歴男マイケルオズの「思い入れ歴史・人物伝」 (original) (raw)
戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら多士済々の執筆者にまじって、歴史ファンの一人として、ユーザー投稿の形で執筆しているところです。
「戦国ヒストリー」は、丁寧に歴史を追求した本格派の戦国WEBマガジンといううたい文句で、戦国時代を中心に源平時代から近現代史まで、時代もジャンルもバラエティに富んだサイトです。
今回の掲載コラムご紹介は「河井継之助と岩村精一郎は、なぜ交渉決裂したのか?」です。
歴史を語るとき、「if=もしも」を考えたくなるものです。コラムで取り上げた河井継之助と岩村精一郎のケースにも、ifを想像してみると、歴史が大きく変わったのではないかと思わずにはいられません。
戊辰戦争で最大の激戦と言われた長岡戦争は、河井と岩村の交渉決裂の結果、火ぶたが切られました。後年、岩村が語っていたように、河井という人物や長岡藩の戦力を冷静に見極めていれば、戦争を回避する道を探れたかもしれません。
そもそも、当時20代前半の若者だった岩村が、戦争をするか、回避するかという重大局面の交渉役に赴いたというのが、新政府軍の誤りだったと思います。例えば、洞察力の鋭い山県有朋だったら、交渉はどうなっていたでしょうか。
一方の河井継之助も「新政府軍の味方にはならない」という姿勢でよかったのかどうか。長岡の街が戦争によって壊滅的な打撃を受けたことを思えば、河井の側にもifを突きつけてみたいですよね。
コラムでは具体的な交渉の行方などを書いています。よかったらぜひ読んでみてください。
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NHK大河ドラマ「光る君へ」は、25年君臨してきた一条天皇が崩御し、直前に譲位された三条天皇が即位しました。ここから、皇位継承をめぐる三条天皇と藤原道長との駆け引きが始まっていくのです。
現在のように皇室典範で皇位継承順位が明文化されている時代とは違い、平安時代の皇位継承には、時の天皇や治天の君の意向ばかりか、その時々の政治情勢や権力者の存在など複雑な要素が絡み合っていました。
大河ドラマの時代から少し前、第62代村上天皇の後継者として、冷泉天皇が即位しますが、わずか3年で弟の円融天皇に代替わりします。これ以降、冷泉系と円融系の天皇が交互に誕生するという形ができたのです。
円融天皇が退位すると、次は冷泉天皇の皇子である花山天皇が即位しますが、東宮(皇太子)には円融天皇の皇子が据えられます。後の一条天皇ですが、この時はまだ幼い子供でした。
このあたりは大河ドラマの前半でも描かれましたが、藤原兼家の策略によって花山天皇は強引に出家させられ、一条天皇が即位することになり、その後見人として兼家は摂政の座に就きました。皇統でいえば、再び円融系に戻ったのです。
ただ、東宮には冷泉系の皇子が充てられることになっていたため、一条天皇より年長であるにもかかわらず、居貞親王が就きました。この居貞親王が後の三条天皇となるわけです。
一条天皇には、皇后定子が生んだ第1皇子の敦康親王、中宮彰子が生んだ第2皇子の敦成親王、さらに年子の第3皇子の敦良親王がいました。一条天皇が退位するとなれば、居貞親王(三条天皇)の次の東宮を決めなければなりません。
長幼の序でいえば、敦康親王が東宮となるはずですが、ここに外的要因が加わってきます。すなわち、将来の天皇の後見人に有力者がいるかどうか、ということ。敦康親王と敦成親王とは歴然たる差があったのです。
彰子の子である敦成親王は、藤原道長の孫であり、後継者の頼通は叔父にあたります。もちろん母の彰子もいます。一方の敦康親王は、祖父の藤原道隆、叔父の藤原伊周、母の定子が亡くなっており、有力者が不在でした。
仮に敦康が東宮から天皇になったとしても、遅かれ早かれ道長や頼通の圧力によって譲位を迫られることは間違いありません。現に三条天皇は、わずか6年で退位して敦成親王(後一条天皇)に皇位を譲っています。
その三条天皇は、敦成親王の次の東宮として我が子・敦明親王を立てようとします。三条天皇としては「円融系の敦成の次は冷泉系が継ぐ」という思いもあります。さらなる栄華を狙う道長と、どんな綱引きが繰り広げられるのでしょう?
「光る君へ」の放送もあと1カ月ちょっと・・・やはり最終回は「望月の・・・」の句で締めくくるのでしょうか(笑)
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大河ドラマ「光る君へ」も物語は後半に入り、藤原道長が一族の繁栄を画策するようになってきて、クライマックスと思われる「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」の歌へと進んでいます。
さて、6日の放送では、冒頭に**紫式部(まひろ)と清少納言(ききょう)**が再会した場面で始まりました。そこには昔のような友達関係ではなく、女流作家として、そして女房としてのプライドをぶつけるききょうの姿が見られました。
まひろの方は、ききょうに対して昔の友情のまま接し、なんと「あなたが彰子様のサロンにいたら、サロンも華やかになる」と誘いの言葉まで投げかけます。しかし、ききょうは即座に拒否しました。
ききょうの本心は、枕草子によって定子の面影をつなぎとめていた一条天皇の心を、源氏物語が奪い去っていったことへの恨み言・・・源氏物語憎しの思いを親友だったまひろに直接ぶつけたかったのでしょう。
史実を紐解けば、紫式部は「紫式部日記」のなかで清少納言の人物像を痛烈に批判しています。書き出しでいきなり「したり顔にいみじう侍りける人」と言い切り、学才についても「まだいと足らぬこと多かり」と辛らつです。
かなり上から目線での物言いをしていますが、あるいは意図的にそう書き記した可能性もあります。清少納言を批判することで、定子時代を華やかに綴った枕草子の世界を否定したかったのかもしれません。
一方で、清少納言が紫式部をどう思っていたのかについては、何も残されていません。
当時、清少納言は宮中を下がった引退した身であり、紫式部という人物をよく知らなかったのかもしれません。源氏物語は読んでいただろうと推察されますが、だからといってわざわざ感想を書き残そうとも思っていなかったのでしょう。
私個人の見解ですが、紫式部が長編小説作家であるのに対し、清少納言はエッセイストという印象があり、同じ女流作家ではあっても、そもそも執筆スタイルが違うので比較のしようがないな、という感じですね(笑)
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今回の掲載コラムご紹介は「佐久間信盛は追放されるような失態を犯したのか?検証してみました」です。
佐久間信盛は戦国時代に織田信長に仕えた武将で、信長が家督を相続した時にはすでに織田家の重臣の地位にありました。柴田勝家と並ぶ最古参の家臣にもかかわらず、晩年は信長に追放され、織田家を去ることになった人物です。
信盛が追放されたのは、信長の天下統一目前となった天正8年(1580)でした。しかも信長は、過去の不始末(と思われる出来事)を延々と書き綴った折檻状を突きつけて、信盛とその子・信栄を放逐してしまったのです。
戦国時代のテレビドラマや映画では、追放されたという史実があるためか、どうしても影が薄い存在となってしまいます。ただ、信盛は「かかれ柴田に退き佐久間」と言われたように、戦略に長けた優秀な武将だったことは間違いありません。
コラムでは、太田牛一が書いた「信長公記」をもとにして、折檻状に書かれていた信長の言い分を紐解き、佐久間信盛に成り代わって「言い訳」をしてみました。
よかったらぜひ読んでみてください。
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大河ドラマ「光る君へ」も後半に差し掛かってきました。4日の放送では、夫・宣孝を亡くしたまひろ(紫式部)が、中宮・藤原彰子のもとへ女房として出仕する前の頃までが描かれていました。
紫式部が出仕したのは寛弘2年(1006)もしくは同3年(1007)とされ、女房としての生活については「紫式部日記」で読み解くことができます。言い換えれば、それ以前の紫式部の生涯はよく分かっていないのです。
平安時代に興味を持ったので、この機会に紫式部日記を読んでみることにしました。まずは、紫式部日記を概説した著書から読み、そしてビギナーズ・クラシック日本の古典シリーズ「紫式部日記」を読破しました。
紫式部日記は、大きく分けて①中宮彰子が第1子(敦成親王)を出産する前後の日記②消息体と呼ばれる手紙風のもの③敦良親王の記事ほか、となります。メインとなるのは①の記録で、当時を知る第一級の史料ともいえます。
とくに興味深いのは②の消息体で、ここには中宮・彰子や女房たちについて、さらに和泉式部、赤染衛門、清少納言の人物評価が書かれ、清少納言への痛烈な批判に代表されるように、紫式部の「人を観察する目」の鋭さがよく分かります。
さらに自分自身についても記し、「幼い時、父が弟に漢詩を学んでいるのをそばで聞いて覚えた」というエピソードにも触れています。大河ドラマでも幼少時のまひろが学問好きだったという演出の元になっていましたね。
紫式部が女房としていつまで勤めていたのかは定かではありませんが、藤原実資の「小右記」の長和2年(1013)の記事中に「女房とは藤原為時の娘のこと」との注釈が入っており、これ以降もお側仕えしていたと思われます。
さて、いよいよ宮中でのまひろの奮闘が始まっていくわけですが・・・ここで再び1週間お休みとなります。パリ五輪中継のためとはいえ、ちょっと興ざめだなあと思うのは私だけでしょうか(苦笑)
★紫式部日記を読むならこちら
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今回の掲載コラムご紹介は「有岡城に殉じた荒木村重の妻とは、どんな女性だったのか?」です。
戦国時代に関心のある方なら、荒木村重と聞けば「織田信長を裏切って滅ぼされた武将」を思い浮かべるでしょう。羽柴秀吉や明智光秀とも並び称されるほど、織田家にとって主要な家臣だった人物です。
荒木村重は信長に反旗を翻して居城である有岡城に籠城しました。結果的には信長軍に攻め滅ぼされてしまい、一族は皆殺しにされます。そのなかに、村重の妻である「だし」という女性がいたのです。
太田牛一の「信長公記」には、有岡城攻めのようすとともに「だし」のことにも触れています。わざわざ「美人」と表記しているくらいなので、おそらく類いまれなる絶世の美女だったのでしょう。
大河ドラマでは2014年の「軍師官兵衛」に荒木だしが登場しており、桐谷美玲さんさんが演じていました。処刑の際にも取り乱すことなく、従容として自分の運命を受け入れただしの人物像を見事に演じてくれたのが印象的でしたね。
ささやかなコラムですが、ぜひご覧ください。
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大河ドラマ「光る君へ」のなかで、公家の最高位にいる藤原道長の補佐役として、卓抜した職務ぶりを見せている人物がいます。それが**藤原実資**です。有職故実に明るいことで誰からも一目置かれる存在でした。
実資はそれらの知識を日記にしたため、後世に残しています。この日記は「小右記」として現在も読まれ続けているだけでなく、当時の政治や人間関係などを紐解くうえでの第一級の資料となっているわけです。
実資は当時としては珍しい長寿を誇っていました。そればかりか、80歳半ばまで右大臣として政治のトップに近い地位で活躍していたのです。ゆえに「小右記」の記述も60年以上という長きにわたり、まさに歴史の生き証人という存在だったのです。
過日、ビギナーズ・クラシック日本の古典シリーズの「小右記」を書店で購入し、750ページ以上の文庫本を時間をかけて読破しました。時代としては西暦1000年の前後で、ちょうど「光る君へ」と同時代にあたります。
「小右記」の面白い点は、単に有職故実のしきたりをまとめているだけではなく、その当時の世相やできごと、さらには天皇や貴族たちの人物像などにも触れ、そこに実資独自の解釈や感想を記載しているところにあります。
とりわけ、人物評価では辛口ぶりを発揮しており、藤原教通や藤原道綱や藤原斉信に対しては相当な過小評価をしています。言い換えれば、それだけ自分の才覚や博学には自信があったということでしょう。
藤原道長に関しても様々な記述が残されていますが、最も有名なのは道長が全盛期を満月に託して詠んだとされる「この世をば・・・」という句。「小右記」で記されたことで、後の世にも長く語り継がれるエピソードになったのです。
なお、大河ドラマで実資役を演じる**秋山竜次さん**が、同じ言葉を2度繰り返すという口癖をセリフの中に盛り込んでいますが、これは「小右記」でも繰り返しの意味である「々々」という字句を頻繁に使っていることに由来していると思われます。
ビギナーズ・クラシック「小右記」は、現代語訳と訓読文、漢文を併記し、編者の倉本一宏さん(日本古代史研究者)が解説文を載せていて、読みやすくてとても分かりやすい構成になっています。
「光る君へ」は現在、997年ころのシーンが放送されていますが、「小右記」を読むと、この先にも様々なドラマチックな出来事が次々と起こっていることがわかります。ドラマでどのように演出されるのか、興味深く見たいと思います。
★こちらは私の自著です