女子サッカーを拝見、ということもありえていいわけだ。
宣伝だと肉食系の出店が目立ちがちにしているけれど、ちょっとつまみ食い的な食べ物の類もあったりするから、それにソフトドリンクのバラエティが用意されていれば暇つぶしの女子サッカー見、というのだって大いにありうる。
そして、その質・量に圧倒されてヤミツキになって、映画じゃないけれど、軽食付きソフトドリンクっぽいのだったら若者小遣い価格で提供できるだろうし、利用もしやすいで、ヤミツキの方向はサッカーぷらす、飲み食いという場合も充分に起きそうだ。
とにかく、見てもらって、実感を得てもらうのが最短距離と、素人老人は観測しているところ。
* こけないプレーについては、岩崎選手などもうとっくにクリアしていて、素人が口をはさむことなどおこがましい限りだし、更に若い樋渡選手などは、この試合で、長野チームの選手が反則を犯さないと封じきれないくらい、持ち堪(こた)える心身体を披露されている。一方、氏原選手が回復して登場となったけれど、池上選手、柏村選手などは長期の療養が要るタイプの怪我だし、土方選手も付き合い良すぎタイプなのか、怪我で休養中ということで、一体、ベレーザチームはメンバーが揃ううことはありえないのか、くらいに、老人関心は女子サッカー怪我予防・回復医療(真理探求よりは実際的という方向性から)テクノロジーの開拓は誰が担うとか大げさになりかねない(浦和、大宮各チームも似ている)。
ところで、U-17女子ワールドカップはまたもや北の朝鮮チームが優勝している。
素人老人が各チームをざっと見た感じで、U-17の北の朝鮮チームはボール連繋はU-20世代ほどではない、と見なして、粗は目立つが、U-20のスペインチームのU-17版と見ていたスペインチーム有利と安易に予想していたけれど、本日の生試合のネット中継を見る限り、まったく凄い運動量によって(ミドルのパス精度も良好)、スペインチームの技量を凌駕してしまった感じで、PK合戦は別物という見方を採用するなら、見事に互角での‟激しい‟ゲームを披露してくれた北の朝鮮チームとスペインチーム両方に応援の拍手を送りたくなる素人老人だったりもしている。
老人世代にとっての台風は10月も気になっていた。近年、少な目、というリアル感。
もっと上の今は亡き老人諸氏においても、多少似ていたかも。
とは言え、今時の台風がたどる経路は、かつての‟勘‟が通じにくくなっている。
現台風21号も同様。
同様と言ってしまったけれど、予報の通りにしかも見慣れた経路をたどりそうだ。
ただ停滞しがちにして列島に近づく。
相変わらず昔の森田氏のヒント発信頼りに、海面水温などネットで探ってしまう。
すると北海道のずっと北の大陸よりの海水面温度の推移は例年の通りに冷え始めている。
たまたま列島でも本州域以南が2023年、2022年よりもやや高めに囲まれている格好。
マウスのクリックを早押しできるタイプ諸氏においては、気象庁の海水面図表の人力動画で確かめていただきたいのだけど、例年とそう極端に変わっているわけではない。
猛暑のこの2,3年版の繰り返し程度の現象を一応確かめられる。
そしていつも通り、素人老人は世界各地についての気温の平年差の図表を確かめてみた。
1週間ほど前までの2カ月ほどは遡って探れるのだが、例外的と言っていいくらい、列島周辺は温暖なままが続いてきている。
だから気象ニュース報道に関しても、温暖化とかがなんとなく説得力を発揮しやすい。 ところが北米の東部域や生々しく二酸化炭素削減派の現役であるヨーロッパ諸国は暑かったり例年と比べればちょっと冷えたりを繰り返している。
酷いことになっている中東域も今年は気温が高いという風にならない程度に、高かったり低かったりの日々が繰り返されている。
台風20号の頃の気流は台風を東南アジア圏の被害をもたらすような進路を取らせている。
似た経路で発生した21号になると既に気流は台風20号の経路を形成して変化してきた気流が作用因の一つとなってそうだけど、大きく変化して、見慣れた偏西風の大波に乗る経路を取らせた感じに、素人老人の言葉選びでは表現したくさせる。
水蒸気流の半球画像をちらっと参照しておいて、ひまわり画像の最初に出てくる画像をPCの画面いっぱいの設定にしたブラウザでご覧になれば、流れの大体のところを‟感じ‟取れる。
列島にやってくる台風は左巻き系なので、地図画像上左から右に流れる偏西風との力関係から、素人老人が手段にしている(PC画像)目視程度では、まったく進行の早さを予想できにくい。
予報の方を頼りにすると、台湾・大陸域近辺でぐっと遅くなっている。
海面水温は27℃域だけど、進路次第か。
とにかく形を目視できない台風21号になっても、近くを通る進路をとった場合、それなりの初期の勢力から推し量れる風を体験させられるので油断はできない。
29日21時現在、フィリピン北東の位置で945ヘクトパスカル、‟非常に強い‟とある。
雨台風で日本海側を影響圏に通過する場合、能登がまたもや危険にさらされやすい。
ほんと素人老人観測にすぎないけれど、選挙をやってる場合じゃなかったし、その政治的構えのあたりを痛烈に批判された選挙だった、という一面は、票の性質が‟人為‟であるからこそ、多少なりとも、意図しない、だけどリアルな質のところを表現していておかしくない。
より長期ということでは、ヒトの属性として助け合ってきた。ぎくしゃくはつい慣れてしまった日々が、ヒトの観念系をもてあそびはじめて、露見させて、だけどそれを回復させるヒトの勢いはずっと続いてきている。列島の歴史がそれを長い目で押さえたときに教えてくれもする。
列島は自然災害にさらされやすい。だから、いつでも助け合えるなんらかの経路が活性していないと危ない。そこらを選挙とかでうつつをぬかすようでは、列島の歴史を学んでいないと大人たちが指摘されても言い訳しようがないのでは?
川柳もどき
テレビ漬けも時には触発の機会をもたらす
兼家と蜻蛉日記についての今西祐一郎氏の説を以前引用
テレビでは赤間氏(十文字学園大)が道隆=定子をリアルにすべく
枕草子に表現した清少納言と
道長スポンサーの書き手女子たち
という構図を指摘されている
寺院をも建てる財力の一部が
女子文学をしっかり盛り立て支えていた
ようだ
俳句、川柳まではもう少し先
女子サッカーのトップチームにいる各世代の選手諸氏は、上手すぎて、子ども年代でのローカルな場では浮きかねないほどと素人の老人には想像できる。
けれどもサッカーイメージについて心身にいかに浸透させてきたかの年代差は伴わせてしまうようだ。
シンプルにはテンポ適応度合いと関わらせることでそこらを指摘できそうだ。
今時のサッカーは見て面白い半面、選手諸氏にとってはかなりハードなワークをこなすことになる。
最低でも90分間はそれが続く(女子若者代表チームの試合では既にボール奪取圧が機能して、ボールを確保し続ける限り相手チームのシュートは無い状況を作りながら、自チームのシュート=得点を狙う試合運びの面白さを味わえる)。
その90分間に様々の身体技を微細に使いこなしてボールをやりとりして点をとったりが起こる。またその過程こそが観客にとっては楽しみだ。
選手諸氏においては瞬時の反応が要るボールを保持した立場の場合もあれば、ボールをめぐる激しい動作をしている相手選手や自チームの選手の様を観察しながら、すぐ先とその先の展開について思案できるていどの余裕を持てる位置のこともありうる。
ただヒト身体は慣れてしまうとそれが普通のこととしてこなせたりする。
その度合いについて年代差を生じてしまっている。
そうはいってもの辺りは、本日見た日テレベレーザチームと大宮ベントスチームの試合を振り返りながらふれたい。
まず最初に土曜日に見た二試合。
最初がちふれチームと大阪チームとの試合の前半。もう一つは、ネット中継で見たなでしこ代表チームと韓国チームとの試合。
ごく初期の段階では、ちふれチームもボールを回してゴールをめざしている。
大阪チームは、より動ける選手が散らばって配置されている感じ。
が、大阪チームのゴールへ向かう連携の勢いが何度か波のように押し寄せているうちに、ちふれチームは、ボール回しではなく、ロングのパスでゴール近くへ蹴り込む方法を選びがちにしている。
これがヨーロッパ女子の巨体チームっぽくピンポイントでほとんどが配球されるタイプのパス連携ならば、それなりの相手チームへの圧ともなって点が入らなくても、ゲーム展開上色々な他の方法も使いやすくするはずだけど、精度を欠くために、相手ボールとなって大阪チームのボール回し展開に移りがちにしている(大阪チームのハードワークっぽい、ちふれチームのボール保持選手へのボール奪取圧はそれなりに機能させるゲーム展開になっていて、そこらを回避する手法としての際どくロングパスとそれに応じた走り込みという形。守備で引いた相手チームとの距離が正確にパス出ししやすくしてしまうとかの形ではない)。
先のように素質は上手なちふれチーム各選手が、なぜか弱気にでもなったかのように、ボール回しを避けて、しかも精度さえ保てないようなパス出しに走ってしまうのは、本当にもったいないことだ。
落ち着いて、だけど今時のテンポを外さず、素早く動作してパス交換してある種の余裕を作る。そうしておけば、とりあえず相手チームのシュート機会は余程のことがない限り、ありえない状態にしておける。
瀬戸口選手はベテラン世代だけど、相手ボールを奪う動作が活発でしかも上手い。
多少のボール保持もできてだけど、パスの精度を欠いてシュート機会へと誘導できていない。もうお一人、同じように目についたのだけど、背番号を確認し忘れた。
基本、トップチーム構成の選手諸氏はボール扱いが上手なのだから、もう少し自信を持ってパスに積極的に関わって、精度に自信をもてない状況・間柄なら、距離を縮める程度の工夫でいくらでも応用できるのだから、とにかくボール繋(つな)ぎで時間を稼げることに体験的自信を持てた方が、いい感じだ。
2022年U-20女子ワールドカップ代表だった吉田選手などは、良い動きをするものの、自分スクリーン技が相手の圧に未だおされがちにしている感じだ。でも同世代の他の各チームの選手はそれなりに若さゆえの短期間での修正にチャレンジして、なんとか耐性を保てるようにしている様を観客として見ることができているので、もうひと踏ん張りの耐性を得て、自分のシュートにするか、だれかのためのスクリーン役をこなすかなど応用範囲を広げていただきたい。
名前をいちいち上げていないけれど、ちょっとだけボール扱いについて自信を持てれば、パスを受けることがより楽しく、快の方で受け取れるようになるから、動作も更に活発になって、相手チームの邪魔動作をかわすとかについての、駆け引きの場数をより多く体験できるようにもすると素人老人的には察する。
ボール回しはこなす大阪チームだけど、得意のパタンのいくつかを持って、生な状況で更に応用連携技、という感じではないように感じた。点を取る選手が各位置にいるチームということでは、そこらを一工夫できるだけで、サッカーベテラン仕様で相手に迫るタイプのチーム相手であっても、それなりの耐性と得点力を発揮しやすくするのではないか。
地表面各土地柄で若手構成のチームがパス連携(並行して必ずボール奪取圧のハードワークをこなす)をこなして得点力を身につけるようになっていることはU-20、特に進行中のU-17女子ワールドカップの試合の一つ一つが示してくれてそうだ。
現状のなでしこチームへは、4年後、U-17世代が21歳だし、U-20世代が24歳で、2022年U-20世代が26歳だ、と指摘できるなら、それで‟素人の老人‟考えに過ぎないが、充分と察する。
その時点で、24、26世代は体ががっちりしてきている。清家選手とかを大げさな方で想起したい。
21歳も、元も含めベレーザチームの山本、藤野選手を想起してもらえれば、それなりに(若いけれど技の発揮に必要な相手チーム選手とのせめぎ合いでの)耐性を持つ選手として育ってくれる。
そして、海外の現U-17女子代表チームとなるとパス連携とそれに伴うボール奪取動作は(2018年U-20女子ワールドカップ世代を含む)旧世代ではテンポ的に直観的時差では対応しずらくしてしまうと想像する。
ところが、ベレーザチームの試合をご覧になった諸氏にとっては、それは素人の老人の出鱈目だ!と必ず返すはずなことくらいは推測できる。
本日の試合でも、北村、菅野両選手の動きはパス連携に対応するだけでなく、いい位置取りでのパス受けとか、その次の展開のためのボール配りとかで活躍されている。
特に、本日のベレーザチームの前半は、トラップが粗いし、ボール奪取圧系のハードワークよりはDF、MF、FWのフォーメーションに復帰することに熱心な感じで、ゲーム展開がちっとも(思わず選手の動作、ゲーム展開に拍手しているとか)冴えた感じがしないように素人老人は受け止めていたのだけど、後半、菅野選手が交替で入ることで、まず短い距離、中間距離でのパス連携を目立たせ、前半のテンポをひきづるのか短いパス交換しつつゴールへ迫るシュート機会を伺う方にイマイチ向きずらい事に気づけた木下選手が(と素人老人は勝手に想像しているのだけど)オフサイドにしない位置取りですぐダッシュできる態勢の前方の選手の前方へピンポイントパスを試み始める。3度目の正直というか、果敢にゴールに向かう動作をチャレンジしてきた松永選手が、とうとう、三度目の試行で決めているが、たとえば木下選手にボールがつながる過程にベントスチームの各選手の執拗なボール奪取圧行使にも関わらず、それらをすり抜ける身のこなしとボールさばきの冴えを発揮して、要所のだれかへとボールが渡っているという形で短いパス交換は活かされている。
こうなってくると、ベントスチームでも、落合、箕輪、宗形各選手世代(若手佐藤選手も)だと同様の動作に慣れているから相手の動作くせもそれなりに先読みしてのボール奪取動作をこなせるけれど、旧世代選手諸氏にとっては至難に近づかせる(とここでも素人老人の勝手な想像だ)。
そうはいっても、北村、菅野両選手が披露するように心身が響けば充分に対応可能(以上に走りとかボールさばきとかでは更にの技を披露もしてくれている)だったりするのだから、平井、金平、西澤各選手も追随できてちっともおかしくない(逆にボールを奪い返してボール保持へと転じて、裏取り狙いも良いけれど((ボール奪取圧をほぼ90分間機能させ続けるベレーザサッカーが希薄だったこの日に限っては)時にこの日のような得点につながる)、偶然狙いよりは、パスの様々を駆使してゴールに迫るどの瞬間かに機会を逃さずのシュートというシーンは観客にとっては待ってました!の場面となりうる)。
2022年U-20女子ワールドカップ代表の杉澤選手にはもっと厳密な技(パスとかトラップとか)をチームとして要求して、介在(時に自らシュート)役をこなして上記ゴール前に出て隙あらばシュートしたい嗜好の各選手(この点では乗松選手ほかベテラン選手諸氏も外せない)へのボール繋ぎ役をこなしてもらえるなら、上品な相手ゴール周辺が、ざわつきはじめそうだ。
本日のシュートを決めた井上選手は、走り切ってストレスをどう処理するかくらいのところだったはずが、そこをクリアして最後のひと蹴りをしっかりと決めきった。
ヒトが長距離走の苦しいのをある時間経過のなか我慢してクリアすると更に走り続けられることをちょっとした確実さとか自信とかとともに体得できてしまうのと似て、井上選手のこれからの得点機会にとっては、また相手チームにとっては脅威だけど、すごい自信となったのではと、ここらも素人過ぎる観点から想像した。(苦しくてパスの受け手を探したくなってしまうとか、投げやりのホームランシュートを蹴ってしまう・・事無く!)
だからベテラン世代(1997年生以前の世代:素人老人観点)も、テンポに翻弄されることなく、ゲーム展開の生々しさの中で要点を押さえる習慣を身につけてしまえればのところは指摘したくなる。(多くの場合、相手チームからのボール奪取圧にストレスを感じて、とかチーム内でのボール回しと関わるフェイント動作込でのボール出しや蹴り方そのもののトリック使いや、動き続ける自チーム選手との距離感のつかみずらさ等)パス連携に追随できなくても、だれかを近くに呼んでそこへなら確実にパスを出せるから苦肉のあてずっぽうのパス出しをしなくて済む。
世界の各チームがパス連携で中間域をボールつなぎできて、しかもシュート動作までつなげる、たとえばU-17スペインチームの選手起用のようなタイプも育てつつあるのだから、高校生、中学生、小学生の女子にも男子にもWEリーグの試合を観客として見に来てほしいなら、自分たちとは違う(目指すところは同じ、とかも含むのだし)、だから学ぶとか明確ではなくても、興味を持って、訪れてくれるトップチームならではのゲーム展開は欠かせそうにない。
代表チームの選手やプロの選手諸氏の発言となると抑えたことば使いになるけれど、巷の子供たち、若者たちは率直だから、自分たちがやらかしてしまう程度の(スポーツ全般について指摘できそうだけど)サッカーだったりすれば、見るに値しないとか、キツイ感想をすぐに発想していておかしくない(他方に昔だったらサーカスとか(自分の身体性からして)別世界の達人技が繰り広げる演出の場に惹かれるということもヒトには起こりうる。使い古されたたとえになるがジェットコースターになぜ惹かれたりする?とかも)。
しかも、トップチームの選手たちはもともとそういう若者だし、より上手な選手たちだったわけで、トップチームの選手になったらトップチームタイプのゲームをするのが難しくなったとかいうことは元々ありえそうにない。サッカーの若者たちはパスサッカーをこなして育ってきているし、大雑把にベテラン諸氏にはボール扱いでのちょっとした自信を回復してもらって、大いに観客をわかせてもらいたい、と勝手に素人老人は期待してしまう。
本日のゲームでも後半の途中からは、ベレーザチームのホームだから仕方ないけれど、ベレーザチームの応援の声は相当に高まったし、ベントスチームの応援(得点したシーンともう一度、ゴールに迫って際どく村松選手に弾かれたシーン)も、かなり盛り上がっていたように伺えた。
男子の肉体的に鍛えこんだ特殊なサッカーということは以前、ふれている。
女子サッカーの可能性大、という辺り。
テレビを見ながら日々年を重ねている素人老人です。
というわけで、今朝もNHKBSにて報道系の番組を参照してしまった。
海外からのグルメ諸氏が、列島各地でグルメ系の食事を提供するところを巡ることが今時、どうやら流行っているらしい。
中には今時ならではのインターネットを使っての情報発信で人気を集めるグルメ系な氏が年間2000万円分の旅行をしながらグルメめぐりをされていて、列島版のグルメ店へもやってきてそれを紹介したりしている。
グルメ店が列島各地に栄える波及性ということで、大いに稼げるようだ、といった情報提供の番組仕立てだった。
と一見受け止め可能だけど、それに、司会進行役氏も相当にニコニコ愛想よく実際を紹介されてもいたにもかかわらず、素人老人はとにかく冷静に見て受け止めるように促されるような密かな何かを感じさせる番組になっていた、と老人からすれば覚えている限りで"回想"出来そうに受け止めた。
実は、50円で地元の人々に売っていた卵が80円で売れるようになったと喜ぶ、無農薬農業発想の担い手氏が登場している。
その昔から今日まで、一応素人老人年齢的に、職人仕事が成り立ちにくい経済のあり方ということを多少は考えたりする。
その職人仕事には膨大な日数がかかるからそれ相応の収入が不可欠(衣食住+α)だ。
けれども高給取り諸氏がその仕様を好んで依頼仕事をもたらすかどうかは不確か過ぎる。
そんなこんなで職人仕事系は仕事が少ない人生を受け入れるか、自ら辞めてしまうか、少なくとも後進の居ない境遇を受け入れたりすることになる。
江戸期ならば、それなりの伝手を得た場合に限っては、技術料と日数分よりもはるかに越えるような収入の仕事を得る機会もありえたかもしれないが、当然だけど、だれもがそういう仕事を得られたわけではない。
それでも、いわゆる痒いところに手が届くような質の仕事を多くの職人が気質としても継承してくれて、それなりの仕事をなしてくれてきた。
生活質とかかわる改良し続ける職人の知恵の継承が多分、地道になされている。
けれども、世の中の移ろいの中、手がかからない簡易な工法が、より標準化した質を保てるという、もう一つの職人仕事に頼れない事情を代替するような要素も伴わせて、たとえば住宅建築などでは職人ほぼ要らずの仕事として成り立つようになってしまっている。
もちろん、それらにおいても、慣れの中での仕事内容に応じた熟練要素に気づけただれかたちは必ず職人性質を帯びさせる。とはいえ、それが応用機会を得られるのかどうかは、仕事の内容次第とも素人老人からは思えるが。
家具などは典型で、とてつもない高価な細工も可能だから、そういう家具を欲しい諸氏においては、それなりの額を用意して購入可能となる。でも、普段使いでしかも職人仕事的に仕様において家具としての性能のところへの配慮が行き届いたのを、日用価格で購入できるということは、今時だと、無茶な希望に当たる。
理念的に職人仕事の丁寧な製品のなんらかを得られる生活は快適そうだと、イメージくらいはできそうだけど、はたして過去にその完成形がありえたかどうかも、不確かだ。
人手のかかる仕事はそれなりに費用を要してしまう。
その代価をそのほかの工程を経た安価で一応の利便性を有する似た製品の代わりに支払う紀になれるかどうか、といった辺りで、既に決着はついている。
けれども、素人老人発想では、そこに、ちょっとだけ職人諸氏が継承してきた知恵とそれを改良し続ける気質と、それらが生活質との応答としての日用と関わる肌理(きめ)の辺りに関心を移して、そこらを大量生産商品に応用できるか、大量生産しなくても個々の商業として、職人っぽい工夫を施した日用品の数々が一応生産流通消費のサイクルをまわせないことはないはずだ、と思いたい辺りを高価売買の継続性の無理を念頭に、ふれてきている。
高価になると、その世界の出来事にならざるをえないリアルに冷静に対峙できるなら、高級品作りは特別のなにか、として日用品の膨大な需要という方へ発想を切り替えられるほうが持続性は保てそうに思える。
さて、先の番組では、グルメ店が高価買取する買い手だ。それを材料にグルメを提供して稼ぐ。海外からのグルメ目当ての旅行者諸氏は、それらの高額な値段を気にしない。
列島事情のリアルを素人流にことばにしてみるなら以下のようになる。
地道に相当に手間をかけて農産物、卵とかを生産して、列島の日常へ無理のない根付けを思案して先のようにたとえば50円の卵と値をつけて商売してきたどなたかが、倍くらいの値段で買うから、是非私達に売ってほしいとなって、それでは、と売れば、それなりの収入水準をその時点から達成できて、生活以外でも様々に得た収入分の試行錯誤が可能になってしまうことを自覚される。
それまで列島各地で試行錯誤されている有機系とか無農薬系とかの産物を消費できたサイクルが別のサイクルへと接続されて、以前のサイクルに乗った人々は外されていく。ないしグルメ材料価格で購入を求められる。
流行りは不易とは対極というヒトの知恵からして、折角の高収入生活が、いつまで続くかは不明だ。また競争相手だって高額収入をめがけていつ登場したっておかしくない。
高級高額商品世界はどこも似て、そんな要素がついてまわる。
安定的に、地道にだけど仕事量との割りにあうかどうかギリギリ感のあった商売が、高額買取の機会を得て、変身してしまって、列島での有機、無農薬系のサイクルは"高価買取り"されてしまった格好だ。
だから一般がその種の手間のかかる仕事・製品へは高価買取する日常の経済活動に賛同すればいいだけじゃないか!とどなたかがおっしゃるなら、それは無理だろう、と素人老人的には応答したくさせる。
給料を無理してあげて、そのコストを満たすためにまたもや製品価格をあげて、結局、相対的な状態は平行線をたどっているだけで、実質をともなわない諸物価徐々に高騰趨勢を形成しやすくするだけだったりすることを、高度成長を経験した今ではわずかな老人世代だけが知っている。より多くを占める中年・若年世代諸氏はまったく知らないし、別の大変な数十年間の記憶しかない。
江戸期だったら御用商人系、今時だったら巨富とその取り巻き系の巨額資金のサイクルにのることでそれなりのたまたまの機会到来を得られるだろうが、関係者はといえばごく限られてしまう。
日常の膨大量に気づけて、それを回しきれることの様々における安寧のあたりをめぐっての工夫が、うねりにうねって犠牲ばかりの世の中運営とは違う像を人々に気づかせてもらえた後の試行錯誤の状態としては、その更に試行錯誤中、とも言えそうだ。
娯楽風にニコニコ紹介してくれつつじわじわと日常を蝕み続けてしまうかもしれないあぶく銭の膨大量の悪戯面をちらっと紹介してくれたと素人老人は思いこんで、一気に書き込んでしまった。
ついでに、別の話題。化石のこと。
多分、多くの諸氏において、化石のリアルについてはお気づきかそれを踏まえて更に調べた知見をお持ちのことと察するけれど、素人は老年の老年期にやっと気づいて、ネットで調べ始めたばかり。
とにかく事件物ドラマを見すぎている素人老人からしても、その証拠が化石になって残り続けたりはしないだろうくらいの想像を刺激してくれているドラマシナリオを参考にできるだけでも、化石になることの至難はことばにできる。
腐らないでいてね、でミイラにしたら化石にはなりそうにない。
棺おけに入れても化石になるかどうか不確か過ぎる。
土砂崩れに遭遇して、そのままだれにも発見されずに埋もれ続けた場合、土砂崩れの二度目、三度目が起こらないとか、起きても積み重なるだけで、安定的な状態で化石になっていく稀な事態を簡単に想像できそうにない。
なのに、或るところには膨大に積み重なるようにして化石化した事態を発見されたりも起こっている(北米とか)。恐竜化石だって、いったいどういう事態がそういう化石化を可能にしたのだ!?という方がまず解決したい事態把握のように、今なら思える。
どういうことが起きて、それが可能になったのか。
ということで、素人の知見段階では、稀な化石化が年月の膨大さゆえの膨大な化石を生じさせてはいるけれど、化石からどれほどの普遍的な地球史をつむぎ出せるのか、ちょっと不思議だ、と思えてしまう。
テレビばかり見ているから、昨夜録画したモアイの事例知見についても、興味を誘われた。水源(湧き水源)の分布とモアイの立地に相関を見ている地元研究者とUS系研究者とのドローン観察を使っての共同作業も紹介された。
花粉分析知見に修正を迫る地道な作業がこの今も続いているようだ。
川柳もどき
国内事情的には、支払い手段の値打ちは安定的な方が重宝だ
20世紀のある時点からそれされ使いこなしきれない仕掛けを持ち込ませた
資産計算についても、いまや(金融商品・通貨とかの)相場次第だ
そして弁証法役割分担発想の押し売り
(=敵味方のどちらかについて発熱しながら応援を強いられる)
熱狂のうちに多くの諸氏が
寂しくか空しくか豊満にか人生を閉じることをくり返す世の中
やはり(今時なら女子)サッカーの出番、ではないか・・・