都立人間のひとりごと (original) (raw)
2週間におよぶテスト期間が終了しました。私は学部学科の性質上テストよりもレポートの方が多いわけで、法学部や理系学部の人たちと比べるとなんのことはないわけですけれども、それでも半年前の懐かしくも苦しい受験期間を思い出す日々でした。なんならレポートは
参考文献を読む+疑問を見つける+文章構成を考える
のステップを踏む必要があるために、テスト勉強とレポート執筆テスト勉強をするよりも負担大なんじゃないかと個人的には思います。
さて、今テスト期間中に気づいたことを一つ。
それは、自分は極めて要領が悪いようだということです。
これまでの人生でも何度か感じたことでありましたが今テスト期間でまざまざとそのことを突きつけられたように思います。
私はテスト期間が始まる一週間前からレポートを片付けて、憂いのない状態でテスト勉強に入ることができました。一方ある友人はテスト期間中3つも4つもレポートを抱え、かといって精力的に勉強するわけでもなくゲームをしたり、他の友達と遊びに出かけたりしていました。
この二人の行きつく先が同じなのは、驚くべきことではないですか?私が2,3日かけて1本のレポートを仕上げたのに対して、彼は数時間ほどで2本のレポートを片付けた。
周囲を見てみるとどうも、後者は思ったよりもマジョリティな存在のようです。
僕が机に向かっている間に彼らは多くの大学生らしい経験をして豊かな人間に成長していくのだろうな。
そう思うと、レポートに一字加えていくごとに、授業内容をまとめたノートが一枚増えるたびに自分がつまらない人間になっていくようで焦燥が高まっていきました。
ただ、この期間にSEKAI NO OWARIの『habit』に大いに勇気づけられもしました。
曰く「俺はそもそもスペックが低い だから足掻いてもがいて醜く吠えた」と
要領悪く生まれたなら、そのなかでせいぜい踏ん張って食らいついてやろうかと、何者に向かうでもない反骨心を蓄えたテスト期間でした。
前回記事の続きです
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大根山の神に到着し、ようやく一息ついた我々一行。
Kの機嫌も直り、峰集落まであと一歩です。
目印は、林道が途中で途切れている場所。そこに峰集落はあります。
川乗山入口。ここを通り過ぎる人は多分峰に行く人だけ。
さっきまでの険しい林道とは打って変わって舗装された林道がどこまでも続きます。
どこまでも......
あれぇ?
この林道はどこまでも続いちゃいかんものでは...?
前の記事に書いた通り、私は11年前のyoutubeを参考に計画を立てておりました。
そして、11年もあれば風景なんて変わって当然なのです。林道は延長され、目印にしていた途絶地点はなくなってしまったのです。
このままでは企画倒れもいいところ。Kの機嫌もまた悪くなってしまう...
そんな懸念の矢先、一台の車が近くに止まりました。
最後の住民
降りてきたのは初老の男性でした。一か八か、峰集落について知っているのにかけて聞いてみるしかありません。
私「すみません、この周辺にむかし峰という集落があったそうなんですがどこにあるかご存知ではないですか?」
男性「あぁ、ここですよ」
私「そうなんですか!なんでご存知なんですか?」
男性「あ、最後の住民です」
私&K「?????」
なんという豪運、私たちはいつの間にか峰にたどり着いていただけでなく、峰最後の住民と出会ってしまったのでした。
1:うっそうとした杉林になった峰集落跡2:左下に見えるのが日天神社
3.4:日天神社内に置かれたノート。宮崎の高一の熱情には脱帽
5.6苔むしたかまどと井戸
7どれだけの時を経てためられた水だろうか
8廃村になって50年の月日を感じさせないほど生活感が色濃く残る。
9壊れた電子機器。
峰集落の歴史についてある程度予習していたので、最後の住民として紹介されていた男性の名前を尋ねると
「なんで知ってるんですか(笑)」
と驚かれました。この男性は私が名前をあげた方の息子さんだそうで、10代のころに山を家族と降りたそうな。
質問にもいろいろと答えてくれて
・集落にはフクシマ氏とカトウ氏が多かったこと
・最も富裕で、集落の高地に住んでいたフクシマ氏が一番早くに山を下りたこと
・集落に水が通っていなかったこと
・林業をなりわいとしていた集落民は下山後なかなか苦労したこと
などを教えてくれました。
1、2:集落高地にて。いつの時代のバヤリースオレンヂなのだろうか
3:急勾配の上のフクシマ邸跡。山城のような威圧感だ
4,5:フクシマ邸跡。
下山
そんなこんなで1時間ほどで探索を終え、下山することに。
別れ際に「廃村について本でも書いてくださいよ」なんて言われてちょっと感激してしまいました。目指す先は令和の柳田国男であります。
下山時は林道を通ることに。
数々の清流とわさび畑、やまびこを楽しみながらルンルンのハイキングでした。
ルンルンのハイキングを終え、余韻に浸ることもできぬほどにパンパンになった足を引きずりカフェYAMABATOへ。
食事もほどほどに店を出て家へと帰っていきます。
今日一日の非日常が嘘のようにもとの生活に私たちは戻っていきます。
でも、そんな生活も歴史の一部として残る。そんな事実に気付き、想いを馳せることのできた一日でした。
カフェ YAMABATO
鳩ノ巣駅からの風景②
5月某日、私はある廃村を訪れるため、高校来の友人K(『こころ』とは無関係)とともに奥多摩は鳩ノ巣駅に降り立ちました。
ある廃村とは、峰集落。
江戸時代に材木業で大いに栄え、かの日本民俗学の父柳田国男が訪れた過去を持ちながらも、1972年に最後の住人の下山によって400年の村史に幕を降ろした神秘の集落...
これらはすべてネット記事の受け売りで真偽は不明な訳ですが、人の消えただとか神秘のほにゃららなんて言われたら行ってみたくなるのが人の性。大いなる冒険心を持って私たちは峰を訪れたのでした。
鳩ノ巣駅からの風景。壮大。
鳩ノ巣は観光地としても有名だそうで、登山によってへろへろになる前に観光を楽しんでおこうと鳩ノ巣渓谷に行きました。
鳩ノ巣渓谷
都内ではなかなか見られない清流と新緑を味わえました。隣駅までのハイキングコースもあったので、時間があったらいつか歩きに来たいなあ。
峰集落へ
さわやかな緑が心と目を元気にしてくれたところでいよいよ峰集落を目指します。
Google Mapを見てみると、峰集落近くの目印となる大根山の神という神社へは林道を通って行くことができます。
でも私たちはあくまで本仁田山・川乗山登山口から大根山の神を目指します。
というのも、今回の計画は11年前にyoutubeに投稿された峰集落探訪の動画を参考にしているため、できるだけそれに沿って行こうということになったからです。
これがまあしんどかった...
左:登山口。ここから冒険が始まる... 右:誰?
町を見下ろす絶景に感嘆するのも束の間、本格的な登山道に苦しめられます。
我々は所詮都会に暮らすしがない大学生。木の根と岩でごつごつの登山道を進むのも非日常で一苦労なのです。
実際、すれ違う登山者はみなさん本格的な登山準備をしている方ばかりで、恐らく川乗山からの下山者であるのでしょうが、自分たちはガチの登山をしているのだと思い知らされました。
登山口から町を見下ろす...
険しい登山道にも日はさす
1時間も歩いているとKもネガってくるようになり(もともと私がむりやり連れてきたため)、険悪な雰囲気を払拭するためにも一刻も早い到着がもとめられる事態に。
あとちょっとだからと何度もKに奮起を促しながら進み、登山開始から1時間半ほどで中間目標の大根山の神に辿り着くことができました。
参拝を兼ねて小休止してから、いよいよ峰集落へのラストスパートに差し掛かります。
続く... ブログ記事編集 - はてなブログ (hatena.ne.jp)
大根山の神。八百万を感じる。
夏目漱石の『こころ』。
1956年から国語の教科書に採録されているそうで、誰もが一章くらいは読んだことがある歴史的名著です。
文系学徒として大学の門を叩いたわけですから、教科書に収録された名著くらいは読んどかなきゃなというちょっぴりの義務感のもと、私はこの本を手に取ったのでした。(kindleだけど)
心臓を鷲掴みにするBSS
BSS(僕が先に好きだったのに)
という概念はご存知でしょうか。
BSS (ぼくがさきにすきだったのに)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)
恋愛下手の甲斐性なしなら一度は、もしかすると何回でも辛酸をなめさせられた現象では?
私はこの概念がたまらなく好きなのです。なぜなら私が恋愛下手の甲斐性なしだから。いつだって人間は似たものを求めるもので、恋愛をしなくても生きていけるこんな時代だからこそ、恋愛で失敗し続ける貴重な同志の存在を知れるこのカテゴリは好みなのです。
結末は違えど、『こころ』はあまりにもこの概念の解像度が高すぎる作品でした。
これほどこの概念をみずみずしく描ける夏目漱石、そして採録し続ける国語教育界の性癖はきっとBSSに違いありません。
印象に残ったパンチラインと場面をあげながら、この作品の解像度がいかに高いかを書いていきます。
※作中の先生の一人称は”私” ブログ主の一人称は”わたし”とします
「本当の愛とは宗教心とそう違ったものではないという事を固く信じているのです。」p170
沼地のように重く抜け出せない地獄の始まりはいつだって片想いです。
そして恋愛下手はその相手に異様な忠誠心をもって従属することを意識化、無意識化に行ってしまう哀れな存在なのです。
そのことを先生は見事に言語化してくれました。
異性という存在を意識し始めた私=先生 はかわいいほどに初恋ムーブを見せます。
相手が何をしていてもそれは特別なものに見えますよね。
話したいくせに、相手から話しかけてくれるのを待って、頭に入りもしない勉強を続けるのですよね。
わかります。
そんな美しい体験の記憶の一つ一つが、後に己を蝕む執着へと変わっていく...
結末を知っている神様の視点では、この場面も地獄への伏線のようです。
「私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥かにKの部屋から出たと思いました。」p199
少し場面は飛んで、Kとの同居生活が始まったころ。
ここらから雲行きがあやしくなってきます。
この一文を読んだとき、心臓がぎゅうと縮こまった感覚がしました。
一気にどろどろとした感情が噴き出てきたでしょう。無意識のうちに鼓動が早くなって、呼吸がしづらくなって...
信仰の対象には自分だけを向いていてほしい。ほかの人間との個人的交流など見たくもありません。
「つまりお嬢さんは私だけに解るように、持前の親切を余分に私の方へ割り当ててくれていたのです。(中略)私は心の中でひそかに彼に対する凱歌を奏しました。」p214
かと思ったらこれです。共感でしかありません。
なんにでもない相手の親切が、自分への特別の好意のように錯覚されてしまうことのなんと多いことか。この現象にどれほど苦しめられたか。
この時の喜びはほとんどドラッグのようなもので、深刻な中毒を引き起こします。この瞬間、先生はお嬢さんへの信仰を、忠誠心を、固執をより強くしたに違いありません。
「ある時はお嬢さんがわざわざ私の室へ来るのを回避して、Kの方ばかりへ行くように思われる事さえあったくらいです。」p215
そしてこうくる。この間わずかに1ページです。ジェットコースターを思わせるような情緒の乱高下が先生にもわたしにも起きています。
さっきとは逆で、何でもない行動の一つ一つがネガティブなものに見えてしまうのもあるあるです。
ただ、この悪い予感というのは当たってしまうことが往々にしてあるというのを、同志の方なら分かってくれるのではないでしょうか。
人一倍あの子のことを観察しているからこそ、変化には敏感なのです。
「するとKのすぐ後ろに一人の若い女が立っていました。(中略)その女の顔を見ると、それが宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。」
そりゃ驚きます。
わたしも信仰していた子のデート現場を何度か目撃したことがありますが、初回は友人たちの目をはばからず泣きました。駅でギャン泣きです。迷惑極まりない。
わたしの場合はまだ、そばに友人がいてくれました。
では、先生は? 一人で生産性のかけらもない思索を繰り広げたでしょう。
これまでのお嬢さんの態度が線でつながったと、早合点したでしょう。
ウロボロスのように終わりのない、かつ真綿で首を締めるようなじりじりとした苦しみです。
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疲れました(笑)
まだまだ『こころ』の核心にはかすりもできていません。ただ、私が『こころ』を通じて共有したかったBSS的部分は書けたかなと。これ以上は、ブログ初心者のわたしの体力がもちません。
そもそもこの作品はBSSですらないのだから、この記事を読んだ方からお𠮟りを受けるかも。
でも、BSS的部分が見事に刺さっちゃったのでしょうがない。
皆さんご存知の結末部分では、どうしてもKは悲劇の人物になります。高校の授業でもそういう扱いでした。
たしかにKはあまりに壮絶な失恋に、自死するほどの苦しみと悩みを与えられました。
それでも、自分の恋愛体験とあわせて読むと、どうも先生に情が移ってしまうのです。
それはやっぱり、作中のBSS的場面に、地獄の苦しみを蘇らせられるからじゃないのかな。
この感想をどうしても誰かに共有したいがゆえに当ブログ第一号記事の題材と相成ったのでした。
近代文学って、すごい。