6月5日 ミッドウェイ海戦で1日で10機撃墜した日本海軍のエース藤田怡与蔵 (original) (raw)
太平洋戦争で日本の大きな分岐点となった
ミッドウェイ海戦。
この戦いで日本軍は空母4隻を失い大敗します。
しかし、この戦いで1日に敵戦闘機を10機撃墜した
エースパイロットがいます。
日本海軍の藤田怡与蔵(ふじた いよぞう)です。
(ミッドウェイ海戦で空母4隻を失い主導権がアメリカに)
1946年(昭和17年)6月5日から7日にかけて行われたミッドウェイ海戦。
日本軍は暗号が解読され計画が漏れてしまい、さらに敵偵察の不十分さ、魚雷と爆弾の差し替えの判断ミスなどによって攻撃準備中にアメリカ軍機の急襲を受けます。
下の写真は急降下爆撃を受けて炎上する空母飛龍です。
結果として、日本側は空母4隻と重巡洋艦1隻を失い200機以上の戦闘機を失う大敗北となります。
そして、この戦い以後、太平洋戦争の主導権はアメリカ側に移っていきます。
(1日で10機撃墜した_藤田怡与蔵)_
ミッドウェイの戦いで壊滅的打撃を受けた日本軍ですが、6月5日の戦いでは、海軍の_藤田怡与蔵は零戦を操縦して、この日だけで_10機を撃墜しています。
「1日に10機撃墜」というのは、第二次大戦での一日あたりの撃墜数では世界で8番目の記録です。
藤田は味方の対空砲火により被弾してパラシュート降下し4時間に及ぶ漂流後に味方の駆逐艦「野分」に救助されます。
(太平洋の全期間に渡り活躍) その後も藤田怡与蔵は、戦死することなく終戦まで戦い続けます。 藤田は真珠湾奇襲からミッドウェイ海戦、硫黄島航空戦、台湾沖航空戦、フィリピン航空戦、本土防衛など太平洋戦争のほぼ全期間に渡って、海軍航空隊の第一線で活躍し_、初陣から_終戦までの生涯撃墜機数は39機、不確実を加えると約50機といいます。