空手のススメ、徳島の田舎道場から (original) (raw)
一昨日の日曜日(11/17)は、和歌山市にて第31回和歌山県空手道選手権大会が行われました。
私は審判員として参加させていただきましたが、大会を開催、運営された新極真会和歌山支部 < 支部長 > 黒岡師範、黒岡道場スタッフの皆様、素晴らしい大会に参加させていただきありがとうございました。
組手でリトちゃんが優勝、タイセイ君が準優勝、型でイッシン君が優勝でした。
また同じく一昨日は、徳島県鴨島町で全四国空手拳法選手権大会が行われました。
大会を開催、運営された総円心館・森館長、総円心館スタッフの皆様、大会に道場生が参加させていただきありがとうございました。
組手部門のみの大会でしたがキイト君、シントウ君が優勝、ユイト君が準優勝でした。
両大会に参加した道場の皆さん、勝った人も、負けた人も、皆んなよく頑張りました。
また次の大会を目指して、今週の稽古から頑張っていきましょう!!
保護者の皆様もお疲れ様でした。
また鴨島の大会でサポートしていただいた道場生の皆さん、ありがとうございました。
さて、我々の空手の組手は本来、体重制限の無い体重無差別が本道です。
我々の空手の組手競技において一番権威がある大会は、4年に一度行われる無差別の世界大会であり、毎年行われる無差別の全日本大会は、その次の権威を有します。
昨今は体重によって出場部門が分かれる体重別大会が多くなりましたが、我々の空手において体重別大会が設けられたのは、当初、無差別大会への選手育成が目的でした。
体重別大会(1984年、第1回全日本ウェイト制大会開催)は、初めての全日本大会(1969年、第1回全日本大会開催)が開催された年の15年後から行われるようになりましたが、昨今は体重別大会が我々の空手のみならず、フルコンタクト空手界の主流となりつつあります。
我々の空手においては無差別が本道なれど、体重別が主流となる時流は必然的な部分もあります。
ボクシングなどを筆頭に多くの格闘競技は、体重別のカテゴリーで競技を行いますが、その最大の理由は、格闘競技は総じて体重の重い方が有利だからです。
競技的に有利なだけでなく、体重差は打撃力の差に直結するもので、一般的に体重の重たい方が打撃力は強くなります。
また体重差は打たれ強さにも影響しますが、グローブを付けているからといって、急所が集中する頭部をパンチで打つボクシングなどの競技は、体重差による打撃力の差は、最悪の場合〝リング禍〟と呼ばれる事態を引き起こす重大な競技リスクとなります。
武道、スポーツを問わず、どのような競技も安全性を第一にして、フェア・平等の理念のもと、競技発展を計るのが競技に関わる全ての関係者の務めです。
我々の空手にあっても、体重別大会が主流になっていく時流は、競技発展のために必然と言えます。
しかし私は競技において体重別大会が主流になっても、体重無差別を本道とする我々の空手の姿勢は、競技においても我々の武道精神として崩してはならないと思います。
体重別と体重無差別、一見、体重別の方が体重別の有利、不利がなくフェア・平等に思われます。
しかし無差別は、字体のとおり「差別が無い」ことを意味します。
それに対し体重別は、体重による差別化です。
差別化によってもたらされるフェア・平等も確かに存在し、その差別化はフェア・平等の安全性などを含む合理性となるものです。。
その一方で、無差別によってもたらされるフェア・平等も存在します。
話が飛躍しますが、フェア・平等は権利の象徴的一端です。
フェア・平等を含む権利は、誰に対しても無制限に許されるものではありませんが、権利を得るには、誰もが負うべき義務が付随します。
義務はフェア・平等を成立させる精神的根幹となりますが、差別化の有る無しは、フェア・平等の意義を合理的、精神的に違った形で成り立たせるものに思います。
「強さは優しさでなければならない」また「優しさは強さでなければならない」とする我々の空手の武道精神は、多分に義務を示す一面があります。
義務を負わずして権利ばかりを主張する人が増えている昨今ですが、我々の空手はフラットとしての無差別を本道にすることによって、フェア・平等の精神的根幹を示すことができるように個人的に思います。
また頭部への手技が禁止されている我々の空手競技は、体重無差別であってもボクシングなどよりは競技リスクが少ないものです。
競技リスクが少ない体重無差別の我々の空手の試合競技にあっては、武道の極意の一つとされている「柔よく、剛を制す」が体現されます。
武道の極意の体現は、至高の武道精神を示すものです。
新極真会徳島西南支部は、武道精神を標榜する空手道場として、体重無差別を本道とする空手の教示を心掛けたいと思います。
今週の土曜日(11/23)は、祝日のため新極真會徳島西南支部の全道場はお休みです。
同じく今週の土曜日の午前中に12/1に行われる徳島錬成大会のトーナメント表、大会スケジュールを公開します。
関係者の皆様はご確認いただき、誤字などがある場合はご連絡ください。
また徳島錬成大会で行われる四国地区DF2025第2次選抜戦(四国在住者のみ対象)の申込書の小4男子の階級で正しくは軽量級、中量級、軽重量級、重量級の4階級のところ、誤りで軽量級、中量級、重量級の3階級として記載ミスがありました。
重量級を(37kg以上)として募集しましたので、正しい軽重量級(40kg未満)と重量級(40kg以上)の区分で両クラスの参加者を改めて募集します。
募集期間は11/27㈬までです。
記載不備でご迷惑をかけ、そのうえ募集期間が短くて申し訳ありませんが、参加希望の方がいらっしゃいましたら所属長を通じてご連絡ください。
11.19.2024 記
先週の金曜日(11/8)から一昨日の日曜日(11/10)まで、山梨県の富士山が眺望できる富士緑の休暇村にて、新極真会ユースジャパン強化合宿2024が開催されました。
新極真会ユース合宿は、例年、参加者が北海道から沖縄までの全国から集い、同年代の選手と質の高い稽古、そして有意義な交流ができる大規模な合宿です。
新極真会ユース合宿を開催してくださった緑代表、三好総監督、新極真会事務局の皆様、そしてご指導いただいた師範、コーチの皆様、ありがとうございました。
徳島北東あわじ支部、西南支部、徳島から参加した皆さん、ハードな合宿お疲れ様でした。
また、合宿にお子さんを送り出していただいた保護者様の皆様、新極真会ユース合宿にご理解をいただきありがとうございました。
さて、先日(10/20㈰)行われた四国岡山合同稽古では、スパーリング(技量向上を目的とした稽古組手の意)中での保護者様の声掛け、アドバイスを控えてもらいました。
参加者、特に子ども達の〝自分で考えて組手 ( 試合形式による自由攻防の対戦の意 ) をするマインド〟を培うために、先日の四国岡山合同稽古に参加した支部長、道場長、師範代の話合いで保護者様にはスパーリングを見守ってもらいましたが、スパーリングの雰囲気がいつもの合同稽古よりも違ったように個人的に感じました。
個人的に子ども達の動きに個々の意志のようなものが感じられ、その意志は〝自立の芽生え〟のようにも感じられ、非常に良い雰囲気の稽古だったと思います。
私が感じた子ども達の〝個々の意志〟には、今回の試みの意図であった〝組手を自分で考えるマインド〟が反映されていたように思います。
我々の空手のスパーリング、組手は言わずもがな、突き蹴りを実際に当てるフルコンタクト(直接打撃)の空手です。
組手、スパーリングでは自らの突き蹴りを対戦相手に直接当てますが、逆に対戦相手の突き蹴りも被弾します。
組手は、人と戦うのが実体です。
我々の空手は、組手の実体的本質を直接〝肌で感じる〟空手であると類別できます。
我々の空手の組手、スパーリングおいて肌で感じるのは〝物理的な相手の圧力〟〝触感的な自分の突き蹴り〟〝感覚的な被弾による痛み〟そして〝心理的な被弾による痛みからの恐怖〟などの情感です。
フルコンタクト空手の組手、スパーリングでは多種多様な〝情感〟が生まれますが、それらの情感は子ども達の豊かな〝情操〟を育みます。
我々の空手を修練する子ども達の周囲の大人である指導者、保護者などは組手、スパーリングで生じる子ども達の情感を豊かな情操へと導かなければなりません。
肌で感じる物理的な相手の圧力においては、その圧力に対して物理的にどう対処するのかといった〝合理的な判断〟。
触感的な自分の突き蹴りにおいては、組手、スパーリングで自分の突き蹴りの効果を高めるための〝理知的な思考〟。
感覚的な被弾による痛みにおいては、自分の痛みから他人の痛みを知る〝思いやり〟。
被弾による痛みからの恐怖においては、その恐怖を克服する〝勇気〟。
以上のような情操に導くことが、周囲の大人としての義務や責任と私は思います。
指導者、保護者などは、子ども達への思い入れが強いほどに指導、アドバイスにも熱が入るものです。
熱が入るばかりに例えば組手、スパーリングに恐怖し、対戦相手の圧力に後退するばかりの子どもに対し「なぜ、下がる」「自分から前に出ろ」などと語気を荒げることがあります。
「下がるな」「前に出ろ」と、きつく言うことは、確かに効果がある場合もあります。
しかし、そういった語気の荒い口調には、子ども達が肌で感じている〝恐怖〟への理解がありません。
子ども達が感じる恐怖をよく理解したうえでの指導やアドバイスでなければ、子ども達の圧力に対する合理的判断、理知的思考などは身に付きません。
また語気を荒げることによって、相手の圧力に対して下がらず、前に出れたとしても、それは怒声に対する恐怖によるものであり、恐怖に対して恐怖で追い立てられることになり、本当の勇気は身に付かないものです。
そして勇気が身に付かなければ、空手で学ぶ上での一番大切な意義の一つである、他人の痛みを理解する思いやりも身に付きません。
我々の空手において子ども達への指導、アドバイスで大切なことは、子ども達が肌で感じる情感を理解し、その情感を否定せずに認め、情感からポジティブな情操を引き出すことだと私は思います。
我々の空手の組手、スパーリングは、見るものの感情移入を誘うものです。
周囲の大人達は組手、スパーリングをする子ども達に自分の感情をそのまま口にしがちですが、感情に捉われているだけでは、子ども達の肌で感じる情感は理解できません。
周囲の大人達は熱い思い入れがあるのならば、感情に捉われず冷静に子ども達の組手、スパーリングを見据え、子ども達が肌で感じている情感を自らも感じ取り、その情感を理解したうえで子ども達に言葉を発せなければなりません。
新極真会徳島西南支部の保護者の皆さんは、稽古中、静かに子ども達のスパーリングを見守られていますが、見守りながら、子ども達が肌で感じている情感も感じて欲しいと思います。
そして指導者として私は、子ども達の情感に基づき合理的判断、理知的思考、勇気、思いやりなどの情操が身につく指導を心掛けたいと思います。
〝教育の最大の目的は自立〟と言われていますが、新極真会徳島西南支部は子ども達が空手で身に付ける情操によって社会的自立心が芽生えていくような、家庭教育をお手伝いできる空手道場を標榜していきたいと思います。
< ご案内>【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
次の日曜日(10/20)は、和歌山県大会及び全四国空手拳法選手権大会です。
逢坂は和歌山県大会に審判で参加しますが、全四国空手拳法選手権大会には武田指導員が引率してくれます。
全四国空手拳法選手権大会、参加の道場生の皆さんは武田指導員の指示に従ってください。
また日曜日の両大会に参加する道場生の皆さんは、土曜日の鴨島道場の稽古は参加する人は少年部クラスのみに参加 ( トレーニングウェアで OK) し、選手クラスは参加せずに日曜日の試合に備えてください。
11.12.2024 記
一昨日の日曜日(11/3)は高松市空手道錬成大会及び第4回香川県空手道選手権大会・型部門が行われました。
私は審判員として参加させていただきましたが、大会を開催、運営された新極真会香川中央支部 < 支部長 > 原内師範、原内道場スタッフの皆様、大会に参加させていただきありがとうございました。
新極真会徳島西南支部からは15名がエントリー。
錬成大会・組手部門でリノちゃん、タイシン君、レナちゃん、コロタウ君、ヤツカさんが優勝、ユウセイ君が2位、リョウマ君、ウタ君が3位、型部門でリノちゃん、レナちゃんが優勝でした。
香川県大会・型ではイッシン君が優勝、コウダイ君が2位、ハナちゃんが3位でした。
皆んな、よく頑張りました!!
また次の試合に向かって、頑張りましょう。
同行された保護者様も、お疲れ様でした。
さて、私は空手の稽古には、緊張感が必要と認識しています。
よく少年部クラスなどでは道場生が稽古前に鬼ごっこなどをしますが、そういった稽古前のリラックスは咎めたりしません。
しかし稽古中は指導として、リラックスを与えるよりも終始、緊張感を与えるように留意しています。
私が稽古で与える緊張感は、指導者としての権威を道場生に植え付けるための恫喝的なものでなく、道場生が気の緩みから生じるミスをしないための注意喚起的な緊張感であるように心掛けています。
そして私が指導で与える注意喚起的な緊張感が、道場生のミスをしないための〝自発的緊張感〟になるように常に稽古指導を工夫しています。
私はブログでしつこく書くように、空手の本質は組手(試合形式による自由攻防の対戦の意)であると個人的に定義しています。
深淵に至るために、本来を命のやり取りまでに想定し、心身を厳格に練り上げる武道精神においては、ミスは致命と認識すべきものです。
例えば上段回し蹴りをディフェンスするのに、受けたり、躱したりするタイミングをミスすれば被弾し倒されてしまいます(いわゆるKO)。
稽古や試合において、実際的にはKOによって致命となることはありませんが、KOをあえて致命と捉え、KOを回避する技量の修練に懸命になることで武道精神を深まります。
実際に突き蹴りを当てる組手、またはスパーリング(技量向上を目的とした稽古組手の意)を行う、我々の空手にあっては致命に至らずともKOは実際的に起こり得ます。
我々の空手にあってはKOや、それに近い組手試合における一本、技ありを対戦相手から奪われないように試合、またはスパーリングでも心掛けなければなりません。
組手、スパーリングでのミスを安易としないことは武道精神となりますが、ミスをしないための自発的緊張感は、我々の空手においては「空手の本質に根ざした必須的な心構え」と私は認識しています。
空手において、自発的緊張感を高めるには、稽古での約束事をしっかり守ることが基本となります。
我々の空手の基本稽古における正拳中段突きでは、打つべき狙いをみぞおちとすることが約束ですが、空手の基本稽古、移動稽古、型稽古は全て約束が定められてます。
基本、移動、型稽古の多種、多様な約束をしっかり守ることで自発的緊張感は高まりますが、私はミット稽古などでも約束を細かに設定し、自発的緊張感を道場生が高めるように指導しています。
自発的緊張感を高めるミット稽古の一例として、膝蹴りを主体とした稽古においては、まず自分が膝蹴りを仕掛け、ミットを持つ相手がその膝蹴りを受けて膝蹴りを返してくるのをステップで躱し、上段回し蹴りを返すといった稽古などを行っています。
緊張感を欠くと相手の返しの膝蹴りを躱し損なったり、またミットの持ち手も膝蹴りを受けた後の返しの膝蹴りを忘れたりします。
自発的緊張感を高めるミット稽古では、対人稽古として、双方が緊張感を持つことなどにも工夫しています。
我々の空手に必須な緊張感ですが、本来、緊張感は心理的プレッシャーであり、それによって心身を抑圧するものです。
心身を抑圧する緊張感は嫌煙されがちなものですが、緊張感を嫌うのは本来の人間の性です。
しかし人生おいては入試、就職のための面接など、緊張感が生じる色んなシーンが巡ってきますが、その緊張感に対してどう向き合うかは、その人の人生を大きく左右します。
緊張感から逃れるばかりの人生では、最終的に満足を得られる生き方は出来ませんが、新極真会徳島西南支部の道場生には〝人生に巡ってくる緊張感〟に、しっかりと向き合える人生を送って欲しいと思います。
そのためでもある自発的緊張感を高める空手の稽古ですが、緊張感は心身を抑圧する作用ばかりでなく、逆に心身を高揚させる作用もあります。
空手の試合では、緊張感しながらも緊張感を集中力に変え、自分のベストパフォーマンスを発揮する選手がいます。
緊張感は真摯に向き合うことで、心理的抑圧を集中力へと変えます。
緊張感からなる集中力によってもたらされる試合内容や試合結果からは、達成感などを含む心身の高揚を情感することができます。
緊張感からの心身の高揚、特に〝心の高揚〟は格別な情感ですが、私は現役時代、試合自体は好きではありませんでした。
大会前は緊張から自分の意思でエントリーしながらも「なんで試合にエントリーしたんだろう」と後悔したりしましたが、その後悔はエントリーした動機は明確な上での、試合前の緊張感からの現実逃避的な後悔でした。
長年、私が試合に挑戦し続けた動機、それは試合中、そして試合後の高揚感を得たいがためでした。
試合前、または試合に向けた稽古期間中は、エントリーを後悔するほどに緊張しましたが、その緊張から逃げずにしっかり向き合い稽古を積むほどに、試合中、試合後に感じられる高揚感は格別なものでした。
そして、その高揚感は最後の試合から13年を過ぎた今でも種火のように心に残り、今の私のバイタリティー(活力)となっています。
緊張感は心身を抑圧するものであり、社会には不要な緊張感もありますが、緊張感にしっかりと向き合うことで心身を高揚させる緊張感もあります。
空手における緊張感は、無論、高揚となる緊張感です。
新極真会徳島西南支部の道場生には空手の稽古で〝自発的緊張感〟を高め、人生で巡る様々な緊張感から高揚を情感できるようになって欲しいと思います。
11.5.2024 記
一昨日の日曜日 (10/27) は、大阪府門真市にて第 37 回全関西空手道選手権大会が行われました。
私は審判員として参加させていただきましたが、大会を開催、運営された新極真会大阪東部支部 < 支部長 > 阪本師範、阪本道場スタッフの皆様、素晴らしい大会に参加させていただきありがとうございました。
イッシン君が型 < 選手権 > で優勝、組手 < 選手権 > で 3 位、タイシン君が組手 < 新人戦 > で 3 位でした。
他の皆んなもレベルの高い大会で、それぞれ良く頑張りました。
全関西大会での経験も、次に繋げていきましょう !!
同行された保護者様、お疲れ様でした。
またサポートしてくれた道場生もありがとうございました。
さて、以前のブログで空手における体の基本、心の基本について書きましたが、何事においても基本は存在します。
私は空手の本質は組手だと認識していますが、組手そのものにおいても戦略的、戦術的にいった感じで基本は存在します。
組手の基本をどう定義するかは空手の修練者、指導者などによって様々に思いますが、私は組手の基本は〝打たれたら、打ち返す〟ことと定義しています。
空手そのものに心と体の基本があるように、私が定義する組手の基本〝打たれたら、打ち返す〟には、心と体の両面において基本となる所以が存在します。
その心の基本となる所以は、我々の空手は組手で直接、突き蹴りを当てますが、直接打撃の組手には、突き蹴りを被弾する痛みからの恐怖心が付きまといます。
恐怖心に心が捉われてしまうと、体は動かなくなり、余計に被弾は重なり、恐怖心は高まるばかりとなります。
組手は勝つことを目指して行うものですが、組手で恐怖心に捉われてしまうと勝ちはなく、そればかりか組手は、ただの恐怖となります。
組手における恐怖心に向き合うことは、空手を学ぶ大切な意義の一つになるものですが、恐怖心に向き合い、恐怖心を打ち払うには、打たれたら、すぐに打ち返す〝果敢さ〟を身に付けることが、もっとも効果的です。
突き蹴りを被弾することから生じる痛みは、当然、被弾後に訪れますが、打たれても間髪入れずに自分が突き蹴りを打ち返していれば、被弾後の痛みを心理的に紛らすことができます。
〝打たれたら、打ち返す〟ことには、恐怖心を打ち払う果敢さを身に付けるための、具体的な心理的作用があります。
また〝打たれたら、打ち返す〟ことが組手の体の基本となる所以としては、間合い(相手との距離とタイミング)との関連性があります。
間合いは、空手の組手における最重要課題となりますが、初心者は間合いの感覚が未熟です。
空手の組手の理想は〝打たれたら、打ち返す〟ことに対極的な〝打たせずに、打つ〟ことです。
〝打たせずに、打つ〟ことの要諦は間合いとなりますが、〝打たせずに、打つ〟を実践するには、相手に打たれない距離に身を置き、相手を打つタイミングを計る〝間合い〟感覚を身に付けることが必須となります。
初心者は上記のような間合い感覚が未熟ですが、相手に打たれない距離は分かりそうであっても、感覚的に初心者にはなかなか分らないものです。
そのため相手に打たれない距離を感覚的に覚えるには、最初は逆に突き蹴りを被弾することから相手に打たれる距離を覚え、打たれる距離から打たれない距離を覚えて行くことが効果的になります。
一方、相手に打たれる距離は、自分も相手を打てる距離となります。
単純に相手に打たれた距離で相手に打ち返すと、自分の突き蹴りは当たるもので、打たれる距離を覚えることは、自分の突き蹴りを相手に被弾させる距離を覚えることにもなります。
また、突き蹴りは相手が反応できなないタイミングで打つことが最も効果的になりますが、相手が自分に突き蹴りを被弾させたあとの一瞬の間には隙があり、その隙は自分が打つ突き蹴りに相手が反応できないタイミングとなります。
〝打たれたら、打ち返す〟ことは、自分の突き蹴りを相手に被弾させる〝間合い〟を覚えることにも効果的となります。
私は組手稽古であるスパーリングで「打たれたら、打ち返せ」と、よく道場生に声掛けします。
組手は空手の本質であり、我々の空手に付き物である組手の恐怖に向き合うことは、空手を学ぶ大切な意義の一つです。
新極真会徳島西南支部の道場生には〝打たれたら、打ち返す〟を組手の基本として、組手に取り組んで欲しいと思います。
10.29.2024 記
一昨日の日曜日 (10/20) は、愛媛県新居浜市で四国・岡山合同稽古でした。
いつも四国・岡山合同稽古を企画、準備してくださる新極真会高知愛媛 < 支部長 > 三好師範、野本師範代、近藤先生、この度もありがとうございました。
参加した道場生の皆んな、ハードな稽古をよく頑張りました !!
今回の経験も、今後の試合に活かしていきましょう。
保護者の皆様も同行、お疲れ様でした。
さて、痛風持ちのために 3 ヶ月に一度通院している私ですが、診ていただいている先生はスポーツドクターで全国的に活躍されている方です。
最近は症状も大したことなく、通院の際には痛風とは関係のない、道場生や自分の怪我などについてお話を伺っています。
私が指導する道場生は小学生・中学生・高校生が多く、彼らは成長期にあります。
突き蹴りを実際に組手・スパーリングで当てる我々の空手に怪我は付き物ですが、彼らの中には我々の空手特有の突き蹴りによる打撲などでなく、オーバーワーク的な過度な稽古で怪我をする道場生もいます。
成長期にある道場生の怪我には常に留意していますが、自身の定期通院の際に聞く、かかりつけの先生から伺うお話はとても勉強になっています。
成長期での過度な稽古による怪我は、成長の障害になるため厳禁なのは当たり前のことですが、強くなるためにはハードな稽古も必須です。
子ども達に強さが身につく空手の稽古を指導することにおいて、稽古が〝適正なハードワーク〟なのか、それとも〝過度なオーバーワーク〟になっているのかを見極めることはとても大切です。
かかりつけの先生によると〝適正〟〝過度〟の見極めにおいては、稽古後の子どもの様子が大きなポイントとなり、稽古後の子どもが疲労で物も言わずにぐったりするようであらば、それは過度な稽古となるそうです。
ハードな稽古の後でも、子どもが走り回るくらい元気でなければ適正なハードの稽古とはならないそうですが、大人になってから強さを求めて選手として稽古してきた私は、稽古後にぐったりするくらいのハードな稽古が強くなるための稽古として取り組んできました。
成長期を過ぎた大人としては、それが正解と思います。
しかし、成長期にある子ども達には、身体を成長させるエネルギーが常に必要です。
ハードな稽古の後でも残る〝元気〟は、常時必要な子ども達の〝身体を強く成長させるエネルギー〟であり、そのエネルギーは成長段階にもよると思いますが、子ども達にあっては枯渇させてはならないように思います。
通常の成長に必要なエネルギーでなく、子ども達の身体を強く成長させるエネルギーは、通常の運動ではなかなか引き出せないものであり、それを引き出すには子ども達に適正なハードワークが必要となります。
空手においての子ども達にとっての適正なハードワークとは、子ども達の身体を強く成長させるエネルギーを引き出す稽古であるように思います。
大人と子どもでは、適正なハード基準が違います、
その違いを指導者は、留意しなければなりません。
また道場生においては、稽古によって子どもながら身体付きが大人のように逞しくなる道場生もいます。
稽古によって身体付きが逞しく変化することは、強さの表れであり良いことですが、身体付きの変化から感じられるフィジカル的な雰囲気が、年齢にそぐわず不釣り合いに感じるくらいの逞しい道場生もいます。
また逆に「稽古しているならば、年齢的にもっと逞しくても」といった道場生もいますが、人の成長は個人によって違います。
成長期における逞しさのようなフィジカル的な雰囲気は、個人の成長の度合いによって異なるものです。
「15 歳だから、これくらい逞しくあって然るべき」といった先入観は厳禁です。
その事は私も十分に認識していたつもりでしたが、成長期におけるフィジカル的な雰囲気の違いが、私が思っていたよりも年齢的に広汎であるとには、最近まで認識が及びませんでした。
私が診ていただいている先生は、現在、メジャーリーグで大活躍している大谷選手に関わりのあった方ですが、先生曰く、大谷選手の身体が出来上がったのは最近のことであるそうです。
大谷選手は現在 30 歳ですが、私は人間は 20 代前半で身体は出来上がるものと思っていましたが、30 代までフィジカルの伸び代があるとは知りませんでした。
空手もそうですが、昨今、一部のスポーツでも選手寿命が伸びていますが、その要因はフィジカルの伸び代に対する認識の広がりにあるように思います。
30 代までフィジカルの伸び代がある人もいますが、逆に 10 代で身体が出来上がる人もいます。
そういった人は 10 代で身体を作り上げた方が良いそうですが、個人におけるフィジカル的な伸び代の違いを見極めることも指導者の留意すべきことです。
子どもに対しては、何事においても〝見極め〟が大切です。
見極めとは、限界を〝見切る〟意味合いがありますが、可能性を〝見届ける〟意味合いもあります。
子どもに対する見極めで大切なのは、無論、後者です。
以前のブログで「プレイヤーズ・ファースト」について書きましたが、色んな意味合い使われているプレイヤーズ・ファーストですが、本来は意味は「プレイヤーの未来を第一に考える」ことです。
子どもに対する〝見極め〟は、「プレイヤーズ・ファースト」の精神となるものです。
新極真会徳島西南支部では、子どもに対する見極めを大切にした空手の稽古指導に留意していきたいと思います。
< ご案内 >【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
次の日曜日 (10/27) に行われる全関西大会のために、以下の道場の稽古はお休みとなります。
10/26 ㈯…美馬道場・鴨島道場、全クラス
また 12/1 ㈰の徳島錬成大会の締切りは 12/26 ㈯となっております。
関係者の皆様、よろしくお願いいたします。
10.22.2024 記
一昨日の日曜日 (10/13) は
型稽古会 (9 時~10 時 )
昇級審査会 (10 時 15 分~11 時 15 分 )
組手強化稽古 (11 時 30 分~12 時 30 分 )
でした。
参加された道場生の皆さん、お疲れ様でした。
また、付き添いの保護者の皆様もお疲れ様でした。
さて、先日のある稽古のスパーリングで、ヘッドガードのマジックテープが外れた道場生がいましたが、その道場生のマジックテープを別の道場生が直している光景を目にしました。
「良い気遣いだな」と我が道場生ながら感心しましたが、〝気遣い〟は〝気づき〟から派生するものであり、気づきは空手を学ぶうえで、とても大切な心の働きとなります。
上記の道場生のような気づきは、親切心となる〝他人に対する気づき〟と言えます。
ブログでしつこく書くように、私は武道精神は武士道精神と定義しています。
明治時代の新渡戸稲造による著書「武士道」では「武士道精神の中核は〝惻隠の情〟である」と記されています。
惻隠の情とは「弱者をいたわったり」「相手の心情に寄り添う」などのことであり、上記の道場生のような親切心も含む心ばえです。
〝他人に対する気づき〟は〝惻隠の情〟に通じる心の働きであり、そして武道精神ともなる心の働きです。
一方、気づきには〝自分に対する気づき〟もあります。
自分に対する気づきは、例えば「こうすれば突きが強く打てる」などといったものですが、空手は自分に対する気づきを重ねることで技量・力量が高まります。
空手は武道精神の一端、向上心を持ち技量・力量を高める稽古を心掛けねばなりません。
〝自分に対する気づき〟は、向上心などの自分を高める心の働きとなります。
気づきは〝他人に対する気づき〟〝自分に対する気づき〟の 2 種類がありますが、この両者は心の働きとして表裏一体のように私は思います。
〝他人に対する気づき〟が〝自分に対する気づき〟の呼び水となり、また〝自分に対する気づき〟が〝他人に対する気づき〟の呼び水となります。
互いが呼び水であるがゆえに、どちらかを先行させて専心することで、両者は効率的に相高まるように思いますが、空手においては〝自分に対する気づき〟を先行させることが武道的であり、そして〝自他への気づき〟を豊かにする手段となるように思います。
空手における自分に対する気づきにあっては、誰もが気づく〝基本的な気づき〟が存在します。
それは〝自分は弱い〟という気づきです。
最初から強い人間などおらず、最初は誰しもが弱いものです。
弱い人間が稽古で強くなることに空手の最大の意義はありますが、空手を学ぶものの〝自分は弱い〟という気づきは、空手の全ての意義を全うするための原点となります。
そして〝自分は弱い〟という気づきは「自分が弱いように、他人も弱い」といったように、自分以外の弱者の心情に通じることから〝他人に対する気づき〟の原資となります。
我々の空手の組手、スパーリングは直接、突き蹴りを当てるため技量・力量の差が明確となり、誰もが「自分は弱い」と気づけるものです。
直接的には肉体的な弱さですが、空手で気づく〝自分の弱さ〟は、その弱さの根本は自分の〝心の弱さ〟にあることにも気がつけます。
己の心の弱さゆえに、自分の心身の弱さに目を背けたり、またその弱さを誤魔化したりすると、長い人生の中で必ず、自分の弱さによって自分自身が割りを食うことになります。
新極真会徳島西南支部の道場生においては、〝自分は弱い〟という気づきを素直に受け止め、心身において強くなるために稽古に励んで欲しいと思います。
昨今の社会では「SNS の普及で自己肥大な人が増大している」と言われています。
自己肥大は、一面においては〝自分に対する気づき〟の欠落です。
必然的に〝自分に対する気づき〟の欠落は〝他人に対する気づき〟の欠落となります。
SNS では他人への誹謗中傷も問題になっていますが、誹謗中傷の根本は〝自分に気づかない人〟による〝他人に気づかない〟負の連鎖にあるように思います。
〝自分に気づける人〟は〝他人にも気づける〟ものです
〝自他に対する気づき〟は、今後の社会の方向性を左右する人心の一つになると思います。
新極真会徳島西南支部では〝自分に対する気づき〟から〝人に対する気づき〟へと心が働く、稽古を心掛けたいと思います。
< ご案内 >【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
次の日曜日 (10/20) は、四国岡山合同稽古です。
参加する道場生の皆さんは頑張りましょう !!
なお、今回の場所は新居浜市の山根総合体育館となりますので、お間違いのないようにお願い致します。
10.15.2024 記
先週末からの土曜日 (10/5)、日曜日 (10/6) は、東京都体育館にて第 56 回全日本空手道選手権大会が行われました。
私は審判員として参加させていただきましたが、国内最高峰の素晴らしい大会を開催していただいた新極真会・緑代表をはじめとする関係者の皆様、誠にありがとうございました。
今大会からは型部門が新設されましたが、型部門に新極真会徳島西南支部からカイト君が出場、結果は初戦敗退でした。
カイト君には、今回の経験を今後に活かして欲しいと思います。
同行された保護者様もお疲れ様でした。
さて、空手には「基本」と呼ばれる稽古があります。
1. 体移動せずにその場で突き・蹴り・受けの動作を行う、〝その場基本 ( 省略して通常「基本」と呼ばれる )〟
2. 体移動を伴う基本稽古である〝移動〟
3. 組手を想定し、決められた基本動作を行う〝型〟
私は以上 3 つの稽古を総じて、空手の「基本稽古」と認識しています。
空手の基本稽古の動きは、実際の自由組手の動きとは、かけ離れている動きもあります。
空手の基本稽古が実際の動きとは、かけ離れて編 ( あ ) まれている意図としては、千変万化する自由組手の動きの中で、組手に必要な動きの〝軸〟を必要に応じて瞬息的に構築できるように、汎用性を広げるため抽象的に編まれていると、私は認識しています。
例えば、代表的な基本稽古である〝正拳突き〟は、主に突きとしての腕の軸を通す稽古であるように、私は認識しています。
また移動稽古で行う〝追い突き〟は、前足重心となる〝前屈立ち〟の前足と後ろ足の軸を通し、前足に乗った重心を腕を通して拳に伝え、また拳に伝える際の中継地点である体幹の軸も同時に通す稽古であるように、私は認識しています。
あらゆる動作の機能性、合理性の最大の要訣は、動きの〝軸〟にありますが、空手の基本稽古を正確に練り上げた修練者の組手には、空手としての風合い、そしてその修練者の内面が醸し出されます。
基本稽古は、空手の体における〝基本〟となるものです。
空手には、〝体の基本〟があるように〝心の基本〟も存在します。
空手における〝体の基本〟は〝動作の軸を通す〟ことですが、私は空手の〝心の基本〟は〝謙虚である〟こととして道場生を指導しています。
〝謙虚〟は、あらゆる情操の源泉となるものです。
空手の基本稽古は、抽象的であるがために「実際の組手の動きとはかけ離れているのに、何でこんな稽古するんだろう ?」といった疑問が生じやすいものです。
空手の基本稽古が抽象的なのは、上記のとおり実際の組手のあらゆる動きに応用が効くように汎用性を高めるためですが、疑問が生じても〝素直〟に基本稽古を続けると、身体操法として優れ、なおかつ汎用性に富んだ動作の軸を身に付けることができます。
〝素直さ〟は〝謙虚〟が源泉となる情操ですが、素直さで身につけた動作は、その人の素直な内面を映し出す組手の動きとなります。
また謙虚は〝自分を弁 ( わきま ) える〟情操も含みますが、自分を弁えることは、人に対する〝心の余地〟を生むものです。
謙虚、自分を弁えることからなる心の余地は、人の心情に寄り添う〝惻隠の情〟となります。
〝惻隠の情〟は徳としての〝仁〟であり、仁は他の義・礼・智・信からなる「五常の徳」の最高位とされています。
空手の心の基本である謙虚さ、そこから派生する惻隠の情は稽古、試合などで表出されますが、稽古の組手であるスパーリングにおいて、自分より技量・力量の劣る相手への〝手加減〟などは、その代表的なシーンです。
空手の心の基本は、修練者のあらゆる内面となり、そして人格となるものです。
新極真会徳島西南支部は〝体の基本〟そして〝心の基本〟を大切にした空手の教示を心掛けたいと思います。
< ご案内 >【新極真会徳島西南支部、道場生・保護者様対象】
次の日曜日 (10/13) は型稽古会 (9 時~10 時 )、昇級審査会 (10 時 15 分~11 時 15 分 )、組手強化稽古 (11 時 30 分~12 時 30 分 ) です。
参加する道場生の皆さん、頑張りましょう !!
また 10/14 ㈪は祝日で阿南道場の稽古はお休みになりますので、道場生、保護者の皆様、よろしくお願い致します。
10.8.2024 記