長瀞を歩く(その5・最終回) (original) (raw)
11月9日に埼玉県の長瀞周辺を散策した話の続き。今回で終わらせます。
奥秩父の甲武信ケ岳に源を発し、秩父山地の水を集めて流れ、長瀞の峡谷を通って関東平野に出て、最後は大河となって東京湾にそそぐ荒川の清らかな渓流を眺め、その上を鉄橋で渡るSL列車をカメラに収めた後、川沿いの道を上流へ歩く。この先に長瀞で観察できる数ある結晶片岩の中でもスターといえる貴重な岩石があるのだ。「ブラタモリ」の長瀞編でもタモリがどうしても実際に見たいといって急遽寄り道をしたという岩である。
(大正3年に建造された秩父鉄道の荒川橋梁)
ところで、あとで知ったことだが、荒川橋梁をくぐって、荒川左岸を続く道はかつての秩父鉄道の線路跡だそうである。当初の線路はここで荒川を渡らずに左岸側を通って秩父をめざしていたのだった。結局、この旧線は秩父の手前の皆野町にあった初代・秩父駅(のち国神駅、荒川駅と改称)まで通じていたが、そこから先は地質上の問題で延伸できず、荒川橋梁を建設して右岸に渡り、秩父まで線路を通したのだった。
鉄橋をくぐって長瀞町から皆野町に入り、大正十五年に廃線となった線路跡をそうとは知らずに歩き、まもなく国道に出て、ここで親鼻橋を渡る。この橋の右岸の上流側にめざす岩石がある。紅簾石片岩である。
橋の下流側には長瀞ライン下りの乗船場があり、タモリ一行も紅簾石片岩を見た後、ここから小滝の瀬の激流でスリルを味わいながら岩畳までの川下りを体験している。
さて、橋のたもとから川岸の岩に下りる。普通の巨岩といえば、そうなのだが、よく見ると、少し赤紫やピンクに見える部分がある。全体がほんのり赤みがかっているといってもいい。
紅簾石片岩はマンガンを含むチャートなどが地下深くで高圧変成を受けてできたと考えられる岩石で、ナウマンの弟子であった小藤文次郎博士がこの場所の結晶片岩の中から紅簾石を見つけて明治二十一(1888)年に世界で初めて報告したのだそうだ。
実際はこの露頭には紅簾石片岩のほかにも緑色石英片岩や緑泥石片岩、石墨片岩などの層が積み重なっているようだが、とにかく、世界的にも珍しい紅簾石片岩が露出している貴重な露頭である。
この露頭から高砂橋までの荒川の渓谷が「長瀞」として大正十三年に国の名勝及び天然記念物に指定されていて、標柱が立っている。
ここには二つのポットホール(甌穴、おうけつ)もある。荒川の川底だった時に激流に揉まれて回転する石が削ってできた穴である。
大きい方のポットホールの底にはきれいな紅簾石の層が見えるというが、穴に水が溜まっていて、見えなかった。
また、昔はこの岩体を土台にして旧親鼻橋が架けられていて、その橋脚の礎石だったレンガが残っていた。
さて、これで国指定名称で天然記念物の「長瀞」と呼ばれる荒川の峡谷の全区間を見て歩いたことになる。親鼻駅から電車に乗れるが、あと一か所、ついでに見ておきたい岩がある。本当はもっと見たい場所はいろいろとあるのだが、もう夕暮れが近い。
親鼻駅入口を過ぎて、ガイドブックの地図に従って歩いていく。めざす場所まで親鼻駅から徒歩約20分とある。
火の見やぐらがあった。これを見つけたら、とりあえず写真を撮ることにしている。
皆野中学校近くの二宮金次郎。これも見つけたら写真を撮ることになっている。
中学校前から坂道を下って荒川の右岸に下りる。栗谷瀬橋の下流で、駐車場があり、釣り人たちが帰り支度をしている。
ここに蛇紋岩が露出しているという。濃い緑色で光沢があるという岩はすぐに分かった。
蛇紋岩は地球内部のマントルに含まれる橄欖(かんらん)岩と水が反応してできる岩石で、岩肌が蛇の皮膚のように見えるので、この名がある。今では有害物質とされる石綿(アスベスト)が含まれていて、江戸時代に平賀源内が秩父産の石綿で燃えない布「火浣布(かかんぷ)」を作ったという。そういえば、小学校の理科の実験でアルコールランプと石綿付き金網をセットでよく使ったものだ。
蛇紋岩は水を多く含み、風化しやすく、地滑りの原因となりやすいので、鉄道や高速道路を建設する際には避けて通るのが鉄則で、ここでも三波川変成帯の一部に含まれる蛇紋岩の岩体が存在するために秩父鉄道は当初の建設予定ルートを変更して、荒川橋梁で対岸に渡ることになったわけである。
これは長瀞の埼玉県立自然の博物館前にあった岩石標本の蛇紋岩。
草が生い茂ったり、水の流れがあったりで、岩の間近には近づけなかったが、とりあえず蛇紋岩を見て満足し、親鼻の次の皆野駅まで歩く。
途中で汽車の図柄の踏切注意の標識をいくつか見た。実際にSLが走っているので、ここでは時代遅れのデザインとはいえない。
この標識は目にした瞬間、違和感があった。運転席の部分が他とは違う。
武甲山。
秩父の山のかなたに夕日が沈み、16時半過ぎに着いた皆野駅は趣きのある駅舎。
上り下りともにたくさんの人が列車を待っている。
16時36分発の影森行きに乗る。車内は混んでいて、座れなかった。こうしたローカル線が鉄道マニアではなく普通の観光客や地元客で活況なのはよいことだ。
秩父で下車して12月の秩父夜祭りで有名な秩父神社に参拝したかったが、今回はそのまま御花畑駅まで行き、西武秩父駅から帰る。
帰りもラビューに乗ろうかと思ったが、ほぼ満席なのは確実だから、すぐに出る17時発の飯能行き各駅停車に乗った。まもなく車窓は真っ暗になった。飯能で池袋行き急行に乗り継ぎ、途中の入間市でラビューに抜かれたが、指定席は売り切れと案内していた。所沢から西武新宿線で帰る。
自宅から自宅で35,129歩。よく歩いた。