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兵庫県知事選で前職の知事が当選した。若い世代がこぞって支持したそうだ。
斎藤氏に投票した要因は政策を重視したという人が多くて、問題となった一連の行動や公益通報の取扱いなどについては1割程度の人しか、いわゆる争点として考えていなかったらしい。
この事こそ、個人的にはちょっと待てえ、と叫びたいポイント。
斎藤氏が最初に知事になった時、その政策や県政の改革姿勢、若さ、清新さといった点が支持されたのだろうし、実際に県政の改革などは一定の成果を上げていたようだ。
がしかし、その職務の遂行において、知事として、組織のリーダーとしてあるまじき行いがあったということで、県民の一方の代表たる議会からパージされたのであって、今回彼について評価すべきは、一にかかってリーダーとしての適格性である。実際に数年間どうふるまって来たのかという一点である。
言ってみれば、彼のみについては政策の良し悪しは全く関係がないし、県政の改革の実績なんかもおよそ関係はない。ひたすら、現職であった時の行いを県民として、有権者として許すのかという問題である。
行いの中には、公益通報制度に関して理解がなかったのか、あえて無視したのか、いずれでも大問題だが、通報者のあぶり出しに懸命になり、公務員にあるまじき行為とまでののしり、責め立て、その挙句に一人ならず人が死んでいるのだ。
そういうリーダーを再び自らのリーダーとして迎え入れたいとした人々の思いは、私には理解できない。
民主主義の終焉とか、そこまで言わずとも民主主義の変質とか危機とか、最近よく言われるが、少なくともSNS型民主主義とでもいう動きは確実に定着しつつあるんだろう。
東京都知事選の石丸ショックなるもので認識が深まり、衆院選で国民民主の独り勝ち、そして今回の兵庫県知事選である。
そこで重要なのは「自分に刺さるか」であり「多数の同調者」であろう。「本当の真実」はあまり重要ではないし、深い知識や理解なんかも、まあどうでも良い。
彼の現職時代の行いも、その多くはSNS上で「あれはデマ」「彼はそんなことはしていない」ということになっていて、それによって「私は、僕は今まで間違っていた。彼はそんなことはしていないんだ。デマによってつぶされかけている」ということが「真実」になっている。
どちらが真実か、神のみぞ知るとして百歩譲っても良いが、前に書いたように人が死んでいるのだ。それをどう説明するのか。
ネット民の言う通りなら「謀略が成就しなかった。このうえは犯罪者になるよりは死を選ぶ」という事だったのかも知れない。
だが普通に考えれば「正義の告発が、あろうことか公務員にあるまじき行いと知事から全国ネットのTVで非難された。このうえは死を以て真実を訴える。」という事だったのかも知れないではないか。
SNSで触発された方々はその点をどう考えるのか。それとも考えたことはないのか。
もっと言えばあの前知事の周辺で人が死んでいる事さえ知らないのではないか。
今回のケースでは斎藤氏の政策が「既得権益への挑戦、古いものの打破」のイメージにつながって、反対側から見れば斎藤氏は既得権益側からいじめられている、いじめられた人となり、それに一人で果敢に立ち向かう人という図式が出来上がったのだろう。その瞬間、一気に支持層が増大したのだろう。
今回の選挙でもう一つ切実に思った事。それは「当選する目的を持たずに立候補することの是非」
競馬法だって一着になる意思を持たずに出走することは禁じられている。いわんや公職選挙法である。当然法の趣旨としては当選する意思を持たずに立候補するなどは想定外であろう。が、ビックリするような人やことが最近頻発しているのだから、法改正が必要じゃないだろうか。
結果責任は選挙民たる兵庫県民にある。その意味で私は全くの門外漢でしかないが、民主主義を信奉してきた者にとって、結構ショッキングな出来事ではある。
まずは103万円の壁。今日の日経に竹中治兼堅という政策研究大学院大の先生がこの問題にも触れた論文を掲載しているんだが、なあるほどと納得した話。
なので、モノ申したいのは178万円に対して。その論文を読むと178万円が改めてとてもおかしなモノに思える。
現行の所得控除103万円というのは、基礎控除が48万円、給与所得控除が55万円と分解されるのだけれど、そのうち、基礎控除は最低限の生活を維持するために必要なお金には課税しないという、憲法25条の生存権の保証が租税法で形になったものなんだそうだ。そして給与所得控除がいわゆる必要経費の見合い分という性格。
そうすると、先生曰く基礎控除として適切な額は生活保護費が参考になるんじゃないか、ということ。現状でそれは68歳の単身世帯がざっくり月額6.8~7.8万円とのこと。
一方の必要経費はどうかと考えると、先生の考えはインフレ率で考えるのが適当ではとのこと。どこを起点にするかの問題はあるが、2018年の前回是正時からみれば1.1倍程度らしい。
その考えで、基礎控除を月額7.5万円として年額90万円。給与所得控除が現行の1.1倍で61万円弱。合計でざっくり150万円って数字が出て来る。
そう聞けば、性格の違うお金を一緒くたにして、最低賃金が1.73倍になったから178万円だという理屈はどんぶり勘定にしか思えない。しかも時間給じゃない人の方が大勢だし、そういう人の給料が1.73倍も上がっている訳もないのだから、ますますおかしな数字に見えて来る。
2つ目は今更ながらの定員割れの大学の話。
これも今日の日経の話で、2050年には大学の総定員の3割は埋まりませんよ、という推計が記載されている。もう待ったなしだから対策をというので、文科省が必死になっているということなんだが、対策する、それも国がする必要は本当にあるの?
大学は自治を旨として、国家権力の介入を嫌悪するのが普通のありようだろう。そんなところ?を国家が何故助けてやるんだろうか。
大学がつぶれたら誰が困るのか。潰れるような大学が潰れる限りにおいて。
まず国は何の痛痒も無いだろう。強いて言えばそんな大学を認可した文科省が後ろ指さされる可能性があるくらい。財務省なんてむしろ喜ぶんじゃないか。
学生が困るか?在学生は困る。これへの対応は必要だろう。だが新入生も含めて、そもそも大学全体の定員が余ると言っているんだから行き場がなくなる心配もない。
大学の職員、教員は困る。でも会社が潰れそうだからといって国が個々の企業に対して対策を取ってくれるだろうか。
唯一困るのが地方自治体かも知れない。大学は大体のケースで自治体の誘致が絡んでいる。企業誘致と並んで地方創生の中核、社会的インフラと思われているからだろう。補助金を突っ込んだり、土地を無償貸与したりしているケースも多い。
だから文科省も大学に対して「まず県や市とよくご相談されて、文科省がやれることがあれば言ってください」くらいの姿勢が正しいのではないか。
自治体でも東京、神奈川、大阪、京都みたいな、溢れるほど大学があるところはきっと何もしない。口にはしないだろうが、潰れるなら潰れてください、何も困りませんってところ。
そうじゃない、年々体力が削がれているような自治体は、きっと我が事として必死に知恵を出すに違いない。あんな大学でも無くなればまた人口流出だ、公立化するか、あそことここを合併させるか、学部の種類を変えるか、県外生を呼び込むには、産学連携できないか、ああできないかこうできないか、などなど、衆知を結集するに違いない。
挙句ダメなら、それはやはり潰れるしかないだろう。
とっくの昔から知れたことを今になって尚文科省が無駄な対策を施す意味が、少なくとも私には理解できない。
玉木さんの不倫問題。地元では結構以前からクサイ、アヤシイ、ってことだったみたい。何故この時期にと思えば、刺されたなって思えてしょうがない。
自民党が、ってことではないけれど、でも自民党は1955年からほとんどずっと権力の座にあったから警察やら財界やら、その情報網はすさまじいと聞いたことがある。
その昔、後藤田正晴という官房長官がいて、その前は警察庁長官までやった人なんだが、田中角栄の懐刀と言われ、嘘か誠か知らないが与党も野党も隔てなく、警察情報網によって国会議員のスキャンダル情報をあまねく押さえていたという噂だった。
政敵をつぶすのに、その中心的な支援者の会社に突然国税の査察が入ったなんていう、もっともらしい話も聞いたことがあるし、重ねて嘘か誠か知らないのだけれど、権力とはさもありなんと納得させられてしまう。
そういう伝統というか、情報網は多分今も生きていると思うし、必要に応じて使える引き出しはたくさん持っているんじゃないか。そんな目で今回の事を見てみれば「玉木、あの野郎いい気になりやがって」と、これは私の邪推だけれども、案外そんなことだったんじゃないかという気がしている。
まあそれはそれとして、不倫だの乱倫?だのセクハラだの、そんな昔の事でもなく国会議員が結構辞職しているのに、玉木さんは党首さえも下りないってのは、何故それで済むんだろうかと、そこは素直に疑問。
もう一つ、これは相当うがった見方なんだけれど、ヤラレたんだろうな、と思うのが厚労省が突然言い出した「106万円の壁」
「所得税控除枠の103万円を178万円に引き上げる」と国民民主党が言い張っている最中、厚労省が突然社会保険料の観点から106万円の壁を取っ払うと言い始めたのは、なんでこの時期なの、とちょっと不思議。
でも遡って考えれば、もともと専業主婦の3号被保険者の問題も含めて、所得税と一緒に社保、年金も包括的に捉えて、いっそすべてを個人単位で考える方向も検討されていた訳であって、その点から言えば国民民主の103万円は、話をとても矮小化した、ある種人気取り施策ではある。
しかも178万円に控除枠を広げたところで、報道によれば「103万円の壁」が問題となるパート・アルバイトさん等の7割の人は「年額」数万円レベルの手取りアップでしかない。一方働く人全てに係わる話である税収は7~8兆円も減る仕組みだそうだから、財務省や政府筋にとってはとても「ウン」とは言えない政策。
で、ちょっと待て、検討すべきは税だけじゃないぞ社保もあるぞ、むしろそっちの方が大規模かつ喫緊の課題だぞ、という論理で103万円問題を先送りするか拡大幅を縮小するか、そんな作戦じゃないかと疑っている。
大体、首班指名も済んでいない非常に政治的な段階で、手取りを増やす政策に手取りが減る政策をぶつけるような真似を、官僚の独断でできるはずがないのは間違いないだろう。
多分、そんなこんなしながら政治資金の問題を各党の合意でサッサと片付けて、178万円問題も現在社保の支援手当が出ている140万円程度にして、これなら103万円の壁も広がるし、社保負担してもらっても手取りは減らないよね、とか言って手打ちとして、あとはバラマキで野党と合意して補正を通し、勢いで維新辺りを巻き込んで次年度予算を通して、春には自民党は倒閣運動で大政局。やがて国民民主は蚊帳の外、って作戦じゃないかしらと意地悪く思っている。
それにしても、好事魔多しとはよく言ったもんだと、改めて痛感した出来事でありました。
投資詐欺広告で被害を受けた方々が、メタを集団提訴するとのこと
提訴の内容は詳しく知らないが、サギられた金額の賠償を求めるのならちょっと違うような気もする。詐欺広告を放っておいた責任というか罪というか、そういう事と、それによって詐欺にあった事とはダイレクトにつながるんだろうか。
これが通るなら、世にあふれている詐欺師を社会に野放しにしたから自分は詐欺にあった、と言って警察を訴えるのもありだろう。そう考えるとちょっと良く分からない。
ホリエモンとか前沢氏とか(ホリエモンは氏とか付けなくて良いのか?)が自分が詐欺の手段に利用され、当の広告を削除するようメタに通告して、結果削除せず自身の信用が棄損し肖像権が侵害されたとして提訴して、その損害倍書を求めるのであれば、それはスッキリと筋が通っていると思うのだが。
フリーランス新法が11月から施行されるそうだ。これによりフリーランスの方の保護が進むことが期待されるというが。
新法の中身は、要はシッカリと契約しなさいという事らしい。これまでが強者の論理で口約束かなんかで業務を請け負って、話が違うとか金がもらえないとか、泣き寝入りが多かったんだろうと、そう思えばとても気の毒ではある。
でも、そもそもフリーランスって、組織に属したくないとか、自分の価値は自分で決めたいとか、そういった独立自尊の気概を持って自分の意志でなるもんだろうから、何も国や法律で保護されなくても、既存の法体系や枠組みの中で”戦える”人がなったはずじゃないんだろうか。
意思に反してフリーランスやってますっていうなら、たぶんそれって実質フリーターというんだろう。フリーランスってある意味カッコ良い訳で、ある意味憧れる対象であって欲しいと思うけど、世の中理屈のようには行かないって事かな。
青春18きっぷの仕組みが変わることで、連続する5日間とかしか使えなくなるのは改悪だっていうので反対の署名活動がされているようだ。
鉄道にあまり関心も無かったせいもあって、青春18きっぷが年齢関係なく買えて使えることを知ったのが、恥ずかしながらせいぜいこの5年くらいの話。心から「へえ~」であって、そのネーミングのそぐわなさに驚いたと同時に、退職したらそれを使って遠くへ行きたいと、青年のような気持ちになった記憶がある。
でもやっぱりその起源というか発行の目的は学生をターゲットにした収益改善策だったようで、販売時期が学生の春、夏、冬の長期休暇に合わせてある事からも、これは明らかだろう。
改悪と言って署名活動をしている方々の理由の一つが、「使用は連続する5日に限る」なんて言われたら勤め人は使えなくなる、ってこと。
でもこれは今まで誰もが買えて使えたことが、むしろJRの「売れればそれに越したことはない」的な考え方に依存していたのであって、本来の趣旨はやはり学生をターゲットにしていたんだろうから、誰に対しても同じ使い勝手であるべきと考える方が、ちょっと違うんじゃないか。
まあ、今までの利便性が損なわれるのは間違いないし、その意味では改悪には違いないけれど、署名活動までして撤回させるってのも、ちょっと無理筋のような気がするんだが。
今までの切符が一日乗車券が5日分の5枚といった方法だったそうで、それを5人で一緒に使ったり、いろんな本来の想定以外の使われ方もあったそうだし、自動改札への適合なんかの関係もあるようで、これも詳しくは分からないけど、まあ時代の変遷ってことで納得するしかないんじゃなかろうか。
ということで、いろんなことにいろんな引っ掛かりを感じた次第。
幾たびこの時と向き合って来たのだろう。
やらなければ、少なくともその時までは何も知らずに過ごせるのに
やれば必ず不適切な事実に向き合うことになるのは分かっているのに
検便を2回分採ることになったのはいつのことだったか
「4日以上前のものは検査ができません」と注意書きに気づく
「4日前」に提出日は含むのか、3日間なのか4日間なのか
それ次第で成否は大きく左右されるじゃないか
それ用のキットを受け取った日から既に懊悩が始まる
もし1回しか採れなかったら
そうあの時
「1回しか採れなかったのでそれだけの検査で結構です」
「でももったいないから、明日でも持って来てくだされば」
優しい言葉に潜む無慈悲を知ったのだ
今日はバリウムを飲むのだ、下剤も飲むのだ
明日までにちゃんとした検体を採取できる訳がないじゃないか
バリウムの本当の脅威は当日の検査にはない
当日はせいぜい、ゲップの我慢、半分逆さにされても落下しないこと
最期のハンマーみたいな奴がまともに肋骨を押してしまうこと、くらいのもの
本当の恐怖は、排泄できないことだ
必ず、まだシャバシャバの内に、その日の内にある程度出ないと
翌日も出ない事態は想像するだけで恐怖だ
そうあの時
当日も、翌日も出ない、下っ腹が重い、バリウムの比重の違いをしっかり感じる
明日出なければいよいよ医者へ行かねばならないか
と覚悟を決めたその時、先半分が通常色、あと半分が真っ白な世にも珍しいものが
まさしく「誕生」が過言でない喜び
便器に落ちるとき、確かに「ゴトッ」と響いたあの瞬間
心から安堵したことを思い出す
そう、幾たびこの時と向き合って来たのだろう
向こう岸が近い身であれば、やってもやらなくても知れたもの
結果なんて見なければなかったことに出来るのに
でも、来年には、幾たびプラス1回目の、この時にきっと向き合うのだろう
今年はソフトバンク対ベイスターズ。方や勝率6割5分の堂々たるリーグ優勝。方や勝率5割のリーグ3位。いつものことながら、もうこんなシステム止めようよ。
それなりの年齢なもので昔の事ばかり言って申し訳ないけど、ひとむかし前、日本シリーズは文字通り年間の優勝チームを決める、プロ野球の祭典であった。
しかるに、今の日本シリーズは優勝決定戦と言いながら、その実リーグ戦が終わった後のファンサービスに偽装した、単なる金儲けイベントにしか思えないのだけれど、野球ファンはどう思っているんだろうか。
いつからかCSなんてのが始まったのが諸悪の根源だが、改めてネットで調べてみたら2004年にパリーグで、リーグ戦の優勝決定後の消化試合を減らすことを目的に始まったとのこと。
そんな事だったかと思い出せもしないが、結局のところシーズン終了近くなって優勝が決まるとか、ほぼ決まるとか、そうなると客も入らないし収入も減るってことで、MLBの真似をして導入してみたら興行的に当たったということのようだから、詰まるところ日本のCSってのは単純に興行目的で、真の王者は誰だ!なんて気高い動機は微塵もない。
MLBの場合、今なら全部で30チームもあって、それが15ずつ2つのリーグに別れさらに各リーグ内で東、中、西と5チームずつの地区に分かれて年間の試合を行って行くから、そもそもリーグ優勝を決めるためにはポストシーズンをやらない訳にはいかないシステムになっている。
だから、必ずある単位の「優勝チーム同士」の戦いになるから白熱するし、ファンも熱狂する。ひいては興行収入もガッポガポと相成る仕掛け。
ところが日本の場合、一年かけて頑張って優勝したら、もう一度下位の奴らと試合をせよと、しかも負けたらリーグ優勝チームかも知れないが、日本一をかけた戦いには進めません、と言われる訳で、これじゃほとんど狂気の沙汰じゃないか。
百歩譲って、勝率がとても競っていたのならまだ許せる。がしかし今回はパリーグではソフバンはブッチギリで.650の勝率。2位のハムにはゲーム差で13.5ゲーム差、ハムの勝率は.556。これを完勝と言わずに何とする。
セリーグでは、巨人が.566、阪神が.540。この辺はまだ許容できる。だが、横浜に至っては.507。かろうじてやっと勝ち越したレベルである。何故そんなのと改めて勝ち負けを競わなければならないか。とっくに完全に勝負あったのだ。その挙句に横浜が買ってしまったから尚たちが悪い。(横浜ファンには申し訳ないが、客観的に見ればそういう事だろう。)
ぜひともこんなシステムは撤廃して欲しいものだ。ただ、文句ばかり言ってもしょうがないから(無理は承知で)代案を一つ。
MLBがアメリカ内の競技なのに(正確にはカナダが1チームあるが)ワールドシリーズと言い張るのなら、こちらは正真正銘の「イーストアジアシリーズ」ってのはどうだろうか。
サッカーみたいに、アジアチャンピオンを決める。日本に12、韓国に10、台湾に6のプロチームがあるそうだから、合計すれば28チーム。MLBに匹敵する。
これをEアジアリーグとして、例えば韓国を5チームずつ2地区に、そして台湾6チームを1地区とすれば、KTリーグの北、中、南地区とできる。
日本は3チーム増やして、5チーム3地区制でJリーグ?。後はMLBと同様にポストシーズンからアジアシリーズと進めれば良いのではないか。
ドラフトとかトレードとか、かなり面倒な調整が必要だろうし、それをやらないと実力差が今のところ結構ありそうだから、なおハードルは高いとは思いつつ、そろそろ何とか今のインチキ日本シリーズ(失礼)を変えて行かないと決定的につまんなくなるぞ、とひどく腹を立てている昨今。
元を正せば裏金問題の処理でもたついたから、岸田内閣が倒れ、衆院解散まで行かざるを得なくなったんだろう。
石破総理になって「裏金じゃない、不記載だ」と改めて言うくらいなら、最初から絶対にそこのラインを崩すべきじゃなかった。規正法違反であれば純粋に触法問題として処理する。そうじゃなくて倫理的な、あるいは収賄に類するような問題と認識するなら、それに相応しい処分が相当だろう。
しかし、一部野党が叫んでいるような「金権腐敗」などと、昭和を彷彿とさせるような種類の、あるいは規模、金額、構造の話ではない訳で、長年の慣習としてずっと続けてました、誰も悪いと思ってませんでした、ましてや経験の浅い議員なんかが判断の付く問題じゃありませんでした、というなら、それに相応しい処分があろう。
不記載だとするなら、それじゃそれは政治資金じゃなくて所得扱いにすべきだから、遡って雑所得として納税させれば良かったと思うし、それで野党や世間がどんなに騒ごうとも頑としてそれで問題の処理は終了と言い張れば良かった。後は有権者が判断する話。
それを何だか分からないふらついた態度を取ったもんだから、自民党は総理退陣、解散、その挙句野党から裏金、金権腐敗と100%攻めまくられ。選挙の争点が現在の日本国には何もないのかというくらい、批判とお詫び一色の選挙となってしまって、我々は未来に向けて何の展望も描けないのに投票すべき対象を選択せよと迫られている。
街角の声なぞと言うのもTVが一生懸命拾っているけど、かなりの頻度で「政治と金」が投票に当たって最も重視する問題だという方がいる。
TVにとっては待ってましたという反応だろう。他に聞かれるのが少子化対策、子育て支援、物価高対策。失礼ながら絵に描いたようなステレオタイプの反応のオンパレード。TVが候補の絵を流すときには野党は自民党批判、自民党はお詫びのシーンばかりだし、市井の反応が類似してくるのも無理もない。
たまにはどの候補が、あるいはどの党がどんな政策を訴えているのか、そんな場面をダイレクトに伝えて欲しいものだ。誰かは安全保障、原発、中東・東アジア情勢、財政規律なんてことも言ってるんじゃないか。誰も言ってなかったら日本は終わりだろうから、きっと言ってるはずなんだが。
こんなことを言うと時代錯誤と言われるかもしれないが、ちょっと最近はいろんなことがナイーブに過ぎて、本当に大事なことは何かを自分の頭で考える人が減っている気がしてならない。
政治と金の問題にしても、「何で政治にそんな金がかかるのか」と言う人がいるが、身近であろうビジネスの問題で考えてみれば、例えば1000万の経費を使って1億の利益を上げた人と、1円の経費も使わなかったが1円の利益も上げなかった人、どちらが偉いですかといえば、少なくとも社長は前者を偉いと言うだろう。
私は清潔です。誰からもお金をもらっていません。ただお国のために何の結果も出していません、というか結果を出せる立場にもいないんです。と言うような政治家が存在したとして、そんな議員が俸給を得ている事が許されるのかというのが本質ではないのか。金は掛かるというなら、それに見合う結果を出せ、と迫るのが正しい態度だ。金を使うなというのは仕事をするな、に通ずる論理である。
マスコミが、あるいはネットで、裏金だの裏公認だのというワードが溢れると、その意味するところも良く分からないのに、せめて分からないと言えばまだ自分で考えているのだろうが、流れに乗ってそれは許せない、罰しなければいけないといきり立っている人が多いように思えてならない。
結果としてこの候補は何をしたいのか、何をしてくれるのか、どこを目指しているのか、そんなこともほとんど知らされることも無く、ひたすら金の問題を攻撃したり謝ったりしているだけで、もしかしたら空っぽの人に投票することになるのかも知れない。
それは自身にも、将来の我が国にも、限りなく不幸なことだと思わないか。