55歳で退職したおじさんのブログ (original) (raw)

夕張市財政再建団体となったのは2007年。

大きな話題となりましたが、それでも「夕張市の問題」という認識が強かったと思います。でも、もし今、同規模の自治体が財政再建団体となったら…ですね。

それは、他人事では済まないと思います。その影響は大なり小なり国内全体に及ぶ可能性があるからですね。ということは、都道府県・市町村の首長や議員に誰がなるかが、実は国内の他の自治体、それぞれの政治・経済・教育などの動向に影響を与えるってこと。

要するに「俺の町のことに他の町の奴らが口を出すな」というわけにはそろそろいかない状況になりつつあると言えるでしょう。逆説的なんですが、国は自治体に自立を求める方向性を打ち出していますが、人口減少とグローバル化によって「遠くの出来事でも私に影響がある状況」になりつつあると言えるでしょう。

地方で仕事をする時は、「地元のルールを尊重し、地元の偉いさんに気に入ってもらって…」というセオリーがあります。郷に入っては郷に従えですね。それは本当です。

ただ、東京から地方に派遣されるときというのは、「地元のルールだけでもうもたない、そもそも地元の偉いさんが財政赤字の原因」ということも多く、セオリーとおりでは仕事にならない時もありました(だから、スケープゴートとして東京から派遣されるという意味もあるのですが)。

いわゆる「ローカルルール」では、健全な自治体運営が維持できないのです。

そこで「グランドルール」を移植するのが私のお仕事。

ただ、その現実は「グランドルールによる運営を実現する」ではなく、「ローカルルールによる限界を知ってもらう」にとどまります。

あと、その時注意していたのは、「勝ち目が低い戦いに女性が利用されないこと」。

これは妻から学んだのですが、女性の社会進出・女性の登用という名目であぶない橋を渡らせようとするケースは少なくない…。たとえば新規事業とか、風当たりの強い役職とかに女性を積極的に登用しようとする組織にはご用心ってこと。

(対抗馬に女性が登場する選挙とかですね)

ということを思いつつ、また一週間が始まります。

とりあえず朝カレーを済ませたので、これからパンを仕込んで原稿書きに励みます。

記事はカレーですが、写真はサツマイモと玄米の混ぜご飯で

朝カレーが習慣になりつつあります。

カレーの日は、仕事の調子がよいです。集中力が続くのです。

で、忘れないうちにレシピをメモしておきます。

1,標準的なレシピ

・たまねぎ 2個

・なす 4個(450g)

・キノコ類 一袋(カットしたもの一袋)

・トマト缶 1個(400g、ホールでもカットでも)

・鶏むね肉 1枚(200~400g)

・カレー粉 一袋(3食分を一袋にしたもの)

YouTubeにあるのはこういう感じ。

肉と野菜は一口大に切り、上記の材料をフライパンに入れる。

中火で10分程度煮るとほぼ完成。焦げ付かないように時々混ぜる。

2,具沢山無水カレーのレシピ

・たまねぎ 3個(約90円)

・なす 8個(約330円)

・エノキ 大株1つ(約100円)

・トマト缶 1つ(約80円)

・鶏むね肉 2枚(約230円)

・カレールー 半分(約100円)

これを鍋で作っています。

今はお試し期間なので、標準レシピに対して「○○を倍にする」を試しています。

前回、玉ねぎを4つにしましたが、これは甘みが強すぎでした。

で、今回はナスを倍にしています。こちらはいい感じです。

初期は肉なしでしたが、鶏むね肉を入れると満足感が高く、しかも量が1食分増えたので今は入れるようにしています。胸肉安いですからね。

あと、コーヒーとか、パン作りで使っているチーズとか少し入れています。

上記のレシピのコストは約1,000円。4食分なので一食250円。

ナスを半分にすればコストは850円、一食212円になります。

バターとか、ロリエとか使うともっとよいのでしょうが、そうするとコストがかさみます。カレー粉もグルテンフリーのものを使うと健康的にはよいのですが、こちらもコストが…(凝り始めるとキリがないのでここらへんで止めます)。

今回は、ナスが安かったので倍にしましたが、今後は「たまねぎ3個、ナス4個(一袋)」が標準になりそうです。あと真偽はわかりませんが、野菜のみより、鶏むね肉を入れた方が脂肪燃焼・ダイエットにはよいという話もあります。

いずれ、外食すれば800円以上ですが、自分で作れば200円台。

YouTubeと異なる個人的やり方は以下

・カレー粉ではなくルーを使う(その方が好みの味でコストも低減)

・鍋で作る

・前日の夜に仕込み、翌日の朝温め直しての繰り返し

・材料は炒めず、そのまま煮る。

・ITの特性を活かし、弱火で時間をかけて煮込む(トータルで40分くらい)

最初の頃は、鍋に半分くらいの量でしたが、上記のレシピにして鍋一杯の量になりました。4食以上になりそう…。

あと、こういうレシピはAIに聞くといろいろ出てきます。

パン作りや漬物つくりも、最近はAIが教えてくれるレシピを参考にすることが多いです。標準的なレシピを簡単に示してくれるので、その通り作ってから、アレンジを加えて好みの味にするようにしています。

というわけで、今年の冬は、カレーで乗り切ろうと思います。

紅葉が市内に降りてきました

高校がミッションスクールで、週一回、礼拝と聖書の授業がありました。

信仰を勧めることはなく、学問としてキリスト教を学ぶ、西洋を学ぶということが最初に告げられたのをおぼえています。また、他の宗教を信仰していて、そのために礼拝には参加できないという同級生は、礼拝の時間職員室で過ごしていました。

他の宗教を信仰していてキリスト教主義の学校に進学してくることに疑問はありましたが、母校の良さは「個人に対する寛容さ」だったと思います。

今でもおぼえているのは、火曜日の2限が聖書、3限が生物だったこと。

聖書の授業は天地創造から始まり「人類は神が創ったもの」と教えられます。

生物の授業は進化論から始まり「人類はサルが進化したもの」と学びます。

生徒からは「聖書の授業ではチャプレンの○○先生は、人類は神が創造したものとおっしゃっています」というつっこみが入ります。これが高校1年生の4月。

生物の先生は極めて冷静に「聖書に書かれていることは真実です。生物の教科書に買書かれていることは事実です」と返します。

「先生はどっちを信じるんですか?」

「…私はここでは生物の教師ですが、牧師でもあります」

なるほどな…と思いました。

私がキリスト教に親しみを感じつつもクリスチャンにはならなかったのは、要するに「一神教への違和感」なんですね。

キリスト教の神以外を信じてはならない」という言葉は、えてしてそれ以外の宗教や価値観を否定することにつながります。それが戦争に発展したり、対立の要因になるわけで…、そもそも世界中に「複数の一神教がある」という逆説を受け容れられないことにトラブルの根源があるような気がしていました。

一神教を信仰する人は、個人として「その神以外を信じないこと」は自由だと思います。ただし、「異なる宗教・価値観に基づいた社会に個人の宗教的価値観を強要すること」はいけないと考えています。

教育委員会の中には「私学課」というセクションがありますが、その役割の一つに「宗教教育の監視」がありました。学校の教育方針としてキリスト教や仏教を掲げること、その考えに基づいた教育活動を行うことは問題ないです。ただ、それが教育活動を逸脱した・強要した…となるとまずいです。そのボーダーラインは極めて曖昧なのですが、そこでは「一神教のデメリット、宗教を学問として学ぶこと」について質疑を繰り返すことを意識していました。

宗教だけでなく「そのことしか信じない、自分の価値観でしか行動できない」という一神教的言動を示す人はいます。おそらくその人は、そういうことを無意識に行っている可能性が高いです。もし意識的であるならば「自分の価値観と異なる人を徹底的排除・否定することで、自分の価値観の中に取り込む・支配すること」を戦略的に行うはずです。

なかなか困りますね(笑)

全体の形はよろしくないので接写で

先日、とあるところからリンゴをいただきました。信州のリンゴです。

これをパンケーキに乗せて焼きました。リンゴパンケーキです。

私、果物全般が得意ではないのですが、リンゴは火を通すとおいしいです。

豆腐と米粉が材料で、砂糖などは使っていません。でも、リンゴの甘みで十分なおいしさがありました。

パンを焼くのは、ホームベーカリーでも5時間くらいかかります。

もちろん、クイックモードみたいなものはあって1時間程度でできるものもありますが、全粒粉を入れる場合、そういうモードは適しません。

一方でパンケーキはフライパンでできます。小腹がすいた時にさっとできるのはありがたいですね。パン作りのスピンオフ企画として重宝しています。

最近つくづく思うのことは、「人間一人生きていくために必要な金額は、人間関係とストレスから距離を置けばそんなに大きなものではない」ということ。

人間関係とストレスとから距離を置くことは、山奥に引きこもらなくても可能。

私の場合、利便性の高い市街地のマンション暮らしの方が、ストレスと支出との減少を可能にしています。要するに「何もしない」ってことですね。

公務員時代、憧れたのは「何もしない時間」「予定のない明日」。

今は、その「何もしない幸福」を楽しんでいます。はい。

昨冬から、ベッドに電気毛布を敷いています。

今年も使っていますが、なかなかよいです。一番よいのは、まだエアコン暖房を使わずに済んでいること。それでも寒さで目覚めることがないことですね。

経費的には、「エアコン>灯油ヒーター>電気毛布」になります。

食生活も、「無水カレー・玄米・自家製漬物」「ホームベーカリーで作る全粒粉パン」「焼き芋」が軸となりました。パン作りのスピンオフで米粉のパンケーキも作っています。

パンを自宅で作るようになると、いよいよ「漬物・キムチ」「パン・お菓子」「総菜」を買うことがほぼなくなりました。買出しに行っても数百円で終わり。とはいえ、パンなどの材料である粉類やバターとかを買えば数千円になりますが、それは月に何度もあることではないです。

冬をこの食生活で過ごしてみて、生活費がどうなるか確認してみたいです。

節約につながるとよいのですけど…。

パン作りはこんな感じです↓

だんだん理想のパンに近づいてきました。

今回はこんな感じ

全粒粉60%(既定のレシピは50%)

無塩 (既定のレシピでは5g)

砂糖3g (既定のレシピでは17g)

明日は「全粒粉70%、無塩、無砂糖」で試してみます。

少しずつ配合を変えているのですが、塩・砂糖を減らし、全粒粉を増やした方が好みの味に近づきます。しかも外がカリカリに硬く、中はふわふわになります。何より市販のパンより低糖質です。

というわけで、最近はキッチンに立つことが楽しい日々となっています。

(旅行に行くより…ですね)

いつ行っても白馬には癒されます

昨日の17時まで拘束されていました。ですから昨晩は富山県内に泊まって…と考えていたのですが、現在自宅にいます。

少し早く15:30頃には解放されました。

GoogleMapで調べると、富山市内まで行く時間と、自宅到着時間が1時間ほどしか変わらないんですね。すると、旅より里心の方が強くなってしまい、さっさと帰宅しました。途中高速を少し使いましたが、泊まるよりは安い。

そして、スーパーの営業時間内に松本市内に到着し、買い物をして帰宅し、早速カレーを仕込みました。今、朝カレーを済ませたところです。

無水カレーの通常レシピでは玉葱2個なのですが、1個28円でしたので4つ入れてみました。ちょっと…甘いですね。玉葱の甘みが強く出たようです。

さてさて、今回は日本海側、原発がある地域でのワークショップ。

テーマは防災ですが、要するに避難を何度しないといけないかに気づいてもらうという目的で構成しました。

多くの人はこんなイメージだと思います。

0次準備 防災グッズの準備・家族が集まる場所の確認

1次避難 地震の揺れとそれに伴う事象(津波・建物の崩壊など)から身を守る

2次避難 指定避難所(学校など)に行く、外出先の場合は帰宅する、

問題はこの先なんですね。

3次避難 自宅が地震津波などで失われている場合どうするか

4次避難 原発に問題が発生し、緊急避難が求められる

5次避難 地元にはしばらく戻れない

ここまで想定している方は、参加者にはいませんでした。

たとえば県外の親戚を頼るとして…田舎の古民家風一軒家ならば大きいですからよいでしょうが、都会のマンションではいろいろ無理があるでしょう。たとえば、自家用車で避難したとしても駐車場がない(有料)とかですね。

学生さんもいました。都内のアパートで暮らしながら大学に通っている時、地元に災害が起きたことを知ります。どうしますか?? ですね。

駆けつける…という声が多いのですが、どうやって…となると「あああ」になります。能登の現状を知る人も多いので、たとえば大学生の子供が東京から駆けつけてくれるとうれしいし、心強いし、精神的にはありがたい。でも、長く滞在することは難しいし…となります。

逆に、自宅で暮らす親御さんが、お子さんの暮らす東京で災害があったことを知ります。どうしますか?? も問いました。

私の役目は「問題提起」まで。ですから、参加者が「あああ」と思ってくれれば目的達成。そこから各自の課題を言語化~全員で共有~課題意識の共有と地域互助への意識を引き出してワークは終わりです。

東日本大震災の時、私は「自宅避難者」に分類されました。

小中学校などに設営される「避難所に避難した人」には、避難所での食事・炊き出しが提供されます。しかし、自宅避難者には提供されません。また、避難所を運営する公務員も、「その避難所に避難している人でない」ということで食事やトイレなどは自力になります。

つまり、自宅避難の公務員で避難所運営の支援を担当していた私にはメシがなかったんです。また、津波が自宅の1階を貫通している方の場合、自宅に鍵などがかかりません。つまり悪い人に自宅を荒らされるとか、2階に知らない人が寝泊まりしているなんてこともありました。すると、夜は自宅で過ごすことになります。そうすると「自宅避難者扱い」になって、食事などの提供が打ち切られるということもありました。

この杓子行儀で融通の利かない判断は、「まったく公務員は…」という部分もありましたが、避難者・住民から「この飯は避難所のものだ」「自宅で寝泊まりできるという恵まれた人に食事まで提供するのか」などのご意見の反映もありました。

こういうことを「地域住民で事前に話し合い、冷静な状況で合意形成する」ということもワークで実践してもらいました。

もちろん、このワークの決定が地域のルールになるわけはありません。ただ、こういうことを話し合う時、決める時の空気感・気まずさ・重さ・本音の探り合いを経験してもらいつつ、「自助と何か」を新たな視点から考えてもらうということです。

東日本大震災民主党政権時にありました。少し前の選挙では政権交代までは進みませんでしたが、そういう時に限って何かが起こるんですよね…とつぶやくと、参加者の集中力が高まりました。続けて、そういう時「公助」はあてにならない。大きな決断ができる政治家はいない。文句を言っても食料は届かない。

自助あるのみ…とお伝えするのが個人的な目標。あとは地域にバトンタッチ。

そんな今日この頃です。

そろそろ外でカレーを食べて自分のカレーの味を確かめたい

ロッテの佐々木投手が、いよいよアメリカにというニュースがあります。

あんまり好意的ではない記事が多いですね。

佐々木投手は9歳の時東日本大震災を経験しています。

自宅やご家族を失われていますから、かなりつらい思いをしたと思います。

以下は、個人的な感想ですが…

誰しも大きな経験をすると人生観がちょっと変わります。

関係者で話題になることはあっても、客観的なエビデンスはない感覚的な話題であることを最初にお断りしますが…、たとえば東日本大震災を経験した人の中に、「先を急ぐ傾向」を見せる人が多いです。

言い換えると、自分の考えの実現に一直線なんですね。

なぜそうなるかと言うと、「世の中何が起こるかわからないから、何かを失う前に後悔のない人生の選択をしておかないとという思考が強くなる」という傾向が生まれるからです。この思考とは「震災で亡くなった人、復興に協力してくれた人、自分を支えてくれた人への恩返しをしなければならないという強い使命感」です。この使命感が自己の中に強迫観念的に根付いて自分の思考を支配するんですね。

私は佐々木投手を知りませんが、佐々木投手と同世代の東北の若者とは少し話したことがあります。

彼らの故郷や復興への思いは強いです。しかし、震災・復興の現実と世間のイメージの乖離に悩み絶望することも多いです。そういう現状で、故郷・復興のためにはどうすればよいか、自分はどう生きればよいか…を考えた時、「よい意味で世間を利用すること」「人や世間に頼らず自分で稼いでそれを故郷に還元すること」が思い浮かびます。

たとえば、大手企業に入って商売のノウハウを学んでから起業。

たとえば、自分の能力を最大限に評価してくれる場所で稼ぐ。

そういう意味で、日本的終身雇用やそれに伴う安定志向はないことが多いです。

むしろ、自分の能力を最大限発揮できる場所・評価してくれる場所・稼げる場所を求めます。それは一般的には「わがまま・守銭奴・もっと大事なものがあるだろ」という批判的評価になることが多いです。しかし、彼らにとっては「自分の力で稼いだお金を、故郷・復興に還元するという使命を果たすための現実的思考」なんですね。

ロッテで学ぶことは学んだと感じたのかもしれません。

もっと稼げる場所からのオファーもあります。

2年待って得られる契約金・球団が得る移籍金より、今行った方が稼げるならば、今行くでしょう。

彼は自分の名誉とか自分のための稼ぎを求めているわけではないはずです。

今行って、たくさん稼いで、早く恩返ししたいという、そういう思考にとらわれて先を急いでいるような気がしてなりません(個人的ですが)。そういう気持ちがなかなか理解されないのも、震災の現実と世間の認知のギャップなんですね(個人的ですが)。

いろいろあるんですけど、佐々木投手には頑張ってもらいたい…という気持ちと、アメリカが彼を受け容れてくれることを祈る気持ちが強いです。

で、アメリカで長く野球を続けて、たくさん稼いで、大船渡や釜石に還元してくれるといいなと思います。そのことでたくさんの人を幸福にして欲しいと思います。

世間的にはダークヒーローのようになりつつありますが、また彼の背後に大手代理店やよくない大人がいるのかもしれませんが、まず渡米してそういう空気感や人々と距離を置き、いい意味でのアメリカ契約社会で成功して欲しいです。

今、若者にそういう思考が広がりつつあります。

そういう若者の思考を理解できない大人も増えています。

そんなことを思う今日この頃なのでした。