吉原遊郭で働く遊女の信仰を集めた吉原神社 (original) (raw)
遊郭として有名な東京・吉原。 ここにある吉原神社は遊郭で働く遊女の信仰を 集めていました。その吉原神社に参拝してきました。
(映画:吉原炎上) おっさんが大学生の時、1987年(昭和62年)ある映画を見ました。名取裕子主演の東映映画「吉原炎上」です。
明治末期の吉原遊郭を舞台にした映画で、このとき、借金に縛られ自分の肉体を酷使して生きている遊女や花魁の人生や一生を考え、彼女達の人生は非常に過酷で大変だった事を感じました。この世界に入ったら大変だと感じました。
(吉原とは)
このあたりは、江戸時代初期までは湿地帯でした。
1617年、江戸で唯一、幕府公認の遊郭だった吉原が現在の中央区人形町付近に誕生します。しかし人口増加による江戸拡張計画と、1657年(明暦三年)におきた明暦の大火で、江戸幕府の命により、湿地を埋め立て、吉原遊郭がここに移されました。
ここを新吉原と言います。以後、新吉原は1958年(昭和33年)までの300年間、遊郭街として繁栄します。
下は1872年(明治5年)に撮影された吉原の様子です。
(令和の時代に吉原神社参拝)
時代は流れ、大正、昭和、平成、そして令和。
このたび、吉原神社を参拝してきました。
この吉原神社は1872年(明治5年)に新吉原遊郭の四隅に祀られていた4つの稲荷社と、地主神である玄徳稲荷社の合計5つの稲荷神社を合祀して創建、さらに1935年(昭和10年)には遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀しました。
(社殿) 紅色の社殿は、1923年(大正12年)の関東大震災でもえ、再建した物の1945年(昭和20年)の東京大空襲でも燃えてしまい、現在あるのは1967年(昭和42年)に造られた物です。
(新吉原遊郭の鎮守)
吉原神社は、新吉原遊郭の鎮守であり、長い間、吉原の歴史を見守ってきました。吉原遊廓で働く遊女たちの信仰を集め、当時の祭礼は花魁や太夫の道中行列で大いに賑わったそうです。
<<吉原神社への行き方>>
台東区千束3-20-2
吉原神社は、女性の願いを叶えてくれる神社として、 現在も人気があります。