閑人手帖 (original) (raw)

【告知】「平文(ヘヴン)」
2024/9/16(月・祝)13:30@宮代町郷土資料館旧加藤家住宅
観劇無料
出演:パウロ北條風知、フランシスカ角智恵子

埼玉県最古の教堂「和戸教会」ができる明治初めのいきさつを描いた、無謀にも能じたての短篇です。なすやならざるや!#平原演劇祭 pic.twitter.com/XxGiM2d0ui

— 平原演劇祭 公式 (@heigenfes) 2024年9月2日

ç

宮代町郷土資料館へはこれまでは東武動物公園駅から30分ほどかけて歩くか、車ないしタクシーを使って行っていたのだが、今回は東武動物公園駅の一つ手前の姫宮駅から宮代町循環バスを使って行った。料金は100円。乗客は私一人だった。

郷土資料館は西原自然の森という小さな公園内にある。この小さな公園の敷地はこのあたりの名主だった斎藤家のもので、敷地内の竹林と雑木林は齋藤家の屋敷林だったと、宮代町の広報誌にあった。敷地内には明治時代の建築である旧斎藤家住宅のほか、よその場所からここに移築された平原演劇祭の会場となっている築200年の旧加藤家住宅、かつて小学校だった旧進修館、復元された縄文式住居、そして郷土資料館がある。

平原演劇祭の開催の広報はこの2、3年は、X(twitter)の平原演劇祭の公式アカウントか主催の高野竜さんのアカウントでの告知が頼りである。上演が天候に左右されることが多い野外公演が多く、また高野さんの体調や出演者の都合で急に公演が中止になったりすることがちょくちょくあるため、このところ平原演劇祭の観客動員数は常連のみの一桁という回が多かった。今回の『平文(ヘヴン)』の告知もそんなに積極的に行っていなかったし、演目も地味なのでどれくらいの観客が集まるのだろうかとちょっと心配していた。しかし上演会場である旧加藤家住宅に入ると、たくさん観客がいてちょっと驚いた。観客数は21名だったそうだ。会場が宮代町の施設ということで、町の広報誌で上演が告知されていたのだろうか。観客の年齢層は小学生ぐらいから老人まで幅広い。

今回の上演演目は、宮代町にある和戸教会の創設に関わる内容だったため、周りの人たちが話しているのを聞いていると、どうやら教会関係の人たちがやって来ているようだった。和戸教会は埼玉県で最も古いキリスト教教会だそうだ。今回出演する二人の平原演劇祭の常連俳優、パウロ北條風知、フランシスカ角智恵子は、いずれもキリスト者だ。ただ和戸教会はプロテスタントの教会だが、北條も角もカトリック信徒である。戯曲自体はかなり前に書いたらしいが、演じる俳優が見つからなくて上演されないまま寝かせたあった戯曲だと聞いた。題材的にキリスト者の俳優が演じるべきものだと高野は考えていたのか。

旧加藤家住宅での上演のときは、いつもは屋内の畳の部屋で上演が行われ、観客も畳に座って見ていた。今回は畳間ではなく、入り口の土間に接した板張りの玄関が上演の場となった。能形式で演じられたのは、この板間の上手を能の本舞台、下手を橋がかりに見立てたからだろう、であることに今気づく。観客席は土間を挟んで向かい側にある。

上演前日はかなり暑かったのだが、上演当日は、幸い曇りがちの空で、気温がそれほど高くなかったのが助かった。木造藁葺き屋根で、風が通り抜ける構造で、一見、涼しげに思えるが、この構造の家でも気温が30度を超えるとやはり暑い。冷房はもちろんない。

一度、旧加藤家住宅で8月にあった公演を見に行ったことがあるのだが、このときはあまりに暑すぎて芝居に集中できなかった。今回、畳敷きの部屋で公演できなかったのは、旧加藤家住宅の老朽化が進み、その保護のためだと言う。畳敷きの部屋に大勢入って、ドタバタやられては困るということらしい。

和戸教会の「縁起」については、公演終了後、家に帰ってからネットで検索したところ、宮代町図書館のデジタル郷土資料にかなり詳しく書かれてあった。

最初に下手側の旧加藤家住宅の入り口から登場し、上手側の玄関の板の間に上って語り始めるのはフランシスカ角智恵子で、彼女は「和戸村の上層農民で元の名主であり、養蚕業を営んでいた小島九右衛門」を演じる。

小島九右衛門の口からこの時期の日本の養蚕業の状況、なぜ日本の生糸が世界的に知られるようになったかなどの蘊蓄が語られる。小島は輸出用蚕卵紙(さんらんし)販売のために横浜に出たが、そこで胸を病みヘボンと出会う。ヘボンは、ヘボン式ローマ字によって知られている人物だが、医師でもあったのだ。そしてアメリカの長老派宣教師でもあった。ヘボンは1859年(安政6)来日、横浜に住み、医療・教育活動を展開する。小島はヘボンの施療を受けたことがきっかけで、キリスト教を知るのである。

宮代町デジタル郷土資料の『宮代町史』には以下のように記されている。

小島九右衛門は、輸出用蚕卵紙(さんらんし)販売のために横浜に出たが、胸を病みヘボンの施療院にて治療を受けるうちにキリスト教と出会い、やがてバラを紹介されて明治八年六月、横浜海岸教会にて先述した日本基督公会の設立者バラから受洗した。九右衛門は、同年秋に漢訳聖書を携えて帰郷、郷里にて伝道を開始した。
九右衛門をヘボンやバラに紹介したのは後に和戸教会設立の際に、信徒として九右衛門とともに尽力した和戸村の医師篠原大同であった(明治十三年三月二十六日付「七一雑報」)。大同は、後述するように、和戸村の医師として教会での医療伝道を中心に明治初期の地方医療にも貢献したが、彼の医学上の師は「平文先生」こと横浜施療院のヘボンであった。彼が明治八年五月、小島九右衛門にヘボンとバラのことを告げたことが九右衛門キリスト教入信の契機とされている。

『平文』でも、ヘボンが登場する。平文はこの劇では白い繭(?)で顔が覆われ、奇妙な格好をした異形の人物だ。『平文』という劇のタイトルは、宣教師・医師ヘボンだけでなく、「天国」heavenも掛けていることはあきらかだ。

『平文」は二部構成になっていて、第一部は九右衛門と平文(ヘボン)との対話になっている。平文のこの白繭仮面は目を塞いでいるらしく、平文の入退場は手探りで行われた。なぜ平文がこの扮装と仮面となったのかはよくわからない。宮代町への福音が、海外の未知の世からやってきた得体の知れない異人からもたらされたことを強調するためだろうか。

第二部は、和戸教会の建築に携わった大工小菅幸之助と小島九右衛門の対話となる。小菅は、さきほどまで平文を演じていたパウロ北條風知が演じる。6月の募集告知では3名の俳優を募集していたので、高野は平文と別の俳優が小菅を演じることを想定していたのかもしれない。ただキリスト者の俳優の三人目を見つけることができず、北條が二役を演じることになったのか。

youtu.be

【急募】
9/16(雨天時は23)、埼玉県宮代町の古民家にて新作「平文」の出演者3名を募集します。都内のオフ稽古に2度ほど来られる方。公共事業につきノーギャラです、すみません。埼玉県最古の教会の開設由来のお話です。@yappata2 までDMをお待ちします! pic.twitter.com/drVP78G0BK

— 平原演劇祭 公式 (@heigenfes) 2024年6月24日

ヘボンと知り合い、キリスト教を和戸にもとらしたのは九右衛門だったが、信徒の総代(?)は大工の小菅幸之助が引き受けることになった経緯が上演される。戯曲のもとになった資料は、宮代町史の記述だろう。そこで当事者たちが行っていたかもしれない台詞が肉付けされた歴史場面再現ドラマだった。台詞のなかに出てくる固有名詞や地名などは、観客として来ていた和戸教会関係者にはなじみのものもあったらしく、「○○のことだよね」と小さな声で話しているのが聞こえた。

能仕立ての謡曲風の台詞回しと所作はトリッキーではあったけれど、郷土史を取材した平原演劇祭の原点のような素朴で誠実な芝居だった。キリスト者の信徒の俳優がやったことで説得力があった。観客のかたも喜ばれているような感じだった。

ちなみに北條とは、2022年のクリスマスに、宝生能楽堂で上演されたヘルマン・ホイヴェルス作のキリスト教能の会場で会ったときには、プロテスタントの改革派の信者だと言っていたのだが、最近、カトリックに改宗したらしい。「おお、理論派から感覚派に転向したのか?」と聞くと、「理論付けできる情報ではなく象徴の奥行に依るものが信仰だと解釈している」ため、改革派にとどまることが厳しくなってカトリックになったそうだ。角は祖母の代から三代にわたるカトリックだが、角自身は熱心な信者ではなく、教会にもあまり足を運んでいないとのこと。

現在の和戸教会は、明治期にあった場所から少し離れた場所に建てられているそうだ。旧和戸教会のステンドグラスと写真が宮代町郷土資料館に展示されているとのことで、それらを見学してから、公演会場を後にした。

gekidansam.com

劇団サム 第10回公演

作:成井豊+隅部雅則(初演:2006年 演劇集団キャラメルボックス)

演出:田代卓

練馬区立石神井東中学校演劇部

『謎の大捜査線〜ハーメルンの笛が聞こえる』(作:藤原正文、演出:田代卓)
『才能屋』

会場:練馬区立生涯学習センター

----------------------------

2016年夏に旗揚げ公演を行った練馬区立石神井東中学演劇部のOB・OGたちによる劇団、劇団サムの第10回公演を見に行った。会場はいつもの練馬区立生涯学習センター。今回は7/28(日)に一回、8/3(土)に二回公演を行う。私が見に行ったのは7/28(日)の公演で、この日は劇団サムの『少年ラヂオ』の前に、石神井東中学演劇部による30分ほどの短編劇、2篇の公演もあった。

続きを読む

Ensemble Poesia Amorosa "Piangete occhi 流れよ わが涙〜17世紀イタリアの宗教的な歌"@日本福音ルーテル東京教会

----------------------------

パリを拠点にフランスと日本で活動するソプラノ歌手、高橋美千子さんが出演するコンサートを久々に聞きに行くことができた。会場は新大久保のコリアンタウンの雑踏のなかにある日本福音ルーテル教会。観客は250人ぐらいいただろうか。天井が高く、ちょうどいい感じで反響がある会場で、今回の古楽器と歌手の編成のコンサート会場として適した場所だと思った。

コルネット、ヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボにソプラノというちょっと変わった編成のアンサブル・ポエジア・アモローザのコンサートは今回が2回目とのこと。2023年に行われた1回目のコンサートは私は聞きに行けていない。16-17世紀のイタリア音楽をレパートリーとするグループだ。

今回は「17世紀イタリアの宗教的な歌」がテーマで、聖母マリアについての歌曲がプログラムの軸となっていた。A4、2ページのコンサート・プログラムの解説の内容は、プログラムの意図と楽曲の特徴が的確に記述されていて、コンサート全体の枠組みを明瞭に示していた。バランスの取れた記述内容で、内容の精度も長さもこれぐらいが適切だろう。ラテン語、イタリア語の歌詞の対訳があるのもよかった。とりわけ今回のプログラムが、歌だけでなく、テクストのメッセージも味わうものだっただけに。高橋美千子による翻訳の訳文も、原文の内容を正確に伝えるだけでなく、わかりやすくかつ優雅で魅力的なテクストになっていた。

コンサートの2曲目のサンチェスの《聖母の嘆き、スターバト・マーテル》、休憩のあとの2曲目、モンテヴェルディの《聖母の嘆き アリアンナの嘆きによる》、そしてコンサートの末尾に歌われたメールラ《子守歌による宗教的カンツォネッタ》の三曲がプログラムの軸であり、この周辺に器楽曲や小規模な宗教的楽曲が配置される。

導入となった器楽曲のあと、サンチェスの《聖母の嘆き「悲しみ母は立ちつくす」》で高橋美千子が歌い出した途端、そのエモーショナルで力強い歌唱とダイナミックで演劇的な表現力に、体中に電流が走ったような、しびれるような感動がわき上がった。歌詞は、ラテン語のStabat Materである。中世やルネサンスの聖歌は荘厳な美しさが魅力であるが、その音楽は人間的な情感はとぼしく「非人間的」なよそよそしさがある。歌詞がラテン語であることも、その音楽表現の硬質さをさらに強めているが、それとひきかけえに天上の神の世界の崇高さも感じさせてくれる。

サンチェスの《聖母の嘆き「悲しみ母は立ちつくす」》は歌詞こそラテン語のStabat Materではあるが、その音楽はことばの意味と情感と結びついた、この時代のイタリアで誕生した新しい様式、バロック様式である。高橋美千子の歌唱と演劇的ともいえるパフォーマンスは、そうしたテクストの内容と一体化したイタリア・バロック様式特有音音楽表現のありかたを鮮やかに具現したものだった。彼女の歌によって、確かに息子であるイエスの死を慟哭するマリアの悲痛な姿が浮かびあがってくるのだ。聖書の崇高な世界の住人ではなく、我々と同じ感情を持つ人間的な人物としてのマリアが現れる。

休憩後に歌われたモンテヴェルディの《聖母の嘆き》も私には衝撃的だった。この曲は、モンテヴェルディのオペラのなかの楽曲《アリアンナの嘆き》の旋律を利用した《替え歌》である。《アリアンナの嘆き》は、アテナイの英雄、テーセウスに捨てられたクレタ島の姫、アリアンナの失恋の慟哭が歌われているのだが、それがイエスの死を嘆くマリアの慟哭に置き換えられている。古代ギリシアの神話的世界の世俗的なエピソードが、その悲劇性を引き継ぎながらピエタの情景に移し替えられているのである。サンチェスでは歌詞はラテン語の_Stabat Mater_であったが、モンテヴェルディではイタリア語のオリジナルの歌詞になっていた。宗教的主題は、世俗語によるドラマティックな形式で、より人間的で身近なものへとなっている。当然、高橋美千子が行ったような演劇的でエモーショナルなスタイルでパフォーマンスが行われてこそ、この歌のドラマは効果的に引き出されるだろう。

コンサートの掉尾を飾るメールラの《子守歌による宗教的カンツォネッタ》では、聖母マリアは赤子をあやす母として表象される。Fa la ninna nana na「寝んねしな」というルフランで終わる歌詞が、次第にイエスの死を悼むピエタへと変わっていく。その展開にマリナの悲しみの情景が浮かびあがる。高橋の歌唱はその移り変わりを丁寧に伝えるもので、キリスト者ではない私にさえ大きな感動を覚えた。

イタリア初期バロック歌曲によるStabat Mater dolorosa、「悲しみの聖母は立ちつくす」という主題のバリエーションの豊かさを堪能できた知的な仕掛けのある興味深いプログラムだった。解説や歌詞対訳で、コンサート・プログラムの外枠を、聴衆も演奏者と共有できた。さらにこれらの歌曲を、歌詞の内容を咀嚼した上で、演劇的に提示した高橋美千子のパフォーマンスには圧倒的な力強さと美しさがあった。詩と音楽に内在する演劇性が見事に引き出された表現であり、プログラムになっていた。
久々に心から素晴らしいと思えるような音楽体験を得ることができた。

— 平原演劇祭 公式 (@heigenfes) 2024年5月12日

このところ主宰高野竜の衰弱もあって屋内公演が続いていた平原演劇祭だが、この5月には久々に野外遠足演劇の上演があった。 #五月夢の国(後半)の公演があった5/26は最高気温25度のほどよい暑さの晴天だった。雑草が生い茂る道なき道を進み、藪の中の木陰で夏水による「武蔵野」朗読を聞いた後、神社境内で高野竜の「鹿狩り」の朗読を聞く。それからまた雑草の生い茂る湿地帯を抜けて、新幹線と新交通システムの高架の横の道を移動しつつ、のあんじーによる「郊外」の上演を見た。

続きを読む

高野竜主催の平原演劇祭のスピンオフ、「みんなのへいげん」の公演、会場は西武池袋線石神井公園駅の近くの商業ビルの最上階にあるレンタルスペースであった。企画及び出演は平原演劇祭上演の三人の女優、栗栖のあ、青木祥子、夏水の三名で、高野竜は戯曲を提供しただけでこの公演の企画や演出には関わっていないようだ。

twitter上に掲示された「ちらし」では14時開場となっていた。チラシには「開演」時間を記すのが普通だと思うのだが、開演時間の記載はない。14時開演だと思い込んでいた私は13時半過ぎに会場に着くと、「まだ準備中です。開場は14時からですから」と追い出されてしまった。会場となるレンタルスペースは、商業ビルの5階にあった。入り口は鉄扉で、通常の居住者用のマンションと同様のものだ。屋上階に上る階段のところで会場まで時間を潰すことにする。14時の開場前に私以外に三人のおっさん観客が会場にやってきた。

14時になり会場に入ったが、準備はまだ終わってなかった。観客は平原演劇祭の常連観客おっさん4名と高野夫妻の計6名だった。

レンタルスペースの広さは30平米くらいあるだろうか。かなり広々としていて、天井も高い。眺めのいいテラスもある。まだ新しくてきれいだ。

広いキッチン付きで、四人用のテーブルが四台、そしてレンタルスペースのウェブページを見ると椅子が30脚あるらしい。石神井公園駅というロケーションが少々ネックであるが、この広さ、この設備、このきれいさで、丸一日借りて2万円は安いと思った。

高野竜の旧作と新作の上演があるらしいが、観客が入場後もテーブルのセッティングが続けられている。上演そのものよりも、「誕生会」というイベントの枠組みがどうやらメインプログラムであることに気づく。平原演劇祭主宰の高野竜の誕生日は数日前だったが、今日の出演者三名もみな5月生まれということで、今日のイベントが企画されたのだ。誕生日プレゼントっぽいものを持ってこようかと行く前にちらっと思ったのだが、私は結局何も持って来なかった。おっさん観客のうちの一人はお酒を持ってきていた。えらい。
出演者三名はメイドカフェのコスプレをしていた。平原演劇祭では飯が出ることが度々あるが、軽いスナック程度のものが多い。今回の飯はボリュームたっぷりで、本格的な飯である。豚汁、ハンバーグ、サラダ、鯛飯など、いずれも出演者三名がこのレンタルスペースのキッチンで作ったものらしい。大量のポテトチップスも。

食卓の準備が終わったあと、「本番」が始まった。まずメイド・コスプレ三人娘によるアニメの主題歌に合わせたダンス。これはかなり刺激的だった。。すごくはじけていて楽しそうに踊っている三人の可愛さの圧力が強烈だった。「これはすごいものを私は見てしまっているのでは」。私は言葉を失ってしまった。

www.youtube.com

オープニングのダンスのあとは、一本目の演目がはじまった。チラシ上では「オバハンクラブの無法者」となっていたが、実際に上演・朗読されたのは椋鳩十の「大造じいさんとガン」だったようだ。Wikipediaに概要がある。聞いているときに椋鳩十っぽい話だなと思っていたのだが、終演後に観客のひとりから「ああ、なつかしいですね、この話」という指摘があった。いくつかの小学生の国語教科書に掲載されていたそうだが、私は記憶がない。ご飯を食べながら見る。

一本目の上演が終わると休憩。進行はゆるゆるだ。カラオケ大会があったのはこの幕間だったと思う。人前で歌うのは照れくさくて、最初に誰が歌うのかは譲り合いになった。栗栖のあが最初にAmazing Graceを歌った。それに引き続き、夏水と青木が歌う。観客の一人も歌った。私は歌おうかどうしようか迷ったが、結局歌わず。二本目の演目『さすらいの姫君』の上演はカラオケの後だったように思う。『さすらいの姫君』は、高野によると2009年に上演された旧作だと言う。しかしその冒頭部で語られる、コノシロ(コハダのこと)を焼いた匂いが人を火葬した匂いと似ている、というエピソードは私は記憶があった。私が平原演劇祭に通うようになったのは2010年からだが、そのころに平原演劇祭で宮代町のコノシロ(身代)神社の縁起に関わる高野さんの芝居を見ているのだ。コノシロの伝説は日本各地にあるという話もそのときに高野さんの語りから聞いたことを思い出した。そのときの上演演目が今日、コスプレ三人娘によって上演された「さすらいの姫君」という題名だったかどうかは定かではない。
伝説の概要については以下のウェブページに記されていた。

adeac.jp

「さすらいの姫君」は、コノシロのおかげで命拾いした姫が時空をさすらう話だ(と思う)。平原演劇祭どうよう、「みんなのへいげん」も演じられる、語られる内容よりも、演じられる状況と空間、俳優の存在のほうに気を取られてしまって、テクストの中身はうやむやになってしまう。

会場の外の風景、聞こえてくる飛行機の音、西武池袋線の電車の走る音を背景に、メイドのコスプレの三人娘の口から発せられる古語の台詞が重なっていく。俳優の身体と声、空間のコンビネーションが作り出す空気のなかに、鯛飯を食べながら、身を委ねる不思議で心地良い時間。平原演劇祭、みんなのへいげんは、民俗学的でアヴァンギャルドだ。

二本目の演目が終わったあとはぐだぐだとゆるい時間が過ぎていった。生誕祭なのでケーキも食べた。三人娘のダンスで公演は締めくくられた。

観客数が少なかったこともあり、食べ物が大量に残った。残った食べ物は、ラップで包んだり、ビニール袋に入れて持ち帰ることに。私は豚汁を持ち帰った。後片付けが終わったのが午後6時前だった。
高野竜さんは今日は見ているだけだったが、体力を消耗したらしく、最後のほうは長椅子の上で気を失っていた。

在野のヘーゲル研究者、哲学者の長谷川宏が所沢市の住宅街に地域の小中学生を対象とした学習塾、赤門塾を開設したのは1970年だった。赤門塾は2020年に50周年となったが、塾が開設された数年後からはじまった赤門塾演劇祭も今回で第50回目の開催となった。赤門塾の運営はもう大分前に長谷川宏から、その息子の長谷川優に移管している。個人経営の小さな私塾が半世紀以上にわたって存続しているのも稀有だと思うが、その私塾が毎年三月最終週の週末に行う演劇祭というイベントも半世紀にわたる長い期間、ずっと続いているというのは驚異的なことだ。そもそも演劇祭を定期的に開催している塾は赤門塾くらいだろう。

続きを読む

MODE『うちの子は』

作:ジョエル・ポムラ

翻訳:石井惠

演出:松本修

美術:松本修

音響:藤田赤目

照明:大野道乃

会場:上野ストアハウス

企画・制作:MODE

---------------------------------

久々に会心のフランス現代演劇作品の舞台を見た、という感じだった。ポムラの戯曲はこんな風にやるのか、こんな風にやって欲しかったんだな、という自分の頭のなかに漠然とあった舞台のイメージが具現化されたような上演だった。

続きを読む

--------------

空風ナギは平原演劇祭の常連だった女優で、特に2019年から2020年にかけては武田さやと二人で孤丘座というユニット名で、高野竜とともに8回の野外劇公演を行った。新型コロナの世界的流行がはじまり、多くの人々が自宅に蟄居することを強いられた2020年4月に孤丘座の解散公演が行われ、それ以来、平原演劇祭が企画する特異な野外劇に果敢に挑む特殊女優から、「普通の女子大生」に戻ったのだと私は思っていた。確か2020年度は彼女の大学卒業年度だったと思う。

otium.hateblo.jp

その孤丘座最終公演以来、平原演劇祭で彼女の姿を見ることはなかったのだけど、今年の二月に行われたのあんじーの栗栖のあの大失恋回復祈願公演(この公演後も長らくの間、のあは失恋の痛手をひきずり、ボロボロの状態だったようだが)のとき、久々に空風ナギに会った。そのときは彼女は出演者ではなく、観客として客席に座っていた。三年ぶりで、マスク姿だったため、最初は私は彼女に気づかなかった。大学の演劇科に学士入学し、演劇活動を再開するつもりだ、とそのとき、話してくれた。

大学時代にあまりにも特異で過酷だった平原演劇祭に深くコミットしてしまった彼女は、それゆえに私は演劇から離れてしまったのだと思っていた。実際、平原演劇祭に関わった女優でいなくなってしまった人は少なくない。一度大学を卒業した後、演劇科のある大学に学士入学したと聞いて、今度はいったいどんな演劇を彼女は目指すのだろうかと少し興味を持った。

演劇生活再出発企画として自分自身で「生誕祭」という公演をたちあげのには少し「おお」と驚いたし、そこにはのあんじーも参加するということだったので、告知が出ると私はすぐに予約を申し込んだ。

公演会場は小田急線の中央林間駅からさらに一駅行ったところにある南林間駅近くのネパール料理屋だった。下北沢で名取事務所の公演を見た後、南林間に向かったが、これが思っていたより遠くだった。町田、相模大野よりさらにかなたにある。

開演予定時刻の18時ちょっと前に会場についた。小さなネパール料理レストランに30人くらいの観客がいたのではないだろうか。観客の年齢層の幅は広くて、出演者と同世代の20代の人たちから、60過ぎのおっさん、おばさんまで。おすすめだというダルバード定食を注文したが、人が密集していてテーブルの上は他の人の注文で塞がっている。果たして食べられるのかどうかちょっと心配になる。

18時10分ぐらいにオープニング。ナギさんとパンダ、それから白布頭巾をかぶった人が出てきてグダグダと歌ったり、踊ったりして、強引に始めてしまうというかんじで。

オープニングのあと、最初にパフォーマンスを行ったのは、のあんじーである。ふたりで漫談風の自己紹介のようなことをやってから、岡本かの子の「」の上演にすっと移る。漫談から本編への移行のしかたは落語を思わせる。のあんじー目当ての観客もいたようだが、このひきこみかたは手慣れたものだ。あらかじめ用意してあった卵をガラスの容器にいれ、それを二人の上腕部に挟む。卵が落ちないように、二人は身体をくっつけたまま、「星」のテクストを交互に語り始めた。「星」は岡本かの子がエジプトを旅行した際に見た星空について書かれた短いエッセイだ。センチメンタルで美しい詩的な文章である。あんじーの髪型と化粧は、テクストに合わせクレオパトラ風(?)になっているようだ。

単にテクストを朗読するのではなく、卵を使って、不動の状態で交互に語るという発想がおもしろい。のあんじーは野外劇ユニットで動きながら語るのが基本だが、ここではあえて動かないように自らを縛っている。岡本かの子の詩的なテクストの朗読の途中で、栗栖のあがクリスチャンとして旧約聖書のエピソードを強引に入れ込んでいくという仕掛けもよかった。この聖書解説に熱が入り、のあは身体を動かしはじめ、卵が落ちそうになる。その対応にあわてふためくあんじーの様子を観客が笑う。
余韻をもたらす最後の朗読のためもうまい。のあんじーは観客の反応をコントロールする術を心得ている。上演時間は35分くらいだったように思う。終演後、茹で玉子が観客に配られた。

のあんじーにつづいて、猫道一家の猫道のパフォーマンスが行われた。反復されるBGMに乗せて語られるリズミカルで私的で詩的な語りだった。このスタイルのパフォーマンスを「スポークンワード」と本人は読んでいる。ラップよりは、語りの要素が強い。そして語りのことばは詩的であり、物語的だ。フランスのslamはこれに近いと思う。

私が猫道のパフォーマンスを見るのはこれが初めてだったが、とても気に入ってしまった。自らの体験を歌うものが3曲、そして「失恋電気」という過去の失恋の体験ゾーンに入るとそこに電力が生じ、当事者が感電してしまうというナンセンスが1曲。私小説的な曲は、体験をslam化して、再構成することで、客観的で自虐的な笑いと文学性を獲得している。そして朗唱のリズムや力強さも印象的だった。言葉も動きもキレがあってかっこいい。日本語でのこの主のパフォーマンスを見たのは初めてだったのでとても新鮮だった。彼の公演はまた見てみたい。

個性的で印象的なパフォーマンスが二つ続いたあとに、生誕祭の主役の空風ナギの演目である。すでに行われた二つのパフォーマンスの強さに果たして彼女が対抗できるのかどうか、実はちょっと心配になった。主役の彼女がしょぼいものをやるわけにはいかない。彼女も自ら、自らのためのイベントを企画し、そしてこの二組の強烈なゲストを呼んだからには、相当な覚悟で挑んだはずである。私の心配は杞憂だった。空風ナギのパフォーマンスは、前の二つのパフォーマンスに対抗できる力強さを持っていた。いやむしろ、前の二つの演目との相乗効果で、さらにパワーアップしていたかもしれない。

それは数百枚の紙に書かれた彼女の自分史のエピソードの赤裸々な断章的告白だった。そこで告白されたのは、他人との関係性の構築で常に傷つき続けた自分のすがたである。自己愛に流されることなく、欺瞞に逃げる誘惑を退け、彼女は自意識と徹底的に向き合う。30分以上にわたってその告白は続いた。彼女はこの誕生日で新たに自分を産むと宣言する。その宣言は彼女の痛切な叫びであり、願いであるように思えた。

-----------------

芝居がはじまって数分で、おもしろい作品であることが確信できた。

感嘆し、唸らざるを得ない見事な戯曲、そしてその戯曲をテンポよく明瞭に提示する俳優の演技も素晴らしい。アメリカの製薬会社のスキャンダル事件の現実から敷衍された美術館を舞台とする台詞劇だった。

舞台はとある美術館の事務室である。背景の壁に横長の抽象画がかかっている。白地のキャンバスに粗い霧吹きで原色をちりばめたようなこの抽象画は、舞台の重心のような存在感があり、独立した美術作品としてもかなりいいものだと思う。三方の壁は二重になったむき出しの鉄筋で、密室であるはずの美術館事務所は視覚的には素通しになっている。

開演前、および劇中の暗転の「間」には、抽象画がスクリーンとなり、戯曲の題材となったサックラー一家の製薬スキャンダル事件についての解説が映し出される。製薬会社の成功で巨額の富を築いたサックラー一族は、オピオイドという極めて中毒性の高い麻薬性鎮痛剤の製造・販売によって告発され、非難されるが、その一方で世界中の美術館や学術機関に多大な寄付を行ってきたフィランソロピスト、慈善家でもあった。フィランソロピーはアメリカ社会では、企業のさまざまな社会的貢献活動や慈善的寄付行為などを指す。

カナダの劇作家ニコラス・ビヨンが名取事務所のために書き下ろしたこの新作戯曲では、美術界をゆるがしたこの大スキャンダルで、当事者たちがどのようなやりとりを行ったのかを再現する。

記号的ではあるが、しっかりとその細部まで構築された人物像を演じる俳優たちのメリハリのある台詞のやりとりによって、登場人物の個性や舞台の状況は明瞭に提示され、テンポ良くリズミカルに劇は進行していく。有機的に台詞が反応し合う俳優たちの演技のアンサンブルは緊密だ。優れた新劇の芝居のあの快ちよさによって、劇の展開にすっと引き込まれる。緊迫感がある重要なポイントではハンドパンのBGMが流れる。そのBGMによってぐっとその場面の緊張度が高まり、クローズアップされたような効果があった。

開演前および幕間の暗転中に、背景の抽象画をスクリーンにして映し出されるサックラー一家の製剤スキャンダルとフィランソピーについての事実が、その前面で俳優たちによって演劇的虚構として敷衍される対比の仕掛けがおもしろい。美に対する純粋な芸術的動機と造形芸術を通した真摯な社会的アクションと超金持ちブルジョワたちの虚栄と金銭のやりとりの道具である世俗的欲望の両面を抱えざるをえない美術館、美術界の欺瞞についての問いかけが劇中で行われる。

美術館の館長、顧問弁護士、そして若いインターン、美術館の理念に従い、正しく振る舞おうとするのは女性たちだ。美術館の理事長そして自分の製薬会社のスキャンダルから一族を守ろうとするフィランスロピストは、世の悪徳に流されるしたたかな悪人である。しかし実は社会や人間はそんな善悪の二項対立でなりたつような単純なものではないことが示される。一人の同じ人間が美しいこともすれば、醜いこともする。あるとき、ある面は善人であるものが、別のとき、別の機会にはおぞましい振る舞いをすることは普通にあることなのだ。たいていの人は、状況によって、悪いこともすれば、いいこともするのだ。

登場人物のなかで一番若い、女性のインターンの正義感には清々しい気持ちになるのだけど、彼女とてこの世の善悪のあいまいさからは自由ではない。一人の人間が、矛盾無く、一貫して正しく生きることの困難が提示される。

最後の最後まで劇作的仕掛けが効いている。

戯曲の見事さという点では今年見た演劇の中では随一の作品だった。

#茄子演劇

久々に参加する平原演劇祭である。今回の公演の告知はいつも以上にひっそりと行われていたような感じがあった。このところ、〆切のある仕事に追われ立て込んでいたため、日付と開始時間、場所、そして#茄子 というキーワードだけ頭に入れて、会場に向かった。

会場となる調布駅前たづくりとは、正式名称が調布文化会館たづくりで、調布市立の立派な文化施設だった。平原演劇祭らしからぬ近代的な高層ビルだ。この場所を会場に平原演劇祭が行われるのは今回がはじめてのはずだ。調布市在住の平原演劇祭常連俳優がいて、そのつてで文化会館にある会議室を借りたとのこと。

調布は高野竜の居住地の埼玉県宮代町からかなり遠い。私の住む練馬区からもけっこう遠い。上演の場が上演される作品としばしば緊密なつながりを持っている平原演劇祭だが、今回、調布市にあるこの会場が上演会場になったのは特にそういう理由はなさそうだ。この建物の三階にある25平米ほどの会議室が上演会場だった。18時開演で、私が到着したのは17時50分頃。到着したときには観客は5名だったが、最終的には9名の観客が集まった。告知がごくささやかであったことを思うとよく集まったと思う。

ここしばらくは主宰の高野竜さんの衰弱が続いるため、公演回数こそ減ってはいないが、公演規模は縮小され、告知もtwitterの公式アカウントで気まぐれに行われるだけのことが多く、観客数は一桁のことが多い。高野竜さんとしては、出演者にできるだけギャラを出したいということである程度は観客は来て欲しいようだが、その一方で集客にはそれほど熱心ではなく、ごく少数の観客であっても誰か見に来る人がいればいいと思っているようでもある。今回の上演は敢えて告知は控えめにした、というようなことを言っていた。会場には今回の公演に関わる文献等が並べられていた。

正面の長机には鍋が置かれていて、このなかに入っている茄子を食べることになるのだろうなということは見当がつく。

前代未聞の #茄子演劇は、会議室内のモニタでスタジオジブリ作品で作画監督を努めていた高坂希太郎監督のアニメ映画、『茄子 アンダルシアの夏』(2003年)を全編見ることから始まった。47分の作品を最初から最後まで見た。映画公開時にはかなり大々的に宣伝されていたので、私はこの映画の存在は知っていたが、「茄子」を冒頭に置く奇妙なタイトルや、自転車競技という私がまったく関心を持っていないスポーツが題材の映画ということで、まったく関心が持てなかった。もちろん見たこともない。

とにかく47分最初から最後まで見る。アンダルシアの地を走る自転車レースの様子が、主人公である自転車レーサー、ぺぺを中心に丁寧に描かれてる。レースの展開と平行して、このレースを見守るぺぺの兄や親族、友人たちの様子も描かれる。綿密な自転車レースの描写とそのレースに出場している選手の家族や友人とのエピソードを平行して提示するスタイルは、昨年上映された映画『THE FIRST SLAM DUNK』を連想させた。「茄子」は、自転車レースが行われているアンダルシアの街道沿いでバル(酒場)のおやじが店で出すワインのつまみとして映画のなかに何度か登場するが、本筋とはからまない。「茄子」がこの映画のなかでどういう意味合いで出てくるのかはわからなかった。

映画の上映が終わると、竜さんのミニレクチャーがあり、この映画の原作が黒田硫黄のマンガ『茄子』であることを知る。ただし映画は『茄子』に収録されている一エピソードを敷衍したものとのこと。マンガ『茄子』は茄子をテーマとする連作短編集で、原作マンガでは「茄子」が主、自転車レースのエピソードのほうが従なのだ。映画自体は自転車競技に関心のない私もそこそこ楽しんで見ることができたのだが、#茄子演劇 だけにこの公演で重要なのは「茄子」である。映画のなかでバルのおやじが供する小ナスの漬物が、今回の平原演劇祭の出し物の核だった。ここで鍋に入っていた小ナスの漬物が、ぶどう酒と葡萄ジュースとともに観客たちに振る舞われた。

平原演劇祭で出される食べ物は常に美味しいが、パプリカも入っているこのスペインのナスの漬物も、ほどよい酸味と辛みがあって実に美味しかった。赤ちゃんのこぶしくらいの丸い小ナスは日本では流通していないもので、高野竜さんの奥さんが種をまいて育て、収穫したものなのだそうだ。茄子の種まきから今日の平原演劇祭は始まっていたのだ。二〇個ぐらい小ナス漬物が鍋のなかには入っていたが、9人の観客たちによって全部なくなってしまった。私は下戸なので葡萄ジュースと一緒に食べたが、この茄子の漬物はワインとよく合うらしい。

茄子を食べる時間が終わると、最近、何を思ったのか坊主頭にした角智恵子が、『ドン・キホーテ』にある食事場面の朗読を始めた。角は、ぬいぐるみを手に持ち、スパークリングワインを飲みながら、会場内をうろうろと移動し、立ったり、座ったり、寝転んだりしながら『ドン・キホーテ』を読んだ。

角の朗読のあいだに、高野竜の短いレクチャーが何回か挿入され、『茄子』と『ドン・キホーテ』のつながりの背景について語った。アニメ映画『茄子 アンダルシアの夏』の原作マンガ『茄子』のアンダルシアの茄子についてのエピソードにはネタ本があり、それはスペイン文学者の荻内勝之のエッセイ『ドン・キホーテの食卓』(新潮社、1987年)だと言う。なるほどそれで角は『ドン・キホーテ』の食卓場面を読んでいるのか。しかし『ドン・キホーテ』の食事場面には、実は茄子が食卓に上る場面はまったくないと言う。となるとなぜ「茄子」という話になる。

一昨年12月の崖転落による脳挫傷以来、ヘロヘロの状態が続く高野竜だが、この日の公演はときおり意識が遠のいているのではと思えるところはあったが、なんとか持ちこたえていた。この日の夜は調布市の花火大会が行われていて、上演中にたびたび、花火の音が聞こえてきた。

ドン・キホーテは作中では茄子を食べていない。にもかかわらず荻内勝之『ドン・キホーテの食卓』の第一章は「茄子から生まれた『ドン・キホーテ』」となっている。これは、いったいどういうことなのか?

古典的名作というのはおうおうにしてそういうものではあるが、『ドン・キホーテ』もその作品と主人公の知名度の高さにもかかわらず、その内容は実はほとんど知られてない物語のひとつだ。私は中学生ぐらいのときに、子供用にリライトされたものは読んだことがあるような気がする。大学生のときにちゃんと読んでみようと全訳版を手に取ったような気がするが、数十頁ぐらいしか読めなかったような気も。

『ドン・キホーテ』といえば中世の騎士道物語のパロディで、頭のおかしい老騎士ドン・キホーテが風車と戦う場面がある、くらいしか思い浮かばない。あとはあの雑然としたショッピング・センターのチェーンが、ドン・キホーテといえば一番なじみがある。バランシン版のバレエを大昔にパリ・オペラ座で見た経験もあったような気がする。いずれにせよ『ドン・キホーテ』についてのイメージは曖昧だ。

『ドン・キホーテ』の作者はセルバンテス(1547-1616、シェイクスピアの同時代人だったか)だが、『ドン・キホーテ』の設定では、この作品はラ・マンチャに住むアラビア人がアラビア語で書いたもので、それをセルバンテスが町の市場で買取り、アラビア語のできる青年の助けを借りて、スペイン語に翻訳したもの、となっているのだ。そして『ドン・キホーテ』の「真」の作者の名前も作中で言及され、それは「シデ・ハメテ・ベネンヘリ」、日本語に訳すと「茄子大好き先生」となると言う。

こういったことを高野さんは、角の朗読のあいまの短いレクチャー時間に、語った。高野が公演の中で語った内容や、騎士道物語の架空の「原典」作者としてモーロ人(アラビア人)を設定し、その名が「茄子」先生となった理由などについては、『ドン・キホーテの食卓』に記されていて、これらは意外性があって非常におもしろい。公演を見た翌日に派萩内勝之『ドン・キホーテの食卓』を呼んで、平原演劇祭の #茄子演劇の狙いがはっきり見えてきて、昨日の演劇体験はさらに興味深いものとなった。

最初に見たアニメ映画『茄子 アンダルシアの夏』で登場人物たちが食べる茄子は、マンガ『茄子』を経て、『ドン・キホーテ』の世界、茄子をイベリア半島にもたらしたアフリカを出自とする人たちにまでつながるのである。

otium.hateblo.jp

平原演劇祭ではしばしば上演される作品に登場する食べ物が観客に供される。食を出発点に、上演プログラムが組まれているように感じられることが多いが、今回の# 茄子演劇 も、着想の原点となったのはおそらく『ドン・キホーテの食卓』だろう。2017年のロシア革命一〇〇年祭として上演された『亡命ロシアナイト』は、平原の食事演劇のなかでも最も印象的なもの一つだが、そのときは1977年にソ連からアメリカ合衆国に亡命した2名の批評家によって書かれた『亡命ロシア料理』が上演の核となるテクストだった。平原では食卓を俳優が演じるだけでなく、その料理を作り、観客が食べるところまでプロデュースすることで、彼方にある別の土地、演劇的時空を出現させ、それを演者と観客が共有するのである。

スパークリング・ワインを飲みながら、『ドン・キホーテ』の食卓場面の朗読を続けていた角は、だんだん酔いが回って、ぐでぐでの状態になってしまった。もともと角は下戸とはいえないものの、酒はあまり飲めないのだと、twitterでつぶやいていた(もっともこの角のつぶやきも「演出」されたものである可能性もある)。最後は酔い潰れてしまうような形で、唐突に角は意識を失い、平原演劇祭の#茄子演劇は終演した。