ヒエログリフを解け: ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース (original) (raw)
エドワード・ドルニックのヒエログリフを解け: ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース (原題 THE WRITING OF THE GODS The Race to Decode the Rosetta Stone)を読んだ。エジプトの遺跡などに刻まれている絵文字であるヒエログリフの解読に挑戦し続けた二人の男にまつわる物語が本書である。ヒエログリフはエジプトの遺跡や遺物に刻まれていたり書かれているのは知っていたが、ではどのような意味を持っているのかはよく知らなかったし、どのように解読されたのかも全く知らなかった。彼らが実際に解読に挑戦したのはロゼッタストーンである。
トマス・ヤング
トマス・ヤングの自伝的エッセーによると、彼の両親は中流の下の暮らしをしていたようだ。しかし、トマスが大学生の時、彼の叔父が亡くなり、叔父の遺産(ロンドンの家と1万ポンド)を受け取った。これにより、彼は終生金銭的な心配はしなくてよくなった。性格面では感情の波がなく、親友は彼が怒ったところを見たことがないと言っている。一方、彼は慇懃無礼を絵にかいたような男で、丁寧な言葉にくるんだ嫌味で相手を攻撃した。彼は子供のころから語学に堪能で、ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、ヘブライ語、ペルシャ語、カルディア語、シリア語などを理解していたという。
1813年、ヤングは「ロゼッタストーンに刻まれた文字は30かそこらのアルファベットに分解できる」という文章を目にした。また、1814年5月ある友人がエジプト旅行で買ったパピルスをヤングに見せた。それで、彼は興味を持ち、ロゼッタストーンを調べ始めた。ロゼッタストーンのギリシャ語のテキストには、非エジプト人(とりわけプトレマイオスの名前)がところどころの現れる。ヒエログリフがギリシャ語を翻訳したものであることもわかっていた。そこからヒエログリフのテキストにもプトレマイオスの名前があちらこちらに隠れているはずだ。ヒエログリフの中には楕円形で囲まれた中に絵文字が刻まれたものがある。ライフルのカートリッジに似ているのでフランス語でカルトゥーシュと呼ばれていた。ヤングはカルトゥーシュで囲まれた文字は特別な意味があり、読者に注目させる目的があるのではないかと推測した。そして、この中の文字は意味を考えず音声のみを表していると考えた。これは外国人名を中国語でどのように漢字を宛ているかということから推測したものだ。そうするとギリシャ語のΠTOAEMAIOY(プトレマイオスに相当する綴り)と同じ文字数のヒエログリフがあることに気付いたのだ。こうして、彼はヒエログリフの絵文字とそれに相当するアルファベットを対応付けることに成功した。
1819年12月ヤングはブリタニア百科事典に「エジプト」と題した記事を寄稿し、その中でロゼッタ・ストーンについて論じ、カルトゥーシュ、外国名の重要性を説き、プトレマイオスとベレニケをいかに解読したかを記述した。