類聚メモ帳PART2 (original) (raw)

詳しい経緯等は**こちら**を読んでもらえればと思います。

2011年12月に始まったこのブログ「類聚メモ帳」。

2019年からはHatenaBlogの方でお世話になっていましたが、このたびnoteに移行することに。

…とは言え、255もある記事の移行先のnoteでの復元作業と改修にずいぶんと時間がかかる様子で、こちらはすぐには閉鎖できないものと思われます。

いつに終わるかはわかりませんが、移行作業が終わりましたら、こちらは閉鎖します。

ともあれ、皆様、これからも「類聚メモ帳」をよろしくお願いします。

▼新しいnoteの「類聚メモ帳」

note.com

それはある日の夕方のことだった。

この日は職場のくだらない(心底どうでもいい)、しかし、なかなか大変な会議のため心が折れ、その日の夕食を作る気がなくなった。帰ってからもやらなければいけない仕事がいくつかたまっており、夕食にあまり多くの時間を費やすわけにいかない。そこで簡単にコンビニで食事を買って夕食を済ませようと、自宅の最寄り駅のすぐそばにあるセブンイレブンに妻と立ち寄った。

事件の発端となった7Pクリアクーラーシチリア産レモン

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仕事を辞めたい、と思った(何回目?)。しかし、本年はいよいよ今年限りと思い、例によって再び聖徳太子の御前に額づいてその思いを吐露したいと思った。前回は播磨の法隆寺荘園の旧地、斑鳩寺に向かい、それもやはり年度の終わりが近づく去年の3月のことであった。今回は太子がお生まれになったと伝わる橘寺にやってきた。果たして太子は今回の旅で私に何を与えてくれるのだろうか。

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さて、本堂の拝観を終える。写真の通り、本堂にやはりワラワラと人がいるが、往古とて同じように貴賤関係なく多くの人がこうして観音詣でをしていたことであろう。本堂の一角には紫式部が参籠したと伝える「源氏の間」なる一角があった。伝承に過ぎないだろうが、大河ドラマの影響からか多くの人たちがスマートフォンのカメラを向けていた。

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古来より霊験あらたかな観音霊場と言われれば、やはり大和の長谷寺、京の清水寺、そして近江の石山寺であろう。「紫式部が筆があと」とて、式部が源氏物語を書き起こしたという伝承、そして「石山寺縁起絵巻」などで有名なこのお寺だが、やはり貴賤問わず訪れた観音霊場であることがその基盤であることを忘れてはなるまい。今年、大河ドラマ「光る君へ」のブームにのって、ようやくその石山寺を訪れることができた。

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しかし、そうは言ってもこの日は平日である。先述のジイサン、バアサンたちの団体を除いては人はまばらだった。私はひとり、他の人たちがはけるのを待ってから、奥の院(思親閣)へと向かった。身延の山中で晩年を過ごした日蓮。ここは彼が遠く故郷の安房・小湊の方を向いて、両親や師のことを思って追慕した地であることから思親閣と名付けられている。

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さてさて、287段もの菩提梯を登りきると、そこは壇上にあまたの伽藍が建ち並ぶ。久遠寺の前身となろう日蓮が晩年を過ごした草庵の跡はここではない。ここに伽藍が建立されたのは室町時代頃で主導したのは、関東では眼病に霊験あらたかとしてよく知られている日朝である。鎌倉幕府には敵対的であった日蓮宗ではあるが、その後の戦国大名・武田氏や江戸幕府の徳川氏からは帰依を受け、日蓮宗の最高の霊地として君臨している。正面にあるのが本堂で…

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