A long vacation (original) (raw)

日本の在日フィリピン人は、2023年時点322,046人を数える。その多くは技能実習生として薄給で働かされ、労働条件に文句ばかり言うくせに自身の労働生産性を上げる努力はひとつもしない日本人に変わって、死に体の日本経済の延命治療に一役買っている。技能実習生ではない場合、主に女性は、水商売、セックス・ワーカー──その多くはフィリピンパブなど、国籍を売りにしている──として働いている。おれの彼女もそうで、フィリピン・パブで働いていて、ホステスとタイ人風俗(彼女はフィリピン人なのだが、日本人は馬鹿なので東南アジアの人々の見分けがつかない。だからこのような失礼な分類ができる)をかけもちで働いている。あとのフィリピン人たちの職業は、せいぜいチャイニーズ・ギャングの下っ端というところだろう。

彼女は長い間おれを養ってくれている。フィリピンの人々は、というか、日本に来る「ガイジン」の人々は、平均的な日本人の数百倍勤勉だ。おれは、とくに技能実習生の姿をみるたびに、そこに西洋人がほんの一世紀前まで行っていた植民地支配の面影をみる。そして、それはセックスにおいてもそうなのだ。

「私、行かないといけない」とオニスが言った。おれはベッドに横たわりながら曖昧に頷いた、その日おれはすでに2回射精していて、これ以上のセックスはもううんざりだったし、それ以外に彼女を引き止める理由もなかったからだ。オニスは白いドレス、片方の肩が見えるタイプの白いドレスに着替え、その上にジャケットを羽織っていた。おれは軽く手を振ってやった。彼女はこれから店に行って、性欲で引きつった笑みをもった男たちにお酌をして回らなければならないのだ。
「あ、帰りがけに、卵買ってきてほしい」とおれは家から出ていこうとしている彼女に向けて言った。
「わかった」と彼女はいった。ああ、とおれは思った。なんて勤勉なガイジン!
彼女はヒールを履いて出ていった。

彼女とはもう5年の付き合いだった。おれが18歳の頃から、おれは彼女の家に世話になっている。おれは23歳にして、もう自分が真面目に生きることはできないだろうと確信していた。これは可能性の話ではない。可能性の話をすれば、日本が太平洋戦争に勝つ可能性だってあった。おれは23歳で、性欲も人並みにあった(少なくとも5年付き合ったフィリピン人の腟内で2回射精できるくらいには)。おれがこれから、真面目に就労しようと決意さえ固めれば、働き口はこの東京でいくらでも見つけることができるはずだ。そうでなくて、これは意志の話だ。おれには働く気がない。23歳、無職。すべてに対してあまりやる気がない。そして、この夜更けから昼過ぎまで寝て過ごすために、仕事終わりの彼女に卵を買いに行かせ、自分で買うことはしない。おれはそういうパーソナリティをもつ男だ。おれが不快な人間は、ここで読むのをやめるべきだ。おれは昼過ぎまで寝て過ごした。

昼過ぎに起きると、ジャスティンから連絡が入っていた。かれもフィリピン人で、オニスの友達。おれとは5年の付き合い。オニスは最近彼を避けている。おれはオニスからかれを紹介された。
「今日、ピザパーティーやる。来ない?」

おれは行くことにした。

ジャスティンの住んでいる駅から徒歩7分の安アパートに着くと、すでにマリファナの匂いを漂わせ、真っ赤な目をしたジャスティンが笑いながら出てきた。フィリピンの大統領がもしここにいたら、真っ先にジャスティンは撃ち殺されていただろう。ジャスティンは技能実習生だが、東京の片隅でスパムを切り、唐揚げを揚げるという今日日すべて機械でもできそうな技能実習に早々に飽きて、いまはチャイニーズ・マフィアの下っ端をしながらマリファナをふかしている、おれの知っているなかで最も愉快なフィリピン人だ。かれはおれより背が高く、筋肉質で、右腕に竜のタトゥーが入っている。おれはかれに会うと、いつも無意識に委縮してしまうが、同時に自分の内なる男らしさの反発を感じ、弱気になる自分を抑え込むのだ。
おれはおれの知らないところで、かれがオニスとやっているのではないか?と未だに訝しんでいる。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。おれは日本人なのだ。日本人は日本人以外の姦通にはあまり興味がない。自分事じゃないからだ。そういう生き物だ。

「吸おうよ。今日は、騒ごう」ときわめてゆっくりとした口調でかれは言った。
「嬉しいよ。楽しみだ」とおれは笑みを作って答えた。親切な日本人、それがおれの役どころだ。
おれは部屋に入り、ガラス・テーブルのうえに、計りに乗せられた大麻の欠片があり、その周りをまだ暖かいピザが囲んでいるのを見た。部屋はすでに、かれの知り合いのチャイニーズ・マフィアと、鼻の高い赤毛の西洋人がいた。彼らはおれを一瞥すると、また座ってピザを食べ、黙々とマリファナをふかす作業に戻った。おれは、どうしてこうおれの知り合いには外国人が多いのだろうと思った。それはおれがこの日本社会になじめないことの証左でもあるにちがいない。おれは事実、周りの人間に、ジャスティンにさえも、オニスとつきあっていることを告げられずにいた。おれとオニスは友達ということになっていたし、一緒の家に住んでいることさえ、誰も知らなかった。

日本において、外国人と付き合い、あまつさえ結婚するタイプの人間は、大概の場合においてよほど奇特とみなされる。もちろん、例外もある。日本を未だに覆っている西洋中心主義の一形態としての西洋式ルッキズムの基準にかなう、金髪碧眼の、グラマーな白人女性と、日本人男性の結婚がそれにあたる。しかし、そのような男側を称賛する人々の声音のなかにも、確かに、われわれ日本人とはちがう、一種の動物との結婚をした者への異物感がひそんでいる。おれはオニスのために、そのような差別的な視線に耐える勇気がなかった。それは財産目当てで馬鹿そうな、旦那が死ぬまでトロフィーワイフの役割を演じようと決意している女と金持ちの男をみたときの、あの嫌悪感とは少しちがう。そもそも、すべての異性(同性愛者は同性)をめぐる獲得競争のなかでは、すべての異性は本質的にトロフィーだろう。

部屋は全体的に乱雑で、カーペットのうえに服が脱ぎ捨てられ、ゲームのカセットが所々に落ちていた。日本に来てアウトローへの道を着実に歩んでいるとはいえ、かれの部屋の壁にはフィリピン建国の父、ホセ・リサールの肖像画が飾ってある。以前にこの肖像画についてかれに問いただしたとき、父の形見なんだとかれは言った。おれはかれの右翼的な部分にかなり好感を抱いた。ぼくは毎月母に仕送りをしてるんだ。彼女は子沢山だからね。ぼくには弟も妹もたくさんいるんだよ、とかれは昔おれに語ってくれたのだ。おれはアウトローのかれが、「ぼく」という一人称を好んで使うのを不思議に思い、またそれを楽しみもした。「いいマリファナが入った。フィリピンでは、ぼくの知り合い、ぼくみたいなギャングはいないよ。悪いことできるのも日本だけ、もちろん、国に送還されないようにやらないと!」とかれは言って、笑いながらマリファナ煙草をふかした。おれもピザを食い、マリファナを吸って、三人と喋り、楽しくなった。THCとCBD、その他多数の精神作用のある物質がおれの血中を駆けめぐり、すぐにおれをアッパーな感覚でみたした。「いいねえ。前のやつよりいいんじゃない」とおれは陶酔の深みの中で答えた。外国人ふたりも、同意するように短く頷いた。おれは今すぐ汚いアダルトビデオでオナニーしたい気分だった。無料のポルノサイトに落ちている、画質の悪いハンディ・カメラで、インド人がセックスするようなやつで。

マリファナの影響下にあるあいだ、われわれはその人種間の差異を確かめあうように、また打ち消しあうように、セックスと排泄物のジョークでしか笑わなかった。西欧人はフィリピン人や日本人にくらべて、人種的に優れているだろうが、しかしやはりチーズと小麦の国より、味噌と米の国のわれわれの方が、腸内環境はよいはずだ。また、ジャスティンとチャイニーズ・マフィアのひとりは牧畜民族の西欧人より(かれの西欧文明観は戦前のレベルだった。かれはドイツが戦争で負けたことも知らなかった)、農耕民族のわれわれの方が、余暇があるので、力強く濃密なセックスをするはずだとの持論を語り、おれもそれに全面的に同意した。
おれたちは親愛の雰囲気をたたえて別れた。

家に戻るとオニスはもう戻ってきていた。彼女は仕事終わりで、いくぶんやつれた雰囲気になっていた。しかしおれは、おれのために働いてくれ、このように身をすり減らしてくれる彼女を愛した。おれは自己犠牲をしてくれる人々が大好きだ、だって、おれにはできないから。しかし彼女は卵を忘れてきていたので、おれはそのおわびとして、彼女にフェラチオをしてもらった。おれはものの10分でいってしまった。まあ、ジャスティンよりは我慢しただろう。毎日マリファナを吸い、酒を浴びるほど飲んでいるやつが、まともな性機能を保てる可能性はほぼないからだ、おれはかれについて、勃起不全か早漏か、または射精障害のいずれかだとみていた。だが、同時にそれは日本人に固有の疾患という気もした。「変な匂いがする。もしかして、また、あれ吸った?」とオニスが言った。

「ばれちゃったなあ」と正直にうちあけておれは苦笑した。隠しても仕方がないからだ。
「危ないことは、やらないでって言ったでしょう。もうあのひととは、関わらないでほしい。怖いし、私も暮らしにくくなる」その「私も暮らしにくくなる」という言葉が、急激におれを不安にさせた。おれは、そういうことで急に不安になるのだ。おそらくマリファナが抜けていないこともありうるだろう。
この女は、たんにおれを、生活上の必要があるからそばに置いているだけじゃないのか?
「オニス、本当におれのことが好き?」とおれは聞いた。
「好きよ」
「じゃあなんでおれを受け入れてくれないんだ?おれは、オニスが体を売っていることすら受け入れているというのに。おれが受け入れられないのなら、ジャスティンとやっていればいいじゃないか!」
一瞬、静寂が走った。
「そんなこと言われたって…」と彼女は目を伏せて答えた。
「先に寝る」

まだ日が暮れたばかりだったが、おれは寝室に戻った。おれは冷静になったが、謝れる勇気はもちあわせていなかった。生活上の必要があるから、女と同居しているのは、むしろおれなのだった。おれは外国人の娼婦に卵を買わせ、それを忘れるとフェラチオをさせる、そういうミソジニーの屑みたいな男だ。ああ、おれには、すべての勇気がない。おれは孤独な日本人だ。

起きると、横でオニスが寝息を立てていた。赤子のような顔をして、水色のネグリジェを着ている。浅黒い肌が見えている。東南アジアの人々はネグリジェが似合うとおれは思った、日本人にコンドームがふさわしいように。逆にコンドームがふさわしくないのは黒人だ、かれらは、精子を減らし、中絶をくりかえして弱っていくわれわれとは対照的に、力強く増えていくべきだ。サバナの大地ににたたきつけるような、ダイナミックなピストンをおこなうべきだ。コンドームは、核兵器と並ぶ、人類の三大・負の発明のひとつだろうとおれは思った。コンドームが生まれてから、人類は弱っていくばかりだ。三大・負の発明の、あとのひとつは?もちろん、マス・メディア。
また、どうせ中絶をし、赤子を殺すなら、早いうちに薬や手術で殺すのではなく、自力で首を絞めるなりして殺すべきだとおれは思う。薬に頼るのはフェアではない。赤子は泣き叫び、未成熟な、どろどろとした曖昧な意識を失うその最後の刹那に、この世の不条理さを悟るだろう。これはちょうど、われわれの最後の時と同じである。われわれが70年、80年、100年かけて学ぶものを、殺される赤子は、生まれてから死ぬまでのほんの短時間で学んで死ぬ。自分で殺すことで、われわれは生命の尊厳を学ぶのだ。

おれは水を飲みにリビングに出た。東京下町の安アパートの電灯は、もはや切れかかっていた。交換しなければならない。テーブルを見ると、卵が買ってあり、「ごめんなさい」と拙い字で書かれたメモ帳が、その下に挟まれていた。
おれは泣いた。すべて、おれの幼さのせいだった。おれは、就労する決意を固めた。

その後、おれはオニスに謝って、そのあとセックスをした。彼女はめずらしく後背位でやりたいと言い出したので、そうした。彼女は丹念におれの性器を愛撫し、おれは一回射精しただけですぐにへばってしまった。おれはオニスに腕枕をしながら、おれはこんなことをするべきではない、おれは真面目になるべきなのだと感じた。ああ、この残酷な社会の中で、この娼婦のフィリピン人の女と、無職の日本人の男をつなぎとめるものは愛、そしてお互いへの献身しかない。そのとき、おれのスマートフォンが振動した。見るとジャスティンからだった。
「明日、昼飯いっしょに食べないか?暇?」おれは、かれと距離を置きたい旨を告げるために、かれと会うことにした。おれはひどく疲れていたので、またすぐに眠ってしまった。

昼前に起きると、外は雨が降っていて、少し肌寒かった。おれはジャスティンと待ち合わせている、駅前の安いチェーンのイタリアンレストランへ向かった。おれが着くと、ジャスティンはすでに着いていた。かれは茶色のジャケットを羽織っていて、くたびれた様子だった。おれの姿を認めると「昼から仕事があって。少し疲れた」と苦笑した。
おれたちはレストランに入り、ジャスティンはペペロンチーノ、おれはサラダとカルボナーラを注文した。料理はすぐに来て、おれたちは会話もそこそこに、いそいそと料理を口に運んだ。
ジャスティン」とおれは言った。
「ん?」
「おれ、真面目に働くつもりなんだ」とおれはきわめて平坦な調子をよそおって言った。
「…そうか」とジャスティンは答えた。
「だから、会えなくなるかもしれない。こんな頻繁には」

ジャスティンはペペロンチーノを食べる手を止めて、くすくす笑いだした。

「もしかして、なにか吹き込まれた?あの女に」

「何のことだ?」
「オニス。あいつとやったか?あいつは、けっこう上手いよ。売春婦だから」とジャスティンはスマートフォンを触りながら言った。
「何を言ってるんだ?ジャスティン」
「でも、最近はおれを嫌ってるんだ。前までは仲良くしてたのに」
「……」
「ほら」とジャスティンは、スマートフォンの画面をおれに見せてきた。そこには、複数人の裸の男たちに囲まれ、やはり裸で恍惚の表情をうかべるオニスがいた。そして、彼女は男のペニスを口に咥えこんでおり、それはジャスティンのペニスだった。

「……なんだ?これは」

「ぼくたち、商売になる女がいたら、まず楽しむよ。こんなふうに。おまえもやるか?いいよ、遠慮しなくて。どうせ売女なんだから」

おれは深甚な打撃をあたえられ、しばらくそこに座ったまま、一言も発することができずにいた。

「あいつ、けっこうよかったのに、ぼくが高いネグリジェ、それも友達の女のお下がりだけど、水色のネグリジェを送ったのを最後に、ぼくを避けるようになってね。ぼくみたいなギャングからものをもらうことが怖いのか、それとも体を売ること、嫌になったのか、まあわからないけど。どうでもいいよ。他のフィリピン人の女のことなんか。おまえも気をつけなよ。おまえは、こっち側なんだから」

おれは身体中から血の気が引き、悪寒がするのを感じた。ジャスティンが笑顔でこちらを見つめていた。

いずれ地球上から男性器と女性器の数が目減りするだろうという悲観的な予測が多数なされているこの現代において、新たに子供を作ろうとする人間の方がむしろ物好きかもしれない。子供が欲しい。恋愛したい。自己承認されたい。競争に勝ちたい。

おれは氷の溶けてしまったお冷を一口飲む、味はしない、ただ冷たい。今度のデートが上手くいくように、おれはひそかに念じた。目の前には、白いワンピースを着て、目の下にホクロがある素朴な顔をした、身長164センチで、野球観戦が趣味の、きょうが初対面の女が座っていた。おれはこの女の本名も知らなかった。おれが彼女について知っているのは、マッチングアプリのプロフィール欄に書いてあった、彼女が中華料理が好きということと、彼女の好きな球団の名前だけだった。しかしおれたちはこれから、一日中デートをする予定だった。

「どう、この店は?」とおれはきわめて自然な風をよそおって尋ねた。

「おいしい。特にこのチャーハン。連れてきてくれてありがとうね」と彼女はチャーハンを指さして答えた。

いい子じゃないか。だが残念ながらそこで会話は終わりだった。もっと何か喋れ!とおれはおれの目の前に座って黙って中華を食べている、無菌室を擬人化したといった様子の純朴そうな女に向かって心の中で毒づいた。しかしこの状況を招いたのはやはりおれのせいかもしれないな。本当の金持ちの、まともな男なら、初デートで女の子を安くて汚い街中華に連れ込むことはしないにちがいない、もっともおれがそのたぐいの男と関わることは、恐らく一生ないが。

おれは、精神疾患をもっているのだよ。うつ病なのだよ。とおれは、自分の食いかけの麻婆豆腐と、目の前の食物に夢中になっている女とを交互に見て、その向こうの壁にかかっている中華人民共和国の地図(おれは個人的に中華民国を国家承認していない。マオイストなのだ)に視線をさだめると、こころのなかで弁明するようにそう反芻した。

君!白いワンピースの、万年弱小球団を応援することを生きがいにしている、いかにも小市民といった感じの、酢豚と付け合わせの卵スープを交互に食べて飲んでいる、ロングヘアのそこの君!君に、おれの精神の安定はかかっているのだからね。おれはやっと社会復帰できたんだ。二年の療養期間を経て、つい三か月前に!しかし、おれの心の中ではまだ社会復帰の感覚がない。精神病者は、自分が社会に適合できないがゆえに、社会が無条件に自分の敵であると思いがちだ。

社会にはさまざまな階層、側面がある。就労をすることで、その「労働者」の側面、その「派遣社員」の階層で、おれはたしかに社会に受け入れられたのだ。しかし、「派遣社員」の階層で受け入れられる、ということは、「正社員」の階層からはねのけられるということを意味する。そして、当分「正社員」の階層は、おれを受け入れてくれなさそうだった。また、いくら「労働者」の側面で社会がおれを受け入れてくれたところで、「恋愛」「自己承認」の側面では、おれは依然として受け入れられていず、社会はいまだにおれの敵のままだ。おれは「恋愛」の側面で成果をあげることによって、自分の価値を、社会に認めさせねばならない。いまのところ、おれは社会の敗者側だ。だから競争の必要性がよくわかる。

彼女が食べ終わった。おれが金を払い、店を出て、たわいもない会話をしながら、商店街をふたりで歩いた。おれは彼女に名前を聞かなかった。

「そういえば、何の仕事をしてるの?」とおれは聞いた。しかし自分の職業のことについて突っ込まれて、自分が自信をもって「三ヶ月前まで精神障害により療養していました」と言える自信はない。

彼女はおれの発声を聞くやいなや一瞬たしかに硬直し、次にそれを悟られまいとして平然とした風に戻ったものの、おれの質問に対しては沈黙を続けた。

おれは、精神疾患者特有のセンシティブさで彼女の心の機微、その様子を確かに感じとると、やってしまったか?と思った。

「・・・仕事は、えっと、いまはしてないの」

とロングヘア―を触りながら、彼女はゆっくり口を開いた。

「ちょっと前に、双極性障害って診断されちゃって。いわゆる、躁うつ病?治療が必要だって言われて、それで、いまは休職中」

「そうなんだ」

おいコラ!とおれは心の中で突っ込みを入れた。精神疾患で休職中にマッチングアプリなんかやんな!

しかし人肌恋しくなるのは、わかる。おれもそうだった。抑うつ期には無気力と倦怠と希死念慮の波がおれを襲うので、他人のぬくもりのことなどを考える余裕はないわけだが、それが少し楽になると、少しの人恋しさと性欲が出てくる。そしてそのときだけ、本当に生きているという感じがするのだった。いまの彼女もきっとそうなのだろう。

しかしおれは、自分もうつ病なのだということは彼女に告げなかった。おれにはやはりプライドがあるのだ。初対面の人間に自分のある種の恥部を告げるほどおれは能天気な人間にはなれない。

「それは、大変だね」とおれは心の底から親切さが溢れでているような声音を作ってやさしく答えた。おれは何だか自分が精神疾患などとは無縁の人生を送ってきており、いまはじめて躁うつ病という言葉が日常生活のなかに侵入してきた人間なのだという気がした。

ふたりの間を気まずい沈黙が包んだ。

デートは間違いなく失敗だ!チクショウ!とおれは考えた。しかし誘うだけ誘ってみることにしよう。

「こういうときにどういう言葉をかけていいかわからないけど、辛かったね、とにかく。まだ昼過ぎだから、カフェでお茶でもしようよ」

ふたりでカフェへ歩く道すがら、おれは、いったい現代の人間はどのようにして仲良くなりうるのか、という気分に包まれた。もちろん、家族、友達、そういった生物的・伝統的な文化のなかでつちかわれる人間関係は存在するだろう。しかし、ああインターネット!インターネット、SNSは世界中の人間とのアクセスを可能にし、それによって世界中の人間との相対評価が始まった。人間は可能性の生き物だ。事物のさらなる可能性を追い求めてしまい、それに向かって行動せずにはいられない生き物だ。しかしインターネットで提示される世界中の人間たちは、つながれる、競争できる可能性を示してはくれるが、その具体的な道筋を提示してはくれず、そのためおれたちはずっと、一生対面で関わることのない画面の向こうの他者に刺激され、埋まることのない自分のコンプレックスに悩みつづけることになる。

レオナルド・ディカプリオに、クリスティアーノ・ロナウドに誰がコンプレックスを抱くか?ミランダ・カーには?ウィル・スミスには?おれだ。すべておれだ。いや、おれだけじゃない。インターネットを使っているすべてのおれのような人々、つまりおれたちが、コンプレックスを抱いているのだ。意識せずとも、無意識にコンプレックスを刺激されているのだ。人とはそういう生き物だ。

おれたちはカフェに入り、アイスコーヒーをひとつづつ頼んだ。腰の曲がった老婦人がひとりでやっているこぢんまりとした店で、彼女は注文からきっかり10分後に灼熱のように湯気の立つコーヒーをふたつ運んできた。しかしおれたちは配膳ミスを指摘するどころか、アイスコーヒーを頼みなおすことさえしなかった。

「おばあちゃん、間違えてるみたいだね」とおれは声をひそめて言った。目の前の彼女もうなずいた。

「おれはわざわざ言う気になれないな。でも」とおれはつづけた。

「私も同じ気持ち」

どうやらこの精神疾患の子は、配膳を間違えた老婆をあわれむだけの心の余裕はもちあわせているらしいぞ、とおれは思った。しかしそのような憐れみこそが、この現代社会、インターネットによって加速した資本主義の、競争社会においては、おれたちを不幸にする。まったく逆方向にはたらくかもしれないのだ。憐れみの情、人情、情深さといったものは、競争社会と本当に相性が悪い。そのような人間は幸せになれない(と、おれは信じている。哀れにも精神疾患によって社会から切り捨てられたおれは)。だから、おれたちのような弱者は、社会によって真っ先に切り捨てられるだろう。しかし人間が悪いのではない。人間は何しろこの社会のなかに生れおちただけで、なんの責任もない。人間が情を捨てて無能を自発的に切り捨てようとこころみる前に、まず社会がそのようにせよと人間たちに強制してくるのだから。

「ああ、こういうことをするから、おれたちは幸せになれないんだろうなあ」とおれはぼやいた。

「どういうこと?」と目の前の彼女がおれに問いかけた。

「だから、おれたちがたとえば、いま声を荒らげてアイスコーヒーを頼んだんだとあのおばあさんに訴えたら、おばあさんはたぶん平謝りだよ。お題だってタダにしてくれるかもしれない。この世の中って、やさしさをもたない、結局厚顔無恥な人間が得するようにできてるように思うなあ」

「うーん、私はそうは思わないけどね」と彼女はきわめて冷淡に答えた。このデートで彼女がこんなに低い声を出したのははじめてだった。やっと本心を出してくれたのかもしれない、おれはあたらしいおもちゃを発見した幼児のように、純粋な感興をもってそれをひそかに喜んだ。

「というと?」

「私が思うに、やさしさというのは弱い人のためにあるのよ。たしかに一対一なら絶対に、弱い人は強い人に負けてしまう」そう言って彼女はホットコーヒーをすすった。

「でも、やさしさをもつことで、弱い人は団結することができるでしょう?」と彼女は赤子に語りかけるようにつづけた。

「みんなで束になって競争したら、強い人にも勝てるかもしれない。やさしさは立派な武器だと思う」

たしかに、とおれは心の中で首肯した。この女の子はなかなか賢い。少なくともただの馬鹿な野球ファンではないぞ。

「たしかに。でも強い人も団結するよ」とおれは答えた。

「強い人に徒党を組まれたら、おれたちはどうすればいいんだろう」

「うーん。とりあえず、コーヒー少し飲んでから話そうよ。冷めちゃうよ」と彼女が答えた。

あっさり、おそらく年下の女の子にあしらわれ、議論をしかけたのをたしなめられてしまった。おれは自分がちっぽけに感じた。おれは何て、すべての会話が下手くそなのだろう。

しかし彼女はかなり議論においては頑固なところがあるかもしれない、それがわかったのはひとつ収穫と言っていいだろう。そして、彼女がやさしさの可能性、この競争社会を支配する観念とは別の次元にあるやさしさというものに対して、一種宗教的なほどの信頼、ある種の信仰心を抱いているということもわかった。さしずめおれは新興宗教やさしさ教を信仰する彼女に対しての異教徒のようなものだ。

おれたちは熱いコーヒーをちびちび飲み、また二三時間他愛もない話をした。趣味の話、日々の生活の話など。静かだが間延びしない、お互いにとって興味深い話ができたと思う。話しこんでみると彼女は知性のある女性だということがわかった。それに気づきはじめると同時に、おれはおれの腹の下あたりで、むらむらと暖炉の火のような性欲が沸き起こってくるのを感じた。おれはサピオセクシャルの気があるのだ。やりたい。やりたい。やりたい。この、弱いところもあるが、もしもっと知的なものが重んじられる世界に生まれていたならば、まちがいなく強者の側に立っていたであろうこの子が、おれは好きだ。よく見れば顔もかわいいし、体つきもかなりグラマーだ。どうかおれとセックスしてはくれないだろうか?Shall we have sex? Sex with me?

そのあとおれたちは予約していた居酒屋に入り、ふたりとも酒を飲んで饒舌にしゃべりまくった。おれは、きょうはいけるぞと強く確信した。何だかきょうはとくにそんな気がする。正直おれは、ふたりで何の話をしていたかとくに覚えていない。でも経験人数の話はした気がする。しかし肝心な彼女の経験人数を、アルコールに浸りきって真っ赤になったおれの頭は、残念ながら聞いたそばから取りこぼしてしまったのだ。

あ、でもいける気がするぞ、多分そんな気がする。おれはあまり正常な思考ができなくなってきていた。もし今日セックスできたら、おれがうつ病を発症して以来だから、実に2年ぶりのセックスになるわけだ。我が男性器も喜んでいるだろう。もういまこの時点で心臓がビートを刻んでいる、それによって血液が送りこまれた性器はズボンのなかで怒張している、いい感じに酔いも回ってきている、実のところ、おれはうつ病だったときに群発的な勃起不全を発症し、それから性的なコンプレックスをいまだに抱えつづけていたのだ。しかし今日セックスできれば、ありがたいことに、そのコンプレックスも解消できることになる。

おれたちはお互いにかなり酔っ払っておぼつかない足どりで、ホテルへと向かった。何かを話していた気がするが、もうほとんど何も覚えていない。ただ、居酒屋を出てすぐ、おれが冗談めかしてだが、アルコールによる気分の高揚だけではごまかしきれない、男なら誰もが感じるであろうあの一瞬の緊張を感じながら「行こうか。ホテル」と言ったときに、彼女の瞳が一瞬据わった。かと思いきや、次の瞬間には、彼女が静かに、しかし力強く無言でうなずいていたことだけは記憶している。

そこからは一直線にラブホテルに着いた。何故かお互いに手を繋いでいた。しかしおれは酔いすぎており、入口の部屋を選ぶタッチパネルに、危うく体ごと倒れこむところだった。

部屋に入るとベッドにお互い倒れこみ、それからおれが彼女に覆いかぶさるようにしてキスがはじまった。おれは朦朧とする意識の中で、上着を脱ぎ、また彼女の上の服を脱がせた。しかし彼女の着痩せして見える、脱ぐと豊かな乳房が、どうしても3つにしか見えないのだ。ケルベロスのように見えてしまうのだ。それによっておれは自らのおちいっている酔いの深みを自覚するとともに、いままで自意識によって押さえつけていた吐き気をさらに喚起されることとなった。

下を脱がせる段になって、おれはムードをつくるために彼女の名前を呼ぼうとした。しかしおれは彼女の名前を知らなかった。

おれは不格好にもズボンを脱ぎながら、「名前・・・」と呟いた。

「・・・名前、なんだっけ」おれは言いながら、自分の股間に手を触れてみた。まったく勃起してはいなかった。

「ぜんぜん勃ってないじゃん」と首筋まで真っ赤にした彼女が、おれの陰部を見て、くすくす笑いながら言った。

「それでできるの?本当に」

おれはムキになって、無言で全裸になった。おれはいざとなれば無理にでも男性性を誇示して彼女に迫り、ふにゃふにゃの性器で何か遊戯じみたことをするつもりだった。ベッドの目の前の鏡には赤ら顔の、全裸の不審な男が映っていた。彼女もズボンを脱いだ。しかし、おれはそれでも勃起しなかった。さらに悪いことには、襲いくる吐き気の波が、自分で触って勃たせることを困難にしていたのだ。

「・・・ダメだ」とおれは呟いた。

「おれはダメだ」

おれは孤独な精神病者、おれは勃起不全をもつ男、そして彼女がいかに可愛かろうと、そしてまたいかにグラマーであろうと、彼女もおれと同じように孤独な精神病者だ。そんなふたりがつがえば精神疾患をもった子供ができてしまう。孤独な子供ができてしまう。それは何としても避けなければならない。

「ダメなんだ、ね、君の名前は知らないけど。きみの体が、仕草が、顔が、ダメってわけじゃないよ。とにかく、おれがダメなんだ。今日はダメなんだ」とおれは酔いにのぼせて繰り返した。彼女は呆然とし、無言でおれを見つめていた。女、そこの名前も知らない、乳房が3つある女!おれの言うことがわかるか?叫びたい気分だ!おれはやはり敗者だった!おれはこの社会で勃起をしようと必死に格闘し、そして死ぬにちがいない。おれは敗者だ!

おれはフロントに電話をかけ、別々に部屋を出る旨、そして精算を済ませたい旨を伝えた。部屋に備えつけのタッチパネルを使い、クレジット・カードで精算を済ませると、

「じゃあ、おれはやることがあるから!」ときわめて快活に言って、全裸で部屋を出た。何か隕石のような牽引力をもった大きな使命感がおれをとらえた。

おれは全裸のまま裏口からラブホテルを出ると、近くの大通りに向かって走った。おれは大通りに出ると、その通行人の中に、一組のカップルの姿を認めた。手を繋いだ、不細工だが身長の高い男と、カールさせた茶髪にヒールブーツを履き、腿を出すミニ・スカートを履いた、厚化粧だが美人な女のカップルだった。

「あのう、ひとつお願いがあるのですが」とおれは毅然とした声でかれらに向かって言った。

「どうか、生殖をしないでほしいんです」おれの性器は夜風にあたって痛いほどに勃起していた。おれはここにきてはじめて、男としての自信を取り戻した。

「え、な、何ですか」男の方が呆気にとられたように小声でおれに言った。

「彼女さんは可愛らしい顔でしょ?だけどあなたはお世辞にもかっこいいとは言えないね。いや、はっきり言って、不細工だ。あなたの遺伝子が彼女さんの中に入ると、彼女さんの神聖な遺伝子が穢れます。だから子供を作らないでほしい。それが僕の端的な願いだ。 いいですか、人間の一個体一個体というのは、遺伝子が生み出した奇跡なんだ。あなたはいますぐ科学者に転身して、彼女さんが無性生殖できるように研究をはじめた方がいいね」

おれはそこまで大声でわめくように、しかしひと息に言って、あらためて男の姿を見やった。背が高いな。180はあるだろう。そして右手にはGUCCIのバッグを提げている・・・、

これは失礼した。社長さんかもしれないな。すると、背も高いし、遺伝子的には優秀ということになるわけだ。

「あ、GUCCIのバッグ。もしかして、あなた、社長さんかな?本当に申し訳ないことをしましたね。しかし、そう考えると彼女さんの方は、顔はいいけどかなり馬鹿っぽいね。彼女さんの遺伝子が入ると、あなたの優秀な、賢い遺伝子が穢されるでしょう。やっぱり子供は作らないほうがよさそうだな。お互いのことを考えて・・・」

そこまで言ったところで、後ろからたくましい腕が伸びてきて、おれの肩をがっしりと捕まえた。騒ぎを聞いて駆けつけた警官のようだった。

おれはこの社会の異教徒のようなものだ。おれは何かおかしいことを言っているか?本当のことじゃないか。おれは本当のことしか言わないんだ。みんな、おれはいまは敗北者かもしれない、しかしこの競争社会においては、いまの勝者も、いまの敗者も、おしなべて潜在的にこれから敗北する可能性を秘めているのだよ。

「おれは・・・」おれは取り押さえられながら、そう言おうとした。しかし、急な吐き気が込み上げてきて、おれは声の代わりに吐瀉物をおれの口腔から撒き散らした。

ああ、おれは自分のことをこの上なく孤独に感じた。おれは自分が世界でたったひとりぼっちだという気がした。しかしおれはこの世界でたったひとりの、真実を知っている人間かもしれないのだ。おれは地面に伏せさせられながら、自分の中に確固たる闘志が燃え上がってくるのを感じた。おれは断固としてわめきつづけるぞ、おれは本当のことを言いつづけるぞ、だって本当のことを知っているのは、この世界におれただひとりなのだから。

大江健三郎は勤勉な作家である。

23歳、東京大学在学中に「飼育」で芥川賞(当時史上最年少)を受賞した後、大学卒業後は一般企業に就職をせずにそのまま作家となる。その後は順風満帆なキャリアを歩み、32歳、「万延元年のフットボール」で谷崎純一郎賞(これも当時史上最年少)、「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞など、文学界の並みいる賞を総なめにし、そして川端康成に次ぐ日本人二人目のノーベル賞受賞へと至る。

作家としては偉大であり、間違いなく現代日本文学を代表する作家のひとりであるが、その小説の内容は難解であり、専門家からも「bookish」で(本の虫である)、専門家受けする小説だと批判を受けることが多い(あるいはそれは大江の「専門家受けしない」、先鋭化した左翼思想によるものかもしれないが…)。

ただ、ひとりの人間として「人間・大江健三郎」を見たときに、かれの人生は波乱万丈で常にスリルあふれたものであったか、と問われれば、それは必ずしも首肯しかねる。大江の人生を振り返ると、「大事件」といえるものは、かれが小説家になってからは、脳に障害を持った長男・光の誕生と、義兄・伊丹十三の自殺というくらいのものではなかったか、と思う。

大江の人生は、全般的に「静かな生活」といえるもので、これは若い頃からそうだったらしい。

最近出版された大江の最晩年のエッセイ集「親密な手紙」のなかに、大江と家が近く親交があった作家の大岡昇平が、若き日の大江に「大江君は本を読むばかりで他に趣味がないからよくない」と言われ、大江は散歩をするようになったというエピソードが残されているが、これは若い頃から大江がかなり内向的で、bookishだったということを象徴する話のひとつだといえるだろう。

また、同じ本のなかに、大江が、長くかれの友人であった「オリエンタリズム」のE.サイードから、伊丹十三の自殺に際して心配する手紙をもらい、「きみは『sensitive one』、感じやすい人間、感受性豊かな人間、だ」という励ましをうけとった(もっとも、大江はこの手紙に返信しなかったそうだが)、というエピソードも載っているが、これも非常に面白い。

大江の小説には、大江自身をモデルにしているのであろう人物が、深い抑うつに苦しみ、「精神の危機」に落ちこんでいる場面が度々みられる。たとえば「懐かしい年への手紙」では、語り手である作家Kが、メキシコ滞在の際に(これはおそらく大江のメキシコ滞在の事実そのまま)、コレヒオ・デ・メヒコで深い抑うつに落ちこみ、伊丹十三をはじめ渡辺一夫など、複数の人物をモデルにしていると思われる登場人物の「ギ―兄さん」から、Kが結婚している事実を踏まえてではあるが、メキシコの女と触れあって活力を取り戻してはどうか、とアドバイスされる場面がある。「取り替え子(チェンジリング)」でも、伊丹十三がモデルの、友人であり義兄の映画監督の吾良の死を知った、大江がモデルの主人公の古義人が、深いうつ状態になり妻や子供から心配される場面が出てくる。

大江はすぐれた私小説の書き手である。かれの小説は、非常に現実からかけはなれたものであっても(たとえばSFの「治療塔」)、私小説的な要素が多分に含まれている。

僕が思うに、つまるところ大江は、どこまで行っても、自分のことしか書けない。その原因は、先に述べた、一般社会での就労経験が不足していることにも依るだろう。しかし、大江はそこにも自覚的だったのだ。かれは、私小説から脱却するのではなく、さらに読書に読書を重ね、自分の内部にある想像力を喚起し、それを膨らませるかたちで、独自の物語世界をつくりあげていったのだ。僕にはそれが大江の本当にすごい点であるように思われる。

しかし、その過程で依拠した文学理論や文芸批評、そして詩の数々は、かれの文学に慣れていない人々や、かれに批判的な批評家から「難解」との評価をされる一因ともなってしまった。むかし三島由紀夫が、大江の小説を指して「社会学系の学部卒ではないので、かれの小説には社会科学の体系による基礎がない」といったようだが(事実大江は仏文科卒)、大江にはそもそも一般企業での社会経験がないので「社会への基礎」がないのは当たり前の話である。だから僕にはこの三島の批判は少々見当違いのように思われる。

大江は自分に対する文学的な批判にも自覚的で、たとえば「取り替え子(チェンジリング)」では、大江の妻をモデルにした登場人物である千樫に、大江本人をモデルにした主人公である古義人の小説における、文体の変化を批判させているし(これは大江の小説で実際に起こった。大江の文章は、30~40歳代の難解さをピークに、年を取るにつれてだんだん平易なものになっていく)、講演でも自分への批判について自虐的に語り、笑いを誘っている場面が度々見受けられる。

四国の田舎から出てきた社会経験の乏しい文学青年が、小説で食っていくことを志すにあたってよすがとしたのが、大江独特の翻訳調の「文体」と、文芸理論をつみかさねた結果の「物語世界」だった、ということだろう。

こんにちは。おれはいま地方都市の汚い古着屋の入口の前にある古いベンチに座りこんでいる若い男だ。
おれは煙草を吸いながら道行く人々を観察しているのだ、古着屋の看板が掲げられた幹線道路から一本入ったところ、あまり車の通らない狭い道路を挟んで向かい側にはこじんまりとした公園があり、おれはそこにいる現代青少年たちを観察するのを日々の楽しみとしている。

本当は公園のなかで観察したいのだが、公園のベンチには背もたれがなくて長時間座ることがきついのと、あまりに近い距離で観察しすぎると不審者として通報されそうで怖いので、長年にわたる試行錯誤の結果、おれは道路を挟んだこの距離感で観察することが適切であることを発見したのだ。

あ、そのように言っているうちにも来た。小学五六年生くらいの子供たちの群れだ。学校はないのかななどと思っているうちに、今日が祝日であることに気づいた。学校に通わないとこのような社会的な感覚を喪失するからいけない。

「こたろう来んのやって!」と、その一団のなかの眼鏡をかけた生意気そうな背の高い少年が皆に呼びかけた。彼の髪は短く刈りそろえてあり、子供らしい瑞々しさがあった。

おれは彼の金玉のことについて考えはじめた、彼はいつ、どんな人間にはじめて金玉を揉まれることになるだろうか。彼が自分の金玉や陰茎に毛が生えはじめたことを自覚するのはいつだろう。彼がはじめてキスをするのはいつだろう。

最近の子供はマセているから、もう同い年くらいのガールフレンドと経験済みかもしれないな。おれには幼児性愛の趣味はないけど、エピソードだけ聞かせてくれるとありがたい。人生の幅になる。小学生高学年の甘い唇について、など。

おれにもし幼児性愛の趣味があれば、男も女もその対象になったにちがいない。おれにはむしろ小さい女の子より、小さい男の子の方が性的魅力を感じる。まだ包皮も剥けていないんだろう?青臭いガキの、小指ほどのサイズしかないその陰茎で楽しむのも一興だろう。

しかしこういうタイプの子っているよなあ、とおれはあらためて眼鏡をかけたのっぽの少年を見すえた。

たぶん彼はあの一団のなかでいちばん永久歯が生えそろうのが早かったにちがいない。なんとなく彼は大人びた、人格の成熟した大人に成長するような気さえする。悪い遊びは中二でやめて、中三は受験勉強に専念して進学校に行くだろう。彼はバスケットボールをやるだろう、そして吹奏楽部の彼女ができる。LINEのアイコンは実家の犬になるだろう。おそらくマルチーズ

そこまで考えたとき、おれの関心は自転車で来た女子高生ふたり組に移った。彼女たちは夏服で、その胸元あたりにあるワッペンから、この近くの高校に通っているのだとわかる。何か談笑しているのだが、声が遠いためその詳しい内容はわからない。

しかしこうあらためて女子高生を見て、考えてみると、自分が高校をいったん卒業してしまえば、おれが高校生であったときほど、女子高生に性的な魅力を感じないということに気づく。

もちろんやれるならやりたいのはやまやまなのだが、何よりもまず法律がおれを拒むという確たる事実があるのだ。いま、おれが女子高生に感じるのは、セックスがしたいというより、陰毛の本数を数えて学会に発表したいというようなことであって、自分の脳みそのなかで、性欲とは遠い、何か寂しい大人のウケ狙いの道具として女子高生が使われていることは否めない。

また、その酸っぱい臭いのする思春期の膣はもう男の陰茎に貫かれているか、というようなことは考えない。だいたい貫かれているし、だいいちセックスをしたところで何かが変わるわけではないだろう。セックスをしたところで女は何も変わらない。

変わるのはいつも男だ。ひとり性の世界で空回りしているのはいつも男で、女たちは何かもっと違う、どっしりとした世界に生きている。

ところで、おれは女の乳房がとくに美しくなるのはふたつの時期だと思う。ひとつは中学生から高校生にかけての時期の、膨らみかけの曲線系の時期。もうひとつは中年から年老いていく時期にかけての、子育てなどの困難な時期を終え、垂れ下がっていく時期。

前者は共感してくれる人が多いと思うが、後者はわからない。しかし枯れていく木にも美がある。

あ、煙草がなくなった。うちへ帰ることにする。それではみんな、避妊はしようね。