Things I Didn't Know (original) (raw)

誰かに韓国のオリジナルミュージカルについて聞かれたときに、かならず話しておきたい作品がひとつ増えました。6月15日に国立貞洞劇場で観た音楽劇『島(섬): 1933〜2019』です。

あれこれ新規開拓するよりも、もともと好きな作品を観に行くことが多かったこの一年。新しく観た作品はおそらく10作品ほどに留まるとおもいます。せっかくソウルに住んでいたのにと、今になって少し後悔もありますが、『島 :1933〜2019』(以下ソム)を見逃さなかったことについては、おおいに自分を褒めてあげたいです。

そもそもこの春は学校の勉強にくわえ、ネクスト・トゥ・ノーマルのことで頭がいっぱいだったので、初見の作品の予習をする心の余裕がありませんでした。制作陣は気になる方々だったのですが、難しいテーマに加え、キャストも知らない方ばかり。観られそうにないなと思っていたのですが、ある時期からフォローしている俳優さんたちが次々とソムを観劇して絶賛しているのが目につくようになり、背中を押されてチケットを買うことになったのでした。

特に話題になっていたのは、チョン・ミドさんの投稿。

「声を出して泣きたくなる公演は本当に久しぶりだった。今年の公演はソムを観た人と観られなかった人に分かれるだろう。」(Instagramより

そんなミドさんの熱いプッシュも後押しし、閉幕まで3週間を残してソムは全席完売に。急遽平日マチネ公演が追加されるなど、スター俳優が出ていない公演としてはなかなかに例を見ないほど盛況となっていました。

三つの時代を行き来する音楽劇

この作品は、日本統治下でハンセン病患者の隔離施設がつくられた孤島・小鹿島(소록도/ソロクド)にまつわる物語です。

一つ目の時代の主人公は、ハンセン病患者に対する人権蹂躙がもっとも激しかった1930年代を小鹿島で生きたペク・スソン

二つ目の時代は、1960年代に小鹿島を訪れて、40年間ハンセン病患者たちに奉仕したオーストリア出身の看護師・マリアンヌとマーガレット

三つ目の時代は、発達障害児を育てる現代のコ・ジソン

三時代を交差させながら、この4人の女性を主軸にして、現代に至る差別と排斥の歴史、愛と希望が描かれます。

▼別ブログにハイライト映像の和訳を掲載しています。

キャストは12名。一人多役で、俳優たちは『カム・フロム・アウェイ』のように簡単な衣装替えによって登場人物を演じ分けます。三つの時代はくっきりと異なる色付けで演出されており、シーンが変わるごとにチャンネルが切り替わるような感覚に。まるで違う劇を観ているようなこの激しい温度差こそが、作品の核心となっています。そしてそれを演出するための大きな要素が音楽です。

ソムは「音楽劇」です。各キャラクターが自分の心情を歌うミュージカルとは違い、ストーリーは台詞によって進行され、歌によって各シーンを彩るという方式が取られています。とはいえナンバーは全15曲あり、そのほとんどが合唱曲ですので、全キャストがつねに歌っているような形。芝居パートの膨大な情報量とは異なり、歌はとてもシンプルな歌詞とメロディで構成されていて、ストレートに各時代の情緒を伝える役割を担っています。

「声プロジェクト」が目指すもの

この作品はパク・ソヨン演出家(『ハデスタウン』『レッドブック』等)、イ・ソニョン作曲家(『女神様が見ている』『レッドブック』等)、チャン・ウソン脚本家(『ロギス』脚本、『伝説のリトルバスケットボール団 』演出等)の3名による「声プロジェクト」の第二弾として制作されました。

「善良な影響力をもつ、記憶すべき人物にスポットライトを当てる」という趣旨で始まったこのプロジェクト。第一弾では労働運動家のチョン・テイル、ソムに続く第三段では韓国初の女性弁護士イ・テヨンを題材に音楽劇がつくられています。

「ザ・ミュージカル」の記事中でプロジェクトが生まれたきっかけについて書かれた部分が印象的でしたので引用します。

はじまりは光化門だった。キャンドルデモ(※2016年に朴槿恵大統領の退陣を求め、100万人以上が集ったデモ)に参加したパク・ソヨン演出家とイ・ソニョン作曲家は、デモの会場で流れたヤン・ヒウンの歌を聴いた。シンプルなメロディに率直な歌詞が大きな感動を与えた。(中略)

パク・ソヨンもまた、繰り返される商業的な公演システムに疲れを感じていた一人であった。「クリエイターを中心とした、自分たちがやりたい公演をつくらないか」という彼女の趣旨に共感したチョン・ウソン作家が参加し、「声プロジェクト」のパズルは完成した。

商業システムの枠から外れたクリエイターファーストの公演だけに、今回も再演にこぎつけるまでは大変な苦労があったそうです。また公演準備の一貫として、制作陣とキャスト有志で往復10時間かけて小鹿島へワークショップに行ったエピソードからも、作品に関わる方々が扱う題材に対してとても真摯な姿勢で臨まれていることが伝わります。

開幕当初グローバルでの販売がなく、終盤は完売、そのうえ題材が難しく、日本の韓ミュファンの方は気になっても諦めざるを得なかった方が多かったのではないかと思うのですが、次の機会があればぜひ観ていただきたい作品です。かなり言葉が早く、訛りや難しい言い回しが多い作品で、私も聞き取れなかった部分は多いのですが...言葉はわからないけれど観てみたいという方のお力になれるよう、できる限りで大筋を書いてみますので、参考にしていただければと思います。

看護師マリアンヌとマーガレット

ソムは看護師として小鹿島で約40年間を過ごした実在の人物、マリアンヌ・ストガーとマーガレット・ピサレックの人生を伝える劇として制作が始められました。

キリスト王侍女会に所属し、ダミアン財団の支援を受けて小鹿島に来たふたり。ハンセン病患者の看護や、その子どもたちの保育などを献身的におこない、年老いてからは島の人びとに「おばあちゃん」と親しまれたそうです。

マリアンヌとマーガレットの時代は、終始温かくおだやかで幻想的なトーン。ふたりが自ら語ることを好まず、周囲の人びとによって人物像が伝えられていることから、人びとの「証言」として〈愛がとどまった時間〉〈温かなミルク一杯〉といった聖歌のような合唱曲が歌われます。マリアンヌとマーガレットの分け隔てない愛を歌で伝えるために、合唱の男女比や声域は同等にすることにこだわったそう。風やミルクを表現する白い布をつかったパフォーマンスも、「小鹿島の天使」と呼ばれるふたりの神聖なイメージを強調しています。

まだハンセン病に対する偏見が根強かった時期に、ふたりが「ハンセン病は治る」と励ましながらマスクや手袋をつけずに患者の治療をしたことや、約40年という月日を過ごすなかで、最初は拙かった言葉が全羅南道なまりの流暢な韓国語になっていったエピソードなども劇中に盛り込まれています。

ハンセン病患者ペク・スソン

ペク・スソンの物語は、ハンセン病患者が暮らす集落を十数人の男たちが襲撃し、命からがら逃げ出しさまようところから始まります。

激しい差別と暴力から逃れるため、「地上の楽園」と謳われた小鹿島に移住した19歳のスソン。ところが実態は違い、小鹿島の患者たちは劣悪な環境で暮らし、鞭に打たれながら強制労働をさせられていました。

日本による植民地支配が始まったばかりの当時、島では強制労働を拒んだ人を監禁室に閉じ込め、断種手術をおこなうなど、深刻な人権蹂躙がおこなわれており、労働によって命を落とした人や銃殺された人も多くいたそうです。劇中で名前が出てくる小鹿島更生院の院長・周防正季は自分の銅像を建立させ、銅像参拝を強要。のちに恨みを抱いた患者によって殺害されています。

ⓒ국립정동극장, 라이브러리컴퍼니

スソンが船で小鹿島へ向かう場面では、同じくハンセン病患者たちがお互いに自己紹介をするくだりがあります。小鹿島を「楽園」と信じ、希望を持って船に乗り込んだ人びと。一人ひとり、出身と病歴を話すのですが、ここで彼らの首に巻き付いた黒い布が病気を象徴していることがわかります。病歴の浅い人は短く、長年患っている人は長く。なかには身体を覆うように黒い布がかかっている人も。病気を示すのはこの黒い布のみ。パク・ソヨン演出家は、役者がハンセン病患者の外見的特徴を表現することを堅く禁じたのだそうです。

スソンは同じくハンセン病患者であるパク・ヘボンと恋人関係になります。年上のスソンに恋し、靴をプレゼントしてアピールする犬系男子ヘボンがかわいらしくて...重苦しいスソンの時代のなかで、唯一のヒーリングシーンです。

ふたりは小鹿島での強制労働と刑罰に耐えかねて、ボートで島を脱出する計画を企てますが、仲間の密告によって職員に追われることになります。スソンだけでも脱出させようと、「先に行け」とボートを押し出し、みずから囮になるヘボンヘボンが黒い布に飲み込まれ、残されたスソンは片方の靴を失ったまま、ひとりで船を押し進めます。背負ったものの大きさを象徴するような重い船を引きずるスソンの顔は苦痛に満ちており、周囲から響いてくるのはおそらくスソンが生きていくなかで聞いたであろういくつもの侮蔑的な「声」。ヘボンと死別したあとのスソンの人生は明示されませんが、その生がいかに苦しく孤独だったかは、この場面だけで十分に伝わってきます。

この時の声の内容から推察するに、スソンは小鹿島を脱出し、ヘボンの子であるソンボンを一人で生み育てますが、差別と貧困に耐えかねて小鹿島に戻ったようです。

劇中には、80歳になったスソンの長男・ソンボンが登場するシーンがあります。現代において、ソンボンは小鹿島を訪れる人たちに島の歴史を伝える語り部になっています。ソンボンが解説するのは「愁嘆場」。ハンセン病患者の親とその子どもたちが月に一度きりの面会をおこなった場所です。子どもたちに病気を移さないようにと海風を背にして、2mほどの距離をおいて安否を伝え合う形でおこなわれる面会。わずかな時間の、触れることもできない逢瀬は悲しく、「嘆きが流れる場所」という意味で愁嘆場と名付けられたそうです。ソンボンは8歳の時の母・スソンとの面会のようすを回想します。

そんなスソンに想いを馳せながら〈風に背を向けて〉を歌うのはコ・ヨンジャ。ヨンジャはスソンが再婚してできた娘で、ソンボンの異父兄弟です。1960年代ではマリアンヌとマーガレットの助手として小鹿島で働いており、母・スソンが小鹿島で見てきたすべてを語り聞かせられながら育った存在。スソンの時代と現代をつなぐ役割として登場します。

発達障害児を育てるコ・ジソン

現代パートの主人公は、ヨンジャの娘、つまりスソンの孫であるコ・ジソンです。ジソンの物語は出産シーンから始まります。分娩台でも電話を握りしめているほどワーカホリックなジソンの職業は公演プロデューサー。難産の末、ジウォンが生まれます。

ソムではあらゆるシーンに布を使った演出がありますが、そのなかでも特に好きなのが出産シーン。生の象徴である白い布がくるくると巻かれ、おくるみに包まれた赤ちゃんの形になる演出がすばらしいです。

ところが1歳の誕生日を過ぎた頃、ジソンはジウォンがほかの子どもより発達が遅いことに気づきます。まるでカフェの隣の席で聞いているかのような、ありふれた「私たち」の会話が続くなかで、突如「障害」という見慣れない存在が訪れた瞬間。舞台は暗転し、1930年代のハンセン病患者たちが歌う「真っ暗な夜 真っ暗な道」という歌詞がジソンの行く先を示唆します。

現代パートは終始乾いた雰囲気で、音楽もほとんど使われません。台詞回しにもリアリティがあり、序盤にはコミカルなシーンも。激情の行き交う1930年代や、神聖で幻想的な雰囲気の1960年代に没入していたと思ったら、急に現実に引き戻されるような、冷えた空気感がありました。

かつて自身が障害者に対して送っていたのと同じように、冷たい視線を受ける立場になったジソン。演劇の公演中に叫びだした子どもと、観客の苦々しい表情、突き放すような言葉を吐く過去の自分を回想して、これは因果応報なのかと嘆きます。「誰のせいでもない」と一緒に泣く夫・ヒョンジン。

数年後、ジソンはやがてジウォンのためにすべてを尽くして努力するようになりますが、的はずれな助言をする兄弟との対立によって孤立は深まり、治療のために費やすお金と時間も重くのしかかります。

ⓒ국립정동극장, 라이브러리컴퍼니

発達障害をもつ「ジウォン」は黄色い帽子によってのみ表現され、複数の俳優が帽子を被ります。名前も意図的に男女の判別がつきにくいものにされており、「ジウォン」の姿を具体化して偏見を再生産することのないよう、注意が払われています。こういった抽象的な描き方で病気や障害を取り上げられるのは、やはり舞台ならではだと感じます。

そして終盤、舞台には一列に椅子が並べられ、特殊学校(※日本で言う特別支援学校)の建設に関する討論会がおこなわれます。反対派は特殊学校の建設を取りやめてスポーツ施設を作ることを強く主張する地域住民たち。賛成派はジソンをはじめとする障害児の親たちです。特殊学校が少ないために、往復4時間をかけて通学をしなければいけないジソンたちは、地域住民の怒号のなか、切実に特殊学校の必要性を訴えます。

これは実話をもとに、再現度高く演出されたシーンです。モデルになったのは、2017年にソウル市の江西地域に特殊学校を作るために闘った母親たち。韓国における障害者差別の実情を浮き彫りにした一件で、ニュースで放送された討論会のようすがそのまま舞台に再現されていました。

「障害島」という島があります。一度も聞いたことがないでしょう。地図上にはありませんから。だけど確かに存在しています。あの頃の小鹿島のように。

ジソンはこのように訴えます。慣れさえすれば受け入れられるはずなのに、人びとが初めから恐れ排除するがゆえに、私たちはその機会を与えられないでいるのだと。

小鹿島を舞台にした30年代、60年代と現代が「島」というキーワードで繋がった瞬間、〈島: 1933〜2019〉という劇のタイトルが何を意味しているのか、はっきりとわかりました。昔のように強制的な隔離はなくとも、現代では社会の無関心が障害をもつ人々を孤立させ、「島」に押し込めている。身体的な暴力はなくとも、偏見の混じった言葉と無視が苦痛を与えている。この時はじめて、私はこれまでにソウルの街中でジソンとジウォンのような親子を見た覚えがないと気がつきました。遠い昔話のように感じていた物語の舞台に、いきなり自分自身も立たされたような感覚でした。

声を伝え、声を生み出す

疲れきったジソンがすがるように問いかける相手は、亡くなった祖母スソン。

ジソン: 私、本当にうまくやれてる?
スソン: よくやってる。そんなこと聞かないで、続けなさい。
ジソン: 続ければいい?
スソン: そうだ。続ければいい。
ジソン: やってもダメだったら?
スソン: そしたらまたやればいい。
ジソン: やってもまたダメだったら?
スソン: そしたらもう一回やればいいんだ。
ジソン: いつまで?
スソン: できるまで。
ジソン: 何を?
スソン: できること。
ジソン: それ何なの?
スソン: おまえができること。
ジソン: 私ができること。

力強いジソンの「私ができること」が、強く胸に響いてきます。最後にふたたびマーガレットとマリアンヌが現れ、劇は幕を閉じます。

一人多役であるこの作品では、マーガレット役の俳優がペク・スソン役を、マリアンヌ役の俳優がコ・ジソン役を演じています。実際のマーガレットとマリアンヌの韓国語名がそれぞれ「ペク・スソン」と「コ・ジソン」だったことから名付けられた役名なのだそうです。

ソムは実質「スソンとジソンの人生の物語」と言える劇であり、そのなかでマーガレットとマリアンヌは、”私たちができること”を示してくれるような存在です。ドキュメンタリー劇に近い部分もあり、情報量も感情消耗も多い作品ですが、観劇後は最後に歌われる小鹿島の天使たちのテーマ〈愛がとどまった時間〉の美しいハーモニーがリフレインして、ソムという作品そのものがくれる希望に胸が熱くなりました。

険しい生を生き抜いてきた差別の当事者たちの声を伝えることで、時を超えた連帯が生まれる。差別の歴史を過去のものにさせない、他人ごとにさせないという制作者たちの強い意志が伝わってくる作品でした。きっと観た人ひとりひとりを次に伝える「声」にするところまでが、声プロジェクトなのだと思います。

おそらくほとんど宣伝費用もかけておらず、各賞への出品もしていないそうで、実際に観た人の「声」によって評判が伝わり、客席がひとつ残らず埋まったことも素晴らしい。再演がかなり難しかったとのことで、人気作品とはいえ次にいつ観られるかはわかりませんが、今後も上演を重ねて広く伝わっていって欲しいと思います。

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