歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」 (original) (raw)

日本の歴史に関するさまざまなコラムを掲載しているサイト「戦国ヒストリー」で、私も定期的に投稿させていただいています。編集部様とのお付き合いも3年以上となりました。

戦国ヒストリーのサイトコンセプトは「探求心をくすぐる本格派の歴史ウェブマガジン」で、教科書的な内容というよりも、歴史好きの人や日本史がよく分からないという人にも楽しめるコラムがたくさんあります。

執筆者もバラエティーに富んでおり、歴史の専門家として著書を出しているような人もいれば、在野で活躍している(と思われる)人もいます。そして、私のような素人の歴史愛好家も混じっているわけです。

大河ドラマに合わせたコラムが多いのも特徴で、2025年ですと「べらぼう」にちなみ、江戸時代の文化、政治、風俗などに関するコラムが数多く載っています。

興味や関心のある方は、ぜひサイトを訪れてみてください

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私と戦国ヒストリーとの関わりについても書かせていただきます。

戦国ヒストリーには「ユーザー投稿」という、自由度の高いコラムを載せられるカテゴリーがあります。私はユーザー投稿へ定期的にコラムを出し、それを掲載していただいているところです。

テーマが重複してはいけないので、テーマ選ぶには知恵を絞ります。徳川家康とか、坂本龍馬とか、歴史上の有名人はサイトの一般記事でたくさん取り上げていますので、ストレートには書けません。

例えば家康であれば家康本人ではなく、家臣の誰かを取り上げてみるとか、龍馬であればきょうだいとの絆にスポットを当ててみるとか、一工夫凝らしてオリジナルのコラムに仕立て上げます。

正直、書き始めた頃は「テーマなんか、すぐに枯渇してしまうだろう」と思っていました。ところが、書いていくうちに「これも面白い」「あれも書いてみようかな」となり、テーマが尽きることはありません。

戦国ヒストリーで書き始める以前から、ブログやnoteで「思い入れ歴史・人物伝」を執筆しており、日本の歴史ものはライティングのなかでも最も得意のジャンルではありました。

ただ、ブログやnoteとの違いは「他の人に読んでもらうことを、より一層意識して書かねばならない」ということ。自由度が高いとはいえ、史実の裏付けや通説の説明はしっかりやらねばなりません。

ちなみに大河ドラマも2024年が平安時代の「光る君へ」、25年が江戸時代の「べらぼう」と、私の知識が乏しい時代のドラマを放送してくれ、さらにテーマ選びも幅が広がってくれました。

まさに「ありがた山の寒がらす」でさあね(笑)

★戦国ヒストリーに掲載した私のコラムです

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※このコラムは、5月23日にブログ「気まぐれトーク」に掲載したものを転載しています

大河ドラマ「べらぼう」も徐々に佳境へと入ってきました。主人公の**蔦屋重三郎**のもとに、戯作者、狂歌師、絵師らが集まり始め、一時代の文化が花咲こうとしています。

戯作者や狂歌師の出身階層も幅広く、朋誠堂喜三二(平沢常富)のような秋田藩重臣という武士もいれば、元木網・智恵内子夫婦のような湯屋を営む町民もいます。

ここで、半世紀前に学校で社会科を勉強していた私から、一つの疑問を投げかけましょう。それは「江戸時代って士農工商身分制度があって、厳しく差別されていたのではないでしょうか?」ということ。

士農工商とは、江戸時代の封建制度の根幹をなす身分制度で、その序列は武士を頂点に農民、職人、商人と続くいうもの。当時の私は「現代では考えられない身分差別があったんだな」と理解していました。

ところが「べらぼう」では、ちょっと違う光景が見られました。

例えば、戯作者の恋川春町が地本問屋の鱗形屋に対し「不義理を働いた」と土下座して詫びるシーン。春町は駿河小島藩士という武士、鱗形屋はもちろん商人で、身分の差は歴然としているはず。

私が学んだとおりの歴史観であれば、平身低頭する鱗形屋に春町が上から目線で「不義理を働いたが許せ」と言い放つ、そんな場面を想像するのですが、ドラマでは逆転しているじゃありませんか・・・・

さらに言えば、蔦屋重三郎と平沢常富との関係。蔦重は吉原の人間で、町民からも差別的な扱いを受けていた存在に対し、平沢は身分の高い武士。にもかかわらず、二人は膝を交えて語らっているじゃないですか。

とまあ、言い出せばキリがありませんが、結論から言わせてもらえば「士農工商という上下関係は存在しなかった」ということ。つまり、何でもかんでも武士がエライわけではなかったのですね。

調べてみると、とっくの昔に教科書からは士農工商」という言葉は姿を消しているようです。言い換えると、身分差別著しい封建制社会という江戸時代のイメージも根底から取り除かれているということ。

帯刀を許され、斬り捨て御免もできた武士が特権階級であったことは間違いありません。ただ、身分でがんじがらめに縛られているわけではなく、日常生活のなかでは武士も町民も対等な立場だったことがうかがえます。

教科書の学びが常識ではなくなった・・・以前にコラムで紹介した田沼意次の評価もそうですが、歴史というのは過去のものではなく、常に新しく塗り替えられる「現代の学問」なんですね(笑)

★丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジン「戦国ヒストリー」にて、ユーザー投稿で執筆中。よかったらご覧ください。

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戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。

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今回の掲載コラムご紹介は吉田松陰の「真の同志」で弟子だった入江九一と野村和作兄弟」です。

長州藩士だった吉田松陰は、激動の幕末に尊王攘夷を堂々と掲げた志士であり、時代の先駆者として私塾「松下村塾」を開き、幕末維新や明治時代を担う人材を育て上げたことで知られています。

高杉晋作久坂玄瑞をはじめ、伊藤博文山県有朋ら数多くの弟子たちのなかでも、革命の志士・松陰が「真の同士」と認めた弟子はごくわずかしかいません。それが入江九一と野村和作兄弟だったのです。

入江は、高杉、久坂、吉田稔麿と並ぶ松陰門下四天王と言われた逸材でしたが、禁門の変で久坂とともに自害し、若き生涯を閉じています。もし、入江が明治の世を迎えてたら、どんな活躍をしたでしょう?

コラムでは、なぜ入江と野村が「真の弟子」と言われるようになったのかを、松陰の一番弟子・金子重輔にも触れながら紐解いてみました。興味のある方はぜひ読んでみてください。

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大河ドラマ「べらぼう」は、前週4月27日の放送お休みを挟んで、5日から蔦屋重三郎の青年期編がスタートしました。耕書堂の発展と蔦重の活躍に期待が膨らんでいきますね。

さて今回のコラムですが、蔦重とは離れて徳川家について書きます。
8代将軍・徳川吉宗が自身の血筋で将軍家を継いでいこうという意思で設けた**御三卿(田安、一橋、清水家)**を取り上げてみます。

田安家は吉宗の二男である宗武が創設した家です。徳川宗家は宗武の兄である家重が継ぎましたが、器量の面で宗武の方が勝っている言われ、一時は次期将軍の候補にする動きもあったようです。

徳川家には、初代家康が血脈を守るために創設した尾張家、紀伊家、水戸家の御三家がありました。吉宗は7代家継が夭折したことに伴い、紀伊家から宗家に入り、家康の思惑を見事に継いだわけです。

吉宗も家康に見習い、さらに自らの血脈を繫いでいくため、御三家と同格の新しい家をつくることを考え、宗武に田安家、その弟(四男)の宗尹に一橋家を創設させました。

さらに、9代将軍家重の子で10代となる家治の弟でもある重好に清水家を創設させ、田安、一橋、清水の3家を御三卿とし、徳川宗家(将軍家)を継ぐ者がいなくなった時の「保険」としたわけです。

さて、同じ吉宗の子が創設した田安家と一橋家は、次代で明暗が分かれることになりました。

田安家2代目の治察は実子がいないまま、22歳の若さで亡くなってしまいます。弟には英邁の誉れ高い定信がいましたが、白河藩松平家への養子入りが決まっており、田安家を継ぐことはできませんでした。

跡継ぎがいない大名家はお取り潰しになるのが通例ですが、御三卿は養子縁組など相続ができる状態になるまでは、当主不在でも家が存続するという「明屋形」という状態で残されることになっていましいた。

田安家は、一橋家から斉匡を迎え入れるまでの18年間、明屋形となりました。定信はというと、のちに老中筆頭として幕政の陣頭指揮を執り、寛政の改革を断行することになるのです。

一方、一橋家2代目の治済は子宝に恵まれ、一橋家相続が安泰だったばかりでなく、実子がいなくなった10代将軍家治の後継者として、長男豊千代を送り込むことができました。

豊千代は11代将軍家斉となり、治済は将軍の実父として絶大な権力を握ります。田安家出身の松平定信を罷免したあとは、家斉が将軍親政を執り行い、将軍在位50年という長期政権を打ち立てたのです。

その後、一橋家は幕末にも脚光を浴びます。養子に入った水戸徳川家出身の慶喜が15代将軍とになり、一橋家から二人目の将軍が誕生しました。これが徳川将軍家最後の将軍となったわけです。

ドラマでは、徳川治済役を生田斗真さんが演じていますが、裏がありありのブラックな雰囲気を作り出しています。このあとも、治済の黒幕ぶりをたっぷり見せてくれるでしょうね(笑)

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今回の掲載コラムご紹介は「龍馬だけじゃない!明治の世を見ずして去った沢村惣之丞です。

沢村惣之丞という名前を聞いてピンとくる方は、よほどの幕末通ではないでしょうか。あまり知られていない人物ですが、タイトルにあるように龍馬、つまり幕末の英雄である坂本龍馬と関係が深い志士なのです。

沢村は、龍馬と同じ土佐藩の出身。土佐で一大勢力となった土佐勤皇党の一員になり、龍馬が脱藩する際に危険を顧みずに道案内をしたことで、以後は龍馬と行動を共にするようになります。

勝海舟の弟子となり、薩摩藩の庇護を受け、亀山社中創設に立ち会い、そして海援隊の主要メンバーになる・・・まさに、龍馬と同じ道を歩んできたのです。幕閣だった大久保一翁は「龍馬と並ぶ具眼の士」と、沢村を評価したといいます。

ただ、沢村は明治の世を見ることなくこの世を去りました。それも、ある事件の後始末をするため、自ら命を絶ったのです。悲劇的な結末を迎えることになった沢村惣之丞という志士を、ぜひ知っていただきたいと思います。

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大河ドラマ「べらぼう」の主要登場人物として、時の老中・**田沼意次**の名前が挙げられます。渡辺謙さんがキャンスティングされているように、幕府を舞台とした場面では主役クラスの扱いがされていますね。

田沼意次というと、真っ先に思い浮かぶフレーズが「悪名高き賄賂政治家」です。もう50年も前になりますが、私が小中学生の頃は、江戸時代の中でも田沼政権は「賄賂がはびこる腐敗した時代」とのレッテルが張られていました。

その頃、よく言われていたのは「田沼の自宅は賄賂の品々で埋まっていた」「賄賂を持参しない人は追い払われた」という真偽不明の話。今では、田沼本人にまつわる賄賂の話はすべて史実に反することが分かっています。

なぜ、田沼がこれほどまでに貶められていたのか。それは、田沼の後に登場する松平定信との関係にあります。教科書では「江戸時代の三大改革」の一つとして、定信の寛政の改革が取り上げられ、定信は幕政立て直しの功労者だったわけです。

改革では質素倹約を旨として様々な統制を図ってきました。施策の内容はともかく、その思想信条は「謙虚でマジメな日本人の美徳」にマッチし、戦後になってからも定信は理想の指導者像として映し出されてきたのだと思われます。

これは私の推測にすぎませんが、ちょうど50年前といえばロッキード事件をはじめとした汚職金権政治が問題視されていた頃。賄賂政治家と言われた田沼は、悪しきモデルとして格好のターゲットになっていたのではないでしょうか。

ところが近年になると、一転して商業に目を付けた田沼の政治が再評価されるようになりました。商売を独占する権利(株仲間)を奨励したうえで、商人から税金(運上、冥加)を取るという考え方は画期的だったと思います。

重商主義とも言える政策に転向した結果、田沼本人とはかかわりないとはいえ、賄賂が世にはびこったのは事実ですし、そうした風潮に苦虫を噛んでいた幕閣も多かったでしょう。そこに天変地異が重なったことも田沼の不幸だったわけです。

一方で田沼政権下では文民統制も比較的緩めだったことから、さまざまな文化が都市部を中心に花開いています。大河ドラマ「べらぼう」では、蔦屋重三郎の出版業を通して、戯作本、浮世絵、狂歌などの文化を描いているわけですね。

最後に私事ですが、少年時代に「田沼は賄賂政治家」と教わった私は、大人になってから「田沼政治は悪いだけなのか」という疑問を持ち続けていました。世の歴史評価に逆らいたいだけの「ヘソ曲がりだから」かと思っていましたけどね(笑)

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NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~: 蔦屋重三郎とその時代 (NHKシリーズ)

田沼意次 汚名を着せられた改革者 (日経ビジネス人文庫)

大河ドラマ「べらぼう」の第12話が放送され、これまでSNSで話題になっていた「どの場面で登場しているのか分からないキャラ」だった、朋誠堂喜三二こと平沢常富(つねまさ)が本格的に登場してきました。

吉原で俄(にわか)祭りが行われることになり、吉原へ頻繁に出入りしていて事情に詳しい平沢が祭りの企画に加わるという話。さらに平沢が実は朋誠堂喜三二という有名な戯作家だったことが判明し、蔦屋重三郎との交流が始まるのです。

彼の表の顔は秋田藩留守居役という藩の重役であり、江戸での情報収集などを兼ねて吉原にも出入りしていました。もっともドラマでは「自腹で遊んでいた」と語っていることから、根っからの吉原ファンだったのでしょう。

そんな平沢の裏の顔が戯作家。洒落、滑稽、ナンセンスを盛り込んだ創作を手掛ける作家だったのですが、俸禄以外の稼ぎは認めないという武家社会の決め事もあり、朋誠堂喜三二というペンネームを使っているのです。

平沢は豊富なアイディアを持つ蔦重を気に入ったようですし、蔦重も気さくな平沢の人柄にひかれたようで、今回の出会いをきっかけに作家と出版元という間柄で、次々と本を出していくことになります。

さて、このドラマでは平沢登場までの演出の仕方が話題になりました。

平沢を演じているのはベテラン俳優の**尾美としのりさん**で、ドラマでは主要登場人物の一人であることは言うまでもありません。第2話から出演者としてクレジットされてきましたが、その登場シーンは長くてもほんの数秒に過ぎませんでした。

私も最初「尾美としのりさんは、いつ出てたのかな?」と首をかしげたほど。そのうち「オーミーを探せ」とSNSをにぎわすほどになっていました。ここ2回は、尾美さんの露出時間が増え、そろそろ本格登場かなと期待していたところでした。

わずかな出演場面でも、しっかりと存在感を見せてくれたのは、さすがベテラン俳優。今回のドラマでは、過去の登場場面をダイジェストで紹介してくれ、SNSでは「まるで答え合わせだ」という声も飛び交っていました。

尾美さんは過去にも大河ドラマに出演していますが、私個人の印象では、今回の平沢常富役を見ていると、デビューして間もない頃に大林信彦監督の「尾道三部作」に出演していた少年時代の演技を思い浮かべてしまいましたね。

平沢常富(朋誠堂喜三二)は、今後も頻繁に登場してくるでしょうから、機会があればまた取り上げてみたいと思います。

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NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~: 蔦屋重三郎とその時代 (NHKシリーズ)

べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~ 前編 NHK大河ドラマ・ガイド