吐露 23年夏と忍ちゃんについて (original) (raw)

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兄の奢りで非常美味な焼肉を堪能し(アイスまで食べた)、兄へ感謝のカフェラテを贈呈し、兄の運転で実家に帰った。対価が見合ってないな、と打ちながら思った。これは何かと言うと、サマステ応援サポーターに任命された少年忍者がMステでアメサマをまさに初披露していた時間帯の私の行動である。忍者担になってから「この日、何してたんやろ・・・」とアルバムを見返したら、ぴかぴかのお肉が写真に残されていたため発覚した。アメサマ衣装も、お肉も、赤色で、キラキラです・・・

EXシアター六本木と言えば、もう10年近く前、当時応援していたアーティストがライブをした場所。初めてお友達と連番をした、記念すべき場所でもある。それが理由で、個人的にとても思い入れやなつかしさがあったのだが、Jのアイドルやジュニア担にとってもなんか、大きな意味がありそうな会場だと感じる。懐かしさの合間に新しい風が抜けていって、わくわくした。

とはいえ残念ながら、忍者と出会った時にはもう夏が終わっていた。SNSや当時のネットニュースを遡ることでしかサマステ2023というものを分かることができなくて、せつない。「いろんな声が、事実が、憶測が、葛藤が、感情がある現場だったんだなあ」と、蚊帳の外でそれらを眺めながらひとり考える。忍ちゃん達にとっても、ファンの方にとっても、きっとただ純粋に楽しいだけの時間ではなかった、のかもしれない。なんて思っていたら亡霊、見事に爆誕である。私も900円のジェラート、食べたかった・・・焼肉屋さんのアイスは、いくらだったかな。

残暑も終わって、わくがくれた秋を駆け抜けて、2023年から2024年へ。余談だが、今年の私は年女である。好きだけどちょっぴり苦手(くそ寒いので)な冬は帝劇の赤い椅子に座って、踊らない二人と北の大地で春を進めているさなか、円盤発売が決まった。震えた。やっと、2023年夏の忍者を知ることができる。亡霊成仏も待ったなしだろう。即刻カートにぶち込みお会計を済ませた。自担が二人してPAISEN公演なるものに抜擢されている事実が大変大変うれしくて、誇らしくて。はやく観たいな~~🎶というルンルンな気持ちの高まりを胸に、「愛してまぁす♡」を延々リピするなどした。

が! その傍らで募りに募るは、絶対にどうにかなってしまう演目への、恐怖と期待。ネット検索でヒットした忍者担さんのブログを拝読して、曖昧に把握していた、本編終盤の演目。「ミライコーナー」と呼ばれていたもの。この存在を知ってから私はずっと、どうしてもどうしても、みたかった。みて、自分がどうなるのか知りたかった。ミライコーナーなんてそんな明るそうな名前をしているのにもかかわらず、暗くて重たくて、無骨な世界観。当時あの場所に足を運んでいた皆さんの中では特段賛否が分かれるパフォーマンスだったのだと、知らないなりにも理解していた。キラキラだけではなかったと想像するに易い、2023年の夏。主観でしかないけれど、その核にあるのはたぶん、ミライコーナーなんだろうなとずっと思っていた。

バンクパックを終えて見事に体調を崩して(Oh!)、使い物にならなくなっている己に鞭を打ちながら、金夜退勤後の夜中、心して円盤を再生した。ちなみに、PAISEN公演だけは瞬足で視聴。一生懸命がんばっている19歳のろぴくんをデロデロに溶けた顔で応援し、あまりにもまぶしいアイドルのパイセンわくさんを大号泣しながらみた(PAISEN公演で大泣きするオタク、私だけでは?)。

話は戻って本編、も~~~~~~すごいで!箱ティッシュ半分なくなってた! トイレ行ってふと顔上げたら、洗面所の鏡に映る自分の目があまりにもパンパンだったため、げんなりした。あれからずっとトレトレを聴いているとか、KMKが良すぎたとか、「おっっと皆さん大丈夫ですよ!」が大好きすぎるとか、エジ…が宗教すぎて飛んじゃったとか、沢山あるのだが。ミライコーナー、結局それに尽きてしまった。亡霊は成仏されなかった。むしろ増幅した(最悪すぎる)。

だってあんなの、ずるいじゃないか。私がEXで、彼らと同じ空間であのパフォーマンスを観ていたら、どうなっていたのか。だいすきなアイドルについてなにをおもったのか。絶対に答えが出ないことを、なぞれない過去を、想像することしかできなくてくるしい。くやしい。かなしい。正直、画面越しにみているだけでも息が詰まった。かと思えば笑みもこぼれていた。訳が分からない。でも確かに言えることは、私個人としてはミライコーナーに対して肯定する立場であること。もちろん、映像でしか知らないから、こんなことを言えるのだとも承知している。ただ、ごめんなさい、命を削ってステージに立って、奥底に抱えているのかもしれないものを表現して生きようとするアイドルが、そのパフォーマンスが、どうしてもすきなのです。すき、とかじゃなくて、私にとってはもうそれがすべてなの。アイドルのすべて。

アイドルはキラキラ輝いている。この世の穢れをまったく知らないみたいな顔をして、歌って踊って笑って、愛を振り撒いて。たくさんのしあわせをくれる。希望をくれる。笑顔をくれる。夢をみせてくれる。それが好きで、それに救われて、アイドルのいる人生を歩んでいる人が多い。ハッピーとラブがいちばんなのだ。というか、それ以外に何を求めているんだと言ったって、過言でもない。そうなんだけれど、う~~~ん、待って。これ卒論で書いた話みたいになってくるからストップ。いろいろ端折って結論のひとつを申すと私は、「綺麗な部分だけ見せて、それだけにして」の思考ではないのだ。影があるから光が輝く、夜があるので朝が来る、ではないけれど。何事も表裏一体であるから、ミライコーナーで彼らがみせてくれた生き様というのは、ひどく苦しくてあまりにも尊いことだった。私にとっては。

ただ、もちろん不安や心配の気持ちは生じています。ミライだけじゃなくて全編通して(←保険掛けててダッセェ~が、体調が悪そうな状態でパフォーマンスをする自担を目の当たりにした公演があって、その時やっぱりすごくこわかったので)。あのクソ暑い夏の期間に?ほぼ毎日?日によっては一日に二回も?☜この思考でいっぱいになる瞬間、少なくとも100回はあった。大丈夫、ではなかった部分があったから、客席側からはそう見えたから、ファンの中ではいろんな声があがったのだろう。考えを及ばせることができる範囲では、十分に痛感している。ファンだけではなく、あの期間を乗り越えたメンバーにもきっと、いろいろと思うところや考えるところも生じたと思うし、言葉にして表したひとだっていたのだと思う。それで、というか、それがしかるべきこと。

でも、でもそれを私は、「やめて」「やらないで」とは思えない。まったくもって。「やってくれ」とも思えないけれど。ただ、「やめないで」とは思う。ニュアンスの話とはいえ、このニュアンスの差異が大きな違いを生んでいる…気がする。知らんけど(逃げるな~!)。だって、彼らが選んで、自ら考えて悩んで最終的に選び取って、そこに立っていたのだから、その過程がどんな姿形をしていたとしても一度は必ず、こちらも大事にしなければならないのではないか。私にはその正誤は分からないし、もしかしたら本人も分かっていないかもしれない。だからこそ私は、アイドルという存在にすくわれている私は、まず先に肯定したいと思う。

そして、残酷だと承知だが、それが今の君にとって(君たちにとって)必要だ、正解だ、良しかもしれない、と思った選択なのであればこちらとしてはまっすぐに受け入れたい。きっと後悔する日がやってくるかもしれないとしても、「やめないで」と願わざるを得ない。ごめんね。否定すること=助言ではないし、助言することもまた否定と同等にはならないけれど、個人の価値観として、そもそも彼らに否定と助言を行う権利が私にはない(概念的な話)と考えている。だから極力思わないようにしたい。でも、当たり前にそういう人格は形成されてしまうので、そういうときは自分に刃を向けて耐えるのだ。耐えられなくなったら、離れるのみ。約束、理、信念。板の上でみせてくれるものとつたえてくれるものを、ただまっすぐに信じたいのでね。☜アイドルに対する、重たくて歪んでいてあまりにきもちわるい感情と思想が、こういうバケモノを生む。

話がだいぶ逸れてしまったが、そういうことで、私はミライコーナーが始まるたびにこの世が終わるくらいに大泣きし、息を詰まらせ、声にならない愛をさけぶ。あれ、ほんとにくるしいよね(急な小並感)。トラエラ→Dawn→LVN、動きそれ自体だけではなく感情も激しいから余計に消耗するだろうに、捌けずに通しで足掻くように藻掻くようにパフォーマンスを続ける忍ちゃん達・・・OMG・・・(※泣いちゃうから、あっさりとした書き方をしています)

当たり前にLVNで最高潮になってしまうのですが、いつまでたっても織山尚大が発するセリフと声色、浮かべる表情、が刺さって抜けない。「愛がなくちゃ生きていけない、希望がなくちゃ前に進めない」そもそも自分の中にあったこの言葉(思想)への共感とか、今の自分にはいやに響きすぎる言葉ゆえの怖さだとか、それもそうだけれど、これがもうパフォーマンスとしてではなく、アイドルでありひとである織山自身が紡いでいることばとして感じられてしまったから、こんなに食らっているのだ。正直、感情的な話も入ってくるから3曲の中でもLVNへの所感が多いのだが、元木→黒田→内村のセリフはね、「みじめな自分」「なわけあるか~~~~~~~い!!!;;;;」という突然のムードぶち壊し思考回路遮断全肯定元木担人格の出現。端から端までダ―――っと駆けながらセリフを言うくろだくんに、絶え間なく、デカイ感情。そしてうちむら「現実から目を逸らすな」の表情で、いろいろを感受し、おわり。情緒~!?(退場)

そして、数名の挨拶(ここでも織山に刺されている。きっとわたしは、彼の思考と感受性をあいしているのだ)を挟んでのRainbow Chaser→JMGO→TWENTY ONE…いや、だいすき~;;;;;;;曲名並べただけで鳥肌立った~;;;;;;;もうやだ~~~~;;;;;;円盤の話ですが、カメラワークも個人的にハオハオでオヨヨンした。まず、あのさ~、Rainbow Chaser、これやばすぎないですか? 横一列から歌い繋いでいく→ステージいっぱいにみんな広がる→「代わりなどいない」から踊る。これ、これ本当に夢だよ。ステージを満たすまっしろなライトも、揃っているけど個々で違う魅力を放っているダンスも、目に映る光景がぜんぶまぶしかった。そしてみんなで真ん中に集まってはじまるJMGO。もう勘弁してくれまであった。曲が終わってもう無理だ、、、少年忍者がだいすきだよ、、、、、と号泣していたら、最後の最後に21が来たので、初見時の記憶はもはや残っておりません(※各曲、自担ことを書こうとするとただでさえ特級呪物なこの文章が宿儺をも凌駕する超絶怒涛の特級呪物になってしまうため、割愛しています)(とはいえ「Oh,」☜ここのわくは、ほんとに、言葉にならない)。

挨拶前の3曲で伝えてくれた、みせてくれた、キラキラだとか無邪気だとか、一見してそういった言葉とは無縁に思える、でも紛れもなくアイドルとしての彼らの一部である姿。これって決してネガティブメッセージではないと、個人的には考えていて。彼らにとっての一種の感情整理だとして、受け取った。対話の一環とも思える。だからこそ挨拶後3曲をもって、彼らの未来がどれほど可能性にあふれていて、そこに向かう今の彼らがどれくらい頼もしくて輝いているか、もっともっと伝わってきた。少年忍者は、「自分たちにしかない」を表現するのが上手いと思う。人をひきつけ、感情を呼び起こさせるのって、誰にでもどこにでもできることじゃないよ~・・・って、感服してしまう。日々。君らの存在が、私にとっての夢の国だし、唯一の現実なのである。

実のところ忍ちゃん達って、「21人で同じ船に乗っている」という感覚は元々あったのかもしれないが、2023夏を通してより確実になったのではないかと、サマステをみて思った。ひとりひとりのスタンスというか、少年忍者についての考え方とか、自分自身の立ち位置や向いている方向とかをきちんと、認識したというか… いろんな声があるけれど、こちらが想像しているよりも心配しているよりもずっとちゃんと、地に足がついている。現実的に物事をとらえている。そのうえで、壮大な夢を、21人での先を改めて描き始めているのではないか。な~んて。

私はというと、少年忍者というアイドルグループを信じて歩んでいきたい、歩んでいける、と思う気持ちが、もっともっと明確になって、またすきになった。そうなるような姿を見せられるのは、みんながみんな、少年忍者として真摯に進んでいるからじゃないかな。と、勝手に思いたい。わくがダンスクで言っていたように「等身大」がなにをもってして「等身大」と言われるのか、正直わたしもよく分からないけれど、彼らにそういう類の魅力があることには違いない。

忍ちゃん達は、手を伸ばしてもまったく届かないくらい遠くにある。なのに、隣にいるみたいに近く感じられる。これ、なんでなんだろうな~って、一生考えているけどピタッとはまる答えはまだ見つからずにいる。けれど「少年らしさを大事にしたい」「美化されていて、ユーモアがあって、がむしゃらで」「でも今、少年と大人の狭間に生きている」「目の前のものが現実的なものに見えてきた時、少年忍者に励まされる」という織山の言葉を聞いた時、ああ、これだから、今の私は忍者にとても惹かれて、救われているのかも、と思ったりはした。こういう風に考えている人がいて、それを全員で共有して少なからず理解して、そのうえで21人ひとりひとりが各々のスタンスをもって、取り組んでいる。そんな思いで、その時分を生きている。それが、私にとって異次元の憧れや救いであると同時に、ものすごくリアルな指標で、エネルギー源にもなっている、という… 言葉にするのって、難しいね~

7/26発売のダンスク(織山×檜山×元木)で触れられていたように、主体的に発言や行動ができる人、深く考えられる人、俯瞰的にみられる人・・・っていうふうに、大所帯を上手く動かしていく環境?が整ってきているというのは、なんとなく伝わってくる。忍ちゃん達を見ていると、元気も貰うし胸キュンもする。歳ばかり増えてどんどん嫌な人間になっている24歳の自分が、いちばんすきだった(のびのび生きていた?)少し前の自分のことを思い出せる。憧れも尊敬も芽生えて、うらやましくて、情けなくもなる。もちろん、きれいな感情だけじゃないので申し訳なくなる時もあるが、それを追い越すくらい「ありがとう、だいすきだよ」と思う。大事な大事な宝物。変な心配しないで、彼らのことを見守って、彼らが進む未来を見届けたいって、曇りなく思わせてくれる忍ちゃん達は、誇りなのだ。どんな形であれ。誰が何を言っても。だから、押し付けてごめんけど、絶対曲げないでね。たくさんのこと。とお祈りするばかり。

気づけばもう、忍サマまで1週間を切っていて、恐ろしい。私はと言えば、心身ともに限界突破をしてしまい、あくわん期に起こした世紀最大のトンデモコンディションがパワーアップしてカムバック!している。結構笑えない。でもまあ、どんな忍者が見れるのかなとわくわくする気持ちは消えないし、はやくこうきくんにあいたいし、はやくわくのことを見つめたい。もしかしたら、去年の夏を過ごしたファンの中には、「またあの時みたいになったらどうしよう」って不安を抱いている方もいるかもしれない。いろいろな思いを抱えつつ、心身共々健やかに、みんなでアツい夏を過ごせたらいいな~ いや、過ごす。

くろだくんとわくって、ステージ上でのスタンス似ているようで圧倒的に違うところがある(←特大主観がはいっている見解です)。わたしはそれをあいしている!21人み~んなそうであっても、それは誤りではないし、短所でも弱点でもない。むしろそうであるからこちらも魅了されているし、このグループについていきたい、行く末を見届けたい。という想いになるので。同じ船に乗って、同じ行き先に向かっていることを確認し合って、君たちが信じる航路を行けるところまで、進んでいこうね。

TDCであいましょう。少年忍者ファイティン!

2024.08.10