ポコログ (original) (raw)
大型のスーパーなどにコインロック式のカートありますよね?
最初にカートを取る時に100円入れて鍵を解除して、帰る時にカートを戻すと100円が返ってくるカート。
私が週末利用しているスーパーではこういうカートを導入していて、すごくいいシステムだなって思いながら使っております。
駐車場が広い所だと、自分の車までカートで荷物を運んだ後、元の場所に返すのが面倒でそのまま放置しちゃう人がいて、他の車にぶつかりそうになったりして危ないからどうにかならないかと思っていたんだけど
お金返却方式にすれば、みんなちゃんと元の場所に返すもので。
そう、あれみたいなもん?
高速バスで、前の人が座席を倒すのを嫌がる人、後ろの人に気を遣って倒せない人、そんな気持ちに配慮して、最初からすべての座席を倒しておくことで、倒したくない人が座席を戻せばいいだけだから誰も嫌な思いをしなくて済む、みたいな人の心理をうまく捉えた解決法。
で、週末に買い物に行った時の話。
瞬間
すごい勢いで飛んで行った100円。
超攻撃型カートだった。
それ以来、コイン型カートを使う際は、「ひょっとしたら100円が飛んでくるかもしれない」という気持ちで使っている☆
定期テストが近づいてきたある日の食卓。
歴史のテスト範囲が広すぎて、覚えられるか不安だと言う息子。
幼い頃から歴史に触れさせてきたわけでも、歴史関連の本を読むのが好きだったわけでもないんだけど、興味を持った教科は何も言わなくても自分からどんどん学んでいくのよねぇ。
そして、高得点取りたいからこそ不安になるんだね?
・・・
ん?
人は、勉強量が増えるほど、テスト前に不安になるという。
理由は、勉強すればするほど、より深く理解しようとすることによって、知らない事がまだまだあることに気づくから。
勉強しているのにテスト前に不安になっていたら、それはきちんと勉強できているってことなんだって。
実際、息子も(ある時期のみ)単語帳を常に持ち歩いて「単語帳見てないと不安」と言っていた時に受けた英語の試験結果は良かった(この話はまた別の機会にでも…)。
逆に勉強しなければしないほど、不安にならないという…(だからかぁ!の気持ち…哀)。
勉強に対するモチベーションが上がらない息子に対して、○○に行きたいから勉強する、ではなく、○○に行きたくないから勉強するという方向でモチベーションを上げていく試み「プロジェクト P :まずはどんな高校があるのか本格的に調べて、奮起させよう」を実践した時の話。
公立・私立高校の合格得点の一覧表があるので、それを見ながら中2の終盤に受けた模試の偏差値を参考に高校を探して、その高校がどんな感じなのか調べてみる。
中2終盤時点の偏差値は英語数学がほとんど不正解で、底に近い偏差値だったので、その偏差値で行ける高校(ここでは2教科の偏差値だけ採用)。
一番良いのは実際にその高校に通っている人に聞くことで、次点は高校を見学してに行って雰囲気を感じる事だと思うけど、行かない前提の高校をわざわざ見に行くのもなぁ…。
幸いなことに、今はネットが普及していて、通っている生徒の口コミや掲示板での交流でなんとなく雰囲気は掴むことができる。
かといって、載っている事すべてが真実なわけではなく
自分の高校について書き込むのは、すごく楽しいと感じている生徒か、すごく不満のある生徒がほとんどで(中には他の学校の生徒がなりすましで悪い内容を書き込んでいる場合も)、すごく悪い評価が多い場合に、普通の学校生活を送っている生徒が「そこまで悪くない」と、良い点悪い点を客観的に述べたりすることもあるし、どの内容を信じるかは個々で判断していく必要がある(実際、息子の高校の評価はすごく低かった)。
そして、たとえ評価がどんなに良くても悪くても、その年に入った生徒のカラーや、担当の教師の当たり外れがあるから、本当に自分に合っているかどうかは実際に入学してみないと分からないところ。
とはいえ、なんとなく自分の性格に合ってるかどうかの判断には役立つと思う。
とりあえず、今回は「行きたくない」と思わせるのがミッションなので、すべての意見を総合することに。
”想像力は未来だ!” ードラえもんー
いいこと言うんだ、ドラえもんは。
集めた情報を元に想像してみよう
さらに
これは…
陽気な仲間たちを越え
このままの偏差値だった場合、行ける高校はここだよ。
別の高校に行けるよう、勉強がんばる気になったよね♡?
帰宅した息子に見せてみる。
勉強しない事に対する折れない心の持ち主だった…っ!
働きたくないんだったら、勉強するしかないというのに…。
普段は、そこまで心配しなくても…というくらい不安になりがちなのに
勉強のことになると、お気楽に考えたいマインドが働くという…。
自己防衛が働いて、不安から逃れるために深く考えないように現実逃避してしまうのかなぁ。
想像力が足りないのよ…マッドマックスを思い浮かべればいいだけなのに…(違います)
そうは言っても、本来の目的は勉強へのやる気を出させたいのであって、高校に行くことへの不安を煽るだけになってしまったら意味がない…。
学校の成績は、偏差値ほど悪くない。
それを活かした現実的な方法を考えよう…と私自身ができる事をもう一度考え直した中2終盤。
洗濯物は部屋干ししています。
乾いた服は、次の洗濯物を干すタイミングでしまいます(ズボラです)。
息子の服は、息子の部屋の収納棚にしまいます。
この一連の流れはもうルーティン化しているので、洗濯が終わりそうな頃に洋服を収納場所にしまいにいくのを息子は知っている。
ある日、洗濯が終わる頃に
自分で服をしまうなんて珍しいこともあるのねぇ
フラグ呼びぃっ
こっちだって入りたくて入ってるわけじゃないですからねっ
洗った服をしまってあげてるだけですからねっ
親がしまうのが当たり前じゃないからねっ
親の親切心がそんな風に呼ばれるなんて…
まぁ、親が部屋に入ってくるのを嫌がる気持ちは、自分も嫌だったからよく分かるんだけど…
親が部屋に入ってきて嫌だと思う現象を「親フラグ」という新しい用語を作って表されたくないわぁ。
親ガチャといい、親の後ろにカタカナが付いた言葉って、良い意味だったためしがないったら。
そういや、「親切」という言葉には親という字が入ってるんだなぁ。
「親身」「親愛」にも親が入ってる。
良い意味で使われていた時代が懐かしいや(遠い目)
高校までは、携帯電話を持たせていなかったので、友達と直接会う以外で会話するのが難しかったからか、夏休みの終わり頃になると
「家で過ごすのも飽きてきたから、そろそろ学校行きたくなってきた」
と言っていた息子も
さすがに高校に入って、スマホで誰とでも気軽に家で話せるようになると、学校に行くのが待ち遠しいなんていう感情はもはやなくなり
家でダラダラしてるなら早く学校が始まって欲しいという気持ちと、学校が始まるとまたお弁当作りをしなければいけないという気持ちがせめぎ合う主婦心。
義務感でやっている事は、しばらくやらないでいると再開するのに6割増しの労力が必要になってしまう
自堕落な生活の後遺症…
お弁当を作っているすべての人に、幸あれ。
夏とは、各方面で大きな大会が催される季節である。
夫の幼馴染からお知らせが来た。
お互いの子どもが偶然にも同じ年に生まれたので、大きくなってからは何年かに1度会うくらいだけど、小さい頃は一緒に遊びに行ったりしていた。
現在高校のダンス部に通う女の子。
彼女は将来どんな職業に就いても成功するわ、間違いない。
後日、親戚のグループラインにも子どもに関する報告が
きっと今頃、次はあれやろう、これやろうって色んなアイデアが止まらないだろうなぁ。
一番楽しい時期だろうなぁ(*´`*)
少しでも力になりたい・・・っ
フェス出演の報告があった後、そのグループライン内で他のお子達の報告が
ひょっとして、それぞれの子どもの近況教え合う流れになってる感じで?
・・・。
とりあえず
~独り残暑見舞い~
何もしてなければ報告することなんてないもので...( = =)
やりたい事が分からない子が、やりたい事を見つけるのは難しいのだよね…。
キラキラ輝いている子ども達の様子を見ていて思ったのは
青春って、何歳かではなくて、やりたい事や理想があって、それに真摯に向き合っていれば、いくつになってもそれが青春なんだ、ってこと。
「老化によって大脳の前頭葉に機能低下が起こったことで感情抑制が十分にできない結果」。
前頭葉の老化となっΣ(゚Д゚)
いや、たしかに怒りっぽくなったり我慢弱くなったりイライラしたり(全部同じ意味)…
ホルモンバランスも乱れているだろうから、感情抑制ができないのは老化故にというのは納得できるとして…。
息子の受験が終わってからは、そこまで怒ったりしてないわ(本人談)
でも、歳とともに涙腺が緩くなっているのは
「歳を重ね経験豊富になったことによって相手への共感に基づいて涙もろくなる」
これが自分には当てはまると思う。そう信じる。いやそうであれ。
10代の頃には自分中心にしか考えてなかったことも、社会に出て、1つの仕事を完成させるまでに色々な人が関わっていることを知り、それぞれ異なるバックグラウンドを持っていて、当人にはどうすることもできない家庭の事情で苦労してきた友人や、歩くというだけでも努力を必要としている人がいる事を知ったら、最終的には普通に歩けるだけで奇跡という心境に…。
運動会で転んでも最後まで一生懸命走る子を見ては感動し、リレー競技で先頭とはだいぶ離されても必死に走っているアンカーを見ては感動し、ひたむきに何かを頑張っている姿に心打たれてしまうのは、中年になった自分にはないものだからでしょうか(;'∀')
そんな私がオリンピックを観た日には
勝っても負けても感動。
これが普段から応援しているチームともなれば
思い入れが強すぎて、観てるだけですり減るメンタル。
スポーツ観戦好きだから悔しさも嬉しさも含めて楽しく観させてもらってるのだけど
普段の生活においては、共感疲労が生じないようにしたいなぁと常々…。
穏やな生活のために感情の起伏を極力減らして過ごしたい。
そんなある日、友達と映画を観に行った息子が帰ってきて
ああ、あそこの場面で泣いたんだね?(内容を知っている母)
あそこ感動的だもんね、分かるよ。
びんかーんっ!!
後半の見せ場まで泣くような話じゃないんだけど…。
そういえば、学校でやっている国語の物語を読んだとき
涙もろさ、はじめてのおつかいのレギュラー陣並みのぉっ(倒置法)
いや、相手の立場になって考えて共感するって大切なことだと思うけどさ…。
息子には持って生まれた不安の強さがあって、このまま経験値が増えて今以上に共感力強くなったら相手の負の感情に引っ張られてしまいそうだし、周りの視線に敏感に反応して気にし過ぎてしまうから、もう少し周囲に対して鈍感になれないものか…。
夫は自分がストレスを感じるようなことへの華麗なるスルースキルを持っている。
仕事や人間関係でストレスや怒りを感じたとしても、それを一瞬で忘れ去ってしまうから、負の感情が後に残らない。
他者との線引きがうまいというか。
揺るぎない自分を持っているというか。
その一瞬を生きているというか。
思ひ出話しても何も覚えてないから、するだけ無駄というか。
すべてを忘れるから何度も同じ失敗繰り返すんだよね、でも私の失敗には厳しいよねというか。
(よどみなく自然に批判へと移行(Γ°ω°)Γウェーイ)
何が言いたいかというと、私や息子のような敏感ヨボヨボメンタル持ちが、ストレス社会で生きるために一番必要なのは鈍感力だと思っている、っていうことであって
決して、悪口ではありません☆ミ