HSP-Gの日常 (original) (raw)

Gの小学5・6年の担任は、K先生という大学出たての若い男の先生だった。

スポーツマンの明るくて元気な先生だったが、悪いことをすると鬼の形相で叱りつける、とてもおっかない先生でもあった。

K先生は、時々ギターを持ってきて、子どもたちの前でいろんな歌を歌ってくれた。

よく覚えてはいないが、「友よ」といった、プロテストソング系のフォークソングが多かったように思う。

当時は学園紛争の余韻が残る時代だったので、K先生もその手の活動に参加していたのかもしれない。

Gが能動的に音楽を聴くようになったのは中学以降だが、Gの中学・高校時代は、いわゆるニューミュージックが全盛であった。

が、なぜかGは、まだ音楽を能動的に聴く習慣のなかったそれ以前の時代、年代でいうと1960年代後半から1970年代前半のフォークソングが好きだ。

おそらくその背景には、K先生の「ミニコンサート」の影響があると思う。

Gの好きなフォークソングは、

あの素晴らしい愛をもう一度」(加藤和彦北山修

「花嫁」(はしだのりひことシューベルツ

「若者たち」(黒沢久雄)

イムジン河」(ザ・フォーク・クルセダーズ

などだ。

これらの曲は、歌詞がはっきり聞き取れて、しかも、想いやメッセージがしっかりと込められているのが良い。

最近の曲は歌詞が聴き取れず(年のせいかもしれないが…)、浅薄、無機的なものが多い。

また、1970年前後のフォークソングに通底する雰囲気というか、時代のにおいが好きだ。

Gが人生の最期を老人施設で迎えるならば、食堂でこのへんの曲を流してくれるとうれしい。

K先生はご存命ならば70代後半というところだろうか。

いずれかがあの世にいく前に、お会いして昔話をしてみたいものだ。

Gの場合、メンタル疾患で仕事を休んだのは数ヶ月だったが、世の中にはなかなか寛解せず、何年も働くことができない人が、けっこういる。

Gの知人の若手職員Aさんもその一人だ。

本人はもちろん、まわり人たちも、何とか復帰できないかと考えているのだが、職場復帰に向けた第一段階として週イチで職場に出てくるのも難しいような状態で、見通しは厳しい。

在宅勤務なら何とかなるかも、とも思うのだが、Aさんの職場は対人業務が大半を占めるため、在宅勤務は難しい。

また、仮に対人業務以外の業務をかき集めて在宅勤務をさせるとしても、今のAさんの健康状態では、毎日仕事をするのは難しいだろう。

Gは、今の職場への復帰はあきらめ、障害年金を受給しながら、まずは就労移行支援事業所などに通ってはどうかと思うのだが、Aさんはあくまでも職場復帰を目指しているようだ。

いろいろと批判はあるが、Gが学生だった40年くらい前と比較すると、障害者に対する支援制度は格段に向上していると思う。

Aさんのように、自分を障害者と認めることに抵抗のある人もいるだろうが、そこを「えいやっ」と乗り越えて、国や自治体の支援制度をフルに活用し、この生きづらい世の中をサバイブしていってほしいものだ。

最近、メンタルを病む人たちやそのパートナーさんによる、SNSでの情報発信が増えているように思う。

SNSで情報発信すると、共感や応援のコメントとともに、アンチコメントも送られてくるので、他人事ながら「大丈夫かな」と心配してしまうのだが、総合的にはプラスになると考える人が増えてきたのだろう。

Gが子供の頃は、精神疾患のある人たちへの差別がかなり強かったが、最近はそれがかなり低下してきたように思う。(もちろん、なくなったわけではないが。)

メンタルを病む人たちが昔よりも増えてきたことや人権教育の浸透などで、精神疾患を昔ほど特別視しなくなったことがその理由だろう。

こうした環境の変化が、メンタルを病む人やその周辺の人たちによる情報発信の増加につながっているのだと思う。

Gは、こうした情報発信が増えることは、精神疾患をより身近に感じていただくことに寄与するので、とてもよいことだと考えている。

アンチコメントに負けず、また、炎上に十分注意をしながら、ぜひ、このような情報発信を、積極的に行っていってほしいと思う。

昨年亡くなった山田太一脚本のテレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」が好きだった。

特に最初のシリーズが大好きだった。

最初のシリーズの主人公たちは大学4年生の設定だったが、その頃Gも大学生だったので、自分事のような気持ちで、かなり感情移入して見ていた。

その頃大好きだったサザンオールスターズの曲が随所に使われていたことも、はまった理由の一つだ。

10年ほど前だったと思うが、休日の昼下がり、ネットでこの「ふぞろいの林檎たち」を見ていた。

そのとき妻に、「このドラマ、おもしろかったなぁ」と、話をふったことがあった。

すると妻は「わたしはあんまり好きやなかった」と意外な言葉を返してきた。

「なんで?」と聞くと、「わたしの学生時代は、経済的に苦しくて、対人関係もあまり良くなった。あんなふんわかとした学生生活は、自分とは無縁やったから」とのこと。

劇中の人物たちは、学歴差別に苦しみながら、それぞれ苦労して生きていたように思うが、妻から見ると、「自分とは無縁のふんわかとした学生生活」に見えたようだ。

確かに妻の青春時代は、気の毒な境遇だった。

中流家庭でのほほんと生きてきたGには、想像もつかないような苦労をしてきたのだろう。

これ以降、「ふぞろいの林檎たち」は、妻がいないときに見るようになった。

今、新NISAの広告・宣伝が、世の中にあふれかえっている。

まるで確実に利益を生み出せる「打ち出の小槌」のような扱いだ。

しかし、新NISAは投資であり、当然のことながら、損する可能性もある。

だが、そうしたリスクに関する言説は、わずかしか見聞きしない。

これは非常に危険な状況だと思う。

特に、米国株などの外国株に関しては、これから徐々に円高に向かっていくことから、為替差損が発生する可能性が高く、多少値上がり益が得られても、円高によりそれが帳消しとなる恐れがある。

投資で儲かっている人たちはごく一握りの人たちであり、多くの人たちは投資で損をしている。

GはFXの損失を株の利益で補って、収支は若干のプラスとなっているが、このような状態に至るまでに、30年くらいかかっている。

Gを含め、凡人の場合、初心者が投資で儲けるというのは至難の業だと思う。

良識ある投資家から、警鐘の声がもっと出てくることを、切に願う。

今日は1月3日。

明日から仕事ということでブルーになっている方が多いと思うが、もちろんGもその一人だ。

仕事が始まるということも憂鬱だが、それ以上に憂鬱なのが、年始の挨拶だ。

前にも書いたと思うが、誰に対して、どいういう順番で、どういう口上で… ということを考えると、心がしんどくなる。

早く仕事を引退して、年始の挨拶に悩む必要がなくなる日が来ることを、心から願っている。

この前に書いた「広島の逆転優勝」は何とか回避することができたが、ホームランバッター不在という阪神の課題は、日本シリーズの中でも際立っている。

何とか頑張って3勝3敗に持ち込んだが、今晩の第7戦は、残念ながら、長打力に勝るオリックスが勝利するだろう。青柳vs宮城という、歴然とした投手力の差もあるので、ひょっとすると、大差がついてしまうかもしれない。

感情移入しやすく、かつ、めっぽうメンタルが弱いGは、がちで応援して大敗すると、明日からの仕事に差し支えるくらいの大きなダメージを受けてしまうので、「試合を見ない」というのが、最良の選択肢となる。

劣勢でも常にポジティブに応援する妻からはあきれられているが、持って生まれた性格なので、どうしようもない。

蛇足だが、妻はポジティブな人間で良かったと、つくづく思う。Gのメンタル疾患が寛解したのは、ひとえに妻のおかげだ。