連載は続く~ SF掌編『‟カオス・混沌‟のような初発能力は地球化に誘われて・・』編 (original) (raw)

地球型生命というより、生命全般という関心を置きたい。
現状、ヒトが表現したり、認識したつもりであったとしても、傍からの視線からの把握のようなことは成り立たせている、という辺りを前提にしてしまえば、それなりに生命イメージっぽいのは、想定しておけそうだ。
ウィルス知見が意外性を帯びるように、その想定自体が、時々の知見の制約以外にも、ヒト観念系ならではの勘違いの類を潜り込ませて、頼りない把握の状態にさせがちだ。
一応、そこらは押さえつつ、先へと急ぐ。
地球型としてある程度整理しやすい多数派と少数派に分類できたりが可能になる程度には、長年月を経て、その‟成果‟についてつい語りたくさせてしまう。
けれども、経路自体が地球型を示すような落ち着き方を誘(いざな)っただけで、この先、地球型っぽく落ち着くのか、それとも・・のように想定なり過程なり可能性を探る方向性として押さえられた方が、よりきっかけの時点を捉える時に相応しい、と素人老人は考えたくなる。
ヒトが幼い世代を見つめて、この先どうなることやらで、期待とともに、多少は心配してみせるのと似ているようで、とんでもないくらい異なる事態と見なしておきたい。
とにかく何モノになるのかさっぱりわからないけれど、記憶の可能性皆無のようにしてそれがある動的だけど静止系と出くわした後に起こる。
起こるのか、起こり続けている半端な状態がたまたま出来立ての地球と遭遇するとかの話になるのか、そこらも生命へと結実するはずの事態にとっては、より厳密に描写できた方が、話はよりわかりやすくできそうだ。
生命のそれぞれを分類できるし、構成についてのでき方順とか色々整理整頓されたりもして、そういう方向性こそ生命の大元(大元)の作動因だとかで、その原因となるDNAとかの構成要素を探ろうとつい、うっかり誘われがちにする、とすれば、の素人老人からの異論に過ぎないのだけど、どうにでもなる過程の中の初発の状態を想定する場合、どこでも、生命系のなんらかが発動して生き延びる中で、環境との対話に応じた形をなすようなことは起こりうる、と見なせた方が、宇宙相手に、地球型生命のみが唯一だ、という説以外の立場を採用するなら・・ということになるわけだけど、よりすんなり腹におさまりそうな仮定のはずだ、と素人老人ゆえキッパリと投げかけてみたくなる。
だから、地球型のうちのなんらかの形態をもたらす因子探索も確かになぞ解明の動機となるだろうが、それは、ある脈絡において、たまたま地表面現象の中にさらされてその繰り返しが都合よく生きながらえさせてきただけ、とシンプルに押さえておいた方が現象を押さえる、という脈絡からは相応しいように(素人老人的には)思える。
素(元・基)性探索と勘違いさせやすいので注意が要る類と一応押さえて探索できた方が、迷い道に入り込まないで済ませられそうに受け取るのが素人老人だ。
とろけ合っている細胞以前は当然ありえておかしくないし、細胞化にしたって、たまたま地球型の場合だったから、というような押さえ方をどこかに置いておける方が、思考をより挑戦的・ないし慎重にたどりやすくしそうだ。
この地表面上の癖が、生命全般との対話の中で、生命の世代交代を取らせたことも含め、相当に似たり寄ったりの癖を付けさせてくれている。
養殖、家畜の利用は、だからそこに環境からの条件付け作用のなんらかを読み取って、ヒトの活動、ヒト自体にいかなる作用として中長期には、結果を表し始めるのか、程度のことは試行錯誤の一つ一つについて考察し尽くしておいてもおかしくない、という辺りも導き出せそうだ。
ここらは、現食物連鎖知見の全体的制約的理解とも相当に重なってくる。
古(いにしえ)の現日本域の列島に移り住んだ肉食系の人々のような食い尽くしはご法度だったと振り返れるだけでも、現代の知見を応用できたことになりそうだ。
日本に移り住んだ先祖はどこそこから来たとかで自慢したがる脈がいたとして、決してほめられるものではない程度は、どこそこ説が本当か、嘘かはともかく、押さえていただきたいところだ。
途中からの大勢としては馬を乗りこなす(だから小柄系が多数派の可能性あり)広く扶余系の人々が、その素質を今日までもたらして、体操のような何でもこなす身体を、サーカス技の凄いのをこなせそうな身体を、制約のおおい現代の列島環境においても披露されている。(馬とか牛とか)動物とご一緒の住宅生活を長年月続けても絶滅することなく今日を迎えている(常在菌課題)。
余談だけど、野球と切り離して、キャッチボールを話題にできるなら、勝敗にこだわれて動機に熱をもたせるスポーツの類とは違って、とにかく相手がとれないようなことをしてキャッチボール自体を中断させてしまうようなことが失敗と意識出来ている状態でそのやりとりを楽しめるアクティビティの類と押さえて、だれが発明したのか、その考え方の継承は?とかこの今の瞬間的思いつきに過ぎないけれど、これを書いてから、ネット上の知見を探りたくなった。

テレビに住んでいるわけではない老人だけど相変わらず、半身まひ状態にも関わらず、テレビ三昧。
日曜日の午前から昼頃にかけてはドキュメンタリー番組がBS系では上手に配分されて放送されている。
幼い子供を激しく揺さぶると、頭に出血しての溜まり場所ができたり、脳に傷がついたり、症状は様々だけど命に関わるようなことも起こってしまうようだ。
だからその行為自体が現代の社会では問題視されていて、SBSという捉え方で、犯罪扱いになることもあるのだそうだ。
SBSは明文化されている公務系が関われる分野だ(福祉課とか警察とか)。
そこで、事故だったかもしれないし虐待ゆえだったかもしれないしの辺りをめぐって、苦労されている家族が現列島にいらっしゃることを報じている。
テキパキ系の仕事ぶりを伺わせるので、一方に子供虐待事件のひどいのがニュースになったりすることを、普通には、訝(いぶか)しがらせるその対処、仕事っぷりと素人老人は見た。
値段を上げてでもとにかく営業成績を良く見せたい、という誘因が働きやすいように、公務系だってチラッと視線を配る諸氏の方が圧倒的と察する。
民間も仕事の管理ノウハウを‟進化‟させてしっかり管理の下に置かれやすいから、同様の事態を分かち合っていそうだ。
すると調査とか実情探索に不必要かもな心配を自らの思惑として生じさせない程度の現代風範囲の中で大局は動き始めている。
テレビドラマの捜査ものでも、形式的には間違っていない捜査が成功することもあれば、勘違いから犯人をとらえ切れない間違いを犯したりが描かれ、はみ出し者の刑事が無駄骨と形式的整合性を試行する捜査部門からは煙たがられたり、貶(おとし)められたりしながら、実情を徐々に探知できるようになり、やがて、犯人にたどりつくような描かれ方をされがちだ。
だから素人老人はテレビの影響大の先入観を溢(あふ)れさせているのだが、要点は、実情をしっかり調べつくせる関係者諸氏との関係性における浸透度合いを上手にこなせるかどうかだ。上手でなくてもかまわないし、そういう軋轢を経て、の方がドラマの方では感動を呼びやすい。
現世の中において、一方に子供とかへの虐待とかいやがらせの無理強いっぽいのが放置されて、被害を生じる一方で、法治のための文章が、拙速(せっそく)かもの事態も生じさせて、この表向きの事象の対立軸で語らせてしまう気配も無きにしも非ずだけど、素人老人的には、理念的公務系と実際の現場を担う公務系における困難が場面と受け止めさせる。仕事っぷりだけど、働きすぎを見せびらかした方がた手までだったとしても良し、ということを言いたいのではなくて、仕事っぷりの方だ。わかりにくいかもしれないけれど、そうことばにしておきたい。

WEの女子サッカーでは大阪チームとベレーザチームとが、若者チームだ。
やっと大卒程度の年代かやっと会社勤め系社会人慣れしかけた年代が主な構成メンバーだ。ベテラン、中堅でもやっと30代、その上だってやっと40代なのだから、スポーツの世界は独特、とも言えそうだ。
大阪チームがベレーザチームのようにボール奪取圧を90分間相手チームへ向けて働かせ続けられるなら、若手チームがベテランらしいゲーム運びをされても、加圧の面で、五分に抗させるようにする。
同時にDF系が組織的にも、臨機応変にも活発状態でいてくれれば、MF・FW連携が得点機会を作って相手チームが防戦という向きをどうしたって避けにくくする。
そこに気持ちの上で、若者チームにとってはちょっとした余裕をもたらしそうだ。
そこらを既にこなすベレーザチームであっても、ボール奪取圧をフルに使いこなす姿となった大阪チーム相手の場合、相当にてこずることになる。
ベテランチーム相手となると更に、90分間気が抜けない事態を、若者らしさが不可抗力要因とさせかねない。
そこを、ある程度、臨機応変、即興的仕掛けを忘れないことにして、組織だって、きっちりの部分を余裕を持ててないなというような場面で、では、と採用して、急場を凌ぐような便利ツールに常用できるようにしておけば、持ち前の技量と、2022年U-20女子ワールドカップのトライアングルパス連携とボール捌きの仲介をこなす山本選手の組み合わせの再現以上がスタジアムのグリーン上に生じる。
つまり、山本選手以外でもトライアングルでのオフト連繋タイプ(シュートへと誘う緩急自在のパス回し=だれかが必ずパスコースを作るために緩急応用で動いているしシグナルを送っている)をこなして、ボールを進めていることが欠かせそうにない事に気づける。そこの山本選手が介在してパスを渡す役もこなせるし、即シュートという場面も期待できる。更に、パス連携の動きを並行的に瞬時観察できる選手が途中割込みでパス連携かシュートのためのパスの受け取り役をこなすことも無理なく可能の動態がそこに生じている。
多少の余分な消耗を誘うから、この系統でしか抜き切れない相手の圧が厳しい場面で有効に使いやすい(技とスピードと圧の三段重ねを想定できるスペイン女子チームを思い浮かべてもらいたい)。
ワンタッチパス連携の発想の中身として、一度、二度であとは他人(ひと)任せで動きをおさめるようでは、機能しないから、三度目、四度目くらいの長丁場も想定して、動き続けて、ボールをシュートできる状態へ誘う意欲と想像力と観察眼が欠かせそうにない。
そしてもたらされたボールを引き受けるタイミング、位置取りの冴えを披露するだれかも欠かせない。自分に今!よこせば得点するから、くらいの意欲的な動きが、パスコース感知アンテナに信号を瞬時送る。
際どいプレーの応酬場面でもあるので、見惚れるよりは、DF的位置の選手たちの動ける準備の仕方が、とてつもなく、万が一に有効になる(恐らくどの選手もが相当に観察アンテナを機能させ‟合って‟いる)。
若者たちのチームということでは、ゲーム展開中色々な圧に翻弄される。
そこを、怪我をしないようなことも含めて、工夫の方で逆に相手の気持ちをそいでしまうくらいのちょっとした手品技をも駆使して、一人、また一人と抜き去るなら、相手チームがベテラン構成であるほど、落胆を誘える。ショートも、ミドルも、ロングも精度を欠くようだと、なかなか、思うようにことを運ばせにくくする。ベテランは頭を使って相手の落ち着いての思考を邪魔しまくる。中堅は、体力に物をいわせて、体当たりほかで、慌てさせる方で仕掛けてくる。そこをかいくぐって、抜き去るパスなりドリブルなりの工夫の積み重ねは有効なボディブローに似る。
パス連携ごとに一点取れれば、二けた得点はいつものことにできるけれど、相手チームが90分間ボール奪取圧を駆使してくるようになると、パス連携の質の改良は体力消耗も伴わせそうだから、二けた得点ということは多少遠のきそうだ。

川柳もどき

局所的な戦争が武器の闇市場を形成しやすいそうだ
派手にニュースになる戦争が終わって、各地に
協力のつもりの武器が闇に流れて・・・
そんなことがばれた場合
素人観点は、協力の下受け取るはずのところの最高責任者
が責任をとることにしておけば
闇市場があっても、一定の歯止めにはできそうに
思えるが、事情通諸氏の話を見聞したい