鬼丸凜太の随想&創作&詩&日記 (original) (raw)

・10月17日(木) 快晴 (旧暦9/15)

月齢14.3。満月。今年最大のスーパームーン。見た目の直径が通常の14%プラス。と言うんだが我が狭き書斎の窓から東の空を見上げれば、感嘆符を付すほどの違いではなかった。もちろん綺麗ではあるけれど。

午前中自転車を駆っていつものコースを巡る。T公園で西部邁さんの本を読むつもりが肝心のその文庫本を肩掛けバッグに入れるのを忘れた。齢とともにこの類のうっかりが多くなる。で、しかたなく、バッグの中の手帳をベンチで開く。これはこれで結果的には面白かった。8、9年前の妻との旅行のこと(実にばかばかしいことではあるけれど)が記されている。手帳の数頁をそのまま記す。我ながら与太郎ではあるけれど懐かしい。ちなみに正しい答えなど微塵も求めてはいない。

信越本線「しなの16号」名古屋行きで発見。16号(偶数№)だから上りとばかり 思っていた(国鉄JR東日本も)。長野→名古屋の方向は上りなのか下りなのか、東北人としては判然としない。が、偶数なんだから上りだろうと思っていた。であるなら、1号車の座席1番は東京を向いているはず。つまり先頭車両は1号車でなければならぬ。なのにこの車両は違った。8両編成の8号車が先頭なのだった。これは自分の心をちょっと動かした。

車掌さんが検札にやってきた。新人らしい女子車掌の後ろに指導係と思われる人が立っていたから訊いてみた。確かに上りであるという。この車両はJR東海の所有になり起点は名古屋、お客様の疑念はその所為ではないでしょうか。そんな意味の解説でなるほどと合点。おそらくこういうことではなかろうか。車両の向きは旧国鉄時代のままだが、分割民営化されてからはそれぞれの会社で❝中心❞が異なるんではないか?。国鉄のように全国どこでも❝東京❞が列車の終点(始点)ではなくてJR東海なら名古屋が中心であるだろうし、JR西日本では大阪、JR九州では福岡となろう。

じゃあJR北海道は札幌に違いないけれど、新幹線が延伸していずれ札幌に至ったなら現在‘はやぶさ′に当たる電車の奇数、偶数の上り下りはどっち方向がどうなるのか。ばかばかしくも楽しい。❞

今日はりぼん(猫)の月命日である。

[一]

音町(おとまち)章悟(しょうご)から*県への旅に誘われたのは、一九八*の夏のことだった。そこは有名な温泉郷にごく近く、仕事が片付いた後はそこで一泊、あるいは気に入れば二泊くらいするつもりだというので、それが楽しみで快諾した。

音町は私立探偵である。彼から電話のあった日、私は仕事を午前中に済ませ、自転車を駆って彼の事務所へ向かった。私の住まいから歩いて数分のところを琴川が流れ、土手に沿ってサイクリングロードが敷かれている。その道を二十分程走ってから一般道へ下り、さらに五、六分行けば彼の下宿へ着くのだった。その建物は地元銀行のかつての支店で、大正年間に建てられた木造の和洋折衷館である。老朽化したそれを買い取り、改装を施して下宿としたのは今の持ち主の先考だという。

玄関を入っていくと、正面、かつてカウンターであったであろう辺りが、大家さんの居間兼管理人室に変えられ、上品な初老の婦人がガラス戸の奥から笑顔を送って寄越した。屋内は床も壁も懐かしい木の香を放っている。靴音を立てて木の階段を三階まで上がると、西の奥に音町探偵事務所はあった。

そこは建物の中で最も立派な部屋、すなわち元の支店長室を占有していた。ドアをノックすると、ちょいと気取った声が返ってきた。

「やあ実里(みさと)、よく来てくれた」

彼と私とは高校の同窓である。と言っても親しく付き合ったわけではない。クラスが別だから、廊下で擦れ違った憶えがあるというばかりだ。団塊の世代のすぐ下だから同窓生は佃煮にするくらいいた。

互いに三十を過ぎたある一日、偶々お互いの仲間どうしで飲んでいた。どちらもいい加減酩酊状態に入った頃、トイレに立った音町が私の足につまずき、派手な音を立てて転んだのが付き合いの始まりである。

侘びを言いながら見合うと、どこかで会ったような顔だ。ひとしきり、各々の脳中で探り合った結果、高校の廊下で時折見かけた相手だと気付いた。

「音町章悟だ。この町にはいつから?」

「実里(みさと)喜雄(きお)だ。もう七年くらいになるかな」

改めて名乗り合い、故郷を遠く離れたこの地に住み始めた経緯を述べ、彼は小用へ向かうのも忘れて話し込んだ。案外近い所に住んでいることもわかり、それ以来時々行き来したり一緒に飲んだりもした。

少年時代というのは不思議なものだ。ろくに言葉も交わしたことがない相手なのに、その時代にしばしば顔を合わせたというだけですぐ打ち解けた言葉遣いになっている。

「*県の茜渓流温泉だって?」

「仕事はその隣村だ。同じ郡内だがね」

「仕事が片付いたら茜渓流温泉へ行くって話だったが」

「うん、まあな、今度の報酬はちょっとした贅沢を許す額面でね」

私は鄙びた温泉宿が好きだ。色褪せた障子紙を敲くががんぼの羽音を聞きながら、熱燗を啜る情景を早くも思い浮かべた。

二人とも三十代半ばに達しようという独り者だった。両親を既に亡くしていることも共通だ。入ってきた金は余さず使えるものとの了見を持つ不届きな男らである。友人たちは皆落ち着いた家庭人となっているのに私と音町は、まさに浮草の日々を謳歌していた。

私は小さな学習塾を開いている。と言っても、二人の専任講師と一人の学生アルバイトに殆ど任せ切りであった。私は生徒たちにあまり人気が無いので、表に出ることを最小限にとどめている。東京の大手広告代理店に勤める大学時代の友人がいて、そのつてで時々コマーシャル書きの真似事をさせてもらった。それでかろうじて仕事をしている気分になる。

音町にしても舞い込むのは浮気調査の依頼が殆どで、シャーロック・ホームズばりの推理をはたらかすような事件には一向お目にかかれない。それでも、支店長室を追い出されない程度の実入りはあるのだろう。

ホームズに憧れてこの商売を始めたというだけあって、音町の挙措には確かにそれらしい臭みが出た。時にはこちらが辟易する程に出た。生きることにどこか切実さの無い、言わばこの地上で息をすることに対し真面目さの薄い、そんなところも私たちは似ていた。それは伴侶という道連れのいない間は許される一人遊びなのかも知れぬ。

少しばかり物を書くと知って、見当違いなことに、この私をドクター・ワトソンに擬している様子さえ仄見えた。迷惑な話である。しかし記録者ワトソン氏の手を煩わせるような人物はなかなか彼のドアをノックしはしないのである。

「今度のはどんな仕事なんだい」

「うん、*県安見(あみ)郡醐所(ごしょ)村という所に住む人から受けた依頼だ。平方(ひらかた)常彬(つねあきら)といって、土地の旧家らしい。なにしろ、住所が醐所村大字平方となってるくらいだ。名字と住んでる所の地名が同じなんだ」

「そんなのは大したことじゃないよ。明治になって一般庶民も名字を名乗ろうとなった際に、住んでる大字名や小字名を手っ取り早く付けたんだろう」

「いや、平方家は江戸時代から名字帯刀を許された家柄らしい。だから逆だよ。つまり、名字の地にずっと住み続けていられた実力者ということになる。案外珍しいんじゃないのか、これって」

「なるほど、そうかも知れん。で、その名家の御大がどんなことをおまえに?」

埋蔵金探しだ」

「なんだって」

「この平方常彬という人の何代か前の当主が、莫大な宝を隠したらしいんだ。幕末の無秩序を憂いて、子孫の為に財産をある場所に埋めたということさ。暗号まで作って万全を期したのはいいが、跡継ぎがどうも頭の切れに若干問題があった。解く鍵を授かっていながら、何が何だか分からなくなったようなんだ」

「そりゃ焦っただろうな」

「うん。それを解くのに常彬氏の祖父を待たなければならなかった」

「その人が見事解いたわけだね」

「そう、そのお宝で屋敷の大普請などしたらしいんだが、この祖父、何を考えたのか、大半は手付かずのまま、再び埋め直したというんだ。それも別な場所にね」

「別な場所に?なんでまたそんなことを」

「この人から見ると、ご先祖の隠した場所は安全とは言いかねると思われたようだ」

「他の人に発見されるおそれありということか」

「それに暗号自体も簡単過ぎると判断したんだな」

「ほう、数代に渡って先祖が解けなかったものをね。常彬氏の祖父って何をした人なんだい」

「旧制中学の教師をしていたという。平方家の当主は代々教育者が多い。依頼主の常彬さんも小学校の校長先生だ。まもなく定年らしいけど」

「ふうん、で、まさかその解いた祖父(じい)さんがまた新しい暗号を作ったとか?」

「そのとおり。その人は房彬(ふさあきら)さんというんだが、この房彬氏が場所も変え暗号も変えてしまったんだ。自分が解いたという昂ぶりからか、子や孫の代でなくとも何代か後の優秀な後裔が手にしてくれればいいと考えていた節もあるそうだ。それがむしろセキュリティになると思ったらしい」

「ふうん」

「暗号を解けるか解けないかが、財宝を任せるに足る器かどうかの試金石にもなると思っていたようだ。裏を返せばその財宝が無くても一族は充分豊かだということなんだろう。いずれにしろ俺たちの目から見ればこの人、相当偏屈だね、素直じゃないね」

「おまえに依頼した校長先生のお父さんも解けなかったんだな」

「そう、暗号は常彬氏も無論子供の頃から見せられていた。当主となるべき身だからね。でも、わからない、もう定年間近だというのにね。皆目見当もつかないんだ」

「焦ってるだろうな」

私は、その時ふと湧いた疑問があって、それを口にした。

「ところで、音町、その平方さんとおまえとはどんな関係なんだ」

彼はちょいと気取った仕草をした。パイプを手に取るな、と私は思った。案に違わずパイプに桃山を詰め火をつけた。なにしろホームズなのである。

「私立探偵としての俺の名も、高まってきたということかな」

「冗談はよせ。おまえの名前なんぞこの界隈にさえ通っちゃいない」

音町は急に暗い表情になった。いい齢をして傷つきやすい男だ。彼のこの妙な幼さが私は嫌いであった。小さな鏡を突きつけられているような気がするのだ。

「種を明かせば、大学時代の知人が依頼主の教え子にして現在の部下なのさ。そいつが常彬校長の小学校で先生をしてるってこと」

「それでわかった。きっと何かの機会に謎解きの話題が出たんだな。酒席かなんかで。教え子に力を貸して欲しかったんだ。よっぽど焦ってるね」

「そう、でも勿論、埋蔵金の話はしていないそうだ。そりゃそうだろう、いくら教え子でも他人は他人だもの。俺がこの件を引き受けるについても、他言無用を厳に言い渡された上で中身を教えられた。好条件の裏には口止めの意味も含まれている」

「暗号の得意な人はいないもんかって、そんな持って行き方だろうな」

「そういったところさ。で、その知人が、探偵を開業している俺のことを思い出して紹介してくれたというわけだ。秘密は無論守るよ。職業倫理の問題だからね」

彼と付き合いを重ねるにつれ、その口の端に倫理という言葉はそぐわない人物と薄々感じるようになってはいる。しかし私はあえて黙っていた。

「俺にはいいのかい。秘密を漏らして」

「おまえは別だよ。だって、ワト・・」

「なんだって、今何と言おうとした」

推測は当たっていたようだ。彼はやはりこの私をドクター・ワトソンに見立てていたのである。音町は気の弱い言い訳をあれこれと述べた。私にしても、温泉旅行を奢られようというのだから、もう少し下手に出ても良さそうなものなのに、音町章悟という男を相手にすると不思議に強気になる。私自身本来気の弱い者だけに自分でも何だか妙だった。

「まあ、いいよ。ありがとうと本当は言うべきなんだろう。面白そうだったら、後日の為に記録しておいてもいいかな、その成り行き。勿論、誰かの迷惑にならない程度にさ」

私はほんの少しおもねってみたのだったが、音町はこちらの期待以上の反応を見せた。頼り無いとはいえ、彼にしてみれば相手の方からワトソン役を仄めかしてくれたのである。この私以上のワトソンが、これから後現れることはあるまいと考えていたに違いない。なにしろ昔なら初老と言われる四十を前にして、まともな人間がこんな遊びに付き合ってくれる気遣いはないだろうから。

「書くったって、何かの本になって一般の目に触れることは期待してくれるなよ。俺は時々地方のテレビ局にコマーシャルを書かせてもらったり、雑誌の穴埋めのそのまた埋め草を頼まれたりしてるだけだからな」

「知ってる。いいんだ、いいんだ。君が記録しておいてくれれば老後の思い出話になろうじゃないか」

本物のホームズ物語にも似たような科白が無かったっけ。彼はどうやら形さえ整えば満足するたちであるらしい。ホームズとワトソンの、そのシチュエーションが大切なのであって細かいことに拘泥しないのだ。またこの男は持ち上げれば鼻持ちならぬほどつけ上がり、けなせば簡単に気分的奈落に沈む。嫌な気疲れを覚えさせる人格と言えた。

「で、その場所を示すかも知れぬ暗号は知らされたんだな」

「ああ、実は手紙を貰っていてね、その後、校長先生直々にここに見えたんだ。まさに田舎の校長さん、田舎の神主さん、田舎の住職さんが渾然一体となった風貌だったね」

音町は、おそらく銀行支店長が使用したのであろう立派な机の引き出しから、おもむろに一通のコピーを取り出した。暗号とは次のようなものである。

『平方家は、藤原北家の流れにして、

平安中葉⁂国に下りし受領の苗裔なり。

平方に移りこの郷を開き、以てこの地を

名字の地とす。宜しく家名を上ぐべし、

かもんを開くべし』

「これだけ?」

「そう、これだけ」

「なんだか、ただ家柄を自慢して、子孫たちみな頑張れと言ってるようにしか見えないが。それもかなり手抜きして」

「同感だ。この⁂国に下りしの次、何て読むんだ」

「『ずりょう』まあ、国の司と考えればいいよ。それでおまえ、引き受けたんだよな」

「引き受けたから見せてもらえたんだ。二つ返事で引き受けたよ。条件が良過ぎるもの」

音町の頬が紅潮している。その様子をぼんやり眺めながら私は考えた。そうだ、音町章悟という人物が発する甘酸っぱい違和感はこれなんだ。この、齢に似合わぬ単純さなのだ。彼はこちらが促しもしないのに続けた。

「いいかい、成功するしないに関わらず手付けとして五十万、もし解読できて埋蔵金が見つかれば、現在の価値に換算した上、その二パーセント、仮に一億だとしたら二百万だ、それが加算される。勿論交通費なども含め諸費用は領収証のある限り全て向こう持ちさ。な、悪くないだろ。解けなくても五十万だぞ。しかもいいか、解読の可と不可の見極めはこちらがしていいんだ。極端なことを言うとな、手付けを受け取って、一日二日、ちょこちょこ探索した振りして駄目でしたって帰ってきても文句は言わない、五十万は返すに及ばずと、こういうことなんだよ」

この男、シャーロック・ホームズのポーズだけを真似たいようだ。少なくとも高い志を嗅ぎ取ることはできない。

「話がうま過ぎるとは思わないか」

「そこはそれ、田舎の先生、田舎の宮司、田舎の和尚さんの、まあ鷹揚さだろうねえ」

「で、醐所村へはいつ出発するんだ」

「今依頼されてる仕事が、今日明日にも片付く。今週後半以降ならこっちはいつでもいいよ。おまえ次第だ」

「俺はいつだっていいさ」

「学校、夏休みに入ったから、塾は講習会とかなんとか忙しいんじゃないのか」

「まあね、でもうちは塾長の俺が口出ししなくても、みんなちゃんとやってくれるから」

「いい従業員諸君に恵まれて幸せなことだ」

私が表に出ない方が生徒が集まる。音町はどうやらそれに気づいているらしい。その上で、このような会話の流れを引き出して薄笑いしている。何とも面妖な性向を有している。 ―続く―

ドアに掛けたカウベルを揺らしてその人が入ってきたのは、四時を知らせる工場のサイレンが鳴って三十分ほど過ぎた頃であった。辺りは既に薄暗くなっている。男は店の一番奥まったテーブルに座った。暖炉に最も近い席である。しずくちゃんが注文を聞いて私に伝え、こう付け加えた。

「あと、マスターとお話がしたいからあ、お手すきになったら来てもらえませんかって」

私が自分でコーヒーを運んで挨拶をした。

「お話が、ということでございましたが?」

濡れたコートを入口わきのハンガーに掛けたその客は灰色のハンチングを目深に被ったままだ。真ん円い黒縁の眼鏡に、半白(はんぱく)の頬髭が光っていた。おもむろに帽子を脱ぐと、出っ張ったおでこと、短く刈り上げたごましお頭の下の目が笑った。

「時だよな。園生(そのう)時助(ときすけ)だろ?」

私は口を半開きにして相手を見つめた。

「朗承(あきつぐ)だ。東畠(とうはた)の小野朗承。忘れた?」

東畠というのは私の生まれ故郷だ。ただし、もう五十年以上も昔、小学生の頃にダムの底に沈んだけれど。その名を耳にした途端慕わしい香りの風が過ぎり、紅い頬した坊ちゃん刈りが、目の前の、でこ頭のごましおに重なった。堆積した時間の欠片(かけら)が一息に吹き払われ、私たち二人は時ならず山峡(やまかい)の里の童と化していた。戯れる子猫たちのように会話は弾んだ。窓の外の冷たい雨はいつしか霙に変わっている。

ふと話が途切れた。炎を見つめながら朗承が再び語り出したとき声は異様に静かだった。

「俺さ、この頃同じ夢を何度も見るんだよ。学校の夢なんだけどね」

「学校って?東畠小中学校のことかい?」

「そう」

目をつむってみた。懐かしい学び舎の木の香を吸った気がした。一階に小学生の下学年から上学年迄の教室が三つ並び、二階に中学生の教室が二つあった。一つは中一と中二の生徒たちが学んだ。中学三年生は受験のためもあって、人数の多少に関わりなく一つの教室を占めていた。一階に家庭科室、二階には理科室と音楽室があったな。

ノスタルジーに耽っていたひとときはその後に続いた朗承の言葉に打ち破られた。校舎が湖底から姿を現すのだという。それはけしてただの幻ではない、多少朽ちてはいるんだが、そのかみの面影をしっかり留めている、自分はその建物の保存を企てているんだと彼はそう言い募る。澄んだ目に邪気の翳(かげ)が全く無いからかえって恐かった。

「東畠の出身者をね、こうやって探し出してさ、協賛金を集めているところなんだ」

薄暮の窓を霙は流れ落ちる。私は朗承の目の色に吸い込まれてはいたけれど、瞬間体を強張らせた。おい、おい、何十年か振りの懐かしい話に載せて金の話かよと思ったのだ。そんな寸借詐欺があったもの。

でもね、こいつだけは嘘をつかないはずだ。遠い少年の日の一つの記憶を私は取り出していた。そう、この男は嘘のつけないやつだった。

「いくら?」

「一口三万円だ」

私は隣のコンビニで六万円をおろして渡した。何だか一口では情けない。夫婦喧嘩は覚悟の前だ。見栄に過ぎないのはわかっている。渡しながら喫茶店の確定申告でこれをどう扱おうかと考えた。水底に沈んだ母校を甦えらせようという朗承の高邁な志に比して我ながらけちな料簡だと目を伏せる。

その夜、朗承は私の家に泊まった。さして強くもないらしいのに盛んに盃を重ねては、妻とまだ嫁に行かない次女の小枝子(さえこ)に世辞を言っては笑わせていた。

「病院の薬局手伝いってのもしたことがあるんですが、座薬ってあるでしょ。あるお婆さんが言うんです。この薬はどうしても座って飲まなくてはならないのでしょうかって」

そこでまた笑いが起こるのだが、私の知る限りの朗承から推せばきっと無理をしていたのに違いない。こんなに賑やかに話のできるやつではなかったのだから。むしろ無口で暗い感じの少年だった。けれど私はこいつを信じたい。月日は随分経ったけれど、人はそうそう変わるものじゃあない。朗承は嘘の無いやつなんだと繰り返し念じた。それは心の隅に居座る微かな疑いの裏返しとも言えたのだが。

その夜妻は娘の部屋に寝て、朗承は私と枕を並べ眠りに落ちるまで思い出を語り合った。カーテンから漏れてくる街灯の光から、初雪が降っているらしいことが知れた。こいつはやっぱり悪いやつじゃないと思いつつ軽い鼾を心地よく聞いていた。

翌朝、妻の作った熱い粥料理に朗承は舌鼓を打ち、コーヒーを啜りながら静かに言った。

「なるほどな、時助、料理自慢の奥さんをもらったね。いいもんだな」

「馬鹿なことを言うな。何が料理自慢だよ」

朗承の家族をついに聞きそびれてしまった。聞いてはならないような雰囲気をまとっていたからだ。その朝、うっすらと積もった雪道を帰っていく小さな背中を見送った。円い肩をしていた。

十日ほど経った頃だった。君一(きみかず)から電話があった。彼はやはり東畠の幼なじみで一番近くに住む友人だ。君一は私と違い人付き合いにはこまめな質(たち)だ。朗承のことであった。

「そうなんだ。詐欺の前科があるらしい。え、お前ももう払ってしまった?ほんとか?じゃあ、お互い諦めるしかないぜ」

一口三万というのは、絶妙な金額かも知れない。ついつい出してしまうもの。覚めた頭で考えてみれば、東畠を故里とする人に連絡をつけるだけでも大変なことだ。たかが知れた人数の三万円は、やはりたかが知れているはずである。湖底の学び舎保存という夢は、文字どおり夢の中でしか叶えられぬほどの金額を要するはずなのに。

でもあいつは私を欺いたりしないはずなんだ。嘘のつけない男なのだ。私は胸の裡で繰り返し幼き日の一齣をまた思い描く。

それからちょうど二年ほど経った時、朗承の病死の知らせを君一が私にもたらした。その頃、私の夢の中に東畠が時々現われるようになっていたのは奇妙な暗合と言えるかも知れぬ。だいぶ離れた牧原という地区に墓などが移されたから墓参りにそちらへ行くことはあっても、産湯をつかった本当の故郷には何十年も行っていない。水に沈む頃、私たちは子どもで心に痛みなんか感じなかったけれど大人たちはきっと寂しかっただろう。今ならよくわかるのである。

その年の冬、妻を誘って発作的に東畠に立つことにした。あの山国はもう雪に覆われているに違いない。君一にも声を掛けた。騙された連中が喜んで応じたのは不思議な話だった。君一の筋から、朗承に一口、二口と応じた十数人の同郷の者たちが参加することになったのだ。貸し切りバスをチャーターした。車内はいい歳をした男女が遠足気分ではしゃぎ回ってその家族はやや呆れ顔であった。バスのドライバーも遠慮がちながら苦笑していた。孫を連れてきた者もいる。じいちゃん、ばあちゃんの騒ぎをよそに彼らはゲームに夢中になっていた。

ひかり湖展望台がひとまずの目的地だった。ひかり湖とは東畠ダムの愛称である。水を湛えた人造の湖は季節ごとに美しい粧(よそお)いを見せているという話を人づてに聞いてはいた。ドライバーもそれを裏付けるようなことを語ってくれた。明るいうちにその場所に到着したかったから、そのように計画を立てたのだが吹雪が生半(なまなか)でなかった。途中、雪は晴れて好天となったがチェーンをタイヤに装着するのに時間をくった。展望台に着いたのは既に日が西に沈もうとし、東の空が望の月の光に明るみ始めた頃である。残照はこれまで見たどれよりも明るく美しかった。ひかり湖はそのきららかな光に抱かれてあった。

「わあ、綺麗、マスター、ここがマスターの生まれ故郷なんですか。綺麗ですね」

一行の中にアルバイトのしずくちゃんもいた。彼女は小枝子の中学の同級生だ。小枝子にも我が生まれ里を見せることができたのは妙に嬉しかった。美しい土地に自分は生んでもらったんだな。そのときだった。小枝子の叫び声が感傷の夢を破った。

「お父さん、あれ何?雪の小山かなと思ったら、あれ、人工物、建物だよね」

そちらを見た。それは紛れもなく、雪にまぶされたかのように立つ東畠小中学校の校舎そのものだった。ここを学び舎とした老いたる者たちは呆けたように暫くその姿に見入っていた。冬の短い日は暮れようとしている。魔法でもなんでもない。渇水期、比較的高い所にあった一部の建物がその姿を現したのに過ぎないのだ。でも理屈とは別の思いが私たちには湧いていた。低い月光に照らされたその一画はささやかな写し絵の劇場と化していた。

西空の群青色も消え果てようという間際、校舎を覆う雪をスクリーンとして、私にはそのかみの子どもらの影絵が見えていた。群れ遊ぶ少年少女の横顔は誰それとその名を言うことはできないけれど、きっと懐かしい誰かの頬のシルエットに違いない。朗承、嘘をついていなかったじゃないか。やっぱりおまえは昔から嘘のない男だった。おまえに会ったから俺たちはみんなここに呼び寄せられた。来し方を振り返り、心の裡に描かれた薄墨色のそれぞれの絵を眺めている。そう、朗承、あそこにセピア色したおまえのおでこの横顔も確かにあるじゃないか。

雪がまた舞い始めた。雪片が大きくて掌に暖かい。二年前の初雪のあの朝に帰っていった朗承の円い背が眼裏に浮かんだ。 ー了ー

・隙間風に熾(お)きりたつ炉辺(ろべ)の火を

酒の肴として 酌み交わす

まだ帰らないでね

毛衣を着た

ふるさとの死者たちよ

・廃校の音楽室のオルガンが低くうたいはじめた

居並ぶ楽聖たちのウイッグが

十三夜の光の中にある

独り

お下げの少女が忘れ物をとりにきた

・幼虫は十七年間地中で暮らした

地表に現れた成虫は

二週間で死んでゆく 十七年蟬

幼虫としての生が褻(け)

成虫とは 晴れの 死に装束の謂(いい)であるに違いない

隣りの地区にある小学校までは子供の足で一時間の道のりだった。子供たちにとってそれは物語の生まれるのに充分な時間である。

高津周作は四十数年振りに母校の前に立っていた。そこから自分の生まれ育った町まで歩くつもりなのだった。七月下旬の陽射しの強い日であった。

周作たちは田圃の中の細い道をかよったものだが、新しい学校ができたため、故郷の子供たちはもうここにかよっていない。

ここから日盛りの道を歩いて生まれた大字に行ったとしても、そこに彼の所縁(ゆかり)は一人もいない。家そのものが四十数年前、既に人手に渡っている。

昔、周作たちが通った道は紆曲をそのままに田圃の中に細長く横たわっている。けれど通る小学生はもはや一人もいない。様々な物語が生まれたあの一時間を、新しい子供らは知らずに過ごすのだ。青田の波も土埃の匂いも、少年の周作にとっては懐かしい精霊の棲み処だったのだが。

自転車屋が見えた。そこには一男二女の子供があった。その末の女の子と周作とは同級だった。姉妹は二人とも美しい少女だった。そこの主は婿養子でいつも口笛を吹いていた。

自転車店は同じ場所にあったが、こじんまりと小奇麗な建物に変わっている。店のガラス戸の蔭に仕事をしている男の姿が垣間見えている。長男が跡を継いでいるのだろう。前庭で男の子が自転車を乗り回していた。ゴムや機械油の匂いの入り混じったあの頃の記憶が懐かしい。周作は暫くそこに佇んでいた。思えば学校周辺を歩き回れば、いくらでも懐かしい回想の種は転がっているはずだった。行き来する、自分と同年配と見える男たちはかつての同窓かも知れないのである。

周作はゆっくり歩いた。風の渡る植田の広がりの向こうに、生まれ故郷の家並みが小さく見えていた。その背後に整然とした団地が霞んでいる。四十年前にはなかった風景である。

「僕は死ぬんだ」

曲がり角へ来たとき、周作の頭の中に幼い声が響いた。あれは何年生くらいのことだったか。猛吹雪の日だった。一緒に下校していた友達の一人が道から外れて雪の原と化した田圃の中へ突然入っていった。誰かがいじめたという記憶もない。確かな経緯は忘れてしまったけれど、その少年はそう叫びながらどんどん雪原に踏み込んでいくのだった。周作と他の数人の仲間は呆気にとられて見ていたが、やがて慌ててその真佐夫という少年の後を追おうとした。

真佐夫の茶色の毛糸帽子のてっぺんが揺れていた。風の吹き荒ぶその雪の原は、本当に死ぬかも知れないと彼らの目には映った。近くを歩いていた他の子供たちにも声を掛けて彼らはその少年を追った。狩をするように追った。馬橇に轢き潰された柿の実が西日に赤かった。

周作の幻想は一瞬のことである。ひとつひとつの道のほとりや草むらのなかに、幼い日の思い出がとりついたように蹲っている。真佐夫は、まだあの町にいるのだろうか。中学校に上がると、みんな坊主頭になるけれど、彼らの坊主頭を見ることもなく周作の一家はそこを去った。真佐夫少年もまだ坊っちゃん刈りの豊かな頬の姿で記憶の底に沈んでいる。

丁字路に差し掛かった。左へ行けば別の町があり、その道をさらに道なりにどこまでも辿ればやがて賑やかな国道へ出る。あの頃の小学生にとって左に折れることは、小さな都会へ一歩踏み出すことを意味した。気紛れに丁字路をそちらの方角へ数歩踏み入ればただの道草とは微妙に異質の、そう、禁断の香さえ拡がった。滑稽なことに違いない。でもあれはいったい何だったのだろう。彼らの周囲にはいたるところ感受の糸が張り巡らされ、ときめきの種子が播かれていた。

周作の額は汗だくだった。彼はその丁字路で道から田圃へ下り、小川の畔に腰を下ろした。せせらぎの音が心地よかった。その上を渡る風も彼の頬に親しかった。

「河童だ」

周作に、再び幻の声が聞こえた。陽炎のように揺れる子供たちが用水路を覗き込んでいる。そこは小川の水が道の下に潜り入ろうとする所だった。ごぼごぼと大きな音がして、沸騰したような泡立ちは河童の頭の皿を連想させた。薄墨色の集団の中に周作少年自身の姿もあった。

少年たちは一様に好奇の眼を輝かせていた。大きな水音にじっと耳を澄ましていると、次第に恐怖が募ってくる。水を見つめる彼らの周囲に、立ち止まる子らの影が増えていった。男の子も女の子もいた。彼らのうちの何人かも田の畦に下り、しゃがんでその泡立ちを見つめた。その体臭さえ周作の鼻腔を過(よ)ぎるようだった。

やがて不気味な音が遠退き静かなせせらぎの佇まいが戻ってくる。それに伴って幻影もかき消えた。目深な夏帽子姿の自分が、独り小さな瀬を見つめているだけだった。田の中に働く人の影が遠く疎らに見えている。トラクターが一台道路をとろとろと走っていった。運転台の麦藁帽子の男が周作に一瞥をくれたようだ。

背中の汗は乾いている。周作は立ち上がり再び歩き始めた。丁字路の右の道へ。

生まれ故郷の中程に川が流れている。赤い欄干に凭れて、流れをしばらく見つめていると、やがて橋が流れて船のデッキに立っているような錯覚を起こす。流れに対しているときは前に進み、瀬を見送るときは後退する。子供の頃、周作は二つ違いの兄の陽介と、いつまでもそうして佇んでいたものだった。その川で釣りを教えてくれたのも陽介だった。

五月十日、長崎にて兄陽介死す。肝硬変、享年五十五。

周囲に不義理の限りを尽くして出奔した兄であった。身内や友人の誰かれに無心を重ねた果てに、債鬼の中に年老いた父を放り置いて姿を晦ました。

姉の律子も周作も長崎にいるなど想ってみたこともない。桜の咲く前、何の前触れもなく姉に電話を寄越し、そのほぼひと月後逝った。

行方知らずの果てに遠い九州の地で煙となり、滋賀県在住の現在の妻の元へ帰った。父母の眠る墓に納められることを遠慮したという。最期を、今の奥さんと最初の嫁さんと、長崎で同棲した人の三人が看取ったそうだ。

滋賀で納骨。姉の律子と義兄と周作が出向き、現在の妻と四人が立ち会った。納骨の時周作は一片のお骨を取り、誰にも気付かれぬようにそっとハンカチにくるんだ。

位牌をテーブルに置いて、ホテルのレストランで会食。どうしても責めがちになる周作や律子の口吻に、現在の妻が静かに夫を庇い続けた。

滋賀でこの人と内縁関係を続け、ひと頃は羽振りの良かった時期もあったらしい。しかし金の使い方が昔通りの出鱈目ぶりだった。やがて行き詰まって単身長崎へ。

病を得て入院中、滋賀に金策を頼み、妻が駆け付けると、そこで同棲相手と鉢合わせをした。妻は用意した金の半分だけを叩きつけて滋賀に戻ったという。どこまでもいい加減な男だ。

しかしたとえ半分でも金を受け取ることができたのは、皮肉を込めて不思議な人徳とさえ言いたくなる。

「陽介さんといると幸せな気持ちになりました。喧嘩もいっぱいしたけど、生きていてくれさえしたら」

行方の知れぬ兄のことを思うとき、周作はきっと悲惨な生活を想い描いたものだった。それがそうでもなかったらしい。なんだ兄貴けっこう幸せだったんじゃないか。

「お薬のおかげで最期、痛みは無かったと思います。涙が一筋つうと頬に流れて、その直後息をひきとりました。私たち三人が送りました。三人ともほんとは自分が一番愛されていたと思っているんですよ、きっと。諍いもし、憎みもし修羅場があっても、あの人を憎み切れなかった。それはみんな同じ思いでした。陽介マジックねって、三人で笑っちゃいましたよ」

陽介マジックだって、兄貴。良かったな。前の奥さんにまで来てもらって。周作は呟いた。

陽介は確かに誰からも慕われれた。応援団長で、同窓にも先輩にも後輩にも人望があった。幼い頃から周作はそれが羨ましかった。周作は誰からも好かれなかったばかりか、当の兄には殆ど憎しみに近い仕打ちさえ度々受けた。尤も、兄からすればきっと鼻持ちならぬ弟であったのだろう。そんな周作でさえ兄を心から憎悪することはできなかった。なるほど陽介マジックだ。

頼めた義理でない最初の妻にも泣きつき、その人との間の子供たちに、肝臓のドナーになってもらうことさえ訴えたという。とことん恰好の悪い話だ。子供のために体を痛めることはあっても、自分のために子供の体に傷をつけることがあるか。

しかしそれはいかにも兄らしいとも周作は思った。恐かったんだな兄貴。かわいそうに。ただただ、死ぬのが恐かったんだな。不憫なそしてただひたすら懐かしい男だ。守ってやりたいと思わせる人だった。振り返れば可憐とさえ言える生涯であった。

兄の死を知って以来、幼かった頃の風景が去来する。二歳違いの兄弟は喧嘩ばかりしていた。作ってもらった雪沓の、どちらを取るかということさえ喧嘩の種になった。相撲をとれば周作の方が強かった。柏鵬時代、星取りの景品に柏戸大鵬の湯呑み茶碗を貰い、相撲で勝った者が好きな方を取ることに決めた。周作が勝って大鵬を手に入れた。その時の陽介の悔しそうな顔を周作は今に忘れない。何より、父と母との間にはいつも周作がいた。確かに憎い弟に違いない。

でもな兄貴、と周作は思う。あれは幾つ頃の事だったろう。兄貴が友達と山にあけびなど採りにいって日が暮れても帰らず、親たちが騒ぎ始め、駐在までやってきたとき、自分の寿命を縮めてもいいから兄を無事帰してくれと祈ったのだよ。この世での、最初の切実な祈りを教えてくれたのはあんただったのかも知れぬ。

思い出に浮かぶ陽介の面影は、存在自体が懐かしい、存在そのものがノスタルジーとしか言いようのない明るい眸の、そしてうっすり悲しい横顔だ。

橋に佇む周作は、背に道行く人の好奇の眼差しを感じた。白い夏帽子が西日を返している。川波が七月の光に美しい。ポケットに上からそっと触れてみる。兄のお骨で少し膨らんだポケットに。取り出したハンカチを静かに開いた。周作の胸に再び、いじらしいという言葉が浮かんだ。ここに生まれ育ち兄貴は、そう十四歳までを過ごしたんだったな。

故郷の風を嗅げよ、思い切りな。彼は骨片に語りかけた。向こうに兄貴がキャッチボールをしてくれた神社の境内も見えるよ。連れていってやろうな。他にも思い出の場所を見せてやる。今は他人の物になっている家の裏庭に、跨って汽車ごっこをしたイチイの木はまだあるだろうか。二人で親父に叱られたものだった。そっと眺めて去るだけしかできないけれど、あんたのお蔭で仮初めの帰郷を果たすことができたよ。

周作は欄干を離れて静かに歩き始めた。緩い上り坂になっている。上り切った十字路はバス停になっていて、右手、西の方角からバスがゆっくり迫ってきている。その中の通勤客には、きっと周作や陽介の幼なじみが幾人かいるはずだ。

逆光の中の何の変哲もないバスが濃いシルエットとなって映った。このまま歩みを続ければ、十字路で降りる人々と合流することになる。どれ程の降客か知らない。でもなろうことなら小さな人群れの中に兄を置き、一人でも二人でも幼なじみの声を聞かせたい。周作は夏帽子をさらに目深におろした。

遠く祭り笛の稽古の音が聞こえている。生家のあった辺りををひと巡りした後、周作はまた赤い欄干の橋に戻った。ハンカチに包まれた骨のかけらを取り出した。別れを告げ、軽く頼りない一片を瀬の流れに任せた。滔々と流れてはいるけれど故郷の空を映している水だ。陽介の生まれた七月の残照がささやかな旅立ちをそっと見送った。

—了―

*『デーリー東北新聞社』「新春短編小説」(白瀬凡)

*白瀬凡=鬼丸凜太です。当該新聞社より掲載の承諾を得ております。