「お世継ぎづくりが最優先」想像を絶する苛酷な未来が決定している皇室に嫁ごうとする女性は出てくるのか 雅子さまが受けた「男児を産め」という強力な重圧を次世代にも残すのか (original) (raw)
「お世継ぎづくりが最優先」想像を絶する苛酷な未来が決定している皇室に嫁ごうとする女性は出てくるのか雅子さまが受けた「男児を産め」という強力な重圧を次世代にも残すのか
天皇、皇后両陛下は6月9日にご結婚30年を迎えられる。神道学者で皇室研究家の高森明勅さんは「ご結婚の後、皇后陛下には『男児を産め』という強烈な重圧がかけられた。今のままでは、将来悠仁親王殿下がご結婚された場合に受けるであろう『男児を産め』という重圧は、さらに想像を絶して苛酷なものとなるだろう」という――。
写真=時事通信フォト
結婚パレードで沿道の人々に手を振って応えられる天皇、皇后両陛下(当時皇太子ご夫妻)=1993年6月9日、東京都千代田区
ご結婚の7年前、最初の出会い
天皇・皇后両陛下は、今年の6月9日にご結婚から30年の節目をお迎えになる。これまでの歳月を振り返ってみたい。
まず両陛下の最初の出会いは、昭和61年(1986年)10月18日。東宮御所で開かれたスペインのカルロス国王の長女エレナ王女の歓迎パーティーでのこと。当時は外務省条約局長だった小和田恒ひさし氏のご令嬢として、皇后陛下が出席されていた。
この時のご印象について、平成5年(1993年)1月19日のご婚約に際しての記者会見で、それぞれ語っておられる。
天皇陛下「話題にも非常に共通性があって、お互いに心が通じあうというような、そういう感じを強く持ちました」
皇后陛下「緊張してご挨拶申し上げたのですが、その後は何か意外なほどに話がはずんだのを覚えております」
メディアが殺到、“お妃候補”を辞退
しかし、皇后陛下の元にメディアが殺到し、いったんはお妃候補を辞退されている。皇后陛下は昭和60年(1985年)に米国ハーバード大学を極めて優秀な成績で卒業され、その後、東京大学法学部に学士入学された年に、早くも難関の外交官試験に合格して外務省への入省を決められた。その矢先の騒ぎだった。
メディアは小和田邸の前に詰めかけ、皇后陛下が出勤するために玄関を出たとたんにフラッシュを浴びせ、テレビカメラを向けた。さらに夜中の帰宅途中にも記者たちが尾行を続け、暗がりから声をかけるなど、非常識な振る舞いを続けた。
外務省から派遣されて、オックスフォード大学の大学院に留学されても、メディアは追いかけた。これでは、お妃候補を固辞されたくなるのも当然だろう。
「一生全力でお守りします」
しかし、天皇陛下のお気持ちは強かった。皇后陛下がご帰国後、お二人は平成4年(1992年)10月3日に千葉県の新浜にいはま鴨場で会われ、ここで陛下は正式にご結婚を申し込まれている。この時、陛下は赤坂御用地の門を出入りする際に、誰にも気づかれないよう、ワンボックスカーの後部座席で毛布をかぶって身を隠されたという。
同年12月12日、皇后陛下は悩み続けられた末に「本当に私でよろしいのでしょうか」とお返事された。陛下のお申し出を受け入れられる決断をされた背景には、皇后陛下の不安なお気持ちを思いやられた陛下の決然としたお言葉があった事実は、今では比較的よく知られているだろう。
「皇室に入られることには、いろいろと不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」
陛下はその後の長い歳月の中で、逆風が吹きすさぶ時期が続いても、このお約束を固く守り続けられた。