堀江由衣「どの現場でも自分がいちばん下手」と語るストイックさが生まれた理由。 初ヒロイン作『鉄コミュニケイション』で先輩声優や音響監督から学んだ“声の職人”としての心得とは?【人生における3つの分岐点】 (original) (raw)

人気声優たちが辿ってきたターニング・ポイントを掘り下げる連載企画、人生における「3つの分岐点」。 大塚明夫さん三森すずこさん中田譲治さん小倉唯さんに続き、今回は堀江由衣さんにインタビューを実施した。

堀江由衣さんといえば、『ラブひな』成瀬川なる、『化物語(シリーズ)』羽川翼、『フルーツバスケット』本田透、『Kanon』月宮あゆ。
挙げればキリがないほどの人気キャラクターを演じ続ける声優のひとりだ。
また、アーティスト、ラジオパーソナリティとしても、幅広く活躍している。

声優 堀江由衣 インタビュー 人生における3つの分岐点

輝かしいキャリアの中で、膨大なエピソードがあるはずだが、「人生の分岐点」として挙げた3つは、意外にも小学校1年生からデビューまでの出来事だった。
また、この3つのすべてに、ひとりの一般人のお友達が深く関わっているという、普段のインタビューではなかなか語られない「堀江由衣の原点」ともいえる話をたくさん聞くことができた。

どの作品にも紐づくことがないまっさらな堀江由衣として語られた、多くのファンの期待をいい意味で裏切ってくれる貴重なインタビューになったと思う。
小学校から現在まで、声優・堀江由衣の生きざまを、ぜひ覗いてみてほしい。

文/前田久(前Q)
編集/金沢俊吾
撮影:金澤正平

分岐点1:子供の頃に、ひとりの友達に出会う

──本日は「人生の3つの分岐点」というテーマでお話をうかがえればと思います。

堀江:
はい! よろしくお願いします!
あの、取材依頼を受けたときから思っていたんですけど、なんかすごくプレッシャーがかかりますよね、このインタビュー(笑)。

──無茶ぶり感あってすみません(苦笑)。受けていただけるみなさんには、感謝の気持ちしかないです。

堀江:
これって、先に3つ挙げた方が質問しやすいですよね? きっと。

──お気遣いありがとうございます。そこは逆に、堀江さんの話しやすい形でお願いできれば。

堀江:
じゃ、先に言っちゃいます!
まずひとつめが、「子供の頃に、ひとりの友達に出会う」。次が、その友達と出会ったのと同じくらいの時期に、「とある作品に出会う」。最後が高校卒業後、大学1年のとき、「オーディションを受けて声優の養成所に入る」。これが私の人生の3つの分岐点で、そして、実は全部が繋がっている出来事でもあります。

声優 堀江由衣 インタビュー 人生における3つの分岐点

──なんだかミステリーの謎解き予告のようですね。どれも気になります。 順番にくわしく聞かせてください。まずは1つめ、子供の頃に、ひとりのお友達と出会われた。

堀江:
正確には、小学校1年生のときですね。その子の通学路の途中に私の家があって、朝にばったり会って、「あ、同じクラスの子だ!」とお互いに驚いて。それから、なんとなく毎日一緒に学校に通うようになったんです。

──小学校でよくあるやつですね。

堀江:
そのクラスの子……「ちーちゃん」とは、それくらいの軽い始まりから仲良くなって、小学校の間はひたすら、毎日のようにずっと遊んでいたんです。クラスが離れたりすると遊ぶ回数が減りはしたんですけど、それでも付き合いは続いて。
中学校も同じで、一緒にバレー部に入って、中学校にもなると学校生活も何かと忙しくなるんですけど、それでも遊ぶ機会は多かったですね。

──それは本当に親しい友達ですね。

堀江:
高校と大学はお互いに全然違う学校に行ったんですけど、それでも時間を見つけて遊んでて。
もっと大人になって、お互いに忙しくなってからも、節目というか、折を見ては遊び続けています。人生の大半を一緒に過ごしてる……というと大げさだけど、間違いなく、ちーちゃんは会った回数の一番多い友人ですね。今でも関係が続いています。

──そこまでの幼なじみは珍しいと思います。

堀江:
そうですね。本当に子供の頃は、ずっと一緒にいた感覚でした。そして、ちーちゃんは、私が声優になる、決定的なタイミングにもずっと関わっていたんです。

──そこまでですか! 「ちーちゃん」から与えられた影響で、大きなものはたとえば、どんなところですか?

堀江:
私がもともと、そんなに社交的な子じゃなかったんです。といっても、極度の人見知りとかではなくて、なんというか「普通の子」って感じで。
でも、ちーちゃんはとにかく人気者だったんです。アクティブで、あと、今思うと、すごくフリートークが上手い(笑)。

──長年ラジオをやっている堀江さんが認めるフリートークの上手さ!

堀江:
話が面白い子って、やっぱり自然と人気者になるじゃないですか。しかもかわいくて、男の子にもモテてたんですよ(笑)。
仲がいいことが、ものすごく誇らしい、自慢に思えるような友達だったんです。もちろん、私自身もちーちゃんのことが大好きだし、一緒にいて楽しいし。

で、そんな子だから、私と他の子たちとの架け橋にもなってくれていたんですよね。一緒にいると自然と話す人が増える、みたいな。
「人付き合いの窓口」じゃないですけど、ものすごくきっかけをくれたなあって、今振り返るとあらためて思うんです。

いまに繋がる、ボイスドラマを作って遊んだ経験

──ちーちゃんとふたりで遊ぶときは、どんなことをしていたんですか?

堀江:
ふたりのあいだで、何かしらが突然ブームになるんですよね。ローラースケートだとか、バレーボール、バドミントン、トランプのスピード。
子供の頃って、興味の赴くままにいろいろあるじゃないですか。そういうのを全部一緒にやってました。

──いいですねえ。ほんとに仲良しそうで。

堀江:
その中でも一番流行った遊びが、今の仕事にちょっと通じるんですけど、自分たちの声を録音して、今でいうボイスドラマみたいなものを作って遊ぶことなんです。

──なんと。

堀江:
他の遊びもするんですけど、それだけは特別な遊びで、常にそれが自分たちのスタンダードなものとしてあった。
特別な人しか仲間に入れない、秘密の遊びみたいなところもあって。それを共有していることでより、ちーちゃんとの関係が密になった気もしますね。

声優 堀江由衣 インタビュー 人生における3つの分岐点

──その遊びで、堀江さんはどういう役柄を演じることが多かったんですか?

堀江:
いちおう役の設定も作っていた気もするんですけど、どちらかというと、「こういう事件が起こります」という概要の方が大事で、役は名前をちょっとつけているだけ、みたいな感じだった覚えがあります。
お芝居の練習としてやるエチュード(即興劇)に近い雰囲気でした。その中でも割と、謎を推理したり、やっていることに筋道を立てたいタイプでしたね。ちーちゃんは、割と事件を起こしていくタイプで。

──事件?

堀江:
「何か展開がないな」というときに、「あそこを見て! 誰かが倒れてる!」みたいな、展開が生まれそうなことを言い出す人です。
私はそれを受けて、「きっとこの人はこういう理由で倒れたのかしら」みたいな筋道をつけていくタイプだったんです。

──なるほど。そして、そんなところでもふたりは相性がよかったんですね。ボケとツッコミのような。

堀江:
そうそう。ボケとツッコミもそうですけど、話題を展開するタイプと整理していくタイプで、ちょうどよかったんです。

──そんな相性のいい方と偶然出会えたというのは、それはたしかに大きな分岐点ですね。

堀江:
そうですね。若い頃って学校が全てになってしまいがちで、そこで人間関係が上手く行かないと落ち込んでしまう時期もあるじゃないですか。
でも私、たぶん、何があっても「ちーちゃんといちばん仲がいい」ということだけは変わらなかったから、そこでちょっと救われてた……とまでいうと大げさですけど、助けられてた部分が割とあると思います。

分岐点2:アニメ『ダーティペア』に出会う

──ちーちゃんと遊んでた頃「とある作品」に出会ったのが、ふたつめの分岐点であるとのことでした。

堀江:
よくインタビューとかでも「声優になったきっかけ」として挙げるタイトルではあるんですけど、とある作品というのは、アニメ『ダーティペア』が本当に大好きで。
ユリとケイという女の子二人組が事件を解決していくお話で、ふたりとも強くて、性格は破天荒。とにかく女子から見てもかっこいい、憧れる二人組の痛快活劇だったんですよね。映像のテンポも良くて、お話の内容も面白くて、毎回、ちょっと謎解きみたいな要素もあって。

ちーちゃんも一緒にハマったんですけど、私はユリ派、その子はケイ派だったんです。そこもばっちり合ったんですよね。

アニメ『ダーティペア』公式サイトより引用。

──それは絶妙ですね。キャラの推し被りもなく。

堀江:
ふたりで『ダーティーペア』ごっこみたいなことを録音して遊んでたんですよ。
当時は子供だから、アニメを録画して何度も見るという発想がないので、一生懸命1回見ただけでセリフを覚えて、台本に書き起こして、2人で演じてみる……みたいなことをしたりとか。
──それは凝った遊びですね!

堀江:
といっても、小学生のころだからめちゃくちゃですよ(笑)。
覚えているのは断片だけで、内容もきっといいかげんでした。

それで、大きくなって進路を決めるときに、「『ダーティペア』のユリになりたい」と思ったんですよね。

──それは役を演じるということですか?

堀江:
いえ、ほんものの探偵みたいな感じになりたかったんです。
でも、「現代の探偵って、私が思い描いてる仕事とはちょっと違う」というのは、さすがに知っていて(笑)。

──主な仕事は浮気調査、みたいなイメージあります。

堀江:
そうそう(笑)。なんとなく、派手なアクションはしなさそうだなって。
それに、もし『ダーティペア』がアニメでもも、もう1回作られることになったときに、普通の生活をしていたら多分声がかからないなって思って。それで、ユリみたいな職業に就くためには、声優になればいいんだな……と考えて、今ここに至るわけです。

──まさに「声優になったきっかけ」ですね! しかもラジオドラマ【※】で、実際にユリを演じましたよね。

堀江:
そうなんですよ! 原作の『ダーティペア』とはちょっと設定は違いましたけど、ユリを演らせていただいたときは、夢が叶ったと思いました。

私は、ちーちゃんと出会っただけでは声優になってないし、『ダーティペア』を見ただけでもたぶん声優になっていない。
ちーちゃんと一緒に、「この作品おもしろいよね!」ってめちゃくちゃ盛り上がって、そんなことが、確実に今に繋がっていると思うんです。それで今回、ふたつ揃って分岐点として選びました。

※2006年~2007年に放送された、ダーティペアを原案としたラジオドラマ『ラブリーエンゼル ユリ&ケイ』

分岐点3:声優養成所のオーディションを受ける

──3つ目の分岐点も『ダーティペア』から繋がっているわけですね。

堀江:
そうなんです。
私が『ダーティペア』みたいになれるのは画面の中だけだろうな」と思ったから、声優の養成所に入るためのオーディションを受けました。
実はそのときも、ちーちゃんと一緒に受けたんですよ。

──もう、人生の分岐点すべてに、ちーちゃんがいますね!

堀江:
ほんとうにそうなんですよ! 私は日本ナレーション演技研究所に特待生として入りました。
やっぱり、オーディションを受けるのも、ひとりだったらできてなかったと思うんです。

──ちーちゃんがいたから受けられたということですか?

堀江:
私は、もともとオーディションを受けるような活動ができるタイプじゃないというか、何かに挑戦をするタイプではまったくないんですよね。ただ、そのときは2人で一緒にテンションが上がっちゃって。
言葉は悪いかもしれないですけど、ふたりで遊んできたことの延長で、養成所のオーディションに向けたプロフィール作りとか、写真撮影をして、そのままの勢いで書類も出しちゃった、みたいな感じでした。

──なるほど。でも、そうやって勢いで飛び込んでみたものの、「なんか違ったな」とか「合わなかったな」で辞める人が山程いますよね。堀江さんはずっと続いたわけですけど、養成所に入った瞬間にカルチャーショックはなかったんですか?

堀江:
いやぁ、ありましたよ。カルチャーショックというか、本当に何も知らずに入ったんです。
養成所のオーディションのときに、「そっか、声優さんってお芝居をするんだった」と初めて自覚したくらいで。

──演劇部だとか、なにかそういう経験があったわけではないですものね。

堀江:
今思うと、私、よく受かりましたよね。
養成所に入ってからは、本当に初めてやることばっかりでした。「あ・え・い・う・え・お・あ・お……」の発声練習から始めて。「声優さんになるためには、こういうことやるんだなあ」と、驚きの連続でした。

声優 堀江由衣 インタビュー 人生における3つの分岐点

──しんどくはなかったんですか?

堀江:
ひたすら、「声優にならなきゃ」という気持ちでした。特待生って、5人ぐらい同時に受かっていたんです。「自分だけ置いていかれるわけにはいかない!」って気持ちに、自然となったんですよね。
他の子たちは、私より歳上のちょっとお芝居に慣れている人もいたし、逆に私より若い現役女子高生みたいな子もいたんですけど、いろんな人がいる中で、自分だけ落ちこぼれるわけにいかないから、とにかく頑張らなきゃ! って。養成所には、その一念で通っていました。

──まわりと、いい意味での競争意識があった。

堀江:
競争というよりは、置いていかれたらどうしようの気持ちです。あとは養成所のつながりで、1年目からいろんな現場で見学させていただけていたんです。
「現場で育てる」みたいな意識があったのか、経験を早く積ませてくれていた。そういうのがあると「迷惑をかけちゃいけない」みたいな意識も芽生えますよね。

──周囲の期待と努力すべき状況があって、そこに応えていったんですね。たしかに堀江さんの出演作のリストを見ると、オーディションの1年後ぐらいからもうポンポンと大きめのお仕事も入っていく印象です。

堀江:
でも現場に行っても、本当に何もできないんですよね。でも迷惑をかけるのが嫌で、先輩たちの振る舞いを見ながら、「自分で何とかするしかない」って、そういう気持ちでずっと当時はやっていました。