完食 (original) (raw)

式場の紙袋 きちんと見える丈夫だし
忍ばせてるキャンバス 文字列 ミスプリント

いったん紺におさめて

やりたくてやってるだけなのは一緒だよ

すこし吐きそう でも いえない

取りたかったんだよな〜ぁ 手を

置いてかれるのがこわいとかって

こっちの都合でしかなくて

まだ届くんかな

勝手に立ってる 決めた

勝手に描いてる すきもきらいも

いのちのつなぎ方 間違ってるとかはない

でもできるだけ美しくつなぎたいから

だからこそ泣けちゃって 荒れちゃった瞼

こんな夜も星はきれい

かお からだ

画にならないよ、ひどいざま

でも見上げていいかな

無敵みたいに過ごしていた日々の断片

きみに早く会いたい 信じるものがすこしちがっても

叫びつづけるのはつめたい泥の中

ちっとも清らかにならず今

マシにしたいよ少しは

だめなじぶんあらがってたい

まじ死にたいのまま そのまま生きてみる

きょうだけは、を連ねて生く

言われるまま降りたら大自然

いつかの夏の温度 ほんとうはきもちい季節

どこに目をやったって緑色 果てしない

そのちっぽけによろこびと悲しみやら

おおきな愛情 そういう宇宙が

いつでも緑色でいれるわけはない

宇宙のはずがせまい苦しい

思いは沢山あるはずが

目の前にしたら言葉に詰まって

う〜〜〜ん😭

レースがほつれてる

すぐなにか引っかける

繊細だから許される

とかじゃないけど つくりの話で

ぎりぎりで麦茶のルーティン

水土はゴミ出し託して

ちょっとだけのはずがタイムトリップ

愚図ものろまも笑いあって

転がる 広がる

きみのなかにも宇宙が

※リマインド

一回くらいはだれかに守られてるとかどうにかしてくれるって思ってみたいと思うけど、いつの間にかそうじゃない方に立っている。

ふと、一生こっちを生きるのかもなと思うとちょっとさみしい。守られて生きている人には、その人の苦しみもある。そういうことを忘れそうになるくらいこちらもギリギリな状態なのかと思うと情けなくもなる。

こんなん言いながら私はまた大好きをつくって、守る……!となって、ぎりぎりまでやってつぶれる。

それを非として突かれたり否定されてしまうのもよくあることで、それは、またか〜って思ってしまうくらいよくあるんだけどやっぱり新鮮に痛い。そのあともずっと痛い。

頑張って立ってたからつぶれるんですけど。

わかんないかな。

ずっと言わせなかったじゃん。おまえたちが。

ぜったいに痛いって言って、ぜったい泣こうと決めてる。美味しいものをたべて大事な人たちと約束を作る。ぜったい強くなんかならない。

朝、近所の街路樹から蝉の声がしていた。毎年蝉が鳴き始めると梅雨明けと判断しているのだが、じっさいどうなのだろうと調べた。近畿地方では今週中頃から夏らしい天気が続き、梅雨明けになるだろうとのことだった。やはり、蝉の感覚は正しい。もう夏が来る。

きのう、夫と車で出かけているときにガタイの良い、やんちゃそうなお兄さんたちが夏祭りの準備をしているのが目に入った。

「あ、祭りやな!」

と、私は言った。

いま文章にしてみて、神奈川出身なのに当たり前のように「〜やな」などと発していることがちょっとキモいなと思っている。でも、言った。

大阪で「祭り」といえば地車(だんじり)を曳くいわゆるだんじり祭のことをいうことが多い。

町単位で青年会があり、地車を所有している。祭りの当日が近づいてくると町の名前の提灯がずらりと並ぶ。やんちゃなお兄さんたちは、その、提灯を設置しているようだった。

このように私は頭の中ですら言葉が多い。

カーラジオからはランディ・ニューマンの「君はともだち」が流れていた。夫の好きな曲の一つだ。夫、口ずさむ。私、かまわず話し続ける。

「あれ提灯ぶぁ〜って並ぶやんか?芸大の下のとこみたいに!たぶんその準備じゃない?あれ。なあ!」

私は別にだんじり祭りが好きな訳ではない。

夫は歌うのをやめて、「めっちゃ一人で喋るやん」と言った。

じぶんでも恐ろしいが、ここまで一人で喋り続けているという感覚がなかった。君はともだちを歌っているのには気づいていたのに。なぜかここがつながっていない。

はっとした。私はときどき、こういうことをやってしまう。人の反応や返事を待たずにどんどん話し続けて、とつぜん我に返って恥ずかしくてたまらなくなる。こういう癖に気付いたのもごく近年のことで、それまではぜんぜん気づいていなかったのだから尚更恐ろしい。

好きなことだから止まらなくなるということでもなく、なんかそのときに"かかって"くると止まらなくなってしまうのだ。だからこうして大して興味のないことについて熱弁を振るうおかしな人になってしまう。

こういったことは、忘れ物の多さや気持ちの切り替えが困難なことなどと並んで私の生まれ持った特性でもあるのだが、だからといって許してね♡とはいかないのはわかっている。

なので、仕事をしていても何をしていてもしょっちゅう自らに対して「もう嫌だ〜」と思う。自分が一番自分を罰するようにしている。こういうのが積み重なって、全部嫌だ〜になってしまうのだろうな。と思うが、これをしないと社会的に生きていけないのだ。

車は今里筋を北上していく。やはり言葉が多すぎる。

「ええんやで〜」「そこも含めてやからな」と夫は言う。好意的な意味だ。そもそも「めっちゃ一人で喋るやん」にもたいして敵意は含まれていなかった気もする。というか、夫もわたしを全無視で歌い続けていて、それもちょっとおかしい。それは、ええんやで〜と思う。夫婦をしていればお互いの"そういうとこ"は度々飛び出す。にしても、なんだか自分に対して ええんやで〜 となれず、おしまいだとすら思える。涙がぼろぼろと出てくる。

信号待ちで車が止まる。少し前まで住んでいた街の交差点だった。

横断歩道を渡る人と目が合う。ぎょっとしている。ハンカチをわすれてしまった。仕方がないので、この間カラオケで貰ったウエットティッシュで拭いた。当たり前だがまだ湿っている。

ことし、七年近く勤めた職場をやめて全く異業種の、犬の幸せに与する仕事をはじめた。悲しいお別れも経験したし、悔しさやりきれなさを感じることもあるけれど、純粋で優しくて、ときにはちゃめちゃな犬たちとの出会いのおかげでとても心豊かな日々を過ごせている。

以下の文章は2020年の秋、実家の老犬がなくなったときに書いた。いちどブログにアップをして取り下げていたけれど、自分なりに整理もついてきたのでもう一度アップすることにした。

少し長いけれど、それも整理させるのに必要なことだった。

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昼ごろ目を覚ますと父からLINEが来ていた、おじいが旅立ったという報告だった。おじいといっても実の祖父ではなく、実家にいた犬のことだ。ほんとの名前はハッチという。老犬になってからは家族みんなが親しみを込めておじいと呼んでいたのだ。15歳だった。

報せをきいてすぐは涙が出なくて、ただ、とうとう来てしまったんだな、と思った。送られてきた写真のおじいちゃんは、ピンクのカーネーションと、生前お気に入りだった、パンダの顔が付いている音の鳴るおもちゃに囲まれてすごく安らかな顔をしていた。すごくかわいくて、なんか、まだ生きてるみたいだった。

一度新幹線を予約して、すぐキャンセルした。

実家に帰ったときに おじいが迎えてくれない事実に直面したくなかった。ただベットの上で、おじいのことを考えた。

おじいは夏にとつぜん倒れた。そのときは、泣きながら一目散に実家へ帰った。一命は取り留めたものの、体にまひが出た。

口が上手く開けられなくなって、首は傾いたまま固定されてまっすぐ歩くことが難しくなった。それでも弱々しい足取りで、トイレまで行って自力で用を足そうとしていた。その姿が健気で、どこまでも聡明な子だなと思った。3か月経った頃にまた帰省をすると、完全におむつになっていて、同じところをぐるぐる歩き回っては力尽きて眠るというのを繰り返していた。犬も認知症になる。もう、私たちの事はよくわからなくなってしまったような感じだった。

体毛なんか薄くなっちゃったしやせ細ってしまったけど、ご飯をあげたらがつがつと食べるし、食べた後は少し活発になるのが可愛くて仕方なかった。老いていくすがたも美しかった。

しばらく延々と泣いていたけれど、食べなくちゃ、と思って、チーズと鯖缶でホットサンドを作って食べた。テレビを付けたままにして、洗濯とか、掃除とか。とにかく動いてみて、不意に思い出しては泣いて、手を動かしてを繰り返した。夕方に友達との集合(この言い方はほんとうにかわいいと思う)を控えていたので、化粧をした。メイクじゃどうにもならないくらいに目は腫れててブスだったけど、なんかとにかく、いつもどおりのことをしようとおもった。

慮ってもらっちゃって申し訳ない気持ちになったけど、すごくありがたかった。笑ったりとか、ひとりだったらできなかった。みんなのためになりたいけど、いつも救われてしまう。事情を知っていたSNS上でつながっている人達もおじいと私にやさしいことばを掛けてくれて、なんかもう、周りの人への感謝とおじいへの愛と、喪失感と、じぶんの情けなさと、なんかいろいろな気持ちがごちゃまぜになって、帰り道はまた泣いていた。

きょうは、いつも通りっぽく出社した。気を抜くとまた泣いてしまいそうだったので淡々と作業をしてたらいつもよりちゃんと働いてる感じになった。

なんか。いつもをやろうって思ってるのもあるけど、勝手にお腹は減るし、おやつだってたべちゃう。わたしはまだ生きていくんだなー。とおもう。ハッチが育んでくれたやさしいきもちとかがちゃんとあるから、それをみんなに使ってたら一緒に生きれる。気がする。

こうやって文章にするのとか、どうなんかなと思うじぶんもいてるけど、やっぱりわたしは書いてく中でしか心の整理ができん。言葉にならなくて涙にするしかないくらいクソデカLOVEなのに、書くしか出来ないのヤバいね。はやく追いつく言葉をみつけたい。

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この何年か西暦が未来すぎて今って感じがしない。現実のほうは依然として……な気もするし、思ってもみなかった人生をしていることにすこし浮ついていたりもする。あの頃に戻りたいって思うことは全くないから充実しているのだと思う。いろいろあるけど、そんなのある方が正常だ。

もう10年も前のことですから。と微笑めない色々は依然としてあり、そのきもさの鮮度ってぜんぜん褪せないのだと気付いて戦慄。この鮮度保持力がもはや私のきもさかもとか。

極太アイラインにまつ毛を貼っていた頃、誰かを下げないとやってられなかったのはたぶん私もそうだったね。ってわかるけど絶対におまえらとはちがった、それだけは自信を持って言えるよ。

あのとき

一緒に行事を楽しんだりアホなカラオケで笑ってくれた友達 一緒にうどん労働して、沢山遊びに誘ってくれた仲間 死にきった状況をどうにかしようとしてある種どうにかなってしまってた大好きな先輩と後輩 そばにあった音楽 なんか話すと素直な心になれる地元の友達 いつもチヤホヤしてくれた実家の家族。愛そのもの、実家の犬。

あるときからずっと纏わりつく憂鬱とか死、そんなものとも私はうまいことやってぜったい生き延びてやるつもりでいる。

高潔であろうとすれば死にたくなるほうが当たり前。でも、ぶっ壊れたのはお前のせいだとかってヤケクソかましたりはしない。未熟だったし傷ついたり、やらかしたりしてきた。けど、いっぺんも壊された瞬間なんかない。貴いひとはいつもそばにいた。みんな生きててほしいなもうあまり会えない人も。

※2年ほど前の日記

亀梨くんを見ていて遅刻しかけた。出勤時間が変わってからというものの平日の朝はスッキリを見ながら支度をするのがルーティンになっている。私が起きるころには辛くなるニュースは終わっていて、動物とかちびっ子の動画とか、アーティストの生ライブとか、クイズッスとか、沈みようのないような話題だけなのでとても安心して見られるのだ。今日は亀梨くんがゲストで出演していて、なんだか、食い入るように見ていた。

KAT-TUNをめちゃくちゃ推しているオタクというわけではないのだが、なんだか10代の時からほんのりと亀梨くんに憧れている。

トキメキ、、♡というか、もう、なりたいなのだと思う。

細い輪郭、切れ長の目、かっこいい男たちもついためらってしまうようなカッコつけたパフォーマンスができるところ、話しているときの可愛らしさ。なんか、超すごいのだ。亀梨くんはすごい。