「涙の女王」であれこれ8(ネタバレあり) (original) (raw)

脇役による作用。ホン・ヘインのお騒がせな叔母のホン・ポムジャも実は重要な役割を担っている。パク・ジウンの脇役の使い方は冴えている。ホン・ポムジャはペク・ヒョヌの次にヘインの病を知った人物である。彼女が知ることによってキム・ヤンギとは別な視点からヒョヌに良い作用をする。現時点ep5でホン・ヘインの治療が難航しそうなことがドイツに行ってわかるのだが1人で旅立ったヘインを「一緒にいなくていいのか」とヒョヌにけしかけるのはポムジャである。んでもってドイツのサンスーシ宮殿で出会うヘインとヒョヌの愛はほぼ確実に戻ってくる感じ。でも、まあそう簡単にはくっつけないよね、あと11エピソードもあんだもん。さてこのエピソードからポムジャはモ・スリとユン・ウンソンの財閥乗っ取りをヒョヌとともに感知していく存在となっていく(スリに殴られてその思わぬ怖さを知ったポムジャは「殴られてわかった。モ・スリが何者か徹底的に調べる!」となったことが発端)。さて先に大きくネタバレするけど、(当然ですが)ホン・ヘインの病は治ります。ただし「記憶を失う」という代償の上で。でこれが結構問題だと思う。まあファンタジーだからいいじゃんですけど。ある意味後遺症が認知症なわけでホン・ヘインはペク・ヒョヌもふくめてすべての家族の関係性を「喪失」してしまう。もちろんなんらかの機会である出来事は思い出すようなので「喪失」というよりも「想起できなくなった」という感じなのだけど。で私はいいたいのだけどこの手の記憶をなくしたら普通は他の多くの知能技能的学習も失うか不全になるので普通には生活できんだろうと。野暮ですがね。都合よく手術後のヘインは性格はヘインのまま家族も部下もなにもかも「この人が何者でこれまで自分とどういう関係だったか」全然思い出せないわけだ。でもそれ以外はホン・ヘインなのですな。ありえない。親が認知症だった身としてはそう思う。記憶と「その人であること」はほぼ同じものだ。誰が誰だかわからないならそれまでの行動もわからないわけで生活する気概やインセンティブがないから身動き取れなくなる。だからこの設定はかなり「ご都合主義」だ。でそれはヘインがペク・ヒョヌを改めて新鮮な気持ちで愛するためのご都合主義といえる。そしてホン・ヘインを一度メモリーリセットさせて実は「本質」からペク・ヒョヌに愛するようになっていたというわけだ。改めてヒョヌを知るヘインが言うのは「すべて私の好み!こんなことってある?」だって。ここのパク・ジウンの形而上的な原理もしくは本質主義があると思う。でもそれがあるからこそこれだけのファンタジードラマが描けるのだ。